7月14日付『毎日新聞』朝刊を自宅で見て驚いた。1面にデカデカと「天皇陛下『生前退位』意向」の主見出しが躍っていたのだ。そして職場に出勤すると他の全国紙である読売・朝日・産経・日経新聞も右へならえで、なにやら政治的に巨大な力が働いたことが実感された。
すると翌日、「天皇陛下に対して生前退位とは不敬である。なぜ産経新聞までも生前退位という言葉を使うのか?正しくは譲位と言うべきである」との批判が、保守系の評論家からわき起こった。その心は、「宣統帝溥儀は清国皇帝と満州国皇帝を譲位なしに生前退位した。つまり退位と言うのは譲位と違って皇統が終わるという場合も含んでおり、生前退位はその意味で相当な悪意が込められている」というものである。だが、この批判は新聞の見出しだけを読んでの印象批評であり、実際に新聞の本文を熟読すると、それはかなり粗雑で幼稚な批評であることがわかる。
たとえば先ほどの『毎日新聞』1面でも生前退位をカギで括って、この語彙には問題がありますよ「いわゆる生前退位という意味ですよ」と注意をうながしている。またソデ見出しには、「数年以内に譲位」ともあり、本文の退位にはカギはつけず、しっかりそれらを書き分けているのである。
つまり「天皇陛下譲位意向」と書くと大問題になるので、次善の策として「天皇陛下『生前退位』意向」と無難な表現にしたと解すべきである。
譲位とは陛下が天皇の位を皇太子に生前に譲りわたすことで、そこには当然、天皇の意志が働く。しかし、日本国憲法第四条で、「天皇は国政に関する権能を有しない」となっているので問題が発生する。一方、退位というニュートラルな表現にすれば天皇の意志は関係ないので、憲法上の問題はまったく起こらない。そこで知恵者が「生前退位」という言葉を編み出したのである。
しかし、「82歳になったのでそろそろ引退したい」ということさえ自由に言えない、終身、不自由なお立場というのはあまりに残酷ではないだろうか?(福山)
『パラリンピックを学ぶ』(平田竹男・河合純一・荒井秀樹編著、早稲田大学出版部刊、税込み1,620円)は、早稲田大学で2015年度より行われている講義「パラリンピック概論」を書籍化したものだ。2015年度の講義録をベースに、パラリンピックについて総合的に理解できる内容となっている。
パート1「パラリンピックの基礎知識」、パート2「選手たちは語る」、パート3「パラリンピックの今後」の3部構成となっており、そのなかの各章(全14章)は授業を担当した講師による解説が掲載されている。「この1冊でパラリンピックの全てを理解できる」といううたい文句の通り、パラリンピックとは何か、リオデジャネイロ2016パラリンピック競技大会を終え、きたる2020年東京大会に向けて、今一度知識を整えておくのに充分すぎるほどの情報が詰まっている。
パート1の「基礎知識」では、歴史や競技について詳しく書かれている。「パラリンピック」という名称は1964年東京大会から使用されており、「もうひとつの(パラレル)オリンピック」という意味がある。2000年シドニー大会から、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催が正式に義務化された。図表や写真を使い、大会を重ねるごとに上がっていく注目度や新聞での取り扱い方、チケットの売り上げ数やボランティア数などが示されている。パラリンピックの大きな特徴として競技数が多いことが取り上げられ、2012年ロンドン大会でオリンピックが26競技302種目であったのに対しパラリンピックは20競技503種目であった。また、第6章「パラリンピックとアクセシビリティ」で、日本の現状と2020年に向けたインフラの整備がどうあるべきかが書かれている。そのなかで印象的だったのは車いす席の配置についてだ。「ある一部の場所に集中させてしまう傾向がある」とあるのだが、自分が今まで行ったことのある体育館やイベント会場を思い返してみると、たしかにそうであった。本書にも書かれていたが、車いすユーザーの人が健常者の友人と一緒に行けば、車いす専用のスペースは一般席ではないので一緒に観戦することができない。新たに建設される新国立競技場では、誰もが楽しめるスペースを用意するという視点こそが重要であると結論付けている。
パート2では、過去の大会に出場した選手やコーチを務めている人が、講師として各章で自身の出場にいたる経緯や競技のクラス分け、今後の課題について解説している。第7章「水泳から考えるパラリンピックの変遷」は本誌先月号(通巻第556号)の納涼鼎談「この夏の『リオパラ』を楽しもう!」に出席していただいた元水泳選手の河合純一氏が講師となっている。「『どうすればできるのか』を発想の原点に」として、見えないことによって得られるすぐれた感性や知覚をどれくらい生かせるかということが、スポーツだけでなく、生きていくうえで重要な要素になるとしている。「どうすればできるようになるのか」を考えることが、障害者にとって生きやすい社会を作る第一歩になるのだ。
今後パラリンピアンたちが活躍していくにはどのような環境を整えるのかについて、パート3第13章では2020年東京大会に向けてどのような課題があるのか解説している。大会ビジョンのひとつに「多様性の理解と調和の実現」がある。パラリンピックが与える社会的影響は、病気や怪我によって自分もそうなるかもしれないという想像力が広がっていく。多様な社会を成立させるために重要であり、価値があるとしている。
それぞれの章末には学生との質疑応答も掲載されている。特に最後の第14章「パラリンピックを学んで」はこれまで学習してきたまとめとして、担当してきた講師同士の対話や、学生とのやりとりがそのまま書かれており、これからの日本を担う若者たちが、障害者スポーツに関心を持って、この社会を良い方向に変えてもらいたいとしている。
2020年東京大会が、ただのイベントとして終わるか、それとも終了後に何か繋がるものを残せるのか。本書は、現在スポーツに興味のない障害者だけでなく、健常者にとっても、自分の知らない世界を理解する意味でとても参考になるのではないだろうか。(菊池惟菜)
(座談会)「日本の存在感を示したWBU総会」の中で、田畑さんがNFB(National Federation of the Blind)を「全米盲人連盟」と訳されました。しかし、これには座談会出席者から異論と抗議があり、日本盲人会連合もフェデレーション(連盟、連合、同盟)であり、むしろ「全米盲人連合」と訳す方が適当ではないかという声があったことを附記します。『点字ジャーナル』編集部ではNFBの定訳といえるようなものがあるか探したのですが、見つけることができませんでした。そこで早い者順で今回は「全米盲人連盟」としましたが、これは「全米盲人連合」という訳を否定するものではないことを申し添えます。
同座談会の中で、田畑さんがプロジェクト・アスパイロ(Aspiro)というWBUの雇用専門サイトを紹介されていますが、アスパイロとは、ラテン語で「息を吹きかける、何かを得ようとして努力する、熱望する」というような意味の言葉で、英語のaspire(熱望する、抱負を持つ)の語源だそうです。
WBUの新会長であるNFBのフレッド・シュローダー博士(Dr. Fredric K. Schroeder)は指田さんの古くからのお知り合いです。誌面の関係で座談会では紹介できなかったので申し添えます。
中国盲人協会の幹部には李(スモモ)さんが3人いるので紛らわしいので、ここで整理します。中国盲人協会の前会長であった李志軍さんは現在名誉会長(名誉首席)です。現在の会長(主席)は李偉洪さんで、WBU副会長になったのは副会長(副首席)兼常務理事(秘書長)の李慶忠さんです。なお、中国盲人協会のホームページ上の人物紹介(略歴)では、お三方とも「同志」の敬称で紹介されており「中共(中国共産党)党員」となっており、お国柄をしのばせます。(福山)
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