THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2015年1月号

第46巻1号(通巻第536号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:怒濤の点字選挙公報製作 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
世界盲人連合アジア太平洋地域協議会中期総会に参加して ・・・・・・・・・・・・・・
5
らくらくホン8・らくらくホンベーシック4発売中! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
17
弁護士業はサービス業 〜 竹下弁護士が講演 〜 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19
有資格者カード発行へ 〜 資格を証明する看板も 〜 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
近代盲人業権史 (3)鍼灸按営業取締規則 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
自分が変わること (67)秋田での出会い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
34
仏眼協会盲学校へのレクイエム ― 空襲で消えた我が母校
  (12)瀬川正雄先生 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
39
大阪府盲に柔整科が新設 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
44
リレーエッセイ:カナダで見つけたこと、見つけたいこと ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
外国語放浪記 (81)機上の悲喜こもごも ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲、記録の裏側・ホントはどうなの!?
  (149)平成26年の大相撲を振り返る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
(新連載)国境を越えて学ぶ @入学前から嫌な予感(上) ・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:iPSで筋ジス遺伝子修復、原爆テーマの絵本をデイジーに、
  小学校でゴールボール体験、メモデバイス「ドッツ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:日点防災イベント、シティ・ライツ同行鑑賞会、
  チャリティ和一寄席、劇団ふぁんハウス公演 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
怒濤の点字選挙公報製作

 11月9日まで安倍首相は「解散は考えていない」と語っていたが、翌日急変し、11月11日付新聞朝刊各紙一面には「解散」の文字が踊った。そこで間髪を入れず、日本盲人福祉委員会選挙プロジェクト点字版部会事務局は動き、在京の事務局メンバーで、翌日の11月12日午後当点字出版所会議室において緊急事務局会議を開催。そして価格を決定し、11月13日中に「注文書の締め切りは11月20日」と明記した案内状を各選管に送付。その後、準備態勢の進捗状況を確認しながら、矢継ぎ早に点字版部会事務局会議・全体会議、点字・音声・拡大文字版合同会議を11月中に開催した。
 その間にも11月21日解散、12月2日公示、12月14日投開票で総選挙を行うことが閣議決定された。なんと解散から投票日までは、たった23日である。
 当編集課は11月末で辞める職員と、点字教科書作成に忙殺される製版課を応援するためベテランが11月から2人転出した。このため11月から2人を新規採用したが、その新入職員研修が終わるやいなや、2人は選挙業務の大旋風に巻き込まれたのであった。
 とまどったのは新人だけではない。とにかく時間がなくて準備不足のまま選挙戦へ突入したので誰もが不安でいっぱい。「印刷機の整備が間に合わないかも知れない」と技師は蒼白になった。
 しかし、蓋を開けてみると野党の選挙協力もあって、小選挙区の立候補者が全体で前回の26%も減少。さらに前回の総選挙から2年しかたっていないため最高裁判所裁判官国民審査の対象者は前回の10人から5人へと半減しており印刷枚数も激減。
 こうして準備段階では緊迫した局面もあったが、終わってみれば全員のがんばりで準備不足を克服して、点字版に加えて音声版の選挙公報もその製作は、当初の計画より前倒しして、あっけないほど順調に完了したのであった。(福山)

弁護士業はサービス業
〜 竹下弁護士が講演 〜

 昨年(2014)11月25日(火)18時半〜21時、東京都千代田区の東京中小企業家同友会事務所のあるKTビルで、同会障害者委員会の例会が開かれた。20時から竹下義樹日本盲人会連合会長が、「障害者委員会の設立経緯と理念について〜日本初の全盲の弁護士 竹下義樹氏が語る〜」という題で講演を行った。
 竹下義樹氏が弁護士登録したのは、昭和59年(1984)。勤務先であった京都法律事務所の弁護士全員が京都中小企業家同友会の会員だったこともあり、「お前も入りなさい」と所長から言われて、中小企業家同友会(以下、同友会)に入会した。当初は、お客様扱いされ、あまり居心地がいい所ではなかったが、「居場所を作ってください」と下京支部長に話したところ、幹事役を与えられ、喜んで引き受けた。支部幹事は雑用も多いが、仲間としての帰属意識が持てた。
 翌年(1985)1月に同友会主催の第2回障害者交流集会が京都で開かれ、竹下氏が講演し、問題提起したことで、その後の同友会の障害者への理念に道筋がついた。これを機に、彼は会活動にどっぷりはまって行くこととなる。
 竹下氏が司法試験に合格したのは、昭和56年(1981)で、ちょうど国際障害者年。国連が障害者の完全参加と平等を理念に掲げ国際的な活動を始めた年であり、この理念が彼の弁護士活動のバックボーンとなっている。
 同年、同友会も障害者問題を考えようということで、青年部が中心となり活動がスタートし、昭和58年(1983)滋賀県で第1回障害者交流集会が行われた。当時の会員は、障害者の雇用もあるが、むしろ障害者といっしょに考えたり、行動できるかを模索した。
 隔年で障害者交流集会を開いているうちに、障害者問題委員会(以下、委員会)を立ち上げようという気運が各地でわき起こり、何を議論すべきかが問題となった。雇用はもちろん、障害者について学ぶこと、家族・親戚・従業員・知り合いに障害者がいて、悩みを互いに話せる場にすること、支えると支えられるという関係ではなく、お互いが影響し合う関係、すなわち平等・対等な関係を築くことを委員会の基礎とした。
 当時、竹下氏は仲間と共に施設に泊まり込みでボランティア活動もした。また、障害者雇用では職安の担当者を招いて学習会も何度も行った。同友会が全国に拡大する中で、障害者問題を同友会全体で考えようという姿勢があり、その理念は今もなお引き継がれている。
 そのうち、同友会の会員が起業し、障害者を雇用し始め、実践段階にいたる。そうした企業に行き、障害者の能力をどうしたら引き出せるかを話し合った。また、特徴的だったのは、障害者の働く場を広げるだけでなく、企業のイメージを変える、従業員の思いを変える、企業の活性化を導くことが障害者雇用によって産まれた。当時、委員会や同友会で活動してきた仲間は、30年経ても人間の繋がりとして続いている。「障害者をお客様ではなく、仲間として扱っている会は、中小企業家同友会しかない」と竹下氏は断言する。
 話は現在になるが、昨年(2013)障害者雇用促進法の改正により、障害者差別の禁止、合理的配慮義務が雇用主に課された。これにより、障害者雇用者数も雇用率も伸びてきたが、事業所での障害者虐待も増加している。障害者を雇った事業所が虐待する。福祉施設も障害者を虐待するという情けない現実があると述べた。平成25年度だけでも4,600件を超える虐待がある。「これは悲しすぎますよね。障害者を建て前で雇って起こるのはやはり虐待ですよ」。お客様として、障害者を雇えばキャンペーンになる。補助金が貰えるという企業は腐るほどある。企業が営利性を追求することと、障害者を理解し、きちんとした人権・人格、それぞれが従業員として対等・平等な関係を作り出すことは、口で言うほど楽ではないと述べ、虐待の実数が障害者への企業の姿勢を端的に示していると指摘した。そうした虐待をなくしていくことが、委員会の活動の柱だと呼びかけた。
 もう1つは、望月優氏や初瀬勇輔氏や大胡田誠氏といった視覚障害者が同友会に入り、主体的に対等な立場で活動している。かつてお客さんとして扱われていた30年前と比較して、同友会が新たなステージに踏み込んでいることに、竹下氏は喜びを感じている。
 弁護士活動を始めて4、5年、新聞で「全盲弁護士」という肩書きで報じられた。ある日、朝日新聞の記者に「全盲弁護士・竹下義樹ではなく、弁護士・竹下義樹と書いてもらえないか」と要望した。それから、「全盲」という語句はなくなったが、ただの「弁護士・竹下義樹」では記事を読んでいても自分が書かれているのも感じなくなっていたことに気付き、先の記者に「全盲」を付けるよう頼んだ。「弁護士として生きて行くことと全盲の経営者であることは分けることのできない1つの問題なのです。竹下という存在は、全盲という竹下が弁護士をやっているわけで、全盲という属性を抜いたら竹下ではないわけです」と説明した。
 「どの事業所も、企業家も、とりわけ中小企業は経営者の顔が見えないとだめ。弁護士業もサービス業だから、個性が見えない弁護士はだめ」と言う。
 京都法律事務所の頃竹下氏は、10月までに年間のノルマを達成すること、常に先頭に立つことを目標に決め、実行した。8年半勤めたが、初年度を除き、毎年弁護士の中でトップの営業成績をあげた。弾圧事件などが起こると、事務所から夜中に電話が弁護士全員にかかってきたが、竹下氏はかならず一番に事件現場に駆けつけた。これには、晴眼も全盲も関係ないからだ。
 さらに、自分の売りを作ることを常に意識し、医療過誤、障害者問題、社会保障全般を売りにした。現在でも、障害者問題、社会保障の問題にたずさわり、今、日弁連貧困問題対策部長代理の任にある。
 「僕には貧困問題で30年間突っ走ってきたという自負があります。また、障害者問題を30年間やって来たことを誇りに思っています」と述べ、講演を締めくくった。(戸塚辰永)

有資格者カード発行へ
〜 資格を証明する看板も 〜

 【11月19日(水)16時から、小川幹雄日本盲人会連合あはき協議会会長・島根県視覚障害者福祉協会会長(71歳)に携帯カード型の「免許保有証明書(仮称)」など有資格者をアピールする方法について電話インタビューした。取材・構成は本誌編集部・戸塚辰永】

何故カードが必要か?

 あはき等法推進協議会(あはき推進協)は、これまで厚生労働省にあん摩・マッサージ・指圧師、はり師、きゅう師の免許状を携帯しやすいカード型免許にするよう要望してきた。しかし、厚生労働省は、1資格につき免許を2枚発行することはできないと回答して、免許のカード化は実現しなかった。そこで、あはき推進協は昨年(2014)4月から「有資格者を示すカード」の発行を厚生労働省に要望して、これは認められ、2015年4月以降準備が整い次第、免許保有者はカードの申込みが可能となる。
 カード化のきっかけは、2012年に国民生活センターが手技療法による危害事例を発表し、無資格者による事例が大半を占めたことだった。あはき推進協は、無資格者の施術から患者を守るために、「免許保有証明書(仮称)」(以下、カード)の発行を厚生労働省に強く要望。その結果、同省の依頼を受けて東洋療法研修試験財団がカードを発行する運びとなったもの。
 カードは、クレジットカード大で、本人確認用の顔写真にあん摩・マッサージ・指圧師、はり師、きゅう師の有資格者である旨が記載されている。カードの申請はあはき推進協加盟7団体(日本盲人会連合、日本あん摩マッサージ指圧師会、全国病院理学療法協会、日本理療科教員連盟、全日本鍼灸マッサージ師会、日本鍼灸師会、東洋療法学校協会)で申請書類を受け付け、同財団へ送ることでカードが発行される。また、カードには、どんな研修を何回受講したかといったデータも書き込むこともできる。正式なカードの名称と発行手数料等は、1月末に決定する予定である。
 小川会長は、施術所経営者にカード所持の意義をことあるごとに話している。カードを携帯するメリットは、とくに出張業務に当たる施術者が患者にカードを提示することで、より信頼が増す。「有資格者を示すカードが発行されても、所持者が少なくては無資格者との差別化をはかるという意味が薄れてしまう。あはき推進協7団体に加盟していない施術者にカードを持つ意議を広報・宣伝し、1人でも多くの有資格者にカードを持ってもらいたい」と呼びかけている。

看板によるアピール

 次に、施術所の看板について小川会長は、鳥取県と島根県の取り組みを紹介した。あはき等法では、看板広告に厳格な制限がある。鳥取県では、同県産の木材を使用し、免許登録を受理した保健所長の署名と印を押したおよそ2万円の看板が、5割から6割の施術所に掲げられている。島根県でも県に要望したところ、成果があがった。看板は風雨に強い材質で、そこには島根県に届けられたあはき国家資格取得者が施術する施術所であること、島根県の名が記載されている。この看板は今年(2015)1月から島根県内全施術所に送られる。これまで、国家資格取得者である旨を記した紙は、都道府県レベルで22自治体で配られている。だが、紙のため風雨に弱いので、患者の目にとまるよう、外に掲げるのが難しいこともあり、効果的とは言えなかった。小川会長は、「資格を証明することは自治体に責任がある。未だに半数以上の自治体が何も対応していないのは、あまりにも無責任ではないか」と憤る。
 基本的にあはきと柔整施術所の指導・監督は県レベルの自治体にある。だが、最近県の持つ保健所権限が市に移管できるようになり、これにより、保健所の指導・監督が行き届きやすくなった。「ある市では、柔整施術所の看板を点検したところ、柔道整復師法の広告制限に違反するケースが多くあった」という。県レベルでは違法広告の指導・監督は、人員不足で難しい。「市レベルに移ることで、柔整師だけでなく無資格者の取り締まりが今後進むだろう」と小川会長は語った。

編集ログ

「世界盲人連合アジア太平洋地域協議会中期総会に参加して」に、田中徹二先生は書いておられませんが、今回の中期総会の舞台裏では、北朝鮮から視覚障害当事者を代表として呼ぼうと盛んに運動が行われました。
 招聘活動を行ったのは、本誌2014年5月号でインタビュー「私の仕事はケンカです」に登場していただいたドイツ人聾者のロバート・グルントさんが所属するNGO「トゥギャザー・咸興(ハムフン)」です。このNGOの代表は女性で視覚障害者です。
 北朝鮮は長く障害者の存在自体を否定してきましたので、障害者がパスポートを取ること自体、従来はあり得ないことでした。ところが、2012年8〜9月にロンドンで開催されたパラリンピックに同国が初参加して、少し様子が変わりました。
 今回のWBUAPの会場は中国の領土である香港ですから、北朝鮮としても派遣しやすい環境にありました。そして実際に北朝鮮の視覚障害当事者に、政府が渡航許可を出したのです。
 ところが土壇場になって、北朝鮮代表は香港に来られなくなりました。理由は北朝鮮政府がエボラ熱感染を懸念し、外国人観光客の入国を拒否すると共に、自国民の出国も認めなくなったからです。外貨不足に悩む同国は、エボラウイルスが国内に入ってきたら手の施しようがないので、国境を閉ざしてしまえと考えたようです。ちょっと常識では考えられませんが、これもお国柄というべきでしょうか。
 まさかの自民党の大勝。安倍首相はまさにしてやったりでしょう。しかし、「巻頭コラム」に書いたように、いわゆる「点字選挙公報」を作製した我々は、緊急に呼び出されて会議を行い、その準備のためにおおわらわとなりました。解散から投票日まではせめて30日ないと、たった23日では最低限の準備もままならないのです。このため無理に無理を重ねて、つい恨み節も出てきます。(福山)
 2015年が皆様にとって明るく平安でありますよう、編集部一同お祈りいたします。

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