10代から20代にかけての私は、青木冨貴子著『ライカでグッドバイ カメラマン沢田教一が撃たれた日』や一ノ瀬泰造著『地雷を踏んだらサヨウナラ』を読んで、戦争カメラマンに強く憧れた。沢田は1970年10月にカンボジアのプノンペン近郊で34歳で射殺され、市ノ瀬は1973年に26歳のときカンボジアで消息を絶ち、その後クメールルージュに処刑された。
そんなことを思い出したのは、シリアの武装勢力に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平氏(44歳)が、10月23日に身柄が解放され、トルコ政府に保護されたからだ。そして25日朝にトルコのイスタンブールを発ち、同日夜に成田国際空港に到着した。予想されるなかで最善の奇跡的な生還だった。これが1970年代の出来事なら、少なくとも自己責任論による不毛なバッシングなどは起きなかっただろう。
ネパールでは1996年2月13日から 2006年11月21日まで、11年間にわたりネパール政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の間で内戦が繰り広げられたが、この間に私は同国を10回訪問した。マオイストは「外国人を標的にしない」と宣言しており、軍隊が集結する危険地帯は一目瞭然なので、特別身の危険を感じることはなかった。一方、2007年9月26日事前情報ではまったく安全だと聞いていたミャンマーの最大都市ヤンゴンを訪れた翌朝、僧侶を先頭にした反政府デモに軍隊が襲いかかり、取材中のフリージャーナリスト長井健司氏(50歳)が射殺された。この時は、ヤンゴンの至る所に軍隊が集結し、銃口を我々にも向けてきたので生きた心地はしなかった。
取材して記事は書けるとしても、誰もが戦争ジャーナリストになれるわけではないので、臆病な私は彼らに相応の敬意を払いたいと思う。ただ、誰もが気軽に海外に出かけられる時代になり、物見遊山で紛争地帯に出かける若者が後を絶たないのは困ったことである。それが自己責任論によるバッシングの一つの根拠になっているとしたら無残だ。(福山博)
元ケンブリッジ大学教授のスティーブン・ホーキング博士が、今年(2018)3月14日に亡くなった。享年76。
ケンブリッジ大学の大学院生であった彼は、1963(昭和38)年にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されてから博士号を取得し、世界的な理論・天体物理学者となり、1988(昭和63)年には全世界で1,000万部を超えた大ベストセラー『ホーキング、宇宙を語る』を上梓した。
難病のALSは死に至る病で発症からあまり長くは生きられないが、10年以上生存する患者も5〜10%ある。しかし、それにしても発症から55年間も生きたホーキング博士は例外中の例外でALS患者希望の星であった。
ALSは普通発症から5年以内に呼吸筋の麻痺をおこし、自力で呼吸ができなくなり死亡する。熊本に住む叔母(実母の姉)と、都内に住む義妹(弟の連れ合い)は発症から5年で、元上司で『ライト&ライフ』初代編集長で都下に住んでいた秋岡義之さんは2年で亡くなった。もっとも秋岡さんの死因は餓死だったので、他のALS患者の死と同列に論じることはできない。
ALSを発症すると運動、コミュニケーション、摂食嚥下、呼吸の4つの障害があらわれる。食べ物を飲み込むことができない嚥下障害になった場合、僕の叔母や義妹のように普通は、カット食、刻み食、ペースト食、ゼリー食などの食形態で食事を摂り続ける。ところが秋岡さんは、「飲み込むことができないのなら食事はいらない」と言って絶食を選んで亡くなったのだった。
怪しげな宗教の伝道者に惑わされてALSに罹患してからの義妹は、めっぽう非理性的になり弟を悩ませた。
その一つには、「福山」という姓が良くない、それがすべての不幸の原因だというものがあった。これに関しては、叔父が名前を変えるだけで病気が快癒し、様々な悩みがなくなって、家運が上向くというのであれば、こんな素晴らしいことはない。すぐにでも姓を変えようと言った。姓を変える具体的算段をはじめると、義妹はこの話を避けるようになり、結局、弟一家は改名には至らなかった。
弟のもう一つの悩みは、妻が「自分の病名がALSであるはずがない」と、繰り返し強い調子で主張することだった。医師に対してもしつこく訴えるので、治療に差し支えるようなこともあり、弟に相談されてもこれに対しては我々家族・親類縁者一堂に妙案はなかった。
このようなときになすべきことは、まずは情報収集であると思い、僕は弟に日本ALS協会への入会を強く勧めた。それに対して、弟は妻の気持ちを逆なですることになるので、そんなことはできないと拒んだ。そこで代わりに僕が日本ALS協会に入会して情報を伝えることにした。
2002(平成14)年の2月頃、僕は日本ALS協会に電話して、事情を話して、弟夫婦のために情報が欲しいので入会したい旨を告げた。
当時、事務局長であった方が、患者の心理状態を解説しながら、親身に相談に乗ってくださったことは幸いであった。その中で最も有意義なアドバイスは次のようなものだった。
難病患者が、自分の病名を否定しようということはよくあることだ。ALSという病気を調べれば調べるほど絶望的になるので、無意識に自分はALSであるはずがないと思いこみたいのである。ご家族は患者の気持ちを察して、頭ごなしにそれを否定したりせず、患者に寄り添う必要がある。
しかし、医師に対して患者なり家族なりが、ALSという診断結果を強く否定したり、疑義を呈することは、悲劇的な災いをもたらすことがあるので、自重すべきである。
医師も人の子である。余りに一方的に、かつ感情的に攻撃されて気分が好かろうはずがない。「それならお望みどおりALSではない別の病名をつけてあげよう」とでもなったら大いに危惧すべきである。
ALSは難病に指定されているが、ALSに類似した病気で難病指定がされていない病名でもつけられたら一大事だ。ALSは難病に指定されているから患者の負担は原則ない。しかし、難病に指定されていなかったら、毎月数万から数十万円の治療費を払わなければならなくなる。
そこで、弟は妻に対して「僕もALSではないと信じているが、医師に対してはそれを言ってくれるな。難病でない別の病名をつけられたら、毎月、数十万円の負担が発生する。そうなると、大学生の娘ばかりか、高校生の息子だって学業を続けられなくなる」。
こうして義妹は、それ以来自分の病名を否定することはなくなり、そのうちにALSを自然に受け入れるようになった。
僕は2006(平成18)年6月に義妹が亡くなったので、葬儀が終わってから日本ALS協会に電話して退会した。世話になった事務局長も、「私ももうすぐ退任するのですよ」と寂しそうに言っておられた。
30年以上も前の話になるが、叔母の葬儀は笑顔と笑い声が絶えない、葬儀とは思えないにぎやかなものだった。
ALSに罹患して寝たきりになった叔母の世話は、同居する長男の嫁が献身的におこなった。しかし、叔母はその嫁をいじめて泣かせた。
地域の短歌会に所属していた叔母は、声が出なくなると、五十音表を目で追い、それを嫁に読み上げさせて歌作を行った。しかし、文学的素養に欠ける嫁は、枕詞をいわれてもそれにかかる言葉がわからず、たびたび「馬鹿」扱いされたのであった。
それを見かねた家族は全員が嫁の味方になった。しかしたしなめる夫の言葉も叔母はガンとして聞かなかった。そればかりか、「そんなに憎いのなら殺せばいいではないか。一切世話を焼かなかったら、糞尿にまみれて死ぬしかない。それでいい」と言い放った。
かくして、家族や親類縁者すべてを敵に回しながらも、それゆえか、徹底的に世話を尽くされた末の大往生となったのであった。
不謹慎なほど葬儀がにぎやかであったのも、ある意味叔母の肥後もっこす的頑固気質によるものだったのだろう。今にしてみれば、あるいはそれもある種の人徳であったと言えるのかも知れない。(福山博)
「アジアパラが残した二つの課題」の記事中、実は大会組織委員会が女子52kg級のインドネシア代表を失格にした理由が、本当のところ私にはよくわかりませんでした。
『ニューズウィーク』(電子版)10月9日号には、「国際柔道連盟の試合規定に『長い髪は試合相手の迷惑にならないようにヘアバンドで束ねる。頭部は医療目的で使用される包帯やテーピング以外で覆ってはならない』(第4条第4項)」と書いてありました。そしてインドネシアの英字紙『ジャカルタ・ポスト』10月8日付にも同様の記事がありました。
たしかに『2014〜2016年 国際柔道連盟試合審判規定』の「第4条 衛生」には、「4.長い髪は試合相手の迷惑にならないようにヘアバンドで束ねる。ヘアバンドはゴムか、またそれに類似した材質で作られていて、いかなる固い材質や金属も使われていないこと。頭部は医療目的で使用される包帯やテーピング以外で覆ってはならない」と記載されています。しかし、今年の試合は『2018〜2020年 国際柔道連盟試合審判規定』で実施されたのではないのでしょうか? その第4条は「審判員の動作」で、頭部については何の言及もありません。ただ、第19条「不戦勝ち」及び「棄権勝ち」に「SOR 9条5項」とあり、それがどうも関係しているように思えました。
そこで、全日本柔道連盟(全柔連)に電話で問い合わせたところ国際課のKという職員が「全柔連ではわかりかねるので、スイスのローザンヌにある国際柔道連盟にお問い合わせください」と切って捨てました。どうやら、全柔連は国際柔道連盟の試合審判規定等を知らないで国際試合を行っているようです。
いずれにしろ、2020年のパラリンピックで同様の失格が起きないように願いたいものです。(福山博)
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