THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2017年11月号

第48巻11号(通巻第570号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:馬塲敬二
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:謝罪にはコストがかかるという常識 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(座談会)点字は誰のものか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
カフェパウゼ:ポンカンとスンタラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
20歳の春、忘れられない3週間 in コスタリカ (3)モンテ・ベルデ ・・・・・・・・・・・
26
近代盲人福祉史 (10)ヘレン・ケラーの来日とその意義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
30
組織を超えた支援を目指して アフガニスタンに視覚障害機器を ・・・・・・・・・・・
35
ジャガイモ日記 (11)迷路のような街 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
自分が変わること (101)恐怖は老けるのか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
リレーエッセイ:これからはおまけの人生を年相応に ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
アフターセブン(32)年賀状 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (183)11勝の優勝でも十分に光った綱の威厳 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
95%にもチャンスを (20)初めての成果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:障害者に対する世論調査を公表、遺伝子タイプで乳がん手術判断、
  受動喫煙による大動脈疾患、ES細胞から卵子のもと作製 ・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:点図カレンダー、ヘレン・ケラー記念音楽コンクール、
  見える世界と見えない世界を語る会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
謝罪にはコストがかかるという常識

 「CNNを見ていたら、犯人の兄だか弟だかがインタビューに応じているんだけれど、一言も謝罪しなかったね。まったくの他人事だった」と言って、総白髪の紳士が区民プールのロッカールームで、口角泡を飛ばしていた。
 米西部ネバダ州ラスベガスのコンサート会場で、現地時間10月1日の夜に起きた銃乱射事件で、スティーブン・パドック容疑者(64)の弟(55)が2日、米メディアの取材に応じたニュース番組を見て80歳前後とおぼしき男性が持論を開陳して憤っていたのだ。
 ただ、この男性は自分がいかに英語に堪能であるか自慢しているように思えたのは、英会話が苦手な私のひがみだったろうか。ただ、老紳士がどこまで本気だったかはわからないが、犯人の弟が一言も謝罪しなかったのは、私に言わせれば当たり前である。
 私たち日本人は、一般に謝罪をする事と賠償をする事は別の事と考えるが、これは世界の常識からは大きく外れている。犯人の弟が不用意に謝罪をするなら、兄の責任を引き受けて賠償するとでも思われかねず、莫大な賠償金を請求されるリスクを負うことになる。また、賠償金を請求されてから、「そのようなつもりで謝罪したのではない。賠償するつもりは毛頭ない」とでも言おうものなら心変わりをしたと不信感をもって迎えられる。欧米では謝罪の言葉を日本ほど重要視しないで、それより行動で謝罪や責任の取り方を表現すべきと考えられているのだ。
 東アジアでもトラブルが起きたときに日本のように簡単に謝罪はしない。謝罪をすることは賠償を約束することと同じだからだ。だから仮に自分に非があっても、法廷闘争と同じで、あくまで自己の正当性を主張する。そればかりか交渉術の一種として、過失を他人に押し付けたり、嘘・捏造・告口文化が発達している。したがって国によっては一度主導権を握ると際限なく謝罪や賠償を求め続けることさえある。慰安婦問題で繰り返されていることは、その国ではまったくの常識で、騙された日本の政治家が愚かなのだ。(福山)

(座談会)点字は誰のものか?

 【9月27日、日本点字図書館理事長の田中徹二さん、元点字ジャーナル編集長の水谷昌史さん、日本盲人会連合の中山敬さんのお三方にお集まりいただき「点字は誰のものか?」について座談会を開催しました。司会は本誌編集長福山博】
 司会:なぜ、今頃この座談会を開催したかといいますと、来年、日本点字表記法が改訂されます。そこで今年の11月30日の日盲社協点字出版部会の職員研修会で「日本点字表記法改訂の論点」と題してレクチャーがあります。これは11月初旬に日本点字委員会(木塚泰弘会長)のホームページに日本点字表記法(以下、点字表記法)改訂(案)の全文が出るので、参加者はそれに目を通して話を聞くことになります。そこで点字表記法の改訂を、なぜ今頃やるのか中山さんちょっと説明していただけますか。
 中山:はい、これは毎年秋に出る『日点委通信』の2015年No. 31にまとまっています。その経過を踏まえた上で改訂されるということです。まず、2011年『日本の点字』35号に「『点字表記法』あり方を考える」と題して14名の方が点字表記法についての思いを書いています。その前に2010年から点字表記法のあり方委員会が設置されて、答申が2012年の総会に出されました。さらに、その答申を受けて2012年に点字表記法検討委員会が立ち上がり、その答申が2015年に出ました。その時点では、まだ改訂するかどうかは決まっていませんでした。これは「表記法2001年版」にどのような問題があるのか検討しようという趣旨でスタートしたのであり、点字表記法の改訂を前提としたものではなかったからです。しかし、2011年の『日本の点字』の特集と、点字表記法のあり方委員会の答申と、点字表記法検討委員会の答申と、それから総会ならびに研究協議会の流れを受けて、点字表記法を改訂する時期に当たると判断され、2014年に編集委員会が設置されました。そして2015年6月に、2018年11月に改訂版を発行すると決定したので、そのスケジュールに沿って改訂することになったのです。
 田中:要するに1971年に『日本点字表記法 現代語版(第1版)』が出た。それからだいたい10年ごとに改訂をしてきたが、この2001年版が出てからまったくいじっていない。この間、盲人からおかしいんじゃないかと総会をやるごとに色々意見が出て、やっぱりそろそろ新しいことを考えなければいけないということで、この11月に編集委員会の案が出るのです。それを来年2月までにみんな読んで意見を出し合って、来年6月の総会で決めたいということです。
 司会:今回は大幅な改訂はなく、マイナーチェンジだと聞いているんですが。
 水谷:そうです。細かい修正箇所は多いのですが、大きなルール変更はないですね。利用者サイドで言うと記号が変わるわけでも、分かち書きの根本が変わるわけでもない、だから目立った変更はないのです。点訳者側はそんなのんきなことは言ってられないでしょうがね。
 田中:要するに2001年の改訂ではサ変動詞を切ったんですね。これは大変更だったのですが、今回はそんなのはないということです。
 水谷:この間に今の点字はやや開けすぎだとか、点字表記法には味噌ラーメンは開けて、塩ラーメンは続けるなんて書いてないけれども、今の表記法に基づいて作られている点訳のテキストなどに従って、点訳をしていくと視覚障害者にとってわからないことが多すぎると随分物議を醸しました。二転三転したんでしょうが、結局は2001年版の方針に沿った修正で、2001年版の分かち書きなんかの方針を根本的に覆すという結論にはいたらなかったから、大変革はないということですね。ただ、田中さんね、一番大きな変革は、1971年版から2001年版までは木塚さんが原稿を書いていたんですよね。
 田中:そうです。
 水谷:今度の改訂案文は各章ごとに委員が分担執筆しています。だから筆を執る人が変わったということは大変革かも知れませんね。
 田中:言葉遣いも変わるしね。木塚さんが学校文法(学校教育において、国語教育の際に準拠している文法)を力説するわけですが、最近は無視されちゃう。
 司会:でも、水谷さんが言われたように、木塚さんのこれまでの功績はすごいものがあるんでしょう。
 田中:それは間違いない。
 司会:そこで日点委の会長の件ですが、ポスト木塚はどうなりますか。役員の任期は2017年度までですから、来年の総会で改選で、木塚先生は現在82歳ですから後進に道を譲られるんでしょうね。
 田中:それはわからない。点字表記法には人一倍こだわりがあるからね。理論家だから、学校文法を持ち出して持論をとうとうと述べるが、役員や表記法の委員らとは遊離しているね。
 水谷:意欲はすごいのですが、健康不安がありますから会長職を続けるのは負担でしょうね。会長の必要条件、十分条件を田中さんどう思いますか。
 田中:歴代の会長、本間先生とか阿佐先生とかみてもわかるとおり、日点委の会長はやっぱり盲人でないとね。これは必須条件だね。
 水谷:在京である必要は?
 田中:その必要はないね。メールでどんどんコミュニケーションできるからね。
 司会:話は変わりますが、視覚障害者の点字離れがあると思います。優秀な触読校正者を探すことはとても難しくなっています。また、名人級の点字製版士も高齢化してきています。昔は足踏み製版機で、間違えると何枚も改版しなければならないので、自然に習熟しました。しかし、パソコンになってから名人・上手の世界には縁遠くなったのではないでしょうか。
 中山:大きい施設にいるとそう思うのかも知れませんが、地域で頑張っている人々の力量は昔と比べても決して劣りません。ただ、点字使用者については、渡辺昭一さん(京都ライトハウス情報製作センター所長)や福井哲也さん(日本ライトハウス点字情報技術センター所長)のようにルールに詳しくて、意見を発信できる次世代の人たちがいないように思います。日点委での発言を聞いていても、両氏のレベルにはまだ至っていないように思います。
 水谷:そういう意味でも日点委は人材発掘をしなければなりませんね。
 田中:若手では白井康晴さん(東京点字出版所)しかいないからね。
 水谷:だから、何でも年功序列的に日点委の委員でやろうとするのではなく、もっと若手がのびのび活躍できるような場をつくるべきです。森幸久さん(名古屋盲人情報文化センター)や奥野真里さん(日本ライトハウス情報文化センター)を巻き込めばいいんですよ。
 田中:まったくそうだね。
 水谷:木塚さんはこれまでの点字表記委員会の実績が高く評価されながらも、今回はその他の編集委員の分担執筆にすることで木塚さんが筆を譲ったということですよね。
 田中:譲ったんじゃないよ。譲らせられたんだよ。
 水谷:そんないい方しなくてもいいでしょう(笑い)。
 田中:編集委員が木塚さんの言うことを聞かなくなったんだよ。それは大きいと思います。あとひとつは、要するに『点訳のてびき』の影響ですよ。全視情協が『点訳のてびき』を使って点訳ボランティアを養成しています。その中で盲人の間で一番問題になるのが、漢語、和語なんです。5拍以下の短い言葉だって漢語が入ってきたら空けろって言うんです。漢語なんてわかりゃしないんだから辞書を引くしかないので、盲人の間で不評です。
 司会:例えば味噌は学問的には漢語らしいんですよ。でも味噌っていう漢字を中国人に見せても誰もわからない。中国では味噌を意味するのは豆板醤の「醤」という字ですから、味噌なんて漢語なんだけれども中国語ではないんです。あと小学校1年生の子供だって点字を書くわけですが、味噌ラーメンは漢語だから開ける、塩ラーメンは和語だから続けるってわかるわけがない。
 水谷:点字表記法には漢語とか、和語とかは一言も書いてありません。点訳の際、開けるかどうかは漢字の文字数が問題になるわけなんです。漢字2字だったら開けるとかね。でも漢字1字でも開けるということはあって、それは多くの場合拍数が変わるからね。漢字1字が1音節という漢字があるじゃないですか。味噌とか、風呂とか、都市とか、自己もそうで、都市国家とか、自己啓発とかを開けるのはいいけれど、味噌は漢字2字だから味噌ラーメンは開けたくなり、塩は漢字1字だから塩ラーメンは続ける。それがいつの間にかね、漢語は開けるとか、和語は続けるという風に、便宜的に間違った理屈づけをしたのかな。こうして点訳のルールの世界で、漢語、和語が大手を振るようになったんですよ。
 中山:漢語、和語で区別をつけるのは、『点訳のてびき』にも少し書いてありますが、全視情協から出ている『点訳のてびきQ&A』とかそういうサブテキストにはっきりと書かれています。
 水谷:ボランティアは日常的にそれを頼りにするから和語は続け、漢語だから開けるというふうな思い込みが蔓延したんですよ。全視情協がそれをもの凄いルールのように指導しています。要するに指導が下手なんです。今度の点字表記法の案文では根本的には変わらないから、現場で点字図書館の指導者とかが適切に修正しないとね。
 田中:その件で最初に騒がれたのが車椅子です。椅子なんかは見えた頃はひらがなで書いていたからね。漢字なんか使わないから漢語なんて思っていなかったよ(笑い)。椅子は漢語だから車椅子は車と椅子の間でキレと言うことになって、その辺りから大議論になったんです。
 水谷:車椅子の場合、今度の例文では続ける方に入るのかな。
 中山:今年の総会で出てきた例としては両方書かれています。
 田中:だけど、実際の編集委員会では両方出すかはわからないよね。それはあり得ないと思うなあ。
 水谷:椅子は漢語で漢字2字だから開けるという指導をしてきたからね、現状を維持したいというのが根強いかも知れませんね。
 田中:両案併記がいいかもね。
 司会:両案併記でいいんじゃないですか。なんかガチガチにやるっていうのも、どうかなって僕なんか思いますね。漢字の読みなんかでも二つあるのは当たり前で、NHKが最近、以前はイソンとかイソン症って言ってたのを、イゾン、イゾン症っていうようになりましたよね。多くの国民がイゾンと言っているからNHKもそうしましたと。でも辞書では今でも第1義はイソンなんです。ライトハウスなんてそうじゃないですか。点字表記法ではライトで切ることになっていますよね。でも日本ライトハウスや京都ライトハウスは、固有名詞だから1語にしています。木塚先生が理事長のときに日本ライトハウスはそう決めたのでブーイングがありましたが、僕はそれでいいと思います。
 水谷:多様性があってこそ文化で、白と黒をはっきり決めてしまうのはよくない。でも実際はね、点字図書館なんかでボランティアを指導していく場面ではむしろ結論を一つにしたいんです。学校の先生も一つにしたがるね。子供たちにこれは開けても、続けても間違いじゃないよと教えればいいと思うんだけど、そういう教え方はしない。これは指導力の欠如だと思うなあ。もっとも両論併記が多くなると日本点字技能師検定試験が成り立たなくなるのかな。
 中山:そんなことはありません。私が理事を務める日本点字技能師協会は、試験には一切タッチしていません。そもそもあの試験は日盲社協主催の試験ですからね。募集要項に、試験は点字表記法に則って行われるとはっきり書いてあります。幅のある表記を覚えておかないと、指摘する必要のないことまで指摘すると減点されます。
 水谷:全視情協としては、点字表記法はあまり細かいところまで決めて欲しくないんですよ。細かいところは自分たちで決めたいからね。
 田中:全盲で点字図書館に勤めて、点字指導をやっているとやっぱり『点訳のてびき』を使うわけです。そうすると個人的意見としては車椅子は一語にして欲しいと思っていても、「切るんですよ」と指導するわけです。ジレンマだけれども、そのように教えるしかないから、悩みながらもこだわるんですね。
 中山:そこが不満ですね。当事者として車椅子は一語でないとおかしいと、はっきり主張すべきだと思いますね。
 水谷:僕も点字図書館にいたことがあり、『点訳のてびき』第1版は編集委員だったので、忸怩たるものがあります。視覚障害当事者としての触読上の感覚をもう少し強く主張すべきだったと反省しています。点字図書館にしろ点字出版所にしろ、現在触読校正をしている人たちは、製作者側の立場に立っています。しかし、本当は読者側の代弁者でなければならないんですよね。僕も在職中はそれができなかったのだけれども、触読校正者は誰のために校正しているのか考えて読者を代弁して欲しいですよね。
 田中:ただ、30代までの若い世代は、実際に点字を読んでいても関心がないね。
 水谷:僕なんかは点字で何とか飯を食いたいと必死になったものですが、最近の視覚障害者は点字図書館に勤めても、点字屋として生きていこうという人はいませんね。パソコンは使えるし、英語はできるしで、その分多様な道が開けてきたということでしょうか。
 中山:出版所なり図書館の点字屋の仕事の魅力をアピールして、若い世代が憧れるような仕掛けが必要なのかも知れませんね。
 田中:そうだね。そういう働きかけが必要だね。
 水谷:司会者が先ほど点字離れと言われましたが、点字離れしているのは盲学校であり、施設であり、業者であると僕は思いますよ。最近、プレクストークリンクポケットを買ったのですが、点字マニュアルがついていないんです。非常に不親切で、音声だけなの。それでよしとされているんですね。点字を知らない盲学校教師も多く、中途視覚障害者には点字は無理と決めつけているところもあります。
 司会:点字はコスト高なので、合理的配慮は音声で充分という空気があります。
 田中:そうは言っても、行政の会議に出ると点字資料が出てくるよ。
 水谷:点字選挙公報を皆さん一生懸命作ってくださるが、点字投票を推進することはやっていませんね。中途失明者でも50音が打てたら点字投票できるんですよ。大正末年に点字投票公認運動が実を結び、1928(昭和3)年の第16回衆議院議員の選挙で点字投票が初めて実施されるのですが、それに先立ち模擬点字投票を盛んに行うんです。そういう真摯な努力が今はなされていませんね。
 中山:2016年に公職選挙法が改正されて、18歳から投票できるようになりましたね。それで、文部科学省は総務省と連携し、政治や選挙等に関する高校生向け副教材とその活用のための教師用指導資料を作成しました。点字版もあります。盲学校で模擬点字投票を行おうとすればできます。
 水谷:視覚障害者は、簡単なことでも実際に手にとってやってみないとわからない。中途失明者のための模擬投票はそういう意味からも重要です。なぜ、それを盲人協会やリハ施設がやらないのか不満です。
 司会:『点字ジャーナル』2008年11月号で「点字で投票しよう!」のタイトルで当時の日盲委笹川吉彦理事長にインタビューしています。日盲委が全国の盲学校、日盲連加盟団体、関係情報提供施設、報道機関に対して「点字投票アップのためご協力を」と題した書簡を送ったことを受けての報道でした。でも、単発でそれっきりになってしまいましたね。そのとき地方の視覚障害者から、点字投票すると、自分がどの政党、あるいは誰に入れたかが筒抜けになるので、点字投票はできないんだという声をききました。
 田中:たとえば新宿区なら、すべての投票所の点字投票を1箇所に集めて開票するから、そういう心配はいらないと思うけどね。
 水谷:そういうことすら知らされていないから、模擬投票などで啓発する必要があるんですよ。
 中山:さきほど盲学校に責任があるという発言がありましたが、以前、日本点字技能師協会の機関紙にも同じような趣旨の記事が載りました。そうしたら、佐賀盲学校の先生からメールがあり、同校では幼稚部から点字を教えていて、知的障害児でも小学校高学年になると点字の読み書きができるようになる。点字を学ぶには6歳以上の知的レベルが必要だといわれているが、6歳以下でも点字は習得できる。点字を習得すると、日常生活もシャンとし、疑問を問いかけてきたりする。そういう学校があるんですよ。
 田中:いい話ですね。
 司会:先ほど優秀な触読校正者がいないといいましたが、もちろんまったくいないわけではなく、金の草鞋で尋ねるほど少ないという意味なんですね。今年、当協会の点字図書館に触読校正者が入職しました。彼女は大学で音楽を専攻したのですが、点字技能師の資格を持っているので採用したと聞いています。しかしこの資格、最近とみに敷居が高くなっていませんか。
 水谷:過去問を読んだことがあるけど、総論の問題は難しすぎや。視覚障害者や盲界の基礎知識を問うべきであってね、福祉大学の試験じゃないんだからね。ただ、勉強のいい機会にはなると思いますね。
 中山:たしかに点字の資格というのは、いい目印になるとは思うんですよ。もっと有効に活用していただきたいですね。
 水谷:日点委は、市民への点字の啓発や点訳者の養成には熱心です。しかし、中途失明のおじさんに点字を教えるための適当な点字解説書がありません。従来の解説書はすべて点訳するためのもので、点字を読む立場からは書かれておらず難しすぎます。
 田中:「自立可能な意味の成分であれば、前を区切って書き表す」なんてね(笑い)。
 司会:小学校1年生にそんなこと言っても始まりませんよね。
 中山:先ほどの水谷さんの話を聞いて思ったのは、点字独自のルールや文法を主張していいのではないかと言うことです。表記法でも学校文法を基にしてと盛んにいいます。でも学校文法は墨字を書く上での文法ですよね。点字はそれに従う必要はないと思いますね。点字には点字の文法があって、だからこういう書き方をするのだと主張したらいいのではないですか。
 水谷:僕が中途失明者に点字のマス開けを教えるときは、絶対切る、絶対続ける、どちらでもいいの三つがあるというので、結局、分かち書きはどちらでもいいことになる(笑い)。
 田中:それでいいんだよ。実際に触読するとき、分かち書きなんて意識しないものね。
 水谷:国語的に変なところで切られるともちろん気になりますよ。そういう意味では、車椅子を切ると変な感じがしますね。そういうことを日点委が言ってくれたらいい。
 中山:でもそうならないのはなぜなんですかね。
 水谷:日点委の委員が作る側の論理に毒されていて、ユーザー目線になっていないからです。木を見て森を見ない、枝葉末節なことを延々と議論しているから、そういう頭になるんです(笑い)。
 田中:まったくそのとおり。
 水谷:日点委には点字オンブズマンというかな、各分野で点字がきちんと扱われているかチェックして欲しいですね。
 司会:蒸し返しますが木塚先生には去り際を間違えて欲しくないですね。先生には30数年前から、大変お世話になりましたからね。特総研の時代は、毎月、本誌の編集委員会に来ていただきご指導いただきました。
 水谷:あの頃はね、健康だったし、言葉も明晰でした。話が難しくて、わかりにくかったけどね(笑い)。
 司会:最後にこれだけは言っておきたいということはありませんか。
 水谷:日点委は作り手側の論理で話が進んでいるので、これからは視覚障害者の触読感覚を重視して欲しいとお願いしたいですね。
 中山:私も同じように思います。墨字も点字も表現する手段ですからね。それは本質的にルールで書くものではないと思うんですよ。ここではこういう風に書きたいんだということもあるので、同じことをいうにしても、書き方によって内容が違ったりしますよね。文章表現の豊かさを保てるような、手助けするような表記法になって欲しいと思います。
 田中:そりゃいいね。
 司会:本日はありがとうございました。

編集ログ

 「点字は誰のものか?」をテーマに座談会を行いましたが、これは当協会ホームページ上の『点字ジャーナル』のコーナーにも掲載します。この件について、異論や反論のある方もおありだと思われます。小誌ではできるだけ幅広く多彩な意見を求めておりますので、12月号で意見を述べたい方は、躊躇なくできるだけお早めに小誌編集部までご一報ください。ただこれは1月号で意見を述べたい方はごゆっくりという意味ではございません。いずれにしろ、できるだけお早めにご連絡いただけたら幸いです。
 北朝鮮危機、ロヒンギャ難民、カタルーニャ独立、ラスベガス虐殺と銃規制問題等、気になる国際ニュースが最近目白押しです。しかし、テレビのワイドショー化された報道番組では、門外漢のコメンテーターが、一般の視聴者と同レベルの無責任な印象批評を述べています。ニュース番組が視聴者におもねり、政治家は有権者にいかに良心的で見栄えがするか、私利私欲だけを考えて政治活動を行っています。そして河野談話のように日本人的感覚で外交を行い、取り返しがつかない誤算が生まれました。そのツケを払うのは私たち国民です。最近、海外からの留学生や研修生、そして観光客が急増し、京都や東京のホテルが取れないという嘆きも聞きます。日本の常識は、世界の中でもかなり片寄っているので、個人レベルでの軋轢もあるのではないでしょうか。その警鐘のつもりで今月の巻頭コラムを書きました。
 「人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである」というカール・マルクスの警句が身に染みる今日この頃です。
 難民を助ける会理事の田畑美智子さんは、WBUAPの会長と同一人物です。言わずもがなではありますが、老婆心にてお伝えします。(福山)

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