THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2013年6月号

第44巻6号(通巻第517号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:『人民日報』のマッチポンプ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
岩本光弘さんの「ドリームズ・カム・トゥルー」
  ―― 太平洋横断の「夢はかなう」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
畏友「テイさん」を失って(渡辺勇喜三) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
19
スモールトーク メール添付の常識・非常識 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
ラジオが告げたあの時・あの人
  「盲人の時間」から50年:先覚者に学ぶ(川野楠己) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
ニカラグアにおける東洋医学教育ボランティア:第3期生 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
自分が変わること:望遠レンズと広角レンズ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
36
48㎡の宝箱:盲生教場椅卓整列図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
リレーエッセイ:もっと公共図書館の活用を(杉田正幸) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
外国語放浪記:1人ならではの旅情 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
大相撲:素質は申し分なし。“イケメン新三役”隠岐の海 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
フィリピン留学記:折り紙で自信を取り戻す(上) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
時代の風:お札をリニューアル、チャレンジ賞・サフラン賞決定、
  聴覚空間認知訓練システム、震災「語り部プロジェクト」、他 ・・・・・・・・・・・・
62
伝言板:ロゴス点字図書館「感謝の集い」、盲人演劇祭参加者募集、
  ブラックロック・ブラサカキッズキャンプ、第6回シティ・ライツ映画祭 ・・・・・・・
66
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
『人民日報』のマッチポンプ

 5月9日の『人民日報』に「沖縄を失うことを懸念する日本 中国の脅威誇張」と題した記事がでた。そこで論じているのは2010年8月の『毎日新聞』であり、昨年末に発行された月刊誌『軍事研究』で、およそ日刊紙が扱うにはいささかカビの生えた内容で、首を傾げた。しかし、前日に同紙が報じた論文の火消しとして読めば納得がいく。
 中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』は、その前日の5月8日付で「『馬関条約』と釣魚島問題」と題する論文を掲載し、「歴史的な懸案で未解決の琉球問題を再び議論できる時が来た」と主張。党や政府の見解を反映する同紙が、ついに沖縄まで領土だと言い出したのかと大騒ぎになったのはご存じのとおりである。しかし、その翌日に火消しに回るような記事がどうして出たのであろうか?
 沖縄は中国に領有権があるという議論自体はそう珍しいものではない。昨年の7月には人民解放軍の現役の少将が、同8月には復旦大学の教授らが連名で、同様の趣旨の論文を発表した。また、政府の暗黙の了解の下、広東省深セン市には「中華民族琉球特別自治区援助準備委員会」という団体さえある。沖縄をチベットのような中国の自治区にしようという団体である。
 5月8日付の論文は5月15日に、「琉球民族独立総合研究学会」が立ち上がる前のいわば露払いのタイミングで掲載されたのは、琉球独立運動の支援を意図してのことだという。その背景には、沖縄はチベットのように武力併合するわけにはいかないので、その前に独立させる方がなにかと好都合というわけである。
 しかし、この論文は危険だという意見が中国国内ですぐに出た。琉球独立を認めたら、台湾独立運動やチベット独立運動が勢いづくというのだ。このためかどうか、5月8日付の論文はネット上ではいくら検索してもまったく出てこないようである。(福山)

スモールトーク
メール添付の常識・非常識

 業界団体の仕事で、3月末にEメールを200余の視覚障害関係施設に送信した。それをフォローするため片っ端から電話をかけたら、ある施設から強烈なクレームを受けた。
 「視覚障害者施設にPDFファイルを添付するとはなにごとか!」というのである。そして、「なぜ、PDFにしたのか?」と、すごい剣幕で食い下がられた。
 そのメールには、3つのPDFファイルを添付したが、これをオリジナルのまま送信すると5.5メガバイトになり、受け取れない施設が続出することが想定された。通常5メガバイトを超えるメールを直接送ってはいけないとされているのだ。だがこれをPDF化すると容量は、10分の1以下に圧縮される。
 そこで、「PDF化するのは容量を減らすためです」と答えたら、「PDFファイルだって容量はあります」との妙な返事。そして、「他の視覚障害者の方はどうしておられるのだろう」と、盛んに嘆息された。
 よほど、「(株)アメディアに聞いてください。視覚障害者でもPDFファイルは読めますよ」と喉まででかかった。が、それは飲み込んで、「そのようなこともあろうかと、電話でフォローしているのです」と述べて一件落着した。
 たまたまその次に電話したところは、点字出版大手で、施設長は全盲であった。そこで、「PDFファイルを添付して、申し訳ありません」とまずは詫びた。すると、「わたしは読めましたよ。なぜか余計だと思われる数字が紛れ込んでいましたが、内容は充分わかり用は足りました」との返事だった。
 その昔、MS Word(ワード)ファイルを視覚障害者は読めなかった。その当時、視覚障害者にワードファイルを添付したメールを送ることはタブーだったが、全盲でも読めるようになった現在、そのようなクレームは聞かない。
 しかし、同じワードプロセッサソフトでもジャストシステムの「一太郎」で作成したファイルをそのまま添付して送信したら、ゴウゴウたる非難を受けること請け合いである。
 実は当協会内でもヘレン・ケラー学院は一太郎を使っていないので、うっかり添付して送信すると「ワードファイルに変換して再送信せよ」という怒りの電話がかかってくるが、それは晴眼者の声である。
 ちなみに私はワードで一太郎ファイルを読み、ワードファイルに変換しているので、「ワードでも一太郎は読めますよ」と言いたいところだが、それを言うと、「設定をどうする」とか、さらに面倒なことに巻き込まれそうなので口をつぐんでいる。
 ところでこのようにワードなどのようなデファクト・スタンダード(事実上の標準)以外のソフトで作成したファイルを、メールで送信することは非常識な行為とされる。一太郎などはワードでも読めるし、ネットで一太郎を読むことができるビュワーが無償で入手できるのだからデファクト・スタンダードでもよさそうだがそうはいかない。
 先に話題にしたPDFとは、そのようなソフト間の齟齬を埋める機能を持つもので、紙に印刷するのと同じページを電子的に保存するファイル形式の名称である。このため、PDFは相手のコンピュータの機種や環境によらず、オリジナルのイメージをかなり正確に再生でき、しかも容量を桁違いに圧縮することができるメリットがあり、これもデファクト・スタンダードだ。
 このように相手がどのようなパソコンやソフトを使っているか、あらかじめ相手に聞かなくてもワードやPDFファイルをメールで送ることは、一般に非常識な行為とはいえない。
 それでは、盲界ではどうだろうか? 少なくとも施設に対しては、PDFは許容範囲と考えたい。実は、PDFにはテキスト化できるものと、できないものの2種類があるが、とりわけ前者は、施設に送る分は問題ないのではないだろうか?
 もちろん後者であっても(株)アメディア製「よみ姫」または「ヨメール」の認識エンジンに送り音声化すれば全盲でも読める。しかし、まだそこまで要求するのは酷というものだろう。
 しかし、PDFは一般にデファクト・スタンダード化されている現実があるのだから、視覚障害を持つ事務職等にとっては、PDFが読めないということは、ある意味では死活問題になりかねないのだ。
 なお、私が3月末に送ったものは、テキスト化できるPDFファイルで、これに対する苦情は先の1件だけだった。(福山)

48㎡の宝箱 ―― 京盲史料monoがたり
(27)盲生教場椅卓整列図

京都府立盲学校教諭/岸博実

 明治15年に古河太四郎が著わした『盲唖教授参考書』には、生徒の姿勢について掘り下げた見解が述べられている。今回は、原文のままでなく、いくらかの補いや表現上の変更を加えて紹介してみよう。
 まず、「盲・唖生とも、椅子に腰かけるときには、必ず左足を十分に引き、胸と左膝を一直線にして頭がうなだれるのを防ぐ。このようにすれば、自然に胸のあたりが広がり、鬱屈した気分を発散できて、かつ右手が動かしやすい」という。目の見えない子どもたちがうつむく姿勢になりがちなことに気づき、対策を考え出したのだ。
 授業中には、「(右手を使わなくていいときには)左手の親指を右手で堅く握り、膝の上に組む」よう求めた。「組手法」と呼び、「精神の放逸を防ぐ」ためだとする。
 厳寒の季節の注意も記されている。「極寒の際は、両手の親指と中指の先で輪をつくってリングのように組み合わせ、そのまま合掌し堅く握り(別の説明によれば、“右手の全指を左手にて、また左手の全指を右手にて握り”)合わせておけば、両手の指先はすべて外に出ない。こうすれば指の先から冷えることがないので、かじかみにくく、ノートをとるのに便利である。大切なポイントである」と。これは凸文字による学習の頃だけでなく、点字が導入されてから後も有効であったかもしれない。
 生徒用机の構造については、「卓を作るには必ず巾1尺2寸にして、テーブルに2分の勾配をつけるべきである。これは、人の自然にして、手を出すには必ず1尺2寸にして2分の勾配を生ずるものだからである」とする。だが、机の幅が1尺2寸というのは、あまりに狭い印象だ。「盲生教場椅卓整列図」に描かれた机は2人掛けなので、その倍はあるけれども、並んで座る生徒は窮屈そうだ。半盲・弱視を意識した斜面台が企図されたというのではないが、台面に勾配をつけたのは興味深い。書面台のような器具も備えられている。
 渡辺平之甫(わたなべ・へいのすけ)が編纂し、大正2年に文部省から刊行された『古川氏盲唖教育法』には、教室における机や椅子の配置についての言及もみられる。
 「教室に於ける机や椅子の並列法は、聾唖生は一般校の教室での並べ方と同じでよいが、盲生用のそれに限っては向かい合うように2列置き、生徒は横並びに座る。教員用には教室の中央に縦に並ぶ2列の前部と後部の両方に教卓を置く」とされる。教卓と椅子は2セット用意されるのだ。そして、「教員は、ある日は教室の前側で、次の日は教室の後ろ側にと、1日交代で立ち位置を変えて教えるべきだ」という。
 なぜか。「失明者だから黒板に向かい合う座り方はしなくてもいい」のが1つめ。さらに、「人の脳髄に非常に精緻な思考や感覚を与えると必ず首を傾けるのが自然の理であって、机を横並びにすると、必ずその耳を傾け、教員の話を聞き取って内容を理解するのが速くなる(首を傾ける方向が偏らないようにするため、教師は日替わりで立ち位置を変える)。これは現に本院に於いて経験して効果が確かめられている」とある。
 ちなみに聾唖生の座席配置は通常の教室と同様だとしたうえで、黒板の高さに関する考察が加えられている。位置が高すぎるのは害が大きく、両眼の視線を水平に保てるのがよいとし、吊り下げ型にして高低を自在に調節するのを「便」とした。
 聾唖の「幼稚生」の机については、アルファベットのCのように配列されている。お互いを見る機会が増え、親しみが育まれるというのだ。
 そのやり方を応用したのか、京都盲唖院の教員として最初に点字を学び、生徒にも指導した中村望斎(ぼうさい)は、生徒の机をカタカナのコの字型に並べた。中村に教わった奈良盲の創立者・小林卯三郎は「1人ひとりの生徒の前に来て、物をさぐせたり、珠算の時には指の使い方を手を取って教え、また、地図などのさぐり方を指導」してくれたと、『語り告ぎ言ひ継ぎ往かむ ―― わが学び舎九十年の歩み』で懐かしく回想している。


写真

『盲唖教場椅卓整列図』

(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)

編集ログ

 今月の「リレーエッセイ」は、杉田正幸さんに登場していただきました。彼によれば『点字ジャーナル』に記事を書くのは、13年ぶりということです。1998年から1年間、当時私が編集していた、今はなき『点字サイエンス』に「オープン・ザ・ウインドウズ98」と題して連載してもらいました。また、1999年から2000年には『点字ジャーナル』にパソコン関連の記事を3本書いていただきました。本文中に「点字雑誌にパソコン関連の記事を書いていた。それらの学習のために、公共図書館の豊富な資料を活用し、対面朗読などのサービスも利用するようになった」というのはその頃のことでしょう。それ以来ということで「光陰矢のごとし」、大変感慨深いものがあります。
 「Origamiとしてすっかり国際語になった『折り紙』は、見える見えないはまったく関係ないから」と、一昔前、ネパールの統合教育に取り入れるアイデアがありました。健常児のお絵かきの代わりにという発想です。そこで、私が日本から折り紙の作り方を英文で書かれた冊子と折り紙を数10枚持参して、「統合教育校の先生にレクチャーする立場の指導的人物(晴眼者)」に手ほどきしたことがあります。ところがすぐに「こんな難しいものとても教えられない」と、投げ出されてしまったので、いまだに実を結んでいません。
 とにかく、彼はまっすぐに折ることができないのです。簡単にできるだろうということで、「ヨット」とか「犬の顔」とか作ったのですが、どうすればこんなに不細工に作れるのかというしろものにしかなりません。それもさることながら彼は英語は堪能なのですが、英語の説明順に図示されている折り紙の工程を見て紙を折ることができないのです。これが決定打となり、とりあえずネパールの統合教育校への導入は、ちょっと無理ということになった次第でした。
 その経験から石田由香里さんがマニラで教えたように「最初の折り紙は、簡単な紙飛行機」というのは、とても示唆に富んでいるように思いました。(福山)

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