日本山岳会などが求めていた「山の日」が、今年の8月11日から国民の祝日となる。折しも今年は日本隊による標高8,163mで世界8位のマナスル初登頂60年である。これを記念してネパールの首都カトマンズでは、日本の関係者を招いて4月30日に式典とパレードが盛大に行われた。諸外国では60周年を「ダイヤモンド・ジュビリー」と称して、50周年(ゴールデン・ジュビリー)以上に盛大に祝うのだ。
山の日は、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨とするが、山に関する特別な出来事などの明確な由来があるわけではない。しかし、日本の登山界にとって、マナスル初登頂はエポックメイキングな出来事であり、60年と山の日施行が重なったのも何かの縁であろう。
昭和31年(1956)5月9日、毎日新聞の支援を受けた日本山岳会第3次マナスル登山隊の今西寿雄隊員と同行のサーダー(シェルパ頭)のガルツェン・ノルブ氏が頂上に立った。この登山成功は大きな反響を呼び、その後、日本では空前の登山ブームとなる。
このマナスル登山は、盟友の今西錦司氏(後に京都大教授、岐阜大学長)の依頼で、西堀栄三郎氏(後に第1次南極越冬隊長、京都大教授)が、京都大生物誌研究会の名で登山許可申請を行い、その後日本山岳会に受け継がれ成し遂げられたのだ。
ところで、昭和27年(1952)2月に西堀氏は独りカトマンズを訪問したもののネパール人は誰も「マナスル」という山を知らなかった。そこで、ネパールの元老で日本びいきのラナ将軍家のライブラリーに地図があると聞き、インド測量局の100万分の1の地図をひっくり返してマナスルを探し、ラナ将軍の口添えで登山許可申請が行われたのだという。
このように実際の登山の前に、マナスル登路発見のための探検、資金集め、装備や食料の工夫・研究に労力と時間を費やしたので、登頂までには5年もの歳月がかかったのであった。(福山)
「日本国憲法は、今泣いています・・・憲法を守ると誓っているはずの護憲派によって、無残に裏切られているから」。このメッセージからインタビューアーである編集者が提案した書名が『憲法の涙』。井上達夫著、毎日新聞出版刊、税込1,458円は、憲法9条をめぐる護憲派と改憲派によるご都合主義と政治的欺瞞をリベラリズムの立場から喝破して明快である。
著者は法哲学者にして東京大学大学院教授だが、集団的自衛権をめぐるここ数年の憲法論議があまりに奇妙で、本格的な安全保障論議を妨げてきたと憤って論陣を張る。
本題に入る前に、日本国憲法第9条にはどのように書いてあるか、まずはその内容をみておこう。
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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これを文字通りに読み、明らかに自衛隊と日米安保は存在自体が違憲であるとしてきたのが「原理主義的護憲派」だ。
それに対して、歴代の内閣法制局の見解である「専守防衛であれば自衛隊も安保も合憲である」という解釈は認めるが、「集団的自衛権は違憲」だとするのが「修正主義的護憲派」である。自分たちがすでに解釈改憲を行っていながら、安倍政権の解釈改憲だけを許さないのはダブル・スタンダードであるといって著者はこれを批判する。たしかに国連憲章も、個別的自衛権と集団的自衛権を両方とも認めており、自衛権が日本国にそなわっているのなら、個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲という「修正主義的護憲派」の主張は苦しい。
これに比べれば、憲法論として原理主義的護憲派が正しいのは明らかだ。しかし、彼らの欺瞞は、非武装中立が非現実的なことを知っているので自衛隊の即時解体を求めず、その存在を事実上認め、自衛隊に守ってもらいながら、なお違憲の烙印を押し続ける卑しい御都合主義であると、著者は厳しく批判する。
安倍政権のやり方をみると、改憲派も修正主義的護憲派に学んでいる。これまでは曲がりなりにも、現実と憲法の矛盾を自覚し、憲法改正という正攻法でそれを正そうとしてきたが、「憲法改正などしなくても、解釈改憲でいいじゃないか。そのほうが楽だ」と安易な道を選んでしまい、改憲派が修正主義的護憲派のレベルに落ちてしまったと、リベラルを自認しながらも、著者はこの保守派の劣化を深く憂慮する。
戦後の平和を守ったのは9条でなく、日米安保条約と自衛隊であるので、井上教授は安全保障の政策は憲法で「凍結」せず、国民の議論にゆだねるべきで、戦力の存在を認め、憲法に戦力統制規範を書き込むべきであるとし、「9条のまるごと削除」が最善だと主張する。それができないなら次善の策は、「9条を新しくする」護憲的改憲で、それも無理なら、集団的自衛権を認めるよう憲法を書き換える保守的改憲発議さえまだましで、それさえしない現状維持は、国民の憲法感覚をますます損ない最悪だと述べる。そしてさらにヒートアップして、徴兵制は貧困層に負担を押しつける志願制に比べ、民主主義に合致し安易な戦争も抑止できる。米国は、日米安保条約がなくなれば在日米軍基地を失ううえ、核武装した日本を相手にするのも困るので、集団的自衛権を日本に強く迫るはずがないと持論を展開する。
私は単純に「憲法9条の2項」だけを削除すればいいと考えているので、「9条のまるごと削除」とか、徴兵制導入論にはついていけない。しかし、右も左もぶっ飛ばせとばかり、その問題提起は根源的なという意味においてラディカルでそれなりに筋が通っており傾聴に値する。(福山)
この春、国土交通省は2020年の東京五輪・パラリンピックまでに、航空機を狙ったテロ対策を強化するため、2016年度から全国の主要空港に順次「ボディースキャナー」を設置すると発表した。
この装置は「ミリ波」と呼ばれる電磁波を服の上から照射し、衣服の下を透視して、現在の金属探知機では見つけられない化学薬品を使った爆発物や金属製ではない刃物、プラスチック、木片、液体などと金属を検知できる装置である。
私は、2013年の12月にバンコク・スワンナプーム国際空港の保安検査場で、セキュリティ検知装置のトップメーカーである米L3 SDS社の「プロビジョンATD」というボディースキャナーにかけられた経験がある。この機種は関西空港でも使われている。
装置本体は、横幅130、縦270cmくらいのガラス張りの円柱で、無骨なグレーのフレームのため外観は六角柱に見えた。「通り抜けができるバカでかい公衆電話ボックス」というのが、この目新しい装置を初めて見た時の私の印象である。わりと具体的に再現できるのは、入り口上部に書いてあった商品名をすぐにメモしたからだ。
装置の中に入ると両腕を上げるように言われ、「バンザイ」をすると、ものの数秒もしないうちに検査は終了した。スキャナーは、装置の天井から床まである黒い棒状のもので、それが被験者である私の左右にあり、右側のそれが私の前を通って左に、左側のそれは、うしろを通って右に同時に素早く半周した。こうして、付属のディスプレイには怪しい影は検出されず、私は解放された。半周ということは、おそらく次の被験者は、私とは左右逆方向からスキャンされるのだと思われた。それが気になり確認したかったが、その後5度、同空港のこの保安検査場を通過したが、ボディースキャナーに再びかけられることはなかった。あの体験が夢でなければ、おそらく一時的な実証実験だったのだろう。
ところで、ボディースキャナーが導入されるきっかけは、2009年のクリスマスにオランダ・アムステルダム発米・デトロイト行の航空機内で、「アラビア半島のアルカイダ」とみられるナイジェリア人の男が爆発物に着火した事件が起きたことだった。幸い爆発せずテロは未遂に終わったが、金属探知機では服の下に隠していた爆発物を見つけられなかったことが教訓となり、これを機に、欧米の空港ではボディースキャナーの設置が一気に進んだ。
日本も2010年夏、成田空港で実証実験が行われたが、まったく裸の状態に透視することができることから、プライバシー問題がネックとなり設置は進まなかった。
一方、強引に導入した米国では、2012年4月に裸が見えるこの全身スキャンに抗議して、技術コンサルタントである男性(50歳)がオレゴン州のポートランド空港で全裸になって抗議し、公然わいせつ罪に問われる事件が起きた。「空港ストリッパー」と呼ばれて、一躍有名になった彼は、罰金1,000ドルの支払いを拒否して裁判を起こした。そして、同年7月18日、裸での抗議行動は、憲法で守られた言論の自由だとして裁判所は無罪を言い渡した。
このようなトラブルもあり、私がスキャンされたスキャナーでは、ディスプレイに映し出す際は、人体がダミーの人形に入れ替わるように改造されていた。
空港の保安検査員が知りたいのは、爆発物等の危険物を持っているかどうかであって、裸体ではないのだから、これでプライバシーの問題は解決され、検査も実をあげることができるわけだ。
羽田・成田・関西の3つの空港では、昨年(2015)10月から12月まで諸外国で設置が進む先進的なボディースキャナーの導入を検討するため試験運用を行い、この春、その評価試験の結果を公表した。それによると同検査をうけた旅客は3空港合わせて1万7,765人で、平均検査時間は80秒で、全身の接触検査に比べて約10秒時間が短縮できた。ただ、ボディースキャナーによる検査が初めての人がほとんどで、検査を受ける前に上着等を脱いで、ポケットの中のすべての所持品を出してもらうなど、別途、その説明に相当の時間を要したことが今後の課題となった。(福山)
本号がいつ読者の皆様のもとに届くのか? 一抹の不安を感じながら編集を終えようとしています。本誌先月号(7月号)は、参議院議員選挙「点字選挙公報」発行の関係で、執筆者各位のご協力を得て、通常より数日早めに印刷を終え、発送致しました。
本号も都知事選「点字選挙公報」発行等の関係で、やはり執筆者各位のご協力を得て、編集作業は前倒ししました。しかし、発送はどうなるのか、現時点ではまだちょっとおぼつきません。予定では7月22日(金)発送なのですが、何かの拍子にちょっとしたトラブルが起こったら、選挙業務を優先せざるを得ません。そして、新宿北郵便局に同日の夕刻までに小誌の入った封筒を届けることができなかったら、次は7月25日(月)早朝の発送となります。すると読者に届くのは早くても7月26日です。そこで、仮にそのような事態になったとしたらお許しいただきたく、よろしくお願いいたします。
参議院議員選挙は3年前から予定されておりましたので、準備万端整えて、手ぐすね引いて待っておりました。しかしながら、都知事選の方は何しろ突然のことだったので、まだ、不確定要素があるのです。舛添要一氏にとっても晴天の霹靂であったでしょうが、それは我々にとっても同じことです。
ところで今年の春は、舛添東京都知事にとっては「我が世の春」でした。本年3月1日、同氏はティエリー・ダナ駐日フランス大使により、レジオン・ドヌール勲章コマンドゥールの叙勲の栄に浴されました。叙勲式には東京都の姉妹都市であるパリ市からわざわざ市長のアンヌ・イダルゴ女史(57歳)も駆けつけた華やかなものでした。
それから一転、今さらながら急転直下の落魄ぶりを「政治の世界は一寸先は闇」と桝添氏は嘆いておられるのかも知れません。もちろん「身から出たさび」なので同情するわけにはまいりませんが。(福山)
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