THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2014年1月号

第45巻1号(通巻第524号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:『目が見えなくなって見えてきたこと』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(新春座談会)法を活かすのは私たち
  ―― 差別解消法、権利条約、そしてパラリンピック  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
(投稿)日本食は世界の健康食 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
ラジオが告げたあの時・あの人
  「盲人の時間」から50年:人と業績A ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
自分が変わること:福島弁になじむ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
48㎡の宝箱:按摩機 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
33
アメディアが新株発行 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
音楽コンクール開催 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
39
世界を見るとはどういうことか
  〜視覚障害者の撮った世界〜  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
リレーエッセイ:「今日は何の日」1月1日(古賀副武) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
47
外国語放浪記:U2の周辺 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
大相撲:稀勢の里の綱取りなるか ―― 平成26年の角界展望 ・・・・・・・・・・・・
56
フィリピン留学記:クリスマスと大みそか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
60
時代の風:点字郵便物に関する約款改定申請、話し声で本人確認、
  ストップ秘密保護法! 視覚障害者アピール ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64
伝言板:フィリピン台風被災地への義援金、
  点字の普及啓発と資質向上のための講演会、就労支援連続講座、
  おとなのヴィンテージミュージック  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
『目が見えなくなって見えてきたこと』

 失明を乗り越え、好奇心とチャレンジ精神をばねに教育者・研究者として歩みつづけた日本ライトハウス前理事長木塚泰弘氏が、失明から60年目、喜寿を迎えたことを記念して同氏がものした随筆・対談に加え、同氏を紹介した新聞記事・雑誌記事等をまとめたものが標記の書である。発行は小学館スクウェア、定価1,500円(税別)。
 山口県の県立高校1年生のときに木塚氏は結核性眼底出血で入院、10カ月半の闘病の甲斐なく17歳で失明。自宅に帰ってくると追い討ちをかけるように、肺結核で死の淵をさまよいさらに2年間の闘病を余儀なくされる。
 木塚氏は、入院中に2人の患者と出会い新しい生き方を知る。そして、19歳のとき見えないことを受け入れて、積極的な考え方で人生の再出発を決意。病室で覚えた点字をさらに確実にするために山口県立盲学校の中学3年生に入りなおし卒業。上京して附属盲高等部本科に入学し、専攻科に進む。そして早大第2文学部の入学試験も受けて見事合格。このため、2年間は昼は盲学校専攻科、夜は早稲田という二重生活を送り、同大を首席で卒業し、その後、都立久我山盲学校教諭、国立特殊教育総合研究所で、研究員、研究室長、研究部長を歴任した後、日本ライトハウスの理事長を務める。
 ブックカバーは、長崎県五島市の大瀬埼の断崖にそびえ立つ日本屈指の光達距離を誇るライトハウス(灯台)である大瀬埼灯台を俯瞰した美しい航空写真。
 九死に一生を得たソ連占領下の満州を離れ、10歳の著者が両親と弟の一家4人で米国の貨物船で這々の体で帰国した朝、五島列島の鮮やかな緑と白い灯台が目に飛び込んでくる。そして、故国の美しさに「国破れて山河あり」という言葉とともに喜びがわき起こった。これこそ逆境を跳ね返す著者不屈の人生の原風景である。(福山)

48㎡の宝箱 ―― 京盲史料monoがたり
(34)按摩機

京都府立盲学校教諭/岸博実

 京都盲唖院の職業教育に関わって「1884(明治17)年にロンドンで行われた博覧会で金賞に輝いた按摩機」を挙げたことがある。今回は、この一品に絞った続報とする。
 その按摩機の実物は破損しているため、もとの形を正確に知るのも難しく、したがって駆動することは到底できない。長い間、残念に思ってきた。だが、近年、特許庁が保存している、この機械と思われる製品の「特許出願書」を入手することができた。それには部品の図面も付されている。
 文書名は、「按摩機・特許出願書 第9322号 第132類 明細書」である。出願は、1905(明治38)年6月1日、登録は明治38年9月2日となっている。当時は「震揺(しんよう)按摩装置」とネーミングされていたとも分かる。
 「本発明は人力(じんりょく)によって、与えられる原働車(げんどうしゃ)の回転動力を、調緒(ちょうしょ)<ベルト>の媒介により、被働車(ひどうしゃ)に移し、被働車の回転のためその真軸(しんじく)を転回させ、その先端に固着する付属器の振動により、患部を按摩する装置で、その目的は過分の労力を必要とせず、主として機械力により按摩をすることにある。」
 「別紙第1図は本器全体の形状を示し、第2図から第7図は、本器を組成する各部の構造を示し、第8図は本器に使用する付属品を示す」(これらの図と一々の説明は、煩雑となるので略す)。
 「特許法により保護を受けようとする請求範囲は左の通りである。1、前述のように原働車(ロ)を構礎とし、原働車(ロ)は木製装置台(ウ)の中央部に設置された鋳鉄製支柱(イ)の中央部に装置され、その原働車を回転し、調緒の媒介により、その動力を被働車(ホ)に移し、被働車の回転によりその真軸を貫通固着する。数多く連結させた「ケーブル」を回転させ、その先端(ナ)の部分に付着させた付属具を震動させ、自在に按摩するように作成されたものに、特に、皮筒(ひとう)(ヲ)に包まれた短「ケーブル」(レ)を設け、これをその使用に際し、極微の程度まで屈曲を自由にする装置である震揺按摩装置。 大溝周造(おおみぞ・しゅうぞう)」
 文中の「原働車」とは、直径30cmほどで、自動車のハンドルに似た形だ。周縁部に1つ取っ手がついている。その取っ手を握って、おそらく時計回りに回すとハンドル状のワッカが回転する。そのワッカの外側にはベルトが装着されていて、回転力を他の部分に伝達できるようになっている。「被働車」は、ベルトを通じて力を受け止める部品をさす。「ケーブル」は「ベルト」に当たる。複数のベルトを通じて伝えられた力が、最終的には直径10cmの金属製の球をぐりぐりと動かす。その「ぐりぐり」が、人の背中などを按摩するというしくみだ。ここまでが、この按摩機のいわば内臓である。
 外装のことを「木製装置台」と称している。要するに木製の箱である。幅40cm、奥行き21cm、高さ69cmだから、かなりの大きさということになる。漆が塗られて、高級感がある。ハンドルは、この箱の手前に位置し、「ぐりぐり」は箱の奥に開けられた穴から背面に突き出て働く。 
 ノーベル賞をお受けになった田中耕一さんを擁する島津の創業記念資料館に勤務なさっている学芸員に助けていただいて、この特許申請書が入手できた。細部には分からない点も残り、失われている部品があるので、やはり稼働することは叶わないのだが、盲唖院の創意を彷彿とさせる。
 ところで、特許の申請は、この機械をイギリスに出展した年から21年もずれている。しかも、古河太四郎ではなく、大溝周造の名で行われている。大溝とはどんな人物で、盲唖院とはどう関係していたのか。インターネット上には、大溝に関する情報はない。だが、按摩機の構造や装飾、木や金属加工の出来栄えから、高度な工作技術を持った職人だったものと推定しうる。しかも、盲唖院とつながりが全くないとは考えにくい。もしかすると、盲教育に用いた他の教具なども製造したかもしれない。だが、その答えはまだない。


写真

震揺按摩機

写真

震揺按摩機(図面)

(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)

リレーエッセイ
「今日は何の日」1月1日

兵庫県/古賀副武

 1月1日は、日本初の点字新聞『あけぼの』の創刊記念日で、明治39年1月1日に、神戸の「六光社」から発行されました。編集・発行人は、左近允孝之進です。彼は明治3年(1870)鹿児島市で生まれ、日清戦争に従軍後、緑内障で失明、按摩・鍼灸を習得して妻・マスエと神戸に居を構えました。
 5年前の平成21年(2009)に『あけぼの』創刊号を読んだ私は、孝之進の肉声を聞いた思いがしました。
 点字表記等は現在のものに変えて創刊号の一部をご紹介します。

発刊の言葉

 (前略)ついに点字新聞の発行を企てここに、あけぼのの色めでたくその初号を発刊するに至れり。六つの光は輝きて闇の夜(よ)は明け初めぬ。凱旋の曲勇ましく迎えし、新玉の年の初めにおいて、初めて読者にまみゆるは本紙の最も光栄とするところなり。戦勝国の新発展に伴う我が盲界の新現象として、いささか世に示すに足らんか。思うに出版事業は、人智の開発に関係するところ頗る大なり。しかるに近来我が盲界に点字を学ぶ者、日に増加しつつあるにもかかわらず、その読み物乏しきためにせっかく習い得たる文字もその効用少なきが如き有様なるは如何の次第なりとす。されば我が輩が今回新聞紙発行の計画をなすも決して無益のことにあらざるを信ずるなり。もしそれ春の朝(あした)の学びの窓、秋の夕べの家の庭、本紙を友とせば文の林の花の色、学びの海の月の陰、自然のそれにも増して楽しみ多かるべし。(中略)
 この壱号は見本として一般民に進呈することとし、訓盲院卒業生二百五十余名、盲人会員中の有志者三百余名、他に新聞社百十余箇所、総計六百七十余部を発送せり、願わくば本社の微志を賛せられ引き続き愛読あらんことを。敬白

祝詞(要約)
点字新聞の発行を聞きて

東京盲唖学校長 小西信八君

 人の知識を啓き、世の文明を進むるに与りて、最も著しきものは文字の工夫に如(し)くものは無し。フランスのワランタン・アユイが初めて訓盲の業(ぎょう)を起こし、凸字を工夫せしは天明四年(1784)なり。その後四十六年目、文政十二年(1829)、盲人ルーイ・ブレイユが点字を工夫し訓盲の面目を一変す。我が国盲唖教育の元祖なる今の大阪盲唖院長古河太四郎君が明治十一年(1878)京都の盲唖院を開かれ、十三年の後明治二十三年(1890)我が東京盲唖学校教諭石川倉次君、ブレイユの点を仮名に当てはめ従来の暗記に変えるに筆記となりたれば、教えるにも学ぶにもいとたやすくなりて訓盲の面目を一新したりしが、それより十四年。今年明治三十八年、神戸訓盲院長左近允孝之進君、点字活字を工夫し、三十九年の元旦以て新聞を発行せんと聞き、盲人のためこれを賀し、その労を謝するなり。これより進みて毎日、新聞の発行を望むこと必ず空中の楼閣にあらざるを信ぜんとす。この新聞を読む盲人諸君は左近允君の工夫を謝すると同時に石川君の労をも思いさらにさかのぼりて、古河君の恩をも思い、なおすすみてはフランスのブレイユおよびワランタン・アユイの徳をも記憶する義務あるを知られんことを望まざるを得ず。フランスには盲人らワランタン・ブレイユという会を起こし盲人に関する教育の進歩を図りおれり、日本にもワランタン・ブレイユ・古河・石川・左近允会という長き名を付けて、長くこれら恩人の徳を忘れざる工夫を致したく思うこと甚だ切なり。盲人諸君の同意を得ること容易ならんと固く信ずる者なり。ブレイユと左近允君とは皆盲人にしてこの工夫有り、盲人諸君が、盲人なお何事も並人(なみびと)に譲らずとの念を固くするには最も良き模範の人なり。あらゆる方面に向かい己の得手のところを進められんことを祈る。

社告

 (前略)次号よりは面白き時事はもちろん、諸国の珍しき物語などたくさんに掲載し、付録には続き物の伝記、小説等を集めて、種々なる趣味を添えん。すなわち盲人界の奇傑と題する、伊勢、桑名の盲人、椙村保寿翁の伝を、次号より載せます。

 孝之進は自ら点字活版印刷機を発明し、『あけぼの』の他に訓盲院の教科書・ヘレン・ケラーの自伝『我が生涯』などの文学書を多数点字出版しました。
 『あけぼの』創刊号は、縦76cm、横60cm。用紙を四つ折りにして8ページから構成し、各ページは20行、1行48マス。サイズは小さいがまさに新聞のスタイルです。
 この度、日本記念日協会に「日本初の点字新聞『あけぼの』創刊記念日」が登録されました。
 今から107年前に、神戸の地で点字新聞『あけぼの』が創刊されたこと、そして今日、世界的にもまれな自主編集・発行の『点字毎日』が90余年、継続発行されていることを誇りに思います。
 私たちは、点字新聞をはじめ、現在多種多様な情報によって支えられ、社会生活を営んでおります。そして、孝之進の見はてぬ夢、「視覚障害者1人ひとりが情報を糧に社会貢献し、さらにユニバーサル・デザイン社会の実現」を私たちも共有したいものです。

編集ログ

 今月の「巻頭コラム」は、「読書人のおしゃべり」風になってしまいました。というのは、12月9日付で「近況報告〜新年の挨拶にかえて」という一文が添えられて、筆者の木塚泰弘先生から同コラムで紹介したご著書『目が見えなくなって見えてきたこと』が当方に恵贈されてきたからです。
 1月遅れになっては木塚先生のご厚志に添えないが、本誌の編集は大詰めを迎えているということで、異例の「巻頭コラム」での紹介になりました。新年号くらい、皮肉や憎まれ口をたたくよりも、かえっていいかも知れないという考えもあってのことです(笑い)。
 添え状には「他の方にもお奨め下されば感謝です。お近くの書店かネット書店を通してご注文下さい。また、点字は日本ライトハウスの点字情報技術センター(Tel.06-6784-4414)にご注文ください。価格差補償を使えば自己負担分は活字版と同額です」と記されてありました。
 ヘレン・ケラー記念音楽コンクールの結果発表で、筑波大学附属視覚特別支援学校と大阪府立視覚支援学校の略称に困って、前者を「附属盲」、後者を「大阪府盲」と旧校名の略称で記しました。両校にも念のため問い合わせたのですが、「特別に略称はない」ということでした。当方の勝手をお許しください。
 12月19日〜1月1日の日程でネパールに出張してきます。景気が少し上向いてきているのでしょうか。2カ月前の予約でも、帰国便は1月4日や3日はおろか2日でさえ無理でした。
 きたる2014年が皆様にとって明るく平安でありますようお祈り致します。
(福山)

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