「わたし新幹線の切符は中野駅で買うの」と古くからの知人が言ったので驚いた。JR中央線中野駅のみどりの窓口はとても親切なのだと彼女は絶賛するのだが、私鉄沿線に住む彼女にとって最も便利なJRの駅は、職場の最寄り駅である高田馬場駅のはずである。
中野駅周辺には別の用でちょくちょく行くようで苦痛ではないのだろうが、それにしても別途交通費がかかるし、通勤の動線から考えると、往復5分と1時間ほども違うので、これはちょっと尋常なことではない。
「高田馬場駅には不親切で怖い駅員がいるの」と彼女が言ったので、思い当たって「女性ですか」と聞くとうなずいた。
ふた昔以上も前の話だが、国鉄時代であっても「東京から大阪まで」と言えば、ぶっきらぼうにでも往復か、片道か聞いてくれたものである。ところが、くだんの女性駅員は自動的に障害者割引と介助者割引の乗車券を片道で発券した。「あっ!」と思ったが、買いなおすほどのことでもないと思い直し引き下がったが、そのしれっとした顔に、わたしは確信犯の横顔を見た思いがした。
東京、大阪間は距離がほんの少し足りないため、往復割引が適用されない。もちろん都内みどりの窓口の担当として、これは初歩的な知識であり、その上での手抜きなのである。料金は変わらないから、文句をいわれる筋合いはないというわけである。
事務的というより機械的な彼女の処理に職務上の瑕疵は、あるいはないのかも知れない。しかし、彼女は自動券売機ではなく血の通った人間で、旅客輸送業は客商売ではないのか?
視覚障害者が駅窓口で申し込めば、新幹線の指定席まで案内してくれ、到着駅では迎えに来てくれ、リレー方式で全国どこの駅にでも行けるのは世界に冠たる素晴らしいサービスである。まさに国鉄時代とは隔世の感である。
だが、視覚障害者の乗降客が非常に多い駅で、一人の心無い駅員の機械的対応で積年の努力が台無しになっているとしたらとても残念なことである。(福山)
【横浜市立盲特別支援学校(横盲)に集まった点訳ボランティアグループが、『くもんの学習小学国語辞典』改定第4版(村石昭三監修、2011年、くもん出版)を点訳し、このたび同校のホームページ上で公開した。
そこで、10月1日にボランティアグループとの調整等に当たった同校図書館運営員の野口豊子さんと、点字使用者の立場から監修に当たった同校高等部専攻科理療科教諭の岩屋芳夫さん(日本点字委員会委員)に、点字国語辞典が完成するまでの経緯などを同校図書館で聞いた。取材・構成は本誌編集部戸塚辰永】
点字国語辞典を作るきっかけは、昨年(2014)9月に、小学部5年の担任教諭から次のような切実な訴えがあったことだった。
「小学生用の点字国語辞典がありますが、子供たちに引かせても、内容が古すぎてIT用語が載っていません。辞書を引かせる練習をさせたいのですが、見出し語が載っているか、前もって確認しないと、辞書を引かせることすらできません。小学生向けの新しい点字国語辞典を紙媒体で作ってもらえませんか」。
この教諭が、ある程度見出し語がしぼられて小学生に使いやすい『くもんの学習小学国語辞典』を選んだので、野口さんを通じて、横盲の図書館にかかわる点訳グループに打診すると、野口さんが所属するグループに加えて神奈川県内の8グループ100人以上が快く協力してくれることになった。
パソコン点訳者として20年以上活動している野口さんは、あらかじめ各グループに辞典のサンプルを渡し、問題点をあげてもらい、それらを整理した。そのうえで、11月にミーティングを開き、各グループの希望する分量で、かつ切りのいいところで巻割りを決めた。
初校までグループ内で行ったため作業はスムーズに行き、6月まで点訳にかかる見込みが、2月末には全28巻、3600ページ余の点訳が完了。
その後、野口さんの所属する点訳グループが再度校正を行い、この8月末、ついに点字国語辞典が完成したのだった。
『くもんの学習小学国語辞典』には、見出し語が約2万5,000語あり、例文も豊富だ。また、小学生が見て分りやすいようイラストや図を多用しており、巻末には、漢字一覧や年表もある。だが、この国語辞典の点訳に当たっては、児童が紙の辞書を手軽に引くことを重視し、「なるべく早く授業に使いたい」という先生からの要望もあった。
野口さんと岩屋さんは、例文の掲載も検討したが、巻数が増えすぎるため取りやめた。そのほか、点訳になじまないイラスト、漢字一覧などもバッサリとカット。こうして点字辞典は、見出し語と意味のみというシンプルなものとなった。
辞書点訳では、点字表記の統一が一番の問題であった。そこで点訳経験の豊富な人からアドバイスを受けると共に、既存の点字国語辞典のレイアウトも参考にした。
しかし、いざ点訳にとりかかると質問が続出した。例えば、「いちばん」という見出し語で、点字では「1番」と書く場合と、「いちばん」と書く場合が意味によって異なる。他にも音楽や数学記号をどう処理するかも難問であった。
また、原本の見出し語の並び順を勝手に変えることはできないので、見出し語は点字表記法を使わず、「どー」を「どう」というように墨字の仮名表記どおりに点訳した。そして難問には、その都度岩屋さんの助言をあおいだ。
それでも、「鍵かっこでくるまれた単語が並列されている場合、単語間のます空けを一ます空けにするか、二ます空けにするか、後で同様の例が出た時、対処できるのか、大変悩みました」と野口さんは語った。
「ボランティアからいろいろと質問があがってきましたが、例えば補足説明が項目全体にかかるのか、直前の項目のみにかかるのか、聞いただけでは分らないので、プリントアウトしてもらい、点字を読んで前後関係からレイアウトやます空けを判断しました」と岩屋さんも振り返った。
どのグループも点訳の実力は十分だが、それでも国語辞典の点訳となると、不安も出てくる。複合動詞の切れ続きなど統一をはかる上で問い合わせがあり、野口さんはグループ間の調整にメールのやり取りで対応、問い合わせ事項と答えを各グループに一斉送信し、問題の共有化をはかった。
「電子辞書を使う前に、やはり国語を学ぶ上で紙の辞書になじませたいという思いがあります。今年4月から先生と児童が、点訳していただいた国語辞典を引いている様子をよく見かけます。他の先生方も『何でも載っているから嬉しいです』と言ってくれます」と彼女は喜ぶと共に、点訳ボランティアのがんばりぶりに感謝した。
「例文や付録はありませんが、全28巻というボリュームもあり、小学生の学習には十分な国語辞典です。ぜひ、ほかの学校や統合教育を受けている点字使用の小学生に使ってもらいたいものです。よく使う外来語は見出し語のあとにアルファベットの表記も載っているので、大人も便利です」と最後に岩屋さんはPRも忘れなかった。
『くもんの学習小学国語辞典』点字版は、横盲ホームページからダウンロードできる。
突然の知らせであった。9月30日(水)朝、私は通勤途上で、JR中央線の電車は四ツ谷駅を通過していた。突然携帯が鳴った。どうも私らしい。慌てて取ったところ、「近藤の息子です。今朝、5時過ぎに父が亡くなりました」と伝えられた。「エーッ」と私は絶句した。
日本盲人福祉委員会(日盲委)の事務局長だった近藤さんとは、視覚障害者選挙情報支援プロジェクトの活動でご一緒することが多かった。
しかし、9月25日(金)鉄道弘済会の「第45回記念朗読録音奉仕者感謝の集い」で同席したのが最後になった。
その帰り道、弘済会館から四ツ谷駅まで一緒に歩いたが、いつもより口数が少なく、身体の調子が悪そうだった。「疲れている」とは思ったが、それは視覚障害者の文化と最先端のテクノロジーを展示する大イベント「サイトワールド」の開催まで後1カ月なので、私はそれが原因だと思っていた。
選挙プロジェクトは国政選挙前に点字表記がバラバラにならないよう、プロジェクト参加施設を集めて点字選挙公報の統一化をはかるため、東京・大阪で「研修会」を開いていた。
近藤さんは「これは当然、総務省の後援を得ているよね」と言ったが、「それはない」と答えると、「いいことなのに、それはおかしい」と腰を上げた。
それ以来、総務省に出かけた時は必ず担当課に出向き、研修会の後援名義を出してほしいと申し入れた。
担当課は「そんなことしたことがない」とか、「会場は何人はいれて、もし災害が起きたら、対応できるプランがあるか」と細かなことを要求してきた。
視覚障害関係の仕事に入る前は、外交の仕事を手がけた経験のある近藤さんは、苦もなく受けとめて、とうとう研修会に「総務省後援」という看板を出すことに成功した。
近藤さんは、よく人の話を聞き、自分の言いたいことは丁寧に説明し、その中から共通点を見いだしてことを運ぶ術を心得ており、穏やかな中にきちんと筋を通す人だった。
10月1日(木)の通夜で、「私はこの事態をまだ信じられません」と田中信明神父は切り出した。
神父は近藤さんの大学時代から聖ドミニコカトリック渋谷教会で、共に信徒の世話をする仕事と取り組んできた仲間である。
そして、彼の働きぶりを紹介しながら、「私たちの教会は生きるものと死者をつなぐ役割をも果している。彼は天国で、地上の私たちを救ってくださるように、神に願っている。だから永遠の別れではない」と強調した。
通夜の式のフィナーレである参列者の献花が終わるまで45分掛かった。400人が別れを惜しんだ。
2日(金)の葬儀ミサ・告別式には200余名が集まった。田中神父は説教で近藤さんが会社退職後、視覚障害者の世界に入って活動したと晩年の働きを語った。
「点字ディスプレイなどを製作するケイジーエス(株)を定年退職後、この10年間、視覚障害者支援総合センター、日盲委と転身したが、どこにいてもみんな仲間うちのような関係にあり、目の不自由な人を少しでも自由に解放したい思いは一貫していた。
彼の霊名は、新約聖書の「テトスへの手紙」に登場する有名な聖パウロの弟子「ティト」から取られた。
〈私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現われたときに、神は、私たちが行った義の業によってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました〉。
そして、近藤さんは温かく仕事に向かい、歯切れのよい人情家だった」とその仕事ぶりを讃えた。
葬儀参列者に、喪主の直義さん(長男)・千恵子夫人の連名で、「ティト近藤義親は、皆様のご厚情に支えられ恵みに満ちた生涯を送り、平安のうちに帰天いたしました」という言葉が配布された。
人々と共に生き、温かく、前向きで、満ち足りた、素晴らしい挨拶だった。
(ロゴス点字図書館館長)
近藤義親さんには、選挙情報プロジェクトでひとかたならぬお世話になりました。通夜式で単身赴任中は、日曜日に教会で家族と会うような生活を送った熱心なカトリック教徒だということを知り、同じ信徒の高橋秀治さんに同氏を偲んでいただきました。
神戸市立盲学校の理療科教員をながくされ、フランス留学の経験もあり、華やかな印象の畠田武彦さんが9月19日に逝去されました。享年86。本誌にも折々にご寄稿いただき、世間話がてら情報提供もしてくれる方でした。ご冥福をお祈り致します。
本誌「国境を越えて学ぶ」連載中の石田由香理さんの修士論文「イギリスにおける視覚障害者の学校教育とアイデンティティ形成・社会参加の関連性」が、このたびサセックス大学を優、良、可、不可の「優(Distinction)」でパスしました。これで彼女の修士号取得は確定しました。
今後、後輩たちが閲覧できるよう「優」の論文は、教授や博士課程の学生に配られる同大紀要に掲載されるので、学年で2、3人に限定された狭き門だということです。
彼女の論文は7月18日にほぼ完成していたのですが、それを保存していたUSBメモリーが壊れてしまい、友人の手である程度復元したものの、その後、寝る間を惜しんで3週間で書き直したそうです。しかし、それで推敲を重ねることになりかえって幸いしたのかも知れませんね。
その合間に、小誌の連載原稿も書いていただき、その原稿の添え状には「修論をあと300ワーズ(A4サイズで1ページ弱)書かないと寝られないんです」という、悲鳴のような言葉も書いてありました。心配していたのですが、シェークスピアの戯曲ではありませんが、「終わり良ければ総て良し(All's Well That Ends Well)」ということでめでたしめでたし。(福山)
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