あるテレビ番組で、高名な評論家が、「例えばスペインのカタルーニャとかイギリスのスコットランドとか、沖縄はある意味で独立、自立を目指していく地域として世界の中でひとつ注目されているわけですよ」などと、ひどく馬鹿げたことを言っていた。
2014年9月18日に実施された、イギリスからのスコットランド独立の是非を問う住民投票(投票率84.59%)では、賛成161万7,989(44.7%)に対して、反対は200万1,926(55.3%)で、かろうじて英国への残留が決まったことは記憶に新しい。
一方、スペインからの分離・独立派が過半数を占める同国カタルーニャ州の州議会は本年11月9日に、「独立手続き開始」をうたう決議案を可決し、独立に向けて歩みはじめた。
このようにスコットランドとカタルーニャは、「自立を目指していく地域として世界で注目されている」と言っても過言ではない。
一方、沖縄にも独立運動はあるにはある。しかし1996年に、琉球大学が実施した調査では、「沖縄は完全に独立すべき」と答えた県民は3%にも満たなかった。また、2011年11月に、琉球新報が行った県民意識調査でも「今後の日本における沖縄の立場(状況)について」という質問に対して独立と回答したのは4.7%であった。さらに、「琉球独立運動」を行っている「琉球独立党(現かりゆしクラブ)」は、2006年沖縄県知事選挙に、党首の屋良朝助が出馬したが、得票数6,220票で、得票率はたった0.93%で、もちろん落選している。
このように、賛成と反対が拮抗するスコットランドや、独立派が8割ともいわれるカタルーニャと沖縄独立を、どのような根拠で同列に並べられようか。
おそらくそれを百も承知でとぼけているのであれば、デマとか流言飛語の類いではないか。牽強附会を旨とする中国の腰巾着で、「政治経済における東アジア統合」を持論にしているこの評論家らしいといえばたしかにいえるが。(福山)
11月1日(日)〜3日(火・祝)、すみだ産業会館サンライズホールにおいて「ふれてみよう!日常サポートから最先端テクノロジーまで」と題して、視覚障害者向け総合イベント「サイトワールド2015」が開催された。
10回目の開催となる今回、1日目は点字制定から125周年(11月1日は日本点字制定記念日)であることを記念して日本点字制定記念日講演会が行われ、「点字の価値」をタイトルに日本点字委員会顧問の阿佐博先生が、「点のめぐみ」をタイトルに横須賀市点字図書館職員の青松紀野さんが講演した。
阿佐先生ははじめに、自身が点字大好き人間であると述べ、これまでどのように点字と関わって生活してきたかについて、次のように語った。
点字に最初に触れたのは6歳の頃で、11歳で盲学校に入学するまでの間、父親が買ってきた小学校の点字教科書と点字一覧表を使って点字を学んだ。そのため盲学校へ入る頃には点字を十分に読むことができるようになっており、入学と同時に買ってもらった点字盤もすぐに使えるようになった。盲学校で音楽の教科書をもらったが点字楽譜が読めず、母親にその楽譜の曲「春の小川」の墨字の楽譜と照らし合わせてもらって解読した。学校には生徒が20人ほど、先生が5人ほどいたが、点字楽譜を読めたのは入学して2年目の阿佐少年だけであった。
一般に情報の85%は視覚から得られると言われており、それが通説となっている。視覚でしか分からないことも確かにあるが、それはかなりの部分を触覚や嗅覚などほかの感覚で補うことができると考えている。特に文字情報については、たとえばサピエ図書館などの便利な機関もあり、かなり充実して情報を集められる。
視覚障害者の読書方法には、点字によるものと音声によるものがある。点字は人によって読むスピードが異なり、対して音声は誰が聞いても同じ速度で読み終わるという特徴がある。しかし、音声による読書は特に外国の地名や人名など、どうやっても聞き取れない単語がでてきてしまう。その点、点字ではどんなに読むのが遅かったとしても書いてある言葉を確実に読み取れる。たとえば今年のノーベル文学賞受賞者はベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチ氏だが、これを正しく聞き取るのは大変難しい。しかし、点字であれば時間はかかるかもしれないが、正確な名前を知ることができる。自身の読書の仕方についても触れ、サピエ図書館からダウンロードした点字データをパソコンで読ませながら、上手く聞き取れなかった部分だけ点字で確認するといった方法をとっている。音声ではあやふやに聞こえてしまうところを正しく教えてくれるのが点字であり、それが「点字の価値」であると力を込めた。
日本の点字ができた日ということで、点字の成立に関わった人物たちについても述べ、最後に、点字で文章を書く人が、なるべく同音異義語を使わない、誰が読んでもよくわかる文学をつくってほしいと語った。
続いて青松さんが、自身の経験を通じて感じたことを中心に講演した。
沖縄県南風原町出身で、3歳の頃に、だんだんと視力が低下していく病気であることが判明した。多くの友達や先生に支えられて保育園からずっと地元の学校で学ぶことができていたが、中学3年生の頃には、病気が進行して文字を十分に読むことができなくなった。当時の沖縄では統合教育が進んでいなかったため、2学期から沖縄盲学校へ転校し、高校入学を目指して点字の習得に励んだ。
高校は現在の筑波大学附属視覚特別支援学校高等部へ入学したが、点字の知識が授業にしっかりついていけるレベルではなかったし、数学や英語など中学までの勉強で遅れがあったので大変苦労した。盲学校に入って嬉しかったことといえば、好奇心が満たされるのを感じたことだ。通常学校であれば、たとえば興味をもったものに対して「見せて」と言いながら触りにいったら「ダメ」と言われてしまったり、何かを探すのに手探りをしてしまうことが恥ずかしいという思いがあって触ることを我慢しているときがあった。けれど盲学校では「危険なものでなければ触っていい」と、むしろたくさんのものに触ることが推奨されていた。自分の世界が広がっていくのを感じた。
現在は日常生活でも仕事でも点字に関わる機会が多く、自分の生活にとって欠かせないものになっている。読書が好きでサピエ図書館もよく利用しており、記憶に残したいものは指から読んだほうが残りやすいから点字で読み、気軽に読みたいものは音声を聞くというように、点字と音声で使い分けをしている。仕事としては点字図書館に勤めているので、利用者への情報発信や点字指導、点訳者をはじめとするボランティアの育成、市民への障害者に関する正しい知識の啓発といった形で、点字や視覚障害に関わっている。
最後に、点字に関わって20年になって、多くのものを指先や手のひらから感じて理解できるようになった。仕事でもプライベートでも点字なくしては成り立たない生活を送っている。今後もいろいろな場所に出かけたり情報を仕入れたりして、「点のめぐみ」に感謝しながら生活の質を高めていきたいとまとめた。
3日目には、エロシェンコ生誕125周年事業として同氏に関する講演や資料の展示、エスペラントのミニ講座などが開かれた。
まず、エスペラントについての簡単な講座が開かれ、参加者が挨拶やお礼の言い方などを学んだ後、引田秋夫氏による講演「エロシェンコと官立東京盲学校」が行われ、その生涯や日本での活動について語られた。
ワシリー・エロシェンコは9歳でモスクワの盲学校に入学し、イギリスの王立盲師範学校を経て1914年に来日する。勉学に励みながら当時の文化人や知識人たちと交流し、童話作家としてデビューした。また、彼の思想形成に大きな影響を与えたものとして、ホマラニスモ(言語や宗教の違いを原因とする不和や憎悪を解消したいという概念)と、あらゆる偏見を捨てていかなければならないとするバハイズムが挙げられた。
東京盲学校ではあん摩とマッサージを学んでいたが、通常の留学ではなく特別研究生として入学が受け入れられていたので、修了証書をもらっても資格免許はとらなかったのだろう。教育課程も通常と違ったものが設けられており、朝や放課後の課外授業で日本語指導やあん摩実習を受けていた。ほかの生徒からは、日常会話では差し支えなく日本語が使え、体格が良く力もあった上、技術もなかなか上手な人物であると見られていた。また、盲学校の学芸会ではバラライカ(ロシアの民族楽器)やバイオリンを披露する。日本を去った後は、ソ連のトルクメン共和国(現・トルクメニスタン)のクシカというアフガニスタン国境付近にある小さな村に「盲児の家」という盲学校を作り、最初10年あまりは校長として、その後は一教員として働いており、教育者としての一面ももっていた。
休憩を挟んだ午後には、岸博実氏による講演「エロシェンコと鳥居篤治郎」が、鳥居の日記を資料にして行われた。
1914年に東京盲学校に入学した鳥居は、しばらくしてエロシェンコと出会う。日記は毎日書かれていたものではなく、印象的な出来事があったときにまとめて書かれているため、断続的な記録しか残っていない。そのため二人が最初に出会った日のことも、残念ながら記載されていなかった。しかし、一月分だけで15回もエロシェンコが登場している月もあり、それだけで彼らの関係の深さがわかる。
密度の濃い交流をしていた二人だったが、時間が流れロシア革命の頃になると、考え方の違いから関係が少しずつ崩れ始める。「確実なる相違点を生じ共鳴するところ少なし」という記載があり、その頃にはかなり厳しい食い違いが存在していた。
最後に、時代のなかを一心に生きた若い二人がどうぶつかり合い、物語をつむいでいったのかについて知る素材として、この日記が役立ってほしいと願いを語った。
そのあと、東京バラライカ・アンサンブルのトリオ・マトリョーシカによるバラライカ演奏でロシア民謡などが披露され、エロシェンコ生誕125周年事業のすべての講演は終了した。
サイトワールド2015では、講演のほか3日間を通してたくさんの企業・団体が出展していた。洋服の色を示すタグや、Lサイズ点字(点やマスの間が広く、点が少し高くなっている点字)、光る点字ブロックなどが紹介されており、会場は終始多くの人で賑わっていた。(菊池惟菜)
緊急座談会の「盲導犬ユーザーの交通事故死を受けとめて」で、車両の自動停止装置が話題になりましたが、「もうすでにあるのに!」と思われた方も多いのではないでしょうか。今、テレビでは自動ブレーキのクルマのCMが花盛りだからです。
このシステム、正しくは「衝突被害軽減ブレーキ」といい、自動車に搭載したミリ波レーダーや赤外線、デジタルステレオカメラからの情報をコンピュータが解析し、ドライバーへの警告やブレーキの補助操作などを行うものです。ところが、このシステムはまだ完璧なものではありません。
メーカーによって、価格帯によって違いますが、その日の天候や環境によって誤認識があり得るのです。このため、自動ブレーキに頼り切った運転は厳禁とされ、仮に自動ブレーキが作動しなかったとしても、その責任はドライバーにあります。
安全技術の導入には高い精度と、それに見合う品質を確保しなければならないので、現行法では車を止めるのは、あくまでもドライバーということになっているからです。そして、ドライバーがブレーキを踏み忘れたときに、次善の策として自動的に作動するのが「衝突被害軽減ブレーキ」なのです。
ところで、大型トラックによる追突事故の死亡率は乗用車の約12倍と高く、自動ブレーキにより追突事故の死亡事故件数の約80%が削減すると見込まれており、近い将来義務化されそうです。ただし、大型商用車は車重が重く積載量も大きく変化することから自動停止性能については技術的な課題が多く、その場合もあくまで「衝突被害軽減」ということのようです。
いつも「リレーエッセイ」は5ページなのですが、今回の「スピーチの機微は時間にあり」は、著者の都合で4ページとなりました。「短いというただ一点で好感がもたれます」という趣旨なので、内容に沿って短めにまとめていただいたものと思われます。(福山)
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