国際政治と経済を中心とした英国の週刊新聞に『エコノミスト』がある。同社が162カ国を対象に22項目にわたって分析し、各国(地域)がどれくらい平和かを相対的に数値化したものが、世界平和度指数(グローバル・ピース・インデックス)である。このリストは2007年5月に第1回が発表され、本年6月18日に8回目にあたる2014年の世界平和度指数が発表された。
それによると日本は世界162カ国中8位で、調査開始以来連続してアジアの中で最も平和な国と認定されている。
同リストでは世界地図が平和な順に5段階に色分けされているので、それを便宜的に「とっても平和」「やや平和」「ちょっとヤバイかも?」「物騒」「めちゃくちゃ物騒」に区分けした。
以下、近隣諸国や主要国を思いつくままにリストアップした(括弧内は162カ国中の平和な順番)。
とっても平和:アイスランド(1)、ニュージーランド(4)、日本(8)、スウェーデン(11)、オーストラリア(15)、ブータン(16)、ドイツ(17)、シンガポール(25)、台湾(28)。
やや平和:マレーシア(33)、イタリア(34)、ラオス(38)、モンゴル(41)、ベトナム(45)、英国(47)、フランス(48)、韓国(52)、インドネシア(54)。
ちょっとヤバイかも?:ギリシャ(86)、ブラジル(91)、バングラデシュ(98)、米国(101)、スリランカ(105)、カンボジア(106)、中国(108)、南アフリカ(122)、タイ(126)。
物騒:ミャンマー(136)、メキシコ(138)、エチオピア(139)、コートジボワール(140)、ウクライナ(141)、インド(143)、エジプト(143)、イスラエル(149)、コロンビア(150)。
めちゃくちゃ物騒:ロシア(152)、北朝鮮(153)、パキスタン(154)、スーダン(157)、ソマリア(158)、イラク(159)、南スーダン(160)、アフガニスタン(161)、シリア(162)。
このたび集団的自衛権をめぐり国論が二分されたが、このような議論が起きること自体、わが国が「とっても平和」な証といえるかも知れない。(福山)
『絵はがきにされた少年』(集英社)で第3回開高健ノンフィクション賞を受賞し、現在本誌で「自分が変わること」を好評連載中の藤原章生氏の新著『世界はフラットにもの悲しくて ― 特派員ノート1992-2014』が発売された。
藤原氏は1961年福島県常磐市(現・いわき市)生まれ。北海道大学工学部を卒業後、住友金属鉱山に入社。1989年、毎日新聞社に入社し記者に転じる。ヨハネスブルク特派員、メキシコ市支局長、ローマ支局長などを歴任。2014年4月より地方部・デジタル報道センター編集委員を務める。
本書は、藤原氏が特派員としてラテンアメリカやアフリカなどにいたときの体験を中心に綴ったエッセイ集で、同氏が自ら撮影した写真が随所に添えられている。全9章46篇に分かれており、章ごとに「路上の生」「死」「女」「神」などのテーマがつけられている。しかし、“テーマありき”でがっちり固められ、結論を押しつけているわけではない。
舞台の多くが、内戦の激戦区や難民キャンプなどであるため、どうしても過激な場面や描写が多くなる。しかし、読了して印象に残るのは、にわか雨で洗濯するホームレスや、風が渡る砂丘で自転車を押す少女といった、その土地で生きる「人々」の姿だ。エルサルバドルで、20代のひとときをともに過ごした女性ゲリラを19年後に訪ねるなど、時代や国境を越えた交流が描かれる。
絶妙な一瞬を捉えた写真が、さらに読む者の想像力を後押しする。
インド・ニューデリーの喧騒の中、押し寄せ取り巻く大勢の人々に接した藤原氏は、本書の中で次のように述べている。
「そんな人々と言葉を交わしながら見た最初の光景が、喧騒という言葉そのものだと私には思えた。喧騒とは、無数の人間が放つエネルギーのことだ」。
紛争地域や貧困国の現実を知るとともに、そこで生きる人々のエネルギーを感じ取れる1冊である。(株)テン・ブックス刊、定価2,500円+税。現在、当協会点字図書館で点訳中。(丸山旅人)
僕は、視覚障害者柔道の選手として北京パラリンピックに出場し、今も日本代表として活動しています。また、3年前に潟ニバーサルスタイルを設立し、障害者の雇用支援を行っています。
たまに、僕は本を読むために生まれてきたのかもしれないと本気で思います。バカがつくくらいの読書好きの僕の本との付き合い方を書いていこうと思います。
僕が緑内障になり中心視野を失ったのは2004年でした。当時、法学部に在籍し弁護士を目指していた僕にとって文字が読めなくなることは大きな挫折となりました。退院後、何もできなくなってしまったと思っていた僕も何とか1人で歩けるようになり、らくらくホンを手にすることで携帯も、音声ソフトと出会ったおかげでパソコンも使えるようになりました。でも、そこに本の世界はありませんでした。
目が悪くなった僕は痛切に本が読みたいと感じていました。小さいころからの読書好きで漫画から小説や、新書、専門書にいたるまで読むというものに関しては手当たり次第乱読していました。将来は弁護士をやりながら、漫画喫茶なんか経営できたらいいなと本気で考えていました。そんな読書好き、活字中毒の僕が文字を読めなくなってしまったので大変です。何とかして本を読もうと挑戦の日々が始まりました。
最初、拡大読書器を試してみました。14インチのモニターにひと文字ひと文字を映し出して読んでいきました。1ページを読むのに10分以上かかるうえにまったく内容が入ってきませんでした。数カ月チャレンジしてやめました。僕の残っている視野では難しかったようです。
次に試したのがスキャナで読み取ることでした。初めてやってみたとき、これだと確信しました。読み取りを間違ったり、1冊の本を読むのに何十時間もかかったりと気になることはたくさんありましたが、僕に本が戻ってきた喜びは大きかったのを覚えています。その日から大学に行っている時間以外はほとんどパソコンの前でスキャナで読書の日々でした。
そんな楽しい日々も終わりがきます。スキャナでの読書では本を読むのにあまりにも時間がかかってしまいます。本屋に行ってもほしい本も探せないので、別の方法があればなと思っていました。
僕は大学在学中に目を悪くし、そのまま大学に通っていたので視覚障害の知人が1人もいませんでした。そんな僕に視覚障害の仲間と出会うきっかけとなったのが視覚障害者柔道でした。初めての国際大会に出場したときのことです。どういう流れで本の話になったのかわかりませんが、読書の話になりました。テープとか点字図書館とか聞きなれない単語が飛び交っています。視覚障害者は点字で読書をするものと思い込んでいましたが、テープ図書というものがあることを知った瞬間でした。このときの試合で僕は個人戦で1回戦敗退。敗者復活戦でも1回戦敗退、あげくに団体戦で2敗と0勝4敗とさんざんな結果でしたが、視覚障害の仲間ができたこととテープ図書と出会ったことが大きな財産となりました。もちろん帰国後すぐにテープレコーダーを購入したことは言うまでもありません。
テープ図書と出会ってからの読書は今までと一変しました。まさに革命でした。その日からポケットにはテープレコーダー、耳にはイヤホンが僕の定番となりました。今までスキャナでがんばっていた時間を取り戻すようにむさぼり読みました。歩いているとき、電車に乗っているとき、食事中もトイレもお風呂もすべてテープ図書とともに歩んできました。そんな蜜月時代が数年続きました。
テープとのお別れもやってくる時期がきました。PTPとの出会いです。初めてPTPと出会ったのも柔道の国際大会のときでした。おそるおそる触らせてもらったそれはとても小さく、不安になるくらい頼りなく感じました。すでに使用している先輩はPTPの良さについて熱く語ってくれました。「充電できるから電池を持ち歩かなくていいし、何より小さくて軽くて、これに40タイトルくらい持ち歩けるし」と僕が不便に思っていることがすべて解消されることばかりでした。長く親しんだテープと別れるのは勇気がいりましたが、使いこなせばこなすほどその魅力にどっぷりとはまっていきました。サピエでダウンロードができるようになったこともあり、今僕のパソコンのハードディスクには本のデータが1テラ、入っていて僕の私設図書館となっておりとても充実した読書環境となっています。さらに毎週、サピエの新作をチェックし、日々充実をはかっているという、まさにデイジー中毒となっています。
あまりにもたくさんの本をデイジーで読んでいるので、今年からリストを残すことにしました。いま調べてみると、2014年1〜6月の半年間で現在110冊読んでいます。移動中や仕事の合間などを利用してかなりの量を読んでいます。デイジーでの読書はとても便利で、たくさん読めるのでこれからも続けていきたいのですが、しっかりと頭に残らず聞き流してしまうことが多いと感じています。何か行動しながら読書ということが多いからかもしれません。
そろそろ点字での読書にも挑戦すべきかと感じています。点字を習ったり自分で勉強したりもしていますが、読書をできるようになるほど習熟できるか不安です。でも、点字をマスターしたとき、そこには新しい読書の世界が待っていることでしょう。その日が今から待ち遠しいですが、まずは点字を指でひたすら触る修行から始めたいと思います。
聖明福祉協会と朝日新聞厚生文化事業団が主催する「聖明・朝日盲大学生奨学金」の第46期貸与式が7月5日、都内のホテルグランドヒル市ケ谷で開催されました。今年度の奨学生は、川村実(筑波大理療科教員養成施設)、稲本剛志(大阪青山大)、川口真実(立命館アジア太平洋大)、大場一輝(東北文化学園大)の4氏で、1969年に創設され同奨学金の貸与者総数は、これで202人になりました。会場にはこの春まで同奨学生であった、「フィリピン留学記」の石田由香理氏も招かれており、連載が2年に及ぶにも係わらず、私は彼女と初対面で、珍妙な挨拶を交わす羽目に陥りました。
今号の「リレーエッセイ」の著者は、1980年に長崎県佐世保市生まれの33歳。中央大学在学中に失明し、大手人材派遣の特例子会社サンクステンプ(株)を経て、2011年に障害者雇用コンサルティングを業務とする(株)ユニバーサルスタイルを起業した方です。
元筑波大附属盲学校国語科教諭で、全国盲ろう者協会前事務局長の塩谷治先生が、6月23日、悪性胸膜中皮腫のため逝去されました。享年70。
6月29日の午後、時ならぬゲリラ豪雨で停電、冠水、交通マヒで都心が大混乱した後、東京都板橋区の戸田葬祭場で催された通夜に行くと、先生の死を惜しむ大勢の視覚障害者を含む参会者の長い行列ができていました。
本誌で先生を追悼するにあたっては、この人以外には考えられないとばかり、戸塚デスクが福島先生に無理をお願いしました。私も6月25日に全国盲ろう者協会がJICA(国際協力機構)と共催したウズベキスタン盲ろう者支援プロジェクトの報告会にて、福島先生に改めてお願いした次第でした。塩谷先生のご冥福を心よりお祈りいたします。(福山)
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