THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2018年1月号

第49巻1号(通巻第572号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:馬塲敬二
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:たまには銭湯にでも行くか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(新春特集)2018年に活躍が期待される視覚障害者
  ― アルゼンチンのホセさんとルワンダのドナティラさん
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5
教点連に社会貢献表彰 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20
凸面点字器が完成! ― 点字初心者がちょっとだけ書きたいときに便利 ・・・・・
22
カフェパウゼ:高田馬場駅を仰ぎ見る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
鳥の目、虫の目:恫喝国家と棍棒国家 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
20歳の春、忘れられない3週間 in コスタリカ 
  (5)蝶を追って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
近代盲人福祉史 (12)日盲連による盲人福祉法制定の運動 ・・・・・・・・・・・・・・
36
自分が変わること (103)そう言えば、つらかった30代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
リレーエッセイ:繋がること ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
アフターセブン(34)新年の抱負 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (185)史上最高齢入幕は家族のおかげ
  ― 安美錦、涙の復活 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
95%にもチャンスを (22)フィリピンでのハプニング集 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:都電に「白杖SOSシグナル」、尿を作れる腎臓作製、
  ミニ肝臓をiPSで大量作製、しびれを防ぐ保護剤開発 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:IAVI新年会、川島昭恵語りライブ、劇団ふぁんハウス公演、
  中山・KLCコンサート2018 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
たまには銭湯にでも行くか

 「仕方がないから東京体育館にでも行くか」と思ったが、ちょっと風邪気味でもあり、泳がないのであればもっと近場に銭湯があるはずだと思い直した。
 自宅の浴室の給湯器が壊れ、修理には4、5日かかるという。休日にたまに泳ぎに行く東京体育館は25mプールが6レーン、水深2.2mの50mプールが8レーンあり、シャワールームの他に、銭湯のような大型浴槽と洗い場があって、石鹸やシャンプーも使えて、料金は600円なので私のお気に入りだ。ただし、職場から片道35分、自宅からは片道50分と、ちょっと時間がかかるのがネックである。
 ネットで調べると、私の住む町の銭湯はとっくに廃業しており、もっとも近い銭湯は、歩くと25分もかかるので、隣駅まで電車を使って自宅から15分かけて行った。名前は戦後すぐにできたのだろう「平和湯」である。
 銭湯離れ対策の一つか番台はなく、料金460円(12才以上の大人)はフロントで払った。ジェットバス、ジャグジーバス、ぬる湯風呂、水風呂に加え、追加料金350円(フェイス・バスタオル付)で、サウナ風呂も楽しめた。
 数十年銭湯に行ったことのなかった私は、この日タオルを忘れていた。東京体育館は130円、ひいきにしている新宿スポーツセンターは100円でバスタオルを貸してくれるので、荷物になるバスタオルを持参する習慣がないのだ。
 ところがこの銭湯では、130円でフェイスタオルとバスタオルの両方を貸してくれた。ネットで、別の銭湯も検索してみたが、サウナ付とかタオルの有料貸し出し、フロント方式は最近のトレンドで、番台のある銭湯は風前の灯火のようだった。
 お客には高齢者が多く、背中一面に倶利迦羅紋紋を入れた老人や、ケロリン(内外薬品の解熱鎮痛剤)の宣伝湯桶が懐かしかった。この桶、関西用は関東用よりひとまわり小さいのだが、それは、関西の習慣で浴槽からお湯をとってかける「かけ湯」に、関東用は少し大きすぎるためだという。
 平和湯は、混み合うこともなくのんびりと快適で、「サウナ風呂に入りに明日もくるか」と湯上がりにふと思った。(福山)

(新春特集)2018年に活躍が期待される視覚障害者
―― アルゼンチンのホセさんとルワンダのドナティラさん ――

 世界盲人連合(WBU)の理事会である「オフィサー会議」が11月8日〜10日、日本盲人福祉センターと東京都盲人福祉センターの会議室で開催された。
 これを機に『点字ジャーナル』は、11月7日にWBUの人権政策アドバイザーであるホセ・マリア・ビエラさんに、11月10日にWBU第2副会長のドナティラ・カニンバさんにインタビューした。通訳は世界盲人連合アジア太平洋地域協議会(WBUAP)会長の田畑美智子さんで、取材・校正は本誌編集長福山博。

赤ちゃんと一緒にカナダへ

 カナダのトロントにあるWBU本部で精力的に働いてきた常務理事(CEO)のペニー・ハーティン博士は間もなく定年退職する。そこで、代わりに2018年2月に常務理事に就任するのがホセ・マリア・ビエラさん(37歳)で、同氏は現在WBUの人権政策アドバイザーである。彼も一応WBU本部事務局のスタッフだが、本部で勤務する必要はないので、5年前に結婚した晴眼者の愛妻と、この9月に生まれたばかりの女児と共に、南米アルゼンチン第2の都市コルドバに住んでいる。
 「ミドルネームの『マリア』は女性名詞ですね」と聞くと、「そうだけど、ファーストネームが男性名詞だから、もちろん『ホセ・マリア』は男性名詞になるんだよ」と付け加えた。
 「来年早々、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて、温暖なコルドバから寒いトロントに移り住んで大丈夫ですか?」と聞くと、「まったく問題ない、妻も楽しみにしているよ」と朗らかに笑った。WBUの常務理事は高額な報酬が約束されているので、夫妻で夢は膨らんでいるようだ。
 スペインのコルドバにちなんで命名されたアルゼンチンのコルドバだが、現在、本家の人口が33万人であるのに対して、人口130万人と大きく発展している。この大都市に1980年に生まれたホセさんは4歳で見えにくくなり、7歳で全盲となる。
 小学1年だけ盲学校に通って歩行訓練や点字とか計算の仕方などを学び、その後は統合教育一筋で、高校2年のときには奨学金を得てカナダのバンクーバーの高校に転校して卒業する。
 その後、国際関係学を学ぶために故郷のコルドバにある21世紀大学に進み、大学2年の1年間は交換留学でロンドンにある国立ローハンプトン大学に学ぶ。
 大学卒業後は母校の21世紀大学国際協力部に3年間勤めた後、イタリアのトリノ大学に留学して開発学の修士号を27歳で取得。
 その後、アルゼンチン、コロンビア、ブラジル、メキシコで国際関係学や開発学の准教授を歴任した。コルドバでは大学で教えながら障害者協議会で3年間、地方自治体による障害者雇用の基礎調査に従事した。ブラジルはスペイン語圏ではないので、講義は英語で行ったというが、彼は母語のスペイン語の他に英語、フランス語で仕事ができ、ポルトガル語で日常会話ができる。
 コルドバに住みながら2010年から5年間はトロントのヨーク大学に在籍し、スウェーデン開発庁(SIDA)の資金を得て、障害者の人権を監視する包括的で持続可能な国際的システムを確立するための共同プロジェクトDRPIに参加し、中南米の調査を担当した。

   

農村部は開発途上国

 アルゼンチンの地方にある盲学校は、慈善団体が運営する正規のカリキュラムに基づかない学校も多く、そういう盲学校では高卒の資格が得られない。それでも一応盲学校の体は為しているので、一般校で統合教育をめざそうとしても「盲学校があるじゃないか」と拒否する口実にされる。南米はチャリティの歴史が長く、宝くじの販売で潤沢な資金を持つスペイン盲人協会(ONCE)の財政支援もあり、ある意味では恵まれた環境だが、それが諸刃の剣ともなるのである。慈善団体による安易なプログラムが障害者の可能性を摘んでおり、ホセさんは人権問題ととらえて批判していた。
 アルゼンチンでは国や地方自治体に4%という障害者雇用率が課せられているが実態は0.8%ほどなので、視覚障害者の雇用は公務員が多い。だが盲人が苦労して大学を卒業しても適当な職に就けない現実があり、彼は「アンフェア」であると憤っていた。
 たとえば弁護士資格を得て、役所で「テレフォニスト」をしているケースが多いという。そこで「それは相談員ということですか?」と私は思わず聞き返した。するとホセさんは「いいえ、単なる電話番。アルゼンチンは開発途上国だから全盲でまともな仕事といえば公務員くらいしかなく、それも弁護士資格を持っていても電話番という情けなさ」と言った。
 アルゼンチンの国民一人当たりのGDPは1万3,000ドル以上あるので、同国は必ずしも開発途上国ではない。しかし、貧富や都市部と農村部の格差が激しく、人口の30%は貧困ライン以下の生活なので、その部分は確かに開発途上国である。
 1971年にノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者サイモン・スミス・クズネッツが、「世界には4つの国しかない。先進国と開発途上国、そして、日本とアルゼンチンである」という言葉には一面の真実があるのだ。
 温暖で広大な牧草地が広がるアルゼンチンは、19世紀末に開発された冷凍船で牛肉をヨーロッパに輸出して急速に経済発展し、1930年代には国民一人当たりの収入がフランスと並び先進国の仲間入りを果たす。しかし戦後、資源大国であるにも関わらず政治の混乱と経済政策の失敗により没落。焼け跡闇市の日本が奇跡的な経済成長をとげたことと好対照であったため、このような皮肉な言い方となったのだ。

   

トロントにて

 WBUの本部事務局は、カナダのオンタリオ州の州都であり都市圏人口が590万人にものぼるトロントにあり、そこに常務理事を含めて4人が勤務する。別途、各国代表が権利条約のモニタリングや政策提言を行う際のサポートを行う人権政策アドバイザーが本部外で勤務するが、この役職だけはドイツの国際NGO・CBMの財政支援だ。
 WBUには179カ国の盲人関係団体が加盟し、視覚障害者の人権と表現の自由を守り、個人と組織の能力構築(キャパシティビルディング)を行い、視覚障害者が製品や建物、サービスなどを支障なく利用できる(アクセシビリティ)環境を整え、情報の共有と共働(コラボレーション)を行うために、4年ごとに総会を開催している。その決定事項を具体化するために委員会とワーキンググループ、それにアフリカ、アジア、アジア太平洋、ヨーロッパ、中南米、北アメリカ・カリブ海の世界6地域に事務所がある。WBUの本部事務局は、それらの関係者との連絡調整や会議や総会の準備を行うのだが、常務理事は、実質3人の部下を率いて執行するので激務である。
 プリント・ディスアビリティ(紙の印刷物を読むことが困難な障害)のある人々のための著作物を利用する機会を促進するためのマラケシュ条約は2016年9月30日に発効した。それでは同条約を批准した国は「本の饑餓」から抜け出せたのかといえば、それはまた別の話だ。WBUの課題は、支援の手にアクセスできない地方や開発途上国に住む視覚障害者をいかに組織し、アクセシビリティを整えるかだが、その問題解決は並大抵のことではない。
 ホセさんは、開発途上国の現状をよく知る国際開発の専門家で、人権政策に詳しい。これまで培った国際的なキャリアを背景にした事務方トップとして、今後の活躍に期待したいものである。

   

ルワンダ難民として波乱の人生

 2017年3月に全盲の女性タンザニア国会議員で、WBUの第2副会長であったエリー・マチャ博士が急逝した。そこでWBUは後任の選挙を行い、アフリカのルワンダ盲人連合(RUB)の常務理事であるドナティラ・カニンバさん(愛称ドナさん、61歳)が、2017年9月からWBU第2副会長に決まった。
 1962年にルワンダ共和国とブルンジ王国に分離独立するまで、赤道直下の国でインド洋に面したケニアから内陸に隣接する「ルアンダ=ウルンディ」というベルギーの植民地があった。ドナさんは、この植民地の寒村で1956年11月21日に生まれ、5歳のときに病気で失明する。
 彼女は現在のルワンダ側で生まれたが、一家は独立を前に政情不安に陥った故郷を離れ、1961年にブルンジ側に難民として避難し、独立を迎える。
 彼女が6歳になると、当時はルワンダにもブルンジにも盲学校がなかったため教育が問題になった。代々クリスチャンの家系であったカニンバ家は、教会の支援を受けて彼女をケニアに送り出すことにした。かくして彼女は、ケニアの首都ナイロビの北東42kmにある人口14万人の工業都市で、標高1,600mの高原にあるティカという町にある盲学校の寄宿舎に入った。このため1966年に共和国となったブルンジの両親に会えるのは、年に1回だけだった。
 彼女の母語はルワンダ語だが、盲学校では国語のスワヒリ語以外は、英語で教育が行われた。しかもティカやナイロビの日常語はキクユ語だったので、その言語の習得も必須で、彼女は言葉のバリアのために小学校を2回留年した。
 当時のケニアの学制は7、4、2、3制だったので、彼女は11年間の課程を13年間かけて中学校を卒業。盲学校は中学部までだったため、高校は普通高校に通った。続けて大学への進学を模索したが、彼女はケニア人ではないため通常の奨学金を受けることはできなかった。
 そこで1年間は、普通校の授業では理解が難しかった数学の補習を盲学校で受けた。ケニアの教育年度は高校までは1〜11月だが、大学は9月からなので、奨学金のメドがついても入学はその翌年になった。
 こうして高卒2年後、彼女は晴れて名門ナイロビ大学に進学し、1984年に社会学の学士号を取得。大学卒業後は、社会開発官という公務員として障害者リハビリに2年間携わるが、「ケニア人でない」という理由であっさりクビになる。
 その後、ナイロビから120kmほど北にある人口22万5,000人のニエリにある名門女子高校で社会科教師として6年間勤務する。
 ルワンダでは1994年に民族虐殺が終わり平和が訪れる。一方、ブルンジでは内戦が勃発した。そこで家族はブルンジからルワンダに帰還するのだが、故郷ではなく、ルワンダのほぼ中央、標高が1,500mを越す高地に位置し、人口113万人の首都キガリをめざした。
 ルワンダ内戦は一般に、元々同じ言語を使う多数派で農耕民族のフツと少数派で遊牧民族のツチによる民族紛争と説明される。ところが、実際は英語圏とフランス語圏との代理戦争の側面もあり、フランス語圏である故郷へは危険すぎて一家は帰れなかったのだ。
 この年、彼女はケニア盲人連合(KUB)の女性事業調整員に応募し採用され、視覚障害女性のための事業を2年間にわたって推進する。しかし、事業が軌道に乗り始めると、再び「彼女は外国人だ」という声が聞こえてきた。また、父親が死んでひとりぼっちになった母親のことも心配だった。ケニアに呼び寄せることも考えたが、現実的には無理だった。
 ちょうどその頃、1994年に発足したルワンダ盲人連合(RUB)が本格的に活動をはじめるにあたり職員を募集した。また、ドナさんの妹が子供を残して亡くなったこともあり、彼女は1996年にルワンダへ帰国し、母親と同居した。
 とはいえ事務方のトップであるRUBの常務理事は、実は5年間無給だった。このためドナさんは貯金を使い果たしたが、国家の再建時であったため国際機関からの食料援助もあり、また、障害分野のセミナー等で講師を務めることがあり、その謝金でなんとか食いつないだ。
 2000年からはスウェーデンとデンマークの財政支援でRUBは、職員への給与を払うことができるようになった。以来、現在までドナさんはRUBの常務理事を続けている。なお、RUBの会長は大学教授が務めており、無給の名誉職だ。
 現在、彼女はキガリの自宅で3人の子供と暮らしている。妹の娘2人は結婚する前に2人とも子供をさずかったが、2人とも別の男性と結婚したので、婚家に赤ちゃんを連れていくことができない。そこで、ドナさんとお母さんが預かって育て、現在この2人の男子は15歳と16歳になる。もう1人は地方に住む姪の娘で、キガリの大学に通うために寄宿している。実母は2012年に亡くなった。
 RUBでの活動と共に彼女は、2004〜2008年アフリカ盲人連合(AFUB)の常務理事に就任し、WBUの理事も兼務するので東奔西走した。そして、2017年9月からはまた多忙な生活に舞い戻った。
 ドナさんはRUBの常務理事として、ルワンダにおける障害者権利条約の批准を推進する上で重要な役割を果たした。また、彼女のリーダーシップの下でRUBは、視覚障害リハビリテーションと職業訓練を行うマサカ・リソース・センター(MRCB)を設立し、着々と国内での実績を上げた。なお、同センターは、2014年に国際法と正義に関するライツナー・センターによる「人権賞」を受賞した。
 一方、WBUは視覚障害者を代表する唯一の国際組織として、障害者権利条約と持続可能な開発目標(SDGs)、それにマラケシュ条約を尊重するよう各国政府に要請している。しかし、高邁なその理念が具体的に開発途上国、とくに地方にまで浸透することは容易ではない。
 開発途上国の中では比較的恵まれているドナさんの読書環境でさえ、インターネット上に著作権切れの書籍の全文が登録された「グーグル・ブックス」に頼っているのが現状だ。英語圏とフランス語圏が覇権を競っているからといって、ルワンダで米議会図書館の英語点字やバランタン・アユイ協会のフランス語点字にアクセスできるわけではないのである。

   

取材の終わりに

 ともに20時間以上の時間をかけて来日した、性別も年齢も対照的な視覚障害のお二方であった。ホセさんは南米の恵まれた家庭に生まれ育ち、家族の後押しで国外にチャンスを求めて、高校生の頃から積極的に海外に出てキャリアアップした。そして、ついにWBUの常務理事に上り詰め、近々トロントで恵まれた生活を送る。いかにもラテン系らしく朗らかで人当たりのいい紳士である。
 ドナさんは、物心ついたときは難民であり、教育を受けるために言葉の違う国に送られ、泣きながら勉強したはずだ。そして苦労して成果を出すと外国人差別を受け、帰国してからも極めて政治的に難しい国で、家族の大黒柱として働きづめに働いてきた。しかし、そのような苦労を微塵も感じさせない穏やかな性格で、「明鏡止水」の境地とはこのような人のことをいうのではないかと感じた。
 ルワンダは国会議員の64%、裁判官の60%、大臣の34%、地方議員の44%が女性である。そこでドナさんに、どうして女性がそのように活躍できるのか聞いてみた。すると、「大虐殺で男性が殺されたので女性が働かざるを得なかったことと政府の後押しよ」ということであった。
 そこで、「わが国もこの夏に『女性活躍推進法』ができて、政府が後押ししているのじゃないの」というと、「後押しされているような自覚はまったくない!」と、通訳の田畑さんが断言して、大笑いとなって取材は終わった。(福山)

   

編集ログ

 新春特集の「アルゼンチンのホセさんとルワンダのドナティラさん」に書いた通り、世界盲人連合(WBU)の理事会である「オフィサー会議」が11月に3日間、高田馬場で開催されました。
 11月7日の夕刻、WBUAP会長の田畑美智子さん、WBUAP前会長の指田忠司さん、ドイツ人2人、カナダのWBU事務局に勤めるペルー人1人、それに私の計6人(うち全盲2人、弱視1人)で、急遽、夕食をともにしようということになりました。
 外国人3人は口々に「軽い食事がいい」と言ったので、それではラーメンでもということで、高田馬場駅近くの日高屋に直行。
 日高屋というのは本社がさいたま市にあり、首都圏の1都5県に300店舗を超える格安中華料理店を展開するチェーン店で、新宿区内には18店舗があります。
 日高屋高田馬場駅前店に入ると、すぐに中国人とおぼしき店員が英語のメニューを持ってきました。
 そして、そのリーズナブルな価格と写真付きのわかりやすさに同行の外国人たちを大いに感激させました。ショウガ焼き定食は690円で、ビール中ジョッキ330円、しめて1,020円は確かにリーズナブル。しかも、結局、日本人3人のおごりということになりました。
 WBUの事務局員とオフィサーは年に5、6回は海外に出張するので、その先々で散財するわけにはいかないのです。とくに先進国では、うっかりするとすぐに6〜7千円飛んでしまうので、慎重にならざるを得ません。
 高田馬場駅前のしけた狭いビジネスホテルが1泊1万数千円もして、コーヒー1杯5ドルもするので、その価格は彼らを怯えさせるには充分なのです。
 とくに晴眼者のペルー人は日高屋がいたく気に入ったようで、店構えをスマホで写しては、道順を振り返っては覚えている風でした。(福山)

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