THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2016年4月号

第47巻4号(通巻第551号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:「英語のプラカード」は誰のため? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
「ヘレンケラー・サリバン賞」候補者推薦のお願い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
一つの夢がかなう喜び 〜「ブレーメンの奇妙な雲行き」ドイツで出版 〜 ・・・・・・
6
(短期集中連載)ネパール地震と石油危機(2) ― 日盲委の毛布を配る ・・・・・・
16
スポーツ科学によるブラインドアスリート支援 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
カフェパウゼ:捻れて変形するジルバーマン・ピアノ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
読書人のおしゃべり:『韓国「反日」の真相』を読む ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
近代盲人業権史 (18)あの最高裁判決その3 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
続・ニカラグアにおける東洋医学教育 (3)結婚式 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
自分が変わること (82)マルガリータを再び ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
リレーエッセイ:職業訓練校での学びを振り返って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
アフターセブン(13)夢は小旅行部長? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (164)復活した相撲人気も入門者増までには波及せず ・・・・・・・・・・・・・・
55
(新連載)95%にもチャンスを (1)障害者初の外務省インターン ・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:女性専用車両に乗車基準なし、ガイダンスロボット、
  アレルギー性結膜炎を涙で診断、糖尿病薬で大腸がん予防 ・・・・・・・・・・
63
伝言板:アキレスふれあいマラソン2016、コトノハのトビラ、
  オンキヨー点字作文コンクール ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
「英語のプラカード」は誰のため?

 「届け10代の声」(朝日新聞)、「私たちも主権者。安保法反対」高校生の声(東京新聞)、これらの見出しが2月22日付朝刊一面に躍っていた。何事が起こったのかと驚きながらも、私は引っかかるものも感じた。
 新聞では、安全保障関連法に反対する高校生グループ「ティーンズ・ソウル」のメンバーらが2月21日、東京や仙台、大阪など全国約10カ所で、安保法の廃止と安倍晋三首相の退陣を求めてデモを行ったと報じた。しかし、はっきり顔が特定できるフルカラーの写真に写った高校生らが掲げるプラカードには、<Teens against war law><Go vote><Save our future>と英語で書かれており、「誰にアピールしたいのか?」と、とても訝しく思った。
 東京・渋谷で行われたデモの参加者は主催者発表で5,000人だが、『毎日新聞』には「高校生の参加者は数十人だった」とあり興ざめした。それ以外は実は中高年ばかりだったらしいのだ。このデモの仕掛け人はマスコミの耳目を集めるために高校生をダシに使い、既存のデモと差別化を図るために、英語のプラカード等を用意し、新聞の一面に大きく取り上げられたので、大いにほくそ笑んだことであろう。
 「高校生の参加者は数十人」というのは、この記事ではとても重要な情報で、それがなければ、限りなく誤報に近いミスリードと言えるだろう。
 「ティーンズ・ソウル」という団体を、長崎県立大村高校卒業生同窓会のホームページは「共産党の下部組織で、高校生を標的にしたもの」と非難しているが、これはまんざら根拠のない話でもなさそうである。
 というのは、本年1月5日付日本共産党の機関誌『しんぶん赤旗』によれば、「2016年党旗びらき 志位委員長のあいさつ」の中で、「シールズ、ティーンズ・ソウル、ママの会、学者の会、立憲デモクラシーの会など、新しい自発的な政治参加の動きが、いわばふかふかの『掛け布団』として幾重にも積み重なり、発展しています」と賞賛しているからである。(福山)

「ヘレンケラー・サリバン賞」候補者推薦のお願い

 「ヘレンケラー・サリバン賞」は、視覚障害者の福祉・教育・文化・スポーツなど各分野において、視覚障害者を支援している「晴眼者」にお贈りする賞です。これは、「視覚障害者は、何らかの形で晴眼者のサポートを受けて生活している。その支援に視覚障害者の立場から感謝の意を表したい」との趣旨で、当協会が1993年に創設、今年で24回目となります。なお、同賞の名称は、ヘレン・ケラー女史と同女史を生涯支え続けたアン・サリバン女史の名に由来します。選考は、視覚障害者によって推薦された候補者の中から、当協会が委嘱する視覚障害者の選考委員によって行われます。受付は6月末日(必着)まで。発表は本誌10月号で行い、受賞者には本賞(賞状)と副賞(ヘレン・ケラー女史のサインを刻印したクリスタルトロフィー)をお贈りします。推薦書をご希望の方は、当協会(03-3200-1310)までご請求ください。多くの方からのご推薦をお待ちしております。

一つの夢がかなう喜び
〜「ブレーメンの奇妙な雲行き」ドイツで出版〜

本誌編集部/戸塚辰永

 1月30日(土)〜2月7日(日)の旅程で、ドイツを訪問した。目的は、本誌2004年1月号から2008年4月号まで連載した「ブレーメンの奇妙な雲行き」を、アクセル・クナップ氏がドイツ語に翻訳し、ドイツで出版されたので、2月5日(金)にブレーメンで出版記念会が開催されることになり、それに出席するためであった。
 モカンボ出版からドイツ語タイトル『Tatsunaga erkundet Deutschland(辰永のドイツ探究) Ein blinder Japaner reist in ferne Lander(全盲の日本人の海外旅行)』で、269ページのペーパーバックとして刊行され、価格は18.95ユーロ(約2,400円)である。

盲人協会の助け舟

 『点字ジャーナル』連載後半から、「ブレーメンの奇妙な雲行き」を、出版するという企画は幾つかあった。しかし、出版条件を詰める段になると雲行きが怪しくなってばかりいた。
 拙著は2年間にわたるドイツ滞在をユーモアを交えて紹介したもので、日本で難航する出版交渉に疲れた私は、むしろドイツで出版した方がいいのではないかと思った。そこで、2012年に渡独した折り、ブレーメンに旧知のアクセルを訪ねて相談した。
 すると、「翻訳だけでは実入りが少ないから、最近、ベトナムで印刷するモカンボ出版という自分の会社を作ったんだ。僕が翻訳して、出版するから、原稿を送ってくれないか」と、びっくりするような返事が返ってきた。
 言語学者でもある彼はエスペラントをはじめヨーロッパ言語はもとより、日本語、中国語、ベトナム語、インドネシア語といったアジア各国の言語に精通しており、日本語の環境対策の専門書や医学書もドイツ語に翻訳している。
 私の原稿を読んだ彼の感想は、「文章が学術的ではないので、ちょっと稚拙な感じがする」というものだったが、ブレーメン盲人協会から視覚障害当事者の視点で書かれているなら推薦したいとの助け舟もあって、後はとんとん拍子に決まった。
 2013年3月、モカンボ出版から契約書が送られてきたが、とても私の手には余るので、以前通っていたドイツ語会話学校の理事長に相談した。
 具体的内容は、著作権等の権利関係、印税、訴訟の場合はドイツの裁判所へ出向くこと等が書かれており、私は尻込みした。
 理事長は、「まあ、私もドイツで何冊か本を出していますが、こうしたものはそんなに深刻なものではありません。もし、内容をきちんと知りたいのならドイツ関係の法律事務所を紹介しますが、そんなにお金をかけるなんてバカバカしいですよ。印税なんてほんの少ししか入ってきませんからね」といわれたので、契約書にサインして送り返した。
 それから2年が過ぎた昨年1月、アクセルからメールが届き、翻訳をしながら、思い込みや誤解で書いている個所を幾つか見つけたので、それらについて質問したいとのことだった。そこで、8月末の夏季休暇を利用してドイツを再訪した。
 彼の質問は、3点あった。一つ目は、無賃乗車についての記述で、「ブレーメンでバスや路面電車に無賃乗車すると、時折り抜き打ちで監視員が車内を回ってくる。無賃乗車した人は、罰金を払い、氏名が新聞に載る」と私は書いたが、実際は罰金だけで、氏名等は公開されないとのことで、彼の指摘に納得し、私は文章の変更に同意した。
 二つ目は、掃除人に払う労賃の件で「大家のベルントはケチなのに、週1回くる掃除人2人に時給100マルク(7,000円)も払っていた」というくだりで、高すぎる10マルクの間違いじゃないのか? との指摘だった。
 ベルントは賃貸住宅を、所有者のブレーメン州中央銀行に引き渡す際に、汚れていたり、いたんでいたりすると途方もない修繕費を請求されるのではと、とても心配していた。そのため、高額であっても腕のいい掃除人に毎週来てもらい、下宿人である私と折半で払い、クリスマス前にはボーナスまでもあげていたと反論して間違いないと主張した。
 三つ目は、「ハイル・プラクティカー(療術師)」についての記述で、この資格はハイル・プラクティカー協会が行う試験に合格した者に与えられる民間資格で、鍼治療も含めて、様々な治療ができる。私は、保健所の担当者から同協会の責任者の電話番号を教えてもらい点字受験ができないものかと尋ねた。しかし、「点訳する際、試験問題が漏えいする可能性があるから、それはできない」と門前払いを食らったと記した。
 これについて、「試験をするのは保健所なので、保健所の担当者がそう答えたのではないか?」との指摘であった。しかし、この件については、明確な記憶があり、私の書いたことが正しいと主張した。説明が彼にどれだけ受け止められたか分らないが、これで本を作る作業は、著者と翻訳者の議論の積み重ねが欠かせないことがよくわかった。
 後で聞いた話だが、アクセルは翻訳にあたって、私と彼の共通の友人である全盲夫妻のヨアヒムとフリーデリケの家を2度訪ね、視覚障害者の事情や点字についても丁寧に下調べをしていたという。
 「彼が原稿を私たちに読んで質問するんだけど、いつも3人でワインを飲んで夜更けまで話をして楽しかったけど、なかなか本の校正が進まなかったわね」とフリーデリケが楽しそうに裏話を語った。

笑いに包まれた出版記念会

 昨年10月、「来年(2016)1月末に出版記念会を開くから出席できないか?」というアクセルからのメールが届いた。繁忙期であったが、幸い職場の理解もあり、5日間の休暇をもらうことができた。
 1月30日午前11時30分発KLMオランダ航空機でオランダ・アムステルダム経由でドイツ・ブレーメンへ向かった。しかし、成田空港で、離陸許可がなかなか下りず、30分遅れでボーイング777が飛び立った。強い偏西風とノルウェー付近にある爆弾低気圧に向かって飛行するので、通常よりも1時間長い12時間かけてアムステルダム空港に着陸。
 ブレーメン空港行きの乗り継ぎ時間は40分しかなく、介助の空港職員が運転するカートで、広い空港内を移動し、乗り継ぎ者特別優先ルートを通り入国審査を受けた。
 入国審査を通過し、飛行機まで車で3分。タラップを上り、最後の搭乗客として席に着いたが、預けていたリュックザックは間に合わず、翌日午後にやっと受け取った。
 出版記念会は当初1月末の予定であったが、出発10日前に2月3日に変更になり、その3日後には、前書きを書いてくれたヨアヒム・シュタインブリュック博士(全盲・元裁判官、現・ブレーメン州障害者政策担当官)の都合がつかないので、2月5日午後7時から行われることになったと連絡があった。
 当然のことながら、出版記念会の後にはパーティが開かれる。そして、翌朝は5時半に起き、ブレーメンから250km離れたデュッセルドルフ空港まで行き、出発2時間前の午前9時半には搭乗手続きカウンターに到着しなければならず、最後の最後にとてもタイトなスケジュールとなった。
 出版記念会の当日、私はとても緊張し落ち着かなかった。それを察した友人で、ブレーメンでの宿を提供してくれたフランクが、「そんなに緊張しないで、ただ、『ありがとう』と言うだけでいいんだよ」と助言してくれた。
 私はフランクと共に、1時間前に出版記念会が行われるブレーメン市内の交通至便な老舗書店に行った。
 その書店は一風変わっており、店のあちこちに地球儀やオブジェがあり、本が雑然と置かれていた。2人の女性店員が書店を切り盛りしており、閉店になると彼女らは椅子を並べ、出版記念会の準備を始めた。
 開演30分前にひどい風邪をひいたアクセルと朗読を担当する翻訳家の男性がやってきた。午後7時が近づくと友人、知人が続々と集まってきた。そこには、「ブレーメンの奇妙な雲行き」にたびたび登場した藤井夫妻もデュッセルドルフから来てくれた。
 私の経歴とブレーメンとのかかわりについて紹介するアクセルの挨拶から、出版記念会は始まった。朗読者が、おもしろそうな話を選んで、感情豊かに朗読する。まずは、「悲惨なクリスマス」から始まった。この話は、私のドイツで最初に迎えた大家のベルント・ラースト宅でのクリスマスについて書いたものだ。
 ドイツのクリスマスには、日本でいう正月のような厳かな雰囲気がある。クリスマスイブには、教会に行き、祈りをささげ、クリスマスと翌日の26日は家族が集まり、ご馳走を囲んで絆を深める。だが、私が迎えたドイツでの初めてのクリスマスはとても悲惨だった。
 それは、ホラー作家、鼻にピアスを付けた前衛芸術家のおばちゃん等々不信心者、なおかつ独り者が集まるどんちゃん騒ぎで、クリスマスの神聖さとは程遠いものだったのだ。
 朗読が始まると、参加者はくすくす笑いだしたがこれはほんのご挨拶代わりだ。
 一つ、二つ朗読した後、私がジャガイモを嫌いになった話を読み始めると、参加者の皆がお腹を抱えてげらげら笑いだし、読み終わると拍手があがった。
 朗読がひとしきり終わると、参加者から質問を受けた。ある人は、ドイツと日本で匂いに違いがあるかと尋ねた。また、ある人は点字は世界共通なのかと質問した。これには、会場にいた点字使用者が、1825年に全盲のフランス人・ルイ・ブライユによって点字が考案されたと説明してくれた。私も、1890年に石川倉次がルイ・ブライユの点字を参考にして、日本点字を考案したことを紹介した。そのほか、指点字の話が出ると、指点字はどういうものか実際にアクセルの手を借りて、デモをし、福島智東京大学教授と指点字の関係について話をした。こうして、1時間余りの出版記念会は、笑いに包まれて終わった。
 場所を近くのイタリアンレストランに移し、10数人で話がはずんだ。その中には、全盲の元裁判官ヨアヒムとウヴェもいた。彼らはとても気さくで冗談を連発し、みんなを笑わせた。
 藤井夫妻が10冊本を購入したいと言われたので、アクセルがページをひらき、私は黙々とサインした。
 「前にいる二人は、元裁判官です」と藤井夫妻に伝えると、「へー! こんなに庶民的で気さくな裁判官がいるなんて考えられませんね」とびっくりした様子だった。
 深夜0時近くまで語り合い、別れを惜しみつつ会はお開きとなった。その夜、私は泥のように眠った。
 こうして、1週間の慌ただしいドイツの旅はあっという間に終わった。ドイツ語訳の拙著は、今年と来年開催される世界最大の本の見本市であるフランクフルト・ブーフ・メッセにも出品される。
 こうして一つの夢はかなったが、次の夢は拙著が日本語でも出版されることだが、その雲行きはいかに!

カフェパウゼ
捻れて変形するジルバーマン・ピアノ

 当協会主催の音楽コンクールで審査員としてご協力いただいている鍵盤楽器奏者・武久源造氏の「ジルバーマン・ピアノによるJ・S・バッハ パルティータ(全曲)」ALMレコード、CD2枚組(ALCD-1148・1149)3,672円を、ネット通販のアマゾンで取り寄せた。
 武久氏がここで演奏している楽器は、その音色からチェンバロとピアノであろうと思われたが、実はジルバーマンモデルのフォルテピアノ、いわゆる「ジルバーマン・ピアノ」だけだった。しかもこれは1台でチェンバロやピアノの他に、ハープ、弦楽器の4種類の音色を弾き分けることができるという不思議な楽器なのである。
 従来、「バッハはピアノを弾いたことがなかった」というのが通説で、約半世紀前の音楽の授業でもたしかにそう習ったが、現在その通説は明確に否定されている。
 1747年5月6日、J・S・バッハ(1685〜1750)はポツダムのサンスーシ宮殿で、プロイセンのフリードリヒ大王の御前演奏で、ジルバーマン・ピアノを試奏したとの記録が残っているからである。
 ドイツの楽器製作者ゴットフリート・ジルバーマン(1683〜1753)が製作したピアノは3台現存しているが、どれも壊れかけていて実際に音を奏でることはできない。それをチェンバロ等の古楽器製作者である深町研太氏が2007年に復元したものが日本に1台だけある。
 そのジルバーマンのレプリカは、現在武久氏の手元にあるが、当初は大きな問題があった。調律がたった10分しか持たなかったのである。これではとても実際の演奏には使えない。そこでハンマーに貼る素材を鹿の皮に変えたり、弦の材料を太くしたりと数々の試行錯誤を重ねた改造の末、現在はチェンバロ並に調律がもつようになった。
 しかし、問題はまだある。ジルバーマン・ピアノは、モダン・ピアノ同様の重厚なアクション機構を持っているが、筐体はチェンバロから流用した側板の薄いもので、響板もたった2.5mmの厚みしかない。チェンバロの弦の張力はピアノよりはるかに弱いのでそれで問題ないが、ジルバーマン・ピアノの場合はそれが大問題になる。
 ピアノに必要な張力を加えるとジルバーマン・ピアノは、筐体に近い部分の響板に割れ目が走り、本体も少し捻じれるように変形するのである。しかし、だからといって筐体を頑丈なものにするわけにはいかない。そのように改造すれば、もはやジルバーマン・ピアノとは呼べないからである。
 これはオリジナルのジルバーマン・ピアノ3台が、すべて同様に壊れかけており、演奏できないことと符合する。また、文献上でも、ジルバーマン・ピアノは薄い側板と響板が、弦の張力に耐え切れずに捻じれる方向に変形していくことが記されている。
 武久氏は、この壊れ方には納得している。改造を加えたレプリカが、いかにジルバーマン・ピアノに忠実であるかの証拠でもあるからだ。
 そして、そのコンディションのままで、このジルバーマン・ピアノを用いて武久氏は素晴らしい「パルティータ」全曲のCD録音を成し遂げたのである。(福山)

編集ログ

 月刊誌の連載では、同時ドキュメンタリーとはいかず、そこには半年とか、1年といった時差が生じます。次に述べる石田由香理さんのケースもその好例です。
 今号からフィリピンを舞台にした石田さんの新連載「95%にもチャンスを」が始まりました。同国の視覚障害者で就学しているのは5%に過ぎないので、残りの「95%にもチャンスを」という意味だと思いますが、そのために彼女はフィリピンで何をどのように行うのか?ご期待ください。
 ところで、先月までの「ICAN職員」から彼女の肩書きが変わりました。「FTCJ」とは、認定NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパンの略称です。しかし、今号の新連載第1回目の内容は、10カ月間の外務省主催NGOインターン制度を活用して、認定NPO法人アイキャン(ICAN)のフィリピン駐在職員となったことが書かれています。ところが、現実はその10カ月間が終了して、この4月から彼女はFTCJに転職したのです。
 ところで読者の中には「フリー・ザ・チルドレン・ジャパン」という名前に、聞き覚えがあると思われた方がおられるかも知れません。実は石田由香理さんの「フィリピン留学記」連載第1回(2012年8月号)に一度だけ出てくるのです。彼女は同NGOのスタディーツアーで、はじめてフィリピンに行くのです。そしてそのときの日本とはあまりに違う視覚障害者が置かれた厳しい現実に心を痛め、その経験が、その後の彼女の進路に大きな影響を与えることになったわけです。
 「自分が変わること」で触れられている藤原さんの「アフリカを舞台にした11編の短編集」とは、第3回開高健ノンフィクション賞を受賞した『絵はがきにされた少年』のことです。2005年に私は偶然同書を読み、もの凄い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。藤原さんと知り合う以前の話です。(福山)

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