全国の点字出版所が総力を挙げて選挙公報を発行する「日盲委選挙プロジェクト(点字版部会)」のメンバーとして、衆議院解散・総選挙の行方が気になる。
10月12日(金)〜14日(日)、東京国際フォーラムと帝国ホテルを主会場に国際通貨基金(IMF)と世界銀行の年次総会が開催される。日本での総会開催は1964年以来48年ぶりで、世界188の加盟国から財務大臣、中央銀行総裁、民間金融機関の経営幹部ら約2万人が参加する過去最大級の国際会議となる。
また、今年は日本がIMF・世銀に加盟して60年目の節目にあたるので、財務大臣を歴任した野田首相は出席するとみられ、名実共に首相として参加するためには、閉会まで解散はできない。
そこで、10月15日に臨時国会を開き、違憲状態にある衆議院の「一票の格差」解消法案と赤字国債発行法案を成立させて、衆議院を解散するのではないか?との憶測がある。
ただその場合、「定数是正法」が成立しても、施行までには3〜4カ月かかるので、年内選挙なら「違憲状態」のままの選挙になるが、最高裁は「定数是正法」が成立しておれば、「違憲だが、選挙は有効」と判断するのではないだろうか?
一方、野田首相は12月の訪露を明言しており、解散はその後、違憲状態をクリアして選挙は年を越して行われるという見方もある。その場合は、自民・公明両党の協力が不可欠だが、合意は得られるのだろうか?
これまで、年末に総選挙の投票があったのは1969年12月27日の「沖縄解散」のただ1回で、この日は土曜日だった。この選挙以降、投票は必ず日曜日に執行されている。また、歴代天皇の天長節・天皇誕生日に、衆議院(45回)や参議院(22回)の投票が行われたことは、いまだかつてない。このため、12月23日(日・天皇誕生日)以降年末の投票はないと考えるのが常識だろう。(福山)
本年度のヘレンケラー・サリバン賞受賞者は、「楽しく、わかりやすく」をモットーに、「小笹洲一」のヴォイスネームで、ユニークな朗読ボランティアを長年続けてこられた、伏島洲一郎(ふせじま・しゅういちろう)さん(兵庫県川西市・80歳)に決定した。
第20回を迎える本賞は、「視覚障害者は、何らかの形で晴眼者からのサポートを受けて生活している。それに対して視覚障害者の立場から感謝の意を表したい」との趣旨で、当協会が委嘱した視覚障害を持つ委員によって選考される。
受賞者の強い意向により、今年度は恒例の贈賞式は行わず、本賞(賞状)と副賞としてヘレン・ケラー女史の直筆のサインを刻印したクリスタルトロフィーをご自宅に届けることにする。また、受賞者に選考結果を伝え、発表に当たってのプロフィールを伺うと次のような履歴を送っていただいたので、そのまま掲載する。(編集部)
昭和6年群馬県桐生市に生まれた私は、「西の西陣」「東の桐生」と呼ばれる機場で育ち、国立群馬大学工学部紡織科に入学した。紡織とは紡ぐ、織ると書く。当時は10大紡績の業績が華やかな頃であった。
日本経済が飛躍的な成長を開始するのは、昭和29年12月からといわれているが、その年3月に群馬大学を卒業した私は、当時大手の総合商社であった伊藤忠商事(株)に入社、輸出繊維機械課に配属される。関西をまったく知らない私は、まずその関西弁にとまどった。アジア各地から来日した外国人バイヤーに応接するなどして英語も学び、やがて昭和35年パキスタンのカラチに駐在を命じられ、そこで繊維機械と紡績プラントを売り込んだ。当時円借款が行われ仕事は忙しかった。競争相手は日本のメーカーと商社だった。
4年たって帰国し大阪本社で輸出産業機械課に配属されたが、東京本社にすでに産業機械部があり、大阪で売る物は少なかった。それでも農業機械などを売るため、東南アジアなどに出張を繰り返した。当時のソ連のモスクワにも2度、3度出張した。
やがて、イランのテヘラン支店長を命ぜられ、昭和44年赴任した。当時のイランはパハラビ国王の下、白色革命と称して近代化に邁進していた。しかし、その影響からか民衆の心が少しずつ険しくなっているようだった。三井物産の社長がパハラビ国王と差しで話して、イラン石油化学プロジェクトを決めた、という噂が飛んだ。このプロジェクトは後のイラン・イラク戦争で挫折する。また、帝人がイラン西部のルリスタンで石油開発の権利を手中にすべく交渉中だった。そんな中、伊藤忠も天然ガスに興味を持ち、イラン国営ガス公社に接触したが、いずれも実現しなかった。イランでの仕事といえば新日鐵の鉄橋を5つ売ったくらいで、その一つメソポタミア平原の現場に行ったときは、50℃に近い炎暑のためついにトラックの助手席から降りられなかった。
4年たってまた大阪に帰った。今度は建設部だった。当時はバブルの最中で猫も杓子も土地買いに走っていた。商社もその例に漏れず、私も売れない土地を随分買った。なんにもできず暗い日々が続いた。そんなときテレビに、盲目の三療師が治療を施しながら、テープレコーダーで朗読を聴いている姿が映った。私の目は釘付けになった。私は大学時代、演劇をやっていたので、アクセントには自信があった。
こうして、土地のボランティアに混じって吹き込みを始めた。大阪の日本ライトハウスの橋本さんに会って色々と示唆を得た。そうして始めたのが週刊誌の抜粋を毎週テープ1巻に入れる『週刊ニュース』だった。
昭和53年4月、社命を受けて福岡支店に転勤、朗読ボランティアの釜堀さんの助けを得て、7人の盲人に『週刊ニュース』を送り始めた。『週刊ニュース』のテキストを『西日本新聞』に変えた。福岡市立心身障がい福祉センターのセンター長から依頼されて『週刊ニュース』の福岡版を作った。この『週刊ニュース』は昭和58年に大阪に帰任した後も数年続け、毎週金曜日、大阪の北浜にある西日本新聞社大阪支社に寄って1週間分の新聞を買い、土曜日に吹き込んで日曜日に航空便で福岡に送った。その後も、数冊の月刊誌から記事を集めた『月刊ニュース』などいくつか新規に作った。
『選択』は昭和57年11月、福岡で始めた。新聞やテレビ・ラジオでは報道されない世界の、また日本の動きをぜひ視覚障害者も知って欲しい、と思ったのだ。70%抜粋のテープ4巻で始めた。IBRD、IMFなど専門用語に簡単な説明を付けた。平成15年には名古屋のNPO「ひなぎく」さんからお誘いがあって100%収録のCD版も作った。私の調査では最盛時1,000人を超す視覚障害者が『選択』を聴いた。『選択』を平成24年3月号をもって私はやめた。理由はやはり年齢だ。29年と5ヶ月だった。いまは福岡市立点字図書館がサピエのダウンロード方式で『選択』を製作している。『フォーサイト』も『選択』同様、テープ版とCD版を作ったが途中で休刊となった。利用者は500人くらいだった。
私のヴォイス・ネームは福岡点字図書館の永野先生につけて貰った。やはり会社にはあまりおおっぴらにしたくなかったからだ。その後会社を退職してもヴォイス・ネームは続けている。視覚障害者にはその方が通りがいいからだ。
点字図書館は、最近は公共図書館も、著作権の制限の枠外なので、著者や出版元の許可を得ずに音声化できるが、私は個人の資格なのでそのつど許可をお願いしている。私がいままでに吹き込んだ作品は優に100冊を超えるが、一例を挙げると、宮城谷昌光さんの『楽毅』『奇貨居くべし』、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』、塩野七生さんの『ローマ人の物語』『十字軍物語』、陳舜臣さんの『桃源郷』『小説十八史略』『中国の歴史』、北方謙三さんの『水滸伝』『楊令伝』『岳飛伝』、手嶋龍一さんの『ウルトラ・ダラー』『ブラックスワン降臨』。利用者は通常150〜300人くらいだった。
余談を一つ、私がカラチとテヘランに駐在したとき、日本航空の支店に小倉さんという方がいた。山崎豊子さんの小説『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元のモデルだ。日本人会の会議などで卓抜な議長ぶりを発揮していた。そんなわけで『沈まぬ太陽』には力が入った。その後、福岡市の90歳の盲女性から点字の手紙をいただいた。そのままでは読めないので、福岡市立点字図書館に訳文(?)を作ってもらい、著者の山崎さんに送った。山崎さんは感激して、NHKで放送された対談の中で何度もその老盲女性の名を呼び、ありがとう、を繰り返していた。私も嬉しかった。この『沈まぬ太陽』、利用者は1,000人を超えた。
私はいま、『選択』テープ版を、先に聴きたい人、私の声で聴きたい人、テープでしか聴けない人、合わせて8人に個人的に送っている。もちろん選択出版(株)にもこのことは伝えてあるし、福岡市立点字図書館の製作をじゃまする気持ちは毛頭ない。ただ、29年5ヶ月を30年にしたいからだ。
最後に、私一人でいくら力んでも事業は立ちゆかない。スムーズに事を運ぶにはやはり協力と支援が必要だ。幸い私はその点で恵まれた。それは各地で今日も視覚障害者に手を差し伸べている点字図書館だ。特に色々と協力してくれた東京ヘレン・ケラー協会点字図書館、『選択』のテープ版の全国発送をやってくれた兵庫県点字図書館、『フォーサイト』のテープ版の全国発送をやってくれた大阪府盲人福祉センターには深甚の敬意と謝意を表したい。
いま、盲人への情報伝達手段はテープからCD(デイジー)へと主流が変わったが、平成10年頃から名古屋のNPO「ひなぎく」さんの協力を得て、私が音声化した作品はすべてCD版を作った。CD版は私が作った配送ルートに乗って、まず、7カ所の点字図書館に直送される。CD編集費用を含め実費は私の負担である。CD版は7カ所の点字図書館から館館貸借でさらに他館へ送られ、少なくとも20数カ所に及んでいる。「ひなぎく」さんにも深謝したい。(伏島洲一郎)
サリバン賞の選考委員は、全員協会外の視覚障害者で構成されている。したがって、協会関係者が選考結果に口を挟むことはない。しかし、長年選考委員会に陪席していると、事前に、今年はこの人が選ばれそうだと分かる。しかし、今回は大きくはずれた。
従来、点訳・音訳ボランティアは、多すぎて選びにくいからと敬遠されてきた。ところが伏島さんの活動は、単なる朗読だけではなかった。
国際、政治、経済、社会・文化の4パートと連載随筆などで構成され、政財界をはじめとする指導者層などを対象とした会員制の月刊総合雑誌『選択』がある。書店で販売されていないので、「知る人ぞ知る」だが、思想の左右の区別なく質の高い分析や、新聞などが報じない本音や事実を報じることで定評のある雑誌である。
伏島さんは同誌の音声版の許可を出版元から得て、昭和57年11月から長年、私財を投じてカセットテープ版やデイジー版を30年になんなんとする期間製作し続けてきた。しかも、分かりにくいところには、注釈を入れ、内容をよく咀嚼して朗読するので、「分かりやすい」と愛読者から熱烈に歓迎された。また、昭和60年には小笹会名義で「盲人用録音物等発受施設」を当時の郵政省に申請し指定を受けて、現在に至るまで継続していることが高く評価されたのであった。
単なる朗読ボランティアとしてではなく、小笹会代表として、伏島さんがプロデュースした業績を含めて、多面的に評価しての選考結果である。
伏島さんは3、4年前イランへ観光に出かけた。するとホテルでも飲酒厳禁で、ノンアルコールビールしか飲めなかった。また、空港では同行の女性の服装について、厳しい注意も受けた。「かつては、近代化を急ぎ人々の生活には世俗的な面もあったが、いまは厳しい戒律のもとで暮らしている。あらためて時代の流れを考えさせられたよ」と語った。報道などで十分承知の上とはいえ、左党としてはいささか物足りないセンチメンタル・ジャーニーであったようだ。(福山博)
話を急ぎすぎたかも知れない。というのも、古河太四郎は、文字指導法の入口に一切の道具を用いず、指で描く「背書掌書之法」を設けたのと同じく、計算も、全く道具の要らない手指を折り曲げるだけで数字を表す方法を編み出していたからだ。
それを「手算法(しゅざんぽう)」と呼ぶ。『明治十七年五月於岡山県県学事奨励會之節出品・京都府盲唖院出品説明書』中、古河は算数教育の項のトップに「盲生手算法図」を示している。
「盲生ニ算器ヲ用ヰス容易ニ加減乗除ヲナサシムル為メノ法ニテ 手指ノ屈伸手掌ノ俯仰及ヒ帯上帯下ノ位置等ニヨリ 各種ノ数ヲ標シ以テ算理ヲ解セシメ思考探究ノ力ヲ養成スルモノナリ」
指の曲げ伸ばし・掌の向き・手の位置によって数を表し、加減乗除の計算をすることができるという訳だ。暗算を助ける手法だという。しかし、この説明は、それだけを読んだのではわかりにくい。「図」に添える解説文として書かれているからである。幼児が行う「指を折りながら数える」やり方に近いが、それとはかなり趣を異にする。
B5サイズの和紙2枚組による『手算法略図』と題する絵図もある。江戸時代から京都で活躍し、明治政府の御用書林にもなった村上勘兵衛による製本。明治11年に印刷されたものだ。黒で手指の輪郭と文字を、肌色で手指を、水色で着物の袖をと、3色に刷り分けてある。これは京都盲唖院の開業式に参集した人々に配られた。
1枚目は、右半分に、手の位置(体幹・腰に照らしての左右・高さ)がまとめてあり、左半分の16区画に分けた表の中に、1〜40までの指のかたち(一〜十、十三、二十、二十一、三十、三十五、四十)が描かれている。10までは全ての数が示され、それより上、40までは、飛び飛びの例示である。2枚目は、32区画に四十六〜九千九百までの指使いが、これも例示の一覧となっている。
その指使いを文字に置き換えると、次のようだ。1〜9までは、左手が描かれ、腕は体側に沿って垂らしたままの設定である。一は、人差し指だけを曲げる。二は、人差し指・中指を曲げる。三は、人差し指・中指・薬指を曲げる。四は、親指以外を曲げる。五は、親指だけを曲げる。六は、親指・人差し指を曲げる。七は、親指・人差し指・中指を曲げる。八は、小指以外を曲げる。九は、全ての指を曲げる。六〜九において、親指は人差し指などの下に隠れる。親指を5に見立てるのは算木や算盤に通じるが、五珠を越える四珠算盤のような対処が求められた。
10〜19は、左手を(へその左)に置き、指定された指使いをする。(へその左)が十位と名付けられている。左手を十位に置き、親指と人差し指の先をつけて円の形を作ると十となる。十三は、十位で三と同じ指使いをする。二十位(胸の高さで、十位の真上)三十位(へその左の左)四十位(左の乳あたり)千位(へその右)二千位(千位の真上)など8つの位置が定められている(50は左手の甲を上にする。60〜90は本稿では略す。100以上は右手で表現する)。
こうした一連の方法によって1〜9999まで表現しうるが、0(零)はない。当時の文書によれば、これは唖生にも用いた。京都府立聾学校資料室に保存される『手算法略図』と題する掛図でも、数字の表し方は同じである。
幼児が数を唱えるとき、親指から折り始めて1、2、3と進む。それとは異なる指使いを選んだ理由は? 手の位置や複雑な指の運転は誰にでも習得できたかどうか。
また、現在の日本手話においては、指を立てることによって数を示す。それは相手に見せることを優先する必要や意図によろう。古河が指を曲げたことをどう評すればいいか。当時の外国手話は数字をどう表したか。これらには聾史・聾教育の研究者と共同してアプローチする必要があるのかもしれない。
来月の日本盲教育史研究会(仮称)発足を機に日本聾史学会との連携が生まれる兆しもある。
手算法略図
(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)
本誌先月号の久松寅幸先生の「リレーエッセイ」で、世界的な指揮者で作曲家の小林研一郎東京藝術大学名誉教授が作曲した「愛のうた」(長崎県立盲学校愛唱歌)ができたことが紹介されました。すると読者から小誌編集部にどんな曲なのか?楽譜はないのか?という問い合わせがありました。
そこで、久松先生を通じて、長崎県立盲学校から楽譜が提供されましたので、小誌本年2月号「国境を越える点字楽譜」で紹介しました堀江ユキナさんのご協力で、点訳しました。点字郵便、もしくはEメールによる添付ファイルで「愛のうた」の点字楽譜を無償でお送りいたしますので、ご希望の方は当編集部までご請求下さい。
なお、長崎県立盲学校愛唱歌「愛のうた」は、オクタヴィア・レコードから2012年7月25日に発売された一ノ関佑子(歌)、小林研一郎(ピアノ・編曲)の兄妹による叙情歌集「ふるさと」の中に収録されています。商品番号はEXCL-00086、定価3,000円(税込み)で、「アカシアの径」以外は、2011年12月15・16日埼玉・三芳町文化会館(コピスみよし)にて収録されたものです。
収録曲目は「故郷」高野辰之(作詞)・岡野貞一(作曲)、「浜辺の歌」林古渓(作詞)・成田為三(作曲)、「ゆりかご」平井康三郎(作詞・作曲)、アイルランド民謡「ロンドンデリー・エアー」津川主一(日本語詞)、「ふるさとの」三木露風(作詞)・斎藤佳三(作曲)、「かんなのお花」(作詞不詳)・小林研一郎(作曲)、「藤棚の下に私は眠る」サトウハチロー(作詞)・小林研一郎(作曲)、「初恋」石川啄木(作詞)・越谷達之助(作曲)、「千の風になって」新井満(作詞・作曲)、「ねんねんねむの葉」(作詞不詳)・小林研一郎(作曲)、「薬とり」西條八十(作詞)・小林研一郎(作曲)、長崎県立盲学校愛唱歌「愛のうた」永井隆(作詞)・小林研一郎(作曲)、「アカシアの径」鈴木薫(作詞)・多田武彦(作曲)・小林研一郎(歌)。(編集部)
「『愛のうた』がCDに」で触れましたように、長崎県立盲学校愛唱歌「愛のうた」の点字楽譜を点字郵便、もしくはEメールによる添付ファイルにて、無償でお送りいたします。ご希望の方は、当編集部まで郵便、電話(03-3200-1310)、またはEメール(tj@thka.jp)にてご請求下さい。なお、「愛のうた」の墨字楽譜については、直接、長崎県立盲学校へお問い合わせください。
先月号の巻頭コラム「ビデオ判定の何が悪い」に対して、ある読者から「審判の質の向上に努力しないで、安易に、ビデオに頼れば『ロボット審判』の導入に繋がるかと、感じています。錯覚が有るから、人生は、楽しいかと思います」という、ご批判がありました。
私は、写真判定でも、ビデオ判定でも、「ロボット審判」でも、オリンピック、パラリンピックでは正しくジャッジすることを優先すべきであると思うので、先の考えを改める必要性を感じません。
ただ、「サッカーの判定は人間がするもの」、「試合の流れを妨げる」などの理由で、ビデオ判定等を導入しない国際サッカー連盟(FIFA)の姿勢は尊重したいと思います。
プロ野球の場合、観客席に入った打球が本塁打であるか、ファウルボールであるかだけが、ビデオで判定されていますが、これも見識だと思います。その昔、「俺がルールブックだ」と言い放った名物審判がいましたが、プロ野球はスポーツとはいえエンターテインメント的要素もあるので、そういう意味では「錯覚が有るから、人生は楽しい」は首肯できることです。
しかし、4年に1度のオリンピックやパラリンピックではできるだけ正確にジャッジすべきではないでしょうか。そして、もっとも悪いのは、ビデオ判定、機械判定を導入しておきながら、なおかつ中途半端に運用することです。このように、私は先月号の巻頭コラムで主張したかったのです。審判の質の向上とは関係ありません。(福山)
日頃お感じになっていること、記事に関するご意見などを点字800字以内にまとめ、本誌編集部宛お送りください。