4月7日(日本時間)、米軍はシリア西部のシャイラット空軍基地を巡航ミサイル59発で攻撃した。それに対する4月8日付全国紙の反応は様々であった。
『産経新聞』は、「化学兵器を使わせないとの意思を明確にしたトランプ大統領の判断を支持する。・・・攻撃には正当性が認められよう」と書き、『朝日新聞』はそれとはまったく反対に、「あまりに乱暴で無責任な武力の行使である」とストレートに批判。両紙の主張はまったく正反対だが、それぞれがこう書くであろうとの予測をまったく裏切らない予定調和的な「社説」であり、「主張」という点では共通していた。
それに対して、『讀賣新聞』は、「安倍首相が『化学兵器の拡散と使用は絶対に許さないとの米政府の決意を日本政府は支持する』と述べたのは、理解できる」との変化球で、消極的にトランプ政権の判断に理解を示した。
興味深かったのは、書き出しに「終わりの見えないシリア内戦の転換点になるだろうか・・・」と書いた『毎日新聞』で、「化学兵器の証拠示せ」と述べながら、トランプ大統領が「全ての文明国がシリアにおける殺りくと流血を防ぎ、あらゆるテロの根絶に取り組むようよびかけた・・・が、呼びかけ自体は理解できる」と書く。そして、「ロシア軍の支援を得たアサド政権は、破片が広範に飛び散るたる爆弾などを使って市民を無差別に殺傷してきた。・・・多くの国民を殺したアサド政権を存続させればシリアの安定と民主化は難しい。かといってアサド政権を強引に倒せば、イスラム教シーア派とスンニ派の対立を軸に、激しい抗争が予想される。・・・中東の活断層とも言われるシリアの複雑さを十分に認識して、後継政権の青写真を描くべきである」と問題の所在を明確にし、「ロシアが大局的な見地から米国と協議することを望みたい」と結んでいる。
民主主義国と独裁国家の対立を評するとき、平等に扱えば、その評論は言論の自由を認めない独裁者の肩を結果的に持つことになる。そのような無責任な論評を排して、なお意を尽くした優れた社説もたまにはあるものである。(福山)
視覚障害がある山口雪子さん(52歳)は、岡山短大の准教授として、環境(保育内容)、教職実践演習(幼稚園)を教えてきた。しかし2016年2月5日の学科会議において、次年度分掌を学長が説明する中で、出席者全員に告知する形で「28年度、山口先生に授業はありません」と言われた。そして学科主任教授より「学長指示」として研究室の明け渡しが通告された。ただし学長側は、「単なる研究室移動であって退去ではない」と言ったが、移動先は旧事務室で使用できるスペースは限られ、研究に必要な資料などを置いておくスペースさえなかった。しかも、そのようにする理由は、授業中に飲食したり、無断で出て行ったりする学生を注意できなかった。筆記試験を採点する際に学生の答案を第三者に読み上げてもらったという、視覚障害を理由とした不当なものであった。
このように岡山短大から視覚障害を理由に「授業外し・研究室明け渡しの命令」を受けた山口さんは、当初、学生たちや同短大の名誉を考えて話し合いによる解決を模索した。だが岡山短大側は強硬な態度を崩さず、ついに彼女は撤回を求めて2016年3月23日に同短大を提訴し、裁判がはじまった。
障害者差別解消法と、改正雇用促進法が施行されて1年が経った。施行初日に視覚障害を理由に「何より生きがいを感じていた授業」を取り上げられた岡山短大山口雪子准教授は、この一年間ずっと研究室で待機を余儀なくされ、孤独で肩身の狭い思いをしてきた。
しかし、「このような不当なことが世の中にまかり通ってはいけない。学生のためにも泣き寝入りはすまい」と決意を固めた山口さんに、同じ境遇にある視覚障害の大学教員をはじめとする、全国の視覚障害教師が共感を寄せた。さらに地元の岡山県視覚障害者協会や岡山県視覚障害者友の会、日盲連や全視協という全国組織に至るまで次々に応援の輪が広がり、盲界が一丸となって立ち上がった。
私たちは2016年5月31日の第1回公判が開かれた日に「山口雪子さんを支える会」を立ち上げ、彼女を支える活動を行うとともに、「共生社会・合理的配慮」についての考えを一般社会へ発信し、子どもたちへ豊かな共生社会をつないでいこうと考えて活動してきた。
3月28日の岡山地裁における判決当日は傍聴希望者が60人以上も集まり、15人もの人が傍聴できずに外で判決を待った。
午後1時15分、緊張の中で判決文の読み上げが始まり、冒頭、「授業を担当する地位(権利)」は「却下!」。「研究室を使用する地位(権利)」についても「却下!」と続けざまに却下という言葉が聞こえてきて、私は敗訴なのかと首筋に冷たいものを感じた。また、5分も経たないうちに終了した主文の読み上げも理解できないことも多かった。
その後、岡山地裁隣の弁護士会館に移り、記者会見と報告会が行われた。弁護団から本文の読み上げを交えながら解説があり、この判決の内容が明らかにされて、山口雪子さんが勝訴したことを知る。そして、まるで凍りついた心を熱い涙がとかしていくように、安堵の気持ちと感動がこみ上げてきた。
次々に出される記者の質問に、判決文を読み上げながら解説する弁護士の声が響き、心の中に「私たちの主張がしっかり認められているではないか」、「これは歴史の転換点にふさわしい画期的な判決!」、そして「よかった。山口さんおめでとう」という気持ちが湧きあがってきた。会場の人々の雰囲気からも歓喜に包まれていく様子が伝わってきた。
改めて判決本文の趣旨を整理すると次のようになる。
(1)昨年 3 月 24 日に岡山短大側が命じた「授業を担当せず学科事務のみを行え」、「研究室を明け渡せ」との指示に従う義務のないことを確認している。
(2)大学教員として行うべき教育・研究活動を平成 28 年度のみに止まらず永続的に妨害しようとする行為は権利乱用の不法行為に当たり、精神的苦痛に対する損害賠償を命じている。
(3)授業担当から外す理由として岡山短大側があげている「学生の不適切な行動」は大学全体で取り組む課題であり、今後、山口さんが授業するために補佐員についてなど、大学全体で話し合い、合理的な配慮・対応をすることが望ましいと指摘している。
以上であるが、これは差別解消法や改正雇用促進法の趣旨を踏まえたもので、これまでにはなかった、まったく新しい判断だと言える。判決文に「合理的配慮」という言葉が使われたのも初めてで画期的である。
私たちが最も恐れていたのは、障害者への差別という観点が考慮されず「給料が不払いなら労働者の立場を守り、給料を支払いさえすれば、使用者側の立場を守る」という今までの判例を踏襲した結果が出るということだった。それでは使用者に理解がなければ障害者は仕事を与えられずに放置されて、いわゆる「飼い殺し」状態にされたり、必要性を感じられない仕事に就かされて不本意な毎日を余儀なくされてしまう恐れがある。障害者にとって、リンセントワーク(生きがいのある仕事)、活躍の場を与えられるチャンスは、まだまだ少ないのが現状なのである。
今回の判決に裁判長が託したことは、「色々な問題が出てきたとしても、それを障害者個人の責任としてとらえずに、それを取り巻く職場全体の取り組むべき課題としてとらえなさい」ということだ。それは、合理的配慮のあり方を司法が示してくれたという点で画期的であり、そのことだけでも勝訴と言っても過言ではない。
この一言によって厚労省の障害者雇用対策課の強力なバックアップが可能となる。
この判決が働く障害者や自立を目指す障害者に、実効性のある道しるべとして、希望の光となることは間違いない。それを証明する意味でも引き続き、山口さんが教壇復帰を果たせるように応援していきたい。
3月28日の勝訴を受けて、山口雪子さんは、1万2,000筆を超える署名と視覚障害者団体が一丸となって裁判に協力・支援したことに感謝して3月31日付で支援者に礼状を送った。
その礼状が届いたのを見越すかのように、岡山短大(原田博史学長)は、山口雪子さんの主張をほぼ認めた3月28日の岡山地裁判決を不服として、広島高裁岡山支部に4月3日付で控訴した。さらに、同日付で配置転換の業務命令の効力仮停止を決定した岡山地裁の仮処分についても、同地裁に保全異議を申し立て、山口雪子さんと真っ向から争う構えである。
一旦は彼女が望む教壇復帰が近づいたかに見えたが、まだまだ険しく遠い道のりがこれからも続くものと思われる。しかし、引き続き山口さんの教壇復帰を目指して控訴審でも山口さんを支えてがんばりますので、今後ともご支援のほどどうぞ宜しくお願いしたい。
本誌2017年4月号(通巻第563号)「視覚リハ協会研修会 企業で働くための課題を議論」に誤りが4か所ありました。
8ページ25行目から26行目にかけて、の矢野祝氏の所属を「井上眼科病院グループ総務人事部」と記載しましたが、正しくは、「井上眼科病院グループ人事総務部」でした。
9ページ20行目から21行目にかけて、「産業カウンセラーの資格試験にも合格した」と記載しましたが、正しくは、「産業カウンセラーの資格試験に取り組んでいる」でした。
10ページ4行目から6行目にかけて、「ソフトバンク(株)CSR企画部CSR1課課長の木村幸絵<サチエ>氏」と記載しましたが、正しくは、「ソフトバンク(株)CSR企画部企画1課課長の木村幸絵<ユキエ>氏」でした。
10ページ21行目に「知的障害者が」と記載しましたが、正しくは「精神障害者が」でした。
記事中の関係者にお詫びし、訂正いたします。(編集部)
昨年(2016)の9月24日付『毎日新聞』(朝刊)1面に、「第53回点字毎日文化賞に木塚泰弘さん」という記事が掲載されました。しかしめでたい祝福されるべき記事を読んだにもかかわらず心は暗くなりました。掲載写真の木塚先生が、私が知る面貌ではなかったのです。同日付6面「ひと」欄では、『点字毎日』濱井良文記者が紹介しており、そこでの写真もやはり頬がこけておられたが、笑顔であったためお元気なのだろうと拝察しました。
そして4月2日、ホテルグランドヒル市ヶ谷での「感謝の会」では、8kg減った体重が7kg戻ったということで、私たちがよく知る先生の御尊顔を拝して安心したものでした。今後は健康第一に徹して、ご長寿をお願いしたいものです。(福山)
日頃お感じになっていること、記事に関するご意見などを点字800字以内にまとめ、本誌編集部(tj@thka.jp)宛お送りください。