THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2013年5月号

第44巻5号(通巻第516号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:日台漁業協定の教訓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(新連載)ラジオが告げたあの時・あの人
  「盲人の時間」から50年:風がきれいだ(川野楠己) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5
読書人のおしゃべり:『協走する勇者(アキレス)たち』に寄せて(松田信治) ・・・
21
4団体で初開催 情報・コミュニケーションシンポジウム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
ニカラグアにおける東洋医学教育ボランティア:教員養成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31
自分が変わること:故郷 その3 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
48㎡の宝箱:盲生遊戯図・体操図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
リレーエッセイ:ニュースの真実はどこにある(阿久津啓司) ・・・・・・・・・・・・・・・・
44
外国語放浪記:ベルリン東西 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
大相撲:記録ずくめの白鵬のための春場所 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
フィリピン留学記:ゴキブリの恐怖 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
時代の風:全盲学生、視覚障害者用パソコンゲーム製作、カード1枚全国つなぐ、
  腰痛2,800万人、音で視覚を補う感覚代行、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
62
伝言板:武久源造オルガンリサイタル、ビッグ・アイバリアフリーシネマ、
  オンキヨー世界点字作文コンクール、専門点訳者実践養成講座 ・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
日台漁業協定の教訓

 日本と台湾は4月10日、台北市で沖縄県・尖閣諸島周辺海域での漁業権を巡る漁業協定に調印し、尖閣諸島周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)の一部で台湾漁船に操業を認めた。ただし、尖閣諸島から12海里の領海に台湾漁船が入ることは認めていない。
 この問題で日頃なにかと対立する、「産経」と「朝日」を含むすべての全国紙が、沖縄県の反発をよそに日本政府が漁業権で台湾に大幅に譲ったにもかかわらず、「尖閣諸島を守ることを優先した現実的な判断」と好意的に取り上げていた。
 今回の漁業協定調印が、現状において最善の方策であることに異論はないが、だからといって「中台連携にくさびを打つ『戦略的外交』」と賞賛するのはどうだろう?
 この問題に関する台湾との交渉は1996年に始まったが、進展しないまま2009年に中断した。この間、日本政府は同協定を締結しても実利がないとして、一貫して交渉に後ろ向きであった。仮に2009年までに協定をまとめておれば、今回のような大幅な譲歩は必要なかったはずである。
 尖閣諸島周辺はクロマグロやハマダイがとれる豊かな漁場で、日本統治時代、台湾漁民はなにはばかることなくこの海域で漁をしていた。また当時、八重山諸島の漁師は日用雑貨や食料品の買い物に、下駄履きの気軽さで台湾との間を行き来したり、台湾に移住して漁を行っていた。それもそのはずで、日本最西端の与那国島は台湾までは111kmしかないが、隣の島である石垣島までは124kmあり、沖縄本島までは509kmもあるのだ。このように台湾と沖縄の漁業は本来一つで、生活のためにずっと一緒にやってきたという歴史を有している。
 台湾漁民の安心して漁をしたいという当然の願いに、冷たい仕打ちをしてきたツケを今回支払うことになった。
 今さらいっても詮無い話ということはない。近視眼的外交を繰り返さないためには自らの卑しい所業を顧みる必要があるのではないか。(福山)

読書人のおしゃべり 『協走する勇者(アキレス)たち』に寄せて

元JICAシニア海外ボランティア/松田信治

 私が尊敬する伴走のパイオニア大島幸夫<オオシマ・ユキオ>さん。「ヘレンケラー・サリバン賞」受賞者でもあり伴走歴25年という彼が出会った障害者ランナーが24名登場する『協走する勇者(アキレス)たち ―― マインドは誇らしげな虹の彩り』大島幸夫著、三五館刊、税込1,470円がこのたび出版されました。この本は2012年末までに4年間にわたり月刊『ランナーズ』誌上で隔月連載された障害者ランナーたちの「走る歓び」の「理由」をオムニバス形式で綴った「ユニバーサルドキュメント 障害走者の風景」をまとめたものです。
 まずこの著者である大島さんをご紹介したいと思います。
 大島さんは元毎日新聞の記者であり、ジャーナリストです。そして私も会員である「アキレスインターナショナルジャパン」の生みの親でもあります。
 大島さんは今から18年前の1995年に今のクラブの前身でもある「アキレス・トラック・クラブ・ジャパン」を仲間と共に立ち上げ、以後、自らも多くの大会にて視覚障害者の伴走をされてきました。私がこのクラブに入会した次の年に、大島さんが呼びかけた「第1回東京夢舞いマラソン」は正月の元旦にお台場をスタートして、東京都内を駆け巡りゴールするというユニークな大会でした。私もこの第1回大会で、視覚障害者の伴走者として走り、道を間違え、スキップしてゴールした苦い経験があります。その大会も今や13回、参加者も1,500人になっています。
 この大会を開催した時には、アメリカでは「ニューヨークシティマラソン」、イギリスでは「ロンドンマラソン」というように主要各国には大都市を駆け巡るマラソン国際大会がありました。しかし、日本には首都東京を走るマラソン大会はないということで、大島さんは仲間に呼びかけて、都内の歩道を走るフルマラソンを企画、運営してきました。年々参加者も増え、その実績、功績もあり、今日の「東京マラソン」の開催の実現に道を開きました。
 大島さんは、その職業柄、海外に行くことが多く、行く先々の国々でマラソン大会に参加されており、その数26回にも及びます。そして走りながらランナーにレンズを向け「ランニングを愛する仲間」の写真を撮ってきました。
 私はその写真展に行ったことがありますが、展示された数多くの写真の中に一際目を引く写真が「黙々と走る障害者ランナー」でした。大島さんの中には常に「障害者への温かな眼差し」があるのでしょう。撮られた写真にはそんな彼らの頑張る一途な姿が写し出されています。
 大島さんはランナーとは別な一面も持っています。それはアドベンチャー登山家としての一面です。海外の6,000m級の山々に挑戦。71歳の時にはマッターホルン登頂を果たしました。そして、その時わがアキレスのクラブ旗を頂上に立ててくれました。私が驚くのは、達成された時の年齢と、それを成し遂げた強靭な体力と精神力です。
 私は今回、ご紹介するこの本に登場する障害者24人のうち15人を伴走しています。その中で2人の盲ろう者とレースで走っています。大島さんが取材された藤崎義彦<フジサキ・ヨシヒコ>さん(通称よしちゃん)とは奥武蔵ウルトラ(77km)、宮古島ウルトラ(100km)の伴走をしました。彼を『ランナーズ』の「障害走者の風景」で取り上げたいということで、手話通訳者を伴って取材されたのですが、私も同席しこれに協力しました。
 その取材の中でよしちゃんの生い立ち、盲ろう者となっての生活の困難、そんな中でのランニングとの出会いが語られました。そして思い出のレースとして、世界初となる「盲ろう者のウルトラ100kmの完走」を成し遂げた時の話が語られました。
 最後の大島さんの質問は「尊敬する人の名前は?」で、よしちゃんは「伴走する松田さんが最高」と答えてくれました。数週間後にキルギスにJICAシニア海外ボランティアとして赴任する私に、この上ない「応援メッセージ」となりました。
 この本では登場する障害者ランナーの生き様が、大島さんの障害者に寄り添う温かな目線で描かれております。いわば伴走の「心のバイブル」といってよい本です。

4団体で初開催
情報・コミュニケーションシンポジウム

 日本盲人会連合(竹下義樹会長)、全国盲ろう者協会(阪田雅裕理事長)、全日本ろうあ連盟(石野富志三郎理事長)、全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(高岡正理事長)は、3月20日(祝)13〜17時、東京・赤阪の日本財団ビル2階大会議室にて、標記シンポジウムを初開催した。定員150人の会場には、視覚、聴覚、盲ろうの情報・コミュニケーション障害者、手話通訳者、要約筆記者など210人が集まり、第1部の石川准内閣府障害者政策委員会委員長の記念講演、第2部のパネルディスカッションに熱心に耳を傾けた。
 まず、竹下日盲連会長が、現在障害者権利条約(以下、権利条約)の批准に向けて障害者制度改革が議論されている中、情報・コミュニケーションに困難を持つ当事者団体が一同に会し、シンポジウムを行うことは「非常に価値がある」と述べた。また、一昨年の東日本大震災で「情報が命の分かれ目にもなったはずだ」と言い、日常生活でも「憲法で表現の自由や知る権利が基本的人権の一つとして位置づけられている」と説明した。そのうえで、「情報・コミュニケーション障害者をどう保障していくか、シンポジウムにより、共通理解を深め、結果が制度改革に反映されることを期待したい」と挨拶した。
 次に、久松三二全日本ろうあ連盟事務局長が基調報告し、日本での情報保障、啓発活動を紹介した。2006年12月、権利条約が国連で採択され、その中に「アクセシビリティー」という重要な概念が盛り込まれた。アクセシビリティーは欧米では市民に広まっている概念だが、日本の当事者団体には取っつきにくい概念であった。情報アクセシビリティーという概念には、障害を持たない人と同様に、見えない、聞こえない、話せない人も社会の一員として参加可能な共生社会の構築が求められている。「しかし、いまだ日本では、いつでもどこでも情報を受け取り、発信できない人々がいることもあまり認識されていない」と述べ、自由にコミュニケーションができないことは「死ぬほど苦しい」と訴え、情報・コミュニケーション障害者の実情を市民に発信することが目下の課題だと発言した。
 続いて、石川准氏(静岡県立大学教授、全視情協《全国視覚障害者情報提供施設協会》理事長)が情報とコミュニケーションについての記念講演を行った。石川氏は、ICT(情報コミュニケーション技術)とくにコンピュータとインターネットの進歩により、障害者は格段に情報にアクセスできるようになったと評価した。また、情報・コミュニケーション障害者にとって、ICTと人による支援が障害者の社会参加への意欲を高めると主張した。
 最後に、3月末をもって全視情協理事長を退任する石川氏は、サピエ図書館の危機的現状に言及した。同図書館の予備費は2,000万円あり、1万1,000人余の利用者の4分の1から1,300万円の寄付も受けている。しかし、後2年でそれも底を突く。石川氏は、「共助の割合は妥当だが、公助があまりにも少なすぎる。サピエ図書館存続のために、国立国会図書館との連携も今後検討する必要がある」と話した。
 第2部の情報・コミュニケーション法に関するパネルディスカッションでは、4団体の代表者と後藤芳一日本福祉大学客員教授(バリアフリー社会と新産業創出担当)が登壇した。
 竹下会長は、「障害者の中でも少数派の視覚障害者、盲ろう者が声を上げることが重要だ」と述べた。そして、権利条約批准に必須となる障害者差別禁止法が4月に閣議決定され、6月に国会にかけられることを話し、「差別禁止法の内容がどうなるかに注目しなければならない」と呼びかけた。
 新谷友良全日本難聴者・中途失聴者団体連合会副理事長は、1966年に国連で採択され、1979年に日本も批准した国際人権規約の自由権規約第19条2項(注)を引用し、これがもっとも分かりやすくかつ表現の自由を認めていると評価した。だが、権利条約や障害者基本法では、意思疎通の自由を認めると表現が狭められていると指摘した。
 体調不良のため欠席した福島智全国盲ろう者協会理事に代わり、庵悟同協会職員が福島理事のメッセージを代読した。
 福島氏は、情報・コミュニケーション法骨子案の取り組みに賛意を示した。ただ、権利条約では、情報保障を公的な場面に限定しているが、日常生活でのコミュニケーションの保障が抜け落ちている。また、現在権利条約批准に向けて、障害者関連法制度が変わりつつある非常にデリケートな時期であり、差別禁止法や権利条約の動向を見据えたうえで、慎重に取り組んでいくべきだと示唆した。さらに、情報・コミュニケーションに困難を持つ高齢者、外国籍の人をも含め、取り組みを広げることの重要性を説いた。
 また、ユニバーサルデザインと合理的配慮の解釈についても議論された。ユニバーサルデザインは共生社会の構築に向けて最低限必要なインフラであり、足りない部分を合理的配慮でカバーするという考えで一致した。
 一方、庵氏は、盲ろう者はテレビの文字字幕を点字ディスプレーで読むことができても、「ドラマでは誰が話しているか分からないので、合理的配慮として話し手の名も入れては」と提案した。
 これに対して、石川氏は合理的配慮は文字字幕を点字化するまでで、「それ以上のニーズには支援機器などを活用することになるだろう」と私見を述べた。
 4月5日の『毎日新聞』によると、自民、公明、民主の3党の担当者で合意した障害者差別禁止法に当たる「障害者差別解消法案」では、合理的配慮を公共機関に義務づけている。しかし、民間企業には合理的配慮努力義務を求める程度に留まる見通しだ。
 これでは、より配慮を必要とする重度障害者の雇用に結びつくのかはなはだ疑問だ。
(戸恍C永)
 (注)すべての者は、表現の自由についての権利を有する。権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。

48㎡の宝箱 ―― 京盲史料monoがたり
(25)盲生遊戯図・体操図

京都府立盲学校教諭/岸博実

 古河太四郎(フルカワ・タシロウ)が待賢校(タイケンコウ)で盲児・半井緑(ナカライ・ミドリ)に対して行った指導の実際はよく分かっていない。木刻文字などは開発されていたが、体育や遊戯の内容はつまびらかでない。しかし、古河は、盲唖院の開校直後に遊具をあつらえ、2年目には体操の時間を定め、早くから盲児の体づくりや歩行訓練に着目していた。
 『盲唖遊戯物製造伺』(明治11年)には、盲生・唖生のそれぞれが満足できる遊具を備えなければ不満が起こり、ケンカの種ともなるという認識を示している。運動不足になりがちな盲生の遊具等には「見えないこと」への配慮を凝らした。それを描いた掛図に書かれている説明をそのまま写す。読み解いてイメージしてみよう。
 盲生直行練習場:盲人ノ杖ニ倚(ヨ)ラス(ズ)シテ歩行スルトキハ動(ヤヤ)モスレハ(バ)其(ソノ)方向ヲ偏(ヘン)シ為(タ)メニ物ニ衝突スル等ノ危険アリ 蓋(ケダ)シ盲人ノ習慣タル将(マサ)ニ歩行セントスルトキ其方向ヲ感覚的中センカ(ガ)為メ首ヲ傾クルカ(ガ)故ニ却テ方向ヲ偏スルノ媒(ナカダチ)トナルニヨルナリ 是(コ)レ本院ノ此(コノ)場ヲ設クル所以ニテ凡(オヨ)ソ両臂(ヒジ)ヲ脇下(ワキシタ)ニ附シ首ヲ傾ケス(ズ)手ヲ前ニ組ミ帯ニ按(アン)シ(ジ)テ其位置ヲ変セサ(ザ)ルトキハ自(オノズ)カラ直行ヲ誤ラサ(ザ)ルモノナレハ(バ)則チ此(コノ)法ニヨリ其直行ヲ練習セシム 而(シコウ)シテ場中(ジョウチュウ)ニハ直行線ヲ区画シタル欄ヲ設ケ欄ノ各処(カクショ)ニ竹竿ヲ立テ其梢頭(ショウトウ)(先)ニ小鈴(ショウレイ)(小さな鈴)ヲ附セリ 是ヲ以(モッ)テ方向ヲ誤リ偏倚(ヘンイ)スル(片寄る)トキハ之レニ触レ忽(タチマ)チ鈴声(レイセイ)(鈴の音)ヲ発スルニ至ル 因(ヨッ)テ其鈴声ヲ発セシメス(ズ)能(ヨ)ク直行シ去ルヲ優等トス(直線距離と直角の方向転換を遊びによって訓練した)。
 盲生渦線場(ウズセンバ):盲生ヲシテ此場ノ渦線ヲ歩行セシメ方位ヲ感覚セシムルモノナリ 即チ初メ盲生数人ヲシテ場中(ジョウチュウ)ニ入ラシムルトキ空気ノ運動及(オヨ)ヒ(ビ)太陽ノ温熱ニ触ルヽ感覚ニ就キ其方位ヲ知覚セシメ置キ渦内ニ入リ漸(ヨウヤ)ク歩行スレハ(バ)従テ其方(ホウ)ニ及フ(ブ)頃看護人場外ヨリ声ヲ発シテ「方(ホウ)」ト呼ヒ(ビ)線内ノ各生(カクセイ)ヲシテ各自ニ今占考(センコウ)スル所ノ方向ヲ一時(イットキ)ニ答ヘシメ看護人一々其当否ヲ報(ホウ)シ(ジ)以(モッ)テ優劣ヲ競ハシム(曲線移動であり、東西南北まで意識させたわけで、かなり高度である)。
 盲生打(ダ)毬(キュウ)聴音場(チョウオンバ):盲生ノ遊戯ニ供スルモノニテ場ニハ各種(土(ツチ)革(カワ)木(キ)金石(キンセキ)糸竹(イトタケ)等)ノ鳴器(メイキ)(音の鳴る物)ヲ備ヘコレニ向テ毬(タマ)ヲ投(トウ)セ(ゼ)シム 而シテ其発声ニヨリ或(アルイ)ハ是レ鼓(ツヅミ)タリ或ハ是レ鐘(カネ)タリ或ハ何タリ等一々其音ヲ聴キ其物ヲ弁識(ベンシキ)セシム其能(ヨ)ク熟セルモノニ至(イタリ)テハ此音ハ円形体ノ音ナリ彼ノ音ハ方形体ノ音又何ト何ノ衝突セシ音ナリ等ノ事ヲモ容易ニ聴覚弁別シ得ルナリ(音の要素を加えることで楽しみながら「投げ方」と「音の聞き分け」の練習)。
 以下は、遊戯法についての解説である。
 鬼の遊ひ(ビ):遊戯場の中央ニ一人の盲生を置き之を鬼とし周囲ニ盲生の戯伴(ギハン)(遊びのお供)拾余人を環列(カンレツ)し(円形に並び)交互ニ鬼ニ対して背立するものと対立するものと在(ア)らしめ相互ニ我(ワガ)右手を右隣の右手に我左手を左隣の左手に繋ぎ鎖連(サレン)して(鎖のようにつないで)立(タタ)しむ 而して環列せる戯伴一斉に鬼に向ひ(前か後か)と高声ニ問ふ 此時鬼ハ戯伴中の一人誰とても彼れ我に面するか或ハ背(ソム)けるか其の声の耳朶(ジダ)に触るヽの模様より暗識(アンシキ)(推理)し面せりと信す(ズ)る時ハ(前なり)と対(コタ)へ直ちに立(タチ)て其一人の方に向ひ行き之を捉ふ果たして我信し(ジ)たる如く彼れ我に面すれハ(バ)勝(カチ)なり 我に代(カワリ)て之を鬼とならしむ然れ(シカレ)と(ド)も暗射(アンシャ)齟齬(ソゴ)する時ハ我(ワレ)復(フタタ)ヒ(ビ)鬼となるなり 其戯(タワムレ)ハ盲生ニ声の来る方向を感識せしむるに最も利益在るものとす(声を利用した鬼ごっこ)。
 盲生体操法:盲生に体操をなさしむるの仕事は実に至難の業なり。(中略)本院ハ一種の体操法を工夫し十分ニ身長の相斉(ヒト)しきもの各五人をもつて一組とし之(コレ)ニ一双(イッソウ)の長棹(ナガサオ)を与へ図ノ如く各生をして之を左右ニ把持せしめ一連とし前後の二生に特ニ此技ニ熟せしものを選(エ)らひ(ビ)他生(タセイ)を導き熟さしむるの便を与へり(前後の2人の生徒にはさまれた3人にとっては一種の他動的リハビリとなる。関節の可動域を広げるなどの効果がねらわれた)。


『盲生体操法』

(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)

編集ログ

 今年の東京は急に春がきて、あわてたように桜が咲き、「入学式までとても持ちそうにない、葉桜か?」と心配されました。ところが再び寒い日が続き、満開とはいかないまでも何とか持ちこたえることができたのでした。その間、雨も降り、風の強い日もあったのですが、そんな逆境の中でも、けなげに頑張り続けた今年のソメイヨシノでした。
 センチメンタルな季節に、桜の花はなにかにつけて「ヒロイックな潔さのシンボル」とされますが、また、別の強靱な一面も見せたような気がしました。
 NHKラジオ第2放送の「聞いて 聞かせて――ブラインド・ロービジョン・ネット」の前身である「盲人の時間」がスタートしたのは1964年4月9日(土)。来年の4月で満50年を迎えますので、今月号から13回にわたって、当時の担当ディレクターであった川野楠己さんに、“盲界の黄金時代”であった前半4分の1世紀当時を、ラジオ放送を通しての視点から振り返っていただきます。
 50年といえば、「自分が変わること」の藤原章生さんは、郡山通信部長として、「ただ生まれただけの故郷」とはいえ、この春、福島県に50年ぶりに帰ってこられました。
 「読書人のおしゃべり」を書いていただいた松田信治さんは、定年まで(株)東芝でコンピュータ関係の仕事に従事し、その後、(福)国際視覚障害者援護協会の事務局に3年間勤務して、2年前にJICAシニアボランティアとしてキルギス共和国に赴任され、今年、無事帰国された方です。
 この春、小協会でも人事異動があり、『点字ジャーナル』記者のかたわら編集アシスタントとして長年活躍した小川百合子から、担当が丸山旅人(24歳)に変わりました。今春入職したばかりのフレッシュマンです。引き継ぎ方々、今月号から担当致しました。どうぞよろしくお願い致します。(福山)

投稿をお待ちしています

 日頃お感じになっていること、記事に関するご意見などを点字800字以内にまとめ、本誌編集部(tj@thka.jp)宛お送りください。

Copyright 2004 Tokyo Helen Keller Association. All Rights Reserved.

THKA