THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2018年11月号

第49巻11号(通巻第582号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:馬塲敬二
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:『新潮45』廃刊に寄せて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
国際会議を見事に運営したモンゴル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
黒澤絵美さんが日本自費出版文化賞を受賞 ― ヘレン・ケラー学院卒業生 ・・
13
インクルーシブ教育は差別を抑制するか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19
狭き門をくぐった板原愛さん ― 今年度司法試験に合格 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
スモールトーク 蕎麦屋で差別語談義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
(新連載)しげじいの利尻・礼文ツアー (1)東京から稚内へ ・・・・・・・・・・・・・・・
34
しげじい、チョーさんの台湾旅行 (7・最終回)ゴールそして帰国へ ・・・・・・・・・
36
盲教育140年 (8)小学校令の発布と盲亜教育令制定の要求 ・・・・・・・・・・・・・
39
自分が変わること (113)高みから見下ろす自分 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
44
リレーエッセイ:終着点を出発点に変える  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
アフターセブン(44)イラストクラブ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (195)豪栄道、安の両大関に復活の兆し ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:本間一夫文化賞決定、通電装置で危険の接近を警告、
  遺伝子治療で記憶力回復、食道がんをAIで判別 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:点図カレンダー、アイシー!ワーキングアワード、
  日点チャリティコンサート、ヘレン・ケラー記念音楽コンクール ・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
『新潮45』廃刊に寄せて

 その昔、詩人で評論家の鮎川信夫(1920〜1986)が、『週刊文春』に「時代を読む」というコラムを連載していた。開始は1982年で、私はそれが縁で同誌を講読しはじめたので、すでに36年間が経つ。一方、ライバル誌の『週刊新潮』は、なにやら陰湿に思えてほとんど読んだことがない。『新潮45』は、それにさらに輪をかけて下品で、立ち読みする気にもならなかったが、あまりに無残で非生産的な終焉を迎えた。
 同誌2018年8月号に杉田水脈衆議院議員が「『LGBT』支援の度が過ぎる」を寄稿すると、それに対する反響・反論が澎湃として起こった。この時、その反論を同誌は掲載するべきであった。ところが、こともあろうに10月号に「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題する特別企画を掲載し、杉田の主張を擁護する姿勢をみせた。論争が起こる前に媒体がジャッジしたのである。これが火に油を注ぐ結果となり、新潮社内を含む各方面から同誌を強く非難する声が渦巻いた。
 そこで、たまりかねた新潮社の社長は9月21日に、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」と、内容に問題があったことを認める談話を発表した。すると報道陣から「問題部分は、具体的にはどこだ」との質問が出て、同社は答えに窮した。個人的には良心的なコメントだとは思うが、版元が寄稿者をジャッジしてはいけないのである。
 その後、杉田の主張に対しては、与党からも石破茂・稲田朋美・小泉進次郎、公明党の山口那津男代表等が批判し、自民党は問題への理解不足と関係者への配慮を欠く表現があったとして、杉田に指導をおこなった。安倍首相は、人権が尊重され、多様性が尊重される社会を目指すのは当然で、政府・与党の方針でもあるとの見解を述べた。
 かくして問題点は曖昧にされたまま、『新潮45』は切腹して、世の許しを請うことになったのだが。この間、まったく生産的な議論が起きなかったことは、あまりにぶざまに思えた。(福山博)

黒澤絵美さんが日本自費出版文化賞を受賞
―― ヘレン・ケラー学院卒業生 ――

 茨城県取手市において施術所を営む黒澤絵美さん(65)が、今年1月に自費出版したエッセー『いつか見た青空』(高遠書房、定価1,600円((税抜き)))で、第21回日本自費出版文化賞エッセー部門賞を受賞した。日本自費出版文化賞は、著者の労苦が報われることはきわめて少ない自費出版物といわれる書籍に光を当て、著者の功績を讃え、かつ自費出版に再評価、活性化を促進しようとする賞で、朝日新聞社などが後援している。著者の黒澤さんに、出版の経緯を含め、出身から現在にいたるまでを電話でインタビューした。取材・構成は本紙編集部菊池惟菜。

イラストレーターからあはき師へ

 黒澤絵美さんは、1953年(昭和28)3月11日に、茨城県龍ヶ崎市で生まれた。
 父が転勤の多い仕事に就いていたために引越しが多く、小学校までを龍ヶ崎市で、その後は兵庫県や滋賀県など、イラストレーターとして独立して都内で1人暮らしをするまでは、主に関西地方を中心に過ごした。
 どちらかというと内向的な子どもで、特に、茨城県から兵庫県へ引っ越したときは、方言が異なることもあり、なかなか友達ができなかったそうだ。
 そんなとき、友達作りのきっかけとなったのが、好きで描いていた漫画だった。可愛い猫の漫画などを描くと「私にも描いて!」と言われ、どんどん仲間に入っていくことができた。それを転校した先で繰り返すうち、次第に積極的な性格になっていったという。
 幼い頃から漫画を描くのが好きだった黒澤さんは、高校も美術系の学校に進学し、漫画同好会で同人誌を制作していたこともあった。高校卒業後は、成安女子短期大学(現・成安造形大学)プロダクトデザインコースに入学。春休みになると、同人誌制作の仲間と出版社めぐりをした。だが、時流にのった作品でなければ採用されず、1973年(昭和48)に同大学を卒業してからは、生活のために、京都府内のデザイン事務所で働き始める。
 就職後も自分の作品は受けないと思いつつ諦めずに出版社巡りを続けたが、デザイン事務所で仕事を覚えてきたころ、受注した仕事にイラストをいれるよう頼まれることがあった。その機会は次第に増えていき、「これで食べていくこともできそうだ」と考え、漫画家になるのを諦めて、イラストレーターとして独立した。
 その後は親の転勤に合わせて職場を変えたが、北海道へはついて行かず、都内で1人暮らしをする。
 視力がおかしいと感じ始めたのは、イラストレーターとして順調に仕事を続けているときのことだった。バイクの運転中に交通事故を起こしかけたのだ。
 病院で詳しく検査をしたところ、原因不明の視神経萎縮症と診断された。原因がわからないので治療ができず、いろんな病院を回ったが結果は同じだった。ついに最後に受診した病院で、「現代医学は進歩したが、原因不明の病気はいまだに多く、それらに対してはお手上げ状態だ。私たちがあなたにしてあげられることは、なにもない。このまま完治を願ってずるずると時間を無駄にしてしまうよりも、仕事を辞めて、ゆっくり養生しながら自分の障害を見つめなおし、もう一度人生をじっくり考えてほしい」と告げられた。
 当時の気持ちを黒澤さんは「見捨てられたような心地がした」と語った。けれど、残る視力で目を凝らして絵を描くのはとても体力のいることで、普通に仕事をするのも辛い状態になっていた。仕方なくイラストレーターの仕事を辞め、両親の購入した茨城県取手市の家で過ごすこととなった。
 現在は鍼灸マッサージの治療院を経営して生計を立てているが、そのきっかけとなったのは、当時通っていた鍼の施術所の先生から、東洋医学について教えてもらったことだった。直感的に「面白そうだ」と感じ、同時に、「医者に治してもらえないのなら、東洋医学の勉強をして、自分で治そう」と思い立った。
 仕事を辞めて1年ほど経ったのち、整体学校で学び始めた。けれどそこでは国家資格が取得できず、都内の治療院に就職するも、雇用主に売り上げの話ばかりされて嫌気が差した。「純粋に治療のことだけ考えるには、自分で独立して開業するしかない」と考え、怖さのあった針を避けて、あん摩マッサージ指圧師の資格を取得。独立し、自宅で指圧マッサージの施術所を開院した。
 しかしその間にも、視力はどんどん落ちていき、視野は少しずつ欠けていった。友人にも白杖を持つことを勧められたが、白杖を持つということは、自分の障害を認めるということで、とても勇気がいることだった。けれど、ここまできたら友人にこれ以上心配をかけられないし、障害者として生きていこうと決めた。
 それからは、自分で行うのは怖いと思っていた鍼治療も、「やはり取れるうちに取れるだけ資格を取っておこう」と考え直し、ヘレン・ケラー学院に通って鍼灸師の資格を取得。その後あらためて、鍼灸治療も可能な治療師として開業した。

お世話になった方へ感謝を込めて

 自費出版で『いつか見た青空』を出版した黒澤さんだが、10年ほど前にも一度、書き溜めた随筆を出版したことがある(『母が鼻歌まじりに』高遠書房、母と共著)。そこからまた、書いていたものが溜まって今回の出版にいたったのだが、そもそも文章を書き始めたきっかけは、ヘレン・ケラー学院での勉強方法にあった。
 点字講習会には通ったが、すらすら読めるようになるのは難しかったため、学校の授業は、ほとんどテープレコーダーを使用し、帰宅してから録音を聞きなおしていた。そのうち、きちんと内容を覚えるために、さらにいい方法はないかと考え、思いついたのが、レコーダーをもう1台使って、録音を聞きながら自分の声で吹き込み直すという方法だった。
 ただ録音を聞いていたときよりも内容が頭に入りやすいと実感できたとき、あることにも気がついた。
 「もしかして、自分の頭の中で考えた随筆や小説を吹き込めば、それで文章が作れるのではないだろうか」。
 もともと漫画を描いていたこともあって小説や詩を書くのは好きだったが、目が悪くなってその楽しみは断念し、治療一筋でやっていこうと決心した。けれどこの方法なら自分で文章を作れるかもしれない。随筆をひとつ吹き込んで、完成したものを聞いたときは、自分の言葉を取り戻したような感覚だったと言う。封印していた世界をもう一度、解放することができたのだ。
 夜、自宅に帰って寝る準備を済ませたら、レコーダーを握りしめて布団にはいり、テープに声を吹き込む。「本当に幸せで、それだけでヘレン・ケラー学院に行った甲斐があった」と楽しそうに語った。その弊害として、その後しばらくの間は、学校の勉強よりも随筆を考えることに夢中になってしまったそうだが。
 その録音が作品として形となったのは、ヘレン・ケラー学院に通い始めて2年目の頃だった。
 随筆の同人誌を制作している知り合いに録音を聞かせたところ、「これはいいね。すぐにテープ起こしをしよう」と、原稿に書き起こし、同人誌に載せてくれたのだ。それからしばらくは、人にテープ起こしを頼んでいたが、自分で書けるようになりたいと、国家資格取得後に視覚障害者のためのパソコン教室「スラッシュ」(東京・荻窪)でパソコン操作を勉強した。そして現在は、治療院を経営しながら、趣味として文章を書き続けている。
 『いつか見た青空』は、黒澤さんの、いままでお世話になったり、力づけられたり、後押ししてもらった人たちへの感謝が込められている。
 「お世話になった人たちに『本に書かせてもらいました』と贈呈すると、とても喜んでもらえる。出版することが、自分にできる最大の感謝の表し方だと思う」。
 4章構成で、家族・友人のこと、旅先での出来事や日々のちょっとしたことが詳細にわかりやすく書かれている。特に第2章の「名古屋でピクニック」では、マラソンのレース途中で疲労骨折が判明するのだが、その症状や痛みの表現に、読みながら思わず同じ箇所をさすってしまう。また、第1章の「母の肖像」では、いまは小さく細くなってしまった体で、それでも子を守る立場であり続ける母に対し“偉大なる母性”と表現しており、自分もどれほど守られてきたのだろうかと振り返りたくなる話だ。
 『いつか見た青空』は、書店で注文するか、サピエ図書館から音声デイジーをダウンロードできる。

編集ログ

訂正

 小誌10月号本欄に「9月6日の北海道地震では震度1の地域も停電になったが、東日本大震災のとき東京都心は震度5強だったが停電は免れた。福島第一原発などが停止した際、東京電力は一部地域を停電にし、域内全部の発電所が停止する『ブラックアウト』を防いだのだ。だが、今回北海道電力はこの作業を怠った」と書きました。しかし、これは正確さを欠く表現でした。北海道地震に伴う大規模停電を検証する10月9日の第三者委員会の分析によると、北海道電力は3回にわたり事前に設定していた上限いっぱいの計146万kWの強制停電(負荷遮断)を行ったが、地震直後に発生した供給停止量を賄えず、ブラックアウトに陥ったということです。訂正します。
 ただ、北海道電力のニュースリリースは、「9 月 6 日 3 時8 分 胆振地方中部で地震が発生。その地震に伴い道内の火力発電所が緊急停止し、電気の使用量と発電量のバランスが崩れたことで、周波数が乱れ、北海道内の全域で停電が発生しました」と書くだけで、負荷遮断を3回にわたり実施し、ことごとく失敗していたことには触れていません。

編集長より

 10月14日午後5時からホテルグランドヒル市ヶ谷において「聖明福祉協会・盲大学生奨学金事業」第26回ヘレンケラー・サリバン賞受賞祝賀会が開催され、70余名の参加で盛大に催されました。
 9月30日付『毎日新聞』(朝刊)「社告」によりますと、第55回点字毎日文化賞は、東京都盲人福祉協会の笹川吉彦会長に決まり、表彰式は11月7日、毎日新聞東京本社で行われると報じられました。笹川会長おめでとうございます。

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