THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2013年12月号

第44巻12号(通巻第523号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:「小学生からの英語」に異議あり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
北京での博覧会とフォーラムに参加して ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
今、求められる「教員」とは
  ―― 理療科教員養成施設創立百十周年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12
合理的配慮とは?
  ―― 赤門の隣で考えたこと
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19
ラジオが告げたあの時・あの人
  「盲人の時間」から50年:人と業績@ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
自分が変わること:戦場報道のマッチョとうつ その4 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
48㎡の宝箱:受恵函 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
33
投稿:「ジェイボスの旅イン金沢」で浮き彫りになったこと ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
リレーエッセイ:歌謡曲への我が思い(渡辺勇喜三) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
点字があるから今がある ―― サイトワールド2013報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
外国語放浪記:MTVとチャリティの時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲:4日間の大盛況 横綱常陸山の引退相撲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
フィリピン留学記:「トラフィッキング」被害に遭った女の子の事例 ・・・・・・・・・・・
59
時代の風:中央アジアの留学生受け入れ、ホームドア思わぬ危険、
  気遣う「色遣い」国際規格化へ、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板:第24回アメディアフェア、日点チャリティコンサート、
  障害者のための就職フォーラム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
「小学生からの英語」に異議あり

 文部科学省は、小学校の英語教育の開始時期を現行の5年生から3年生に引き下げ、5年生からは正式な教科にし、東京オリンピックが行われる2020年度をめどに全面実施をめざして、現在、週1回の授業を3、4年で週1・2回、5、6年では週3回に増やすことを決めた。
 世界で活躍する人材を育成するため、早い時期から、基礎的な英語力を身に付けさせるのが目的だというが、文部科学省は小学生から英語教育を行うことで、本当に英語力が身に付くと考えているのだろうか。
 中学・高校と6年間もかかってどうにもならないものを、教員の養成もしないで、小学校に延長してどうしようというのか。6年かかって英語が身に付かないのはなぜか。英語教育のシステムに問題はないのか。まず、そちらの方の課題解決が優先するのではないか。
 そもそも日本人に英語がそれほど必要だろうか。それを考える上で示唆に富むのが、元マイクロソフト社長の成毛眞(なるけ・まこと)氏が著した、『日本人の9割に英語はいらない ―― 英語業界のカモになるな』(祥伝社刊)である。
 「自信がないなら通訳を雇えばよい」「英語ができても、バカはやっぱりバカである」「海外の本は日本語で読め」「受験英語が日本の教育をダメにする」と刺激的な文字が並ぶが、いちいちごもっともである。
 日本国民で、仕事に英語を使用している人はせいぜい数%で、「年に数回使用」などの限定的な使用を含めてようやく1割。私たち日本人は、普段の生活の中で外国語を使うチャンスはほとんどない。それが英語が身に付かない一因でもあるが、日本語さえできれば日常生活にまったく不自由しないということが、どれほど幸せなことか、今一度考えた方がいい。EUでは第一言語の使用は基本的人権であると明言しているほどなのだ。
 小学生には英語ではなく、国語をもっと教え、自分の考えを日本語で正確に簡潔に文章化できる力を身につけさせた方が、9割という圧倒的なマジョリティである「英語を使わない人々」にははるかに有意義なはずである。(福山)

理的配慮とは?
―― 赤門の隣で考えたこと ――

 10月25日(金)午後、東京大学本郷キャンパスの赤門に隣接する伊藤国際学術研究センターに関係者250人を集めて、「高等教育機関における障害学生支援に関する全国協議会(仮称)」設立準備大会が行われた。
 呼びかけ人会を代表して静岡県立大学石川准(いしかわ・じゅん)教授が、同協議会設立の意義と必要性について述べ、とくに「配慮の平等」を次のように強く訴えた。
 セミナーや講演会でマイクとスピーカー、墨字資料、同時通訳などの配慮は、当たり前のこととして誰も配慮とはいわない。しかし、手話通訳、要約筆記は特別な配慮とみなされる。少数派へのサービスだけが配慮で、障害学生だけに特別の支援をしていると考えるのはおかしい。障害のない学生に提供している支援と実質的に同等の支援を提供する義務が教育機関にはあるのである。
 今年6月の障害者差別解消法の成立により、3年後の平成28年4月から、障害学生への合理的配慮を行うことが国公立大学では義務化され、私立大学では努力義務化される。そこでそれまでに大学は、下記のような取り組みをする必要があると本準備大会で示唆された。
 @学内に障害学生からの異議申し立てに対する調停の仕組みを作る。A現在の障害者支援は兼任や嘱託職員により対応しているが、今後は専門家が必要。Bすべての教職員、学生に対して、障害学生への差別解消と合理的配慮提供に対する理解を啓発し、大学人の意識改革を行う。C高等教育における合理的配慮とは何か、ガイドラインを作成する。
 しかし、これらを実施するには大学間の連携が不可欠である。そこで、これまでに障害学生を多く受け入れてきた筑波大学や筑波技術大学はもちろん旧帝大7校のうち6校を含む国立22校、私立16校、公立4校の42校が発起校となって、全国の障害学生支援の取り組みを行っている高等教育機関による協議会の設立を目指すことになった。そして、今年度中に規約や会の運営案を策定し、来年春に理事の選挙を実施して、来年秋に第1回理事会と大会を開催する運びとなった。
 質疑応答では、協議会の名称が「障害学生支援に関する」となっているが、大学には障害を持つ教職員もいるし、大学では障害を持つ学生の就職も大きな課題となっている「高等教育と障害に関する全国協議会」というような名称にした方がいいのではないか? 高等教育機関は大学だけではないので、短期大学や工業高等専門学校などへも広く呼びかけるべきではないか? 障害学生の支援を充実させるためには高校との連携を強める必要がある。日本学生支援機構の事業と重ならないようにするべきだなど、前向きの議論が行われた。
 特別ゲストとして登壇した、全米の大学が加入するAHEAD(アヘッド・全米高等教育と障害に関する協会)スコット・リスナー会長は、「高等教育へのアクセス 日本でのモデルに向けて」と題して講演を行った。その中で、ジャズバンドが歌手を募集する際、墨字楽譜を見て歌うことが課題であれば、スティービー・ワンダーでもパスできないとわかりやすくたとえた。また、試験時間の延長に触れ、同氏が講義する統計学では試験の時間延長をしてもなんら問題はない。しかし、たとえば救急医療で治療の順番を決めるときのような場合は短時間に行うことが必須である。このように配慮(アコモデーション)をする場合は、その業務の属性を検討することから始めなければならないと述べた。
 アイルランド高等教育と障害に関する協会の女性担当者は、リスナー会長の講演を補足する形で、EU内の高等教育機関のネットワークについて説明。アイルランドでは知的障害者が「コミュニティ・カレッジ」で学んでおり、そういう意味では身体障害も精神・知的障害もなんら変わりないと述べた。
 これまで我が国では大学で学ぶ障害者への支援といえば、その多くは身体障害者が対象であった。日本には「コミュニティ・カレッジ」はないので、大学に知的障害者が進むことは考えにくいが、今後は精神障害者や、文字の読み書き学習に著しい困難を抱えるディスレクシア等学習障害者への合理的配慮がクローズアップされることになるだろう。
 そのような潮流の中で、視覚障害者への配慮が置き去りにならないことを願うばかりである。というのも当日は準備大会ということで、予算の関係でか点字資料も無く、議論の中でも、点字はまったく俎上にのぼらなかった。手話通訳と要約筆記はあったので、もしかしたらそれらと比べて合理的配慮の順番が低いのかと、私自身は点字使用者ではないが、少なからずひがんだものである。
 準備大会でもあり、石川先生が代表ということで、遠慮があったのかとも思ったが、視覚障害者には「テキストデータさえ渡せば合理的配慮になる」という風潮があるとすれば、大いなる懸念を持つことを強調したい。
 秋の日はつるべ落とし、にわかに不安になった夕暮れ時の赤門前の横断歩道であった。(福山博)

48㎡の宝箱 ―― 京盲史料monoがたり
(33)受恵函(じゅけいばこ)

京都府立盲学校教諭/岸博実

 京都府盲唖院は、発足の数年後から松方デフレ(注)のあおりなどから極度の経営難に見舞われた。当初から公的な財政措置もあるにはあったが、十分ではなかった。危機にあたり、文部省が古河太四郎に東京盲唖学校兼務を発令してその給与を負担するなどの援助を行った。しかし、経営の行き詰まりを打開できず、古河は退任を余儀なくされる。1889(明治22)年のことであった。
 その年、市制が実施されたのを機に、盲唖院は財政力のある京都市に移管した。だが、学校予算が一気に潤沢になったわけではない。第2代院長・鳥居嘉三郎は、長期化を覚悟の募金活動に日夜奔走しなくてはならなかった。お寺の石段に腰かけて持参のむすびを頬張り、時間を惜しんで駆け回ったという。その獅子奮迅ぶりを示すエピソードにはこと欠かないが、「monoがたり」の趣旨から外れかねないので、ここでは割愛しよう。
 「48uの宝箱」の中に、木製の募金箱が1つある。「受恵函」(CHARITY BOX)と名付けられている。幅24cm、奥行き15cm、高さ21cmだ。上面にしつらえられたお金の投入口は、幅1cm、長さ12.5cmである。外からは見えないが、内部には賽銭箱のようなしかけが施されていて、逆さまにしても中のお金はこぼれ出ない。側面にある鍵を操作すると、下部の函体を引き出して浄財を回収できる。
 これは、1895(明治28)年、第4回内国勧業博覧会が開かれた円山公園や岡崎公園に設置された。かたわらに、木製の看板も吊り下げられた。縦長(縦69cm、幅22cm、厚さ8o)のその板に書かれているのは次の文章だ。文字は、彫刻され、白く彩色されている。
 まず、上部に、横書きの英文。
 Ladies and gentlemen will please to put into this box whatever sum of money you may choose, in order to he help the poor and pitiable mute and blind pupils in this asylum.
 下部には縦書きの日本文。本文は漢字とカタカナで、すべての文字にひらがなの「ルビ」(意訳もしくは噛みくだいたリライトに近い)が付いている。
 世ノ慈善君子若シ此憫ムヘキ貧窶盲唖生ノ学資ヲ補助セラレントスル志アリテ金員ノ多少ニ拘ラス此函ヘ恵投アルトキハ本院謹テ之ヲ受領ス
 「ルビ」は次のとおりだ。「めくら おし」も歴史史料としてそのままとする。
 ≪よの じぜんがた もし この あはれむべき まづしき めくら おしの ものヽ まなびの いりようを たすけたまふ おこヽろざし ありて かねの おおき すくなきに かかわらす この はこへ めぐみいれたまふ ときは ほんいん つヽしんて これを うけおさめます≫。 
 アピールは、3タイプの読み手を想定している。第1に、滞在もしくは観光のために訪れる外国人である。1872(明治5)年の博覧会開催を機に許可されて以来、入京する欧米人は増えつつあった。彼らのチャリティ精神を引き出そうとしたのだろう。第2が、漢字仮名交じり文を読むことのできる層の人々である。その「慈恵」精神に期待を寄せたのであろう。第3は、ひらがななら読める人たちである。子どもも含めてできるだけ多くの庶民に盲唖院の存在を報せ、力添えを要請したかったのだろう。
 京都市内千本鞍馬口にあって「千本の眼医者」と慕われた益井茂平は自らの医院内に募金箱を常設し、集まった金員を再三にわたって盲唖院へと運んでくれた。治療の甲斐なく失明した患者の行く末を案じ、盲教育をバックアップした益井はロービジョンケアの理念に気づき、実践した魁であったと言えよう。
 筑波大学附属視覚特別支援学校の史料には、明治後半から大正期まで活用された「楽善函(らくぜんばこ)」が存在する。それにもCHARITY BOXと書かれている。募金箱の設置、慈善音楽会の開催などは全国各地で繰り広げられた。慈恵思想には吟味を要する点も指摘しうるが、国や地方自治体の理解がまだ乏しかった時代の、苦闘と知恵を物語る「受恵函」であった。

(注)明治10年の西南戦争による戦費調達で生じたインフレを解消しようと、大蔵卿松方正義が行った財政政策(デフレ不況)。


写真

受恵函

(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)

編集ログ

 まったくの蛇足ですが、本号の「自分が変わること」にある「もし戦場というものが(ママ)伝えることができるならば・・・」の「(ママ)」とは、これは作家開高健の発言なので、「その直前に誤字があると思われるが、原文のまま引用します」という意味です。
 ついでに、「時代の風」の「マダマ・バタフライ」とは、ジャコモ・プッチーニ作「蝶々夫人」のことで、プッチーニはイタリア人なので、原題は「Madama Butterfly(マダマ・バタフライ)」であり、マダマは英語のマダムの間違いではありません。念のため申し添えます。
 なお、「マダム・バタフライ」はアメリカの弁護士で作家のジョン・ルーサー・ロングが、彼の姉がメソジスト教会の宣教師であった夫と共に日本に滞在した時の噂話を聞いて、それを基に書いた短編小説で、月刊誌『センチュリー・マガジン』1898年1月号に掲載されました。それを読んだ劇作家デーヴィッド・ベラスコが戯曲化して、1900年にニューヨークで初演されています。それを基に、プッチーニがオペラ化して、1904年2月17日、ミラノのスカラ座で初演しました。この初演こそ評判は散々でしたが、その後、徐々に評価を高め、今日ではプッチーニおよびイタリア・オペラの代表作とされるようになりました。
 ただ、日本を訪問したことがないロング、ベラスコ、プッチーニの3人が考えた作品だけに、長崎が舞台のこのオペラには少々無理があります。
 それは僧侶がちょんまげ姿だったり、着物の襟の合わせが逆だったり、「長崎大村(おおむら)」を「長崎オマーラ」と言ったり、「仏前で八百万の神に祈る」など、日本人から見るとおかしな場面やセリフが多くあるのです。
 そこでバス歌手の岡村喬生がそれを訂正して、演出したものが新国際版「マダマ バタフライ」です。この日本に対する誤った認識を正そうとする意図・演出は、イタリアでも高く評価され、岡村は2011年にプッチーニ賞を受賞しています。(福山)

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