THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2016年3月号

第47巻3号(通巻第550号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:独裁国との距離の取り方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(特別寄稿)芹澤勝助先生の思い出を語る会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
(特別寄稿)アイダス研修会私的レポート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12
(短期集中連載)ネパール地震と石油危機(1) ― 国境から逃げ帰る ・・・・・・・・
16
(特別寄稿)第3回日韓視覚障害教師の会親善交流研修会を終えて ・・・・・・・・・
22
桜井政太郎先生から学んだこと、託されたこと ― 桜井先生の死を悼んで ・・・・
28
近代盲人業権史 (17)あの最高裁判決その2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
続・ニカラグアにおける東洋医学教育 (2)就労調査 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
自分が変わること (81)肩の力を抜いて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
リレーエッセイ:私の視覚障害児支援 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
アフターセブン(12)1匹1万円のタコの味 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (163)引退危機から一転、綱取りへ ―― 大関琴奨菊の復活劇 ・・・・・・・・
56
国境を越えて学ぶ (15・最終回)バイバーイ、イギリス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
60
時代の風:アイシー!運動スタート、触れるだけの信号スイッチ、
  人工舌開発、朝食抜きで脳卒中リスク上昇 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64
伝言板:詠進歌来年のお題は「野」、調布映画祭2016、
  NVDAワンポイント講座 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
68
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
独立国との距離の取り方

 現在、ナチスやヒットラーは一般に蛇蝎のごとく嫌われている。しかし、戦前はちょっと様相が違っていた。世界の自動車王ことヘンリー・フォードは、ナチスドイツの協力者としても知られており、ヒットラーから大十字ドイツ鷲勲章を授与されている。「英国王冠をかけた恋」で知られるエドワード8世もナチスドイツと親密な関係を築き、たびたびドイツを訪問してはナチス式の敬礼を繰り返した。しかし、彼らは氷山の一角であり、戦前、ナチスやヒットラーの崇拝者やシンパサイザーは世界中に大勢いた。
 歴史的評価が定まった現在、世界的大企業の社長や、英国王室がナチスドイツを礼賛することはあり得ない。しかし、同時代に華々しく活躍する人々や国の実像をしっかり見極めることがいかに難しいかは、この一事からもわかるだろう。
 そこで私は、「独裁国には絶対気を許さない」ことにしている。独裁的な政治体制の下では体制批判は許されず、個人の自由は著しく制限され、国民の意思表示は抑圧され、反対派は何らかの形で排除されることを歴史が雄弁に教えてくれているからである。
 こんなことを考えたのは、香港の書店関係者5人が、中国治安当局により昨年から相次いで拉致されているとの報に接したからだ。
 中国共産党の体制や習近平国家主席ら党指導部を批判する書籍を取り扱う香港の「銅鑼湾書店」関係者5人が、昨年の10月から相次いで失踪している。そして、今年に入ってから中国治安当局の介入が明らかになった。そして、失踪した香港人のうち2名は英国とスウェーデン国籍を持っていることから、今後、中国の言論弾圧が国際問題化すると予想される。
 中国は共産党による1党独裁国家で、中国共産党の下に軍隊も政府も立法機関も司法も位置付けられている。かくして、共産党は無謬であり、絶対権力を誇る暴力装置となる。その同伴者や共犯者にならないように、くれぐれも気を付けたいものである。(福山)

桜井政太郎先生から学んだこと、託されたこと
―― 桜井先生の死を悼んで ――

特総研客員研究員/大内進

 いつか迎えなければならないと覚悟はしていたが、その日がついに来てしまった。盛岡市に「視覚障害者のための手でみる博物館」を創設された桜井政太郎先生が、2月1日に天に召された。
 桜井先生は、ご自身の深く傷ついた経験からこの博物館の設立を決意された。学生のころ、博物館に行ったものの触るものが何もない。唯一、蛇の剥製が触われる状態にあった。それに手を出したとたん、係員からひどく怒られたという経験である。博物館は、「考古学資料、歴史的遺物、美術品等の学術的資料を収集、保管し、陳列して公衆の展覧に供する施設」とあるものの、「ただし、視覚活用ができる人間に対して」という添え書きが必要な状況にあった。このような状況を打破しなくては、見える人と見えない人の知識の格差はますます広がるばかり。かといって、美術館や博物館の対応は遅々として進まない。
 「日本で一つくらいは視覚障害者が遠慮することなく触察でき、晴眼者と同じように自分の世界を広げ知識を確認できるようなところがあればいい」と願い、桜井先生は私費を投じて、剥製などの生物標本、民族楽器、民芸品など約3000種類余りの触察可能な品々を収集してきた。「宇宙」、「生命」、「文化(人間の知恵)」の探求が桜井先生の3大テーマであった。収蔵品の中には、ご自身で整備されたものも少なくない。クジラの骨格標本はご夫婦の協力で5年かけて完成させたものである。その意味で博物館の運営と所蔵品収集について、私たちは奥様文子さんの多大な功績も忘れてはならない。
 この博物館は国際障害者年の開始年である1981(昭和56)年に開設されているが、長い間、その価値を確認できなかった。1999年から国立特別支援教育総合研究所(特総研)に勤務することになり、盛岡を訪問する機会を得た。当時の岩手県立盲学校は熱気に溢れ、触察の価値を認めている教員はこの桜井博物館の虜になっていた。たびたび桜井博物館を訪問するようになり、私もその仲間になった。「立体で存在するものは立体で触るのがもっともわかりやすい」、「百聞は一触にしかず」と熱く語る桜井先生の言葉の一つひとつが胸に響いた。この博物館は、触察の有用性を認識している者にとって歩みゆく道を照らす光であった。
 触ることによって情報量は格段に多くなり、情報の質も高まる。想像の世界で済ませていたものが、明確なイメージを保有できるようになる。しかし、漫然と触っても得るものは多くない。的確な言語情報が不可欠である。その点で要を得た桜井先生の語りも秀でていた。先生がこの博物館を通して成し遂げた功績は計り知れない。
 桜井先生は数々の輝かしい表彰を受けている。しかし、先生は決してそのことに満足されていなかったのではないだろうか。先生の志は、視覚に障害のある人が十分な触察の機会を与えられるように公にきちんと環境を整えてもらうことにあったのだと思う。その動きは緩慢だと言わざるを得ない。
 しかし、嘆いていても状況は改善しない。気が付いたものが先生の遺志を継いでいくしかない。幸いなことに、桜井博物館は法人化され、熱意ある川又正人さん御一家に引き継がれた。ご家族の川又若菜さんが館長として力を尽くされている。私自身も桜井先生の教えを胸に数年前にささやかな活動を始めたところである。
 最後に桜井先生が、ことあるごとに嘆いていたことを記しておきたい。長年、盲学校で教育を受けながら、触ることに消極的な人がいるということである。このことを先生はことのほか残念がっていた。「触る」ことを規制する場面が繰り返されてきたことが影響していると桜井先生は予測されていた。その真偽はともかく、触って世界を知ることの素晴らしさを教えてもらえていなかったことは事実として残る。視覚障害がある人々が世界を広げていくために「触る博物館」の充実とともに、触ることを楽しめる人を育んでいくよう、私たちは桜井先生から託されている気がする。

編集ログ

 小誌前号「巻頭コラム」の「竹下会長の反論を期待して」で記したように、2015年11月号に横浜市/大橋由昌氏が寄稿された「リレーエッセイ」について、日盲連で疑義があるようでしたら、反論なり、批判なりを小誌にご寄稿くださいと書面により竹下会長にお願いしました。
 それに対して、「いずれにせよ、本件については、点字ジャーナルに本連合から記事の掲載を希望することはありませんので、その旨連絡申し上げます」との竹下義樹会長からのつれない返事がありました。
 編集子としては、「そこをなんとか」とすがりついてでも、同じ土俵で議論していただくようにお願いするのが務めであります。というのは、反論があったら受けて立つと一方の当事者である大橋氏は手ぐすね引いて待っておられたからです。
 しかしながら、竹下氏は弁護士と日盲連会長という2足の草鞋を履いて超多忙の上、3月末には日盲連会長選挙もあるとのこと。俗事に煩わされている暇はないということも理解できるので、残念ではありますが、これ以上会長を煩わすことは差し控えることに致します。
 今号の「近代盲人業権史」に出てくる下飯坂潤夫最高裁判所裁判官(1956年11月22日任官、1964年1月28日退官)の名前が、斯界の一部では「シモイイザカ・ジュンオ」として長らく流布していたそうです。今から55年前、最高裁に問い合わせされなかったのでしょうね。
 しかし、現在は最高裁のホームページ上で、初代長官を筆頭に「最高裁判所判事一覧表」が公開されており、小誌はそれに従うことにしました。
 20年ほど前のネパールツアーで、参加者の一人が民族楽器を無理して買い集めていたので事情を聞いたことがあります。すると恩師・桜井政太郎先生の手でみる博物館に寄贈するのだと言われて驚きました。卒業して数十年たって、身銭を切って慕われる教師も珍しいと思ったものでした。(福山)

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