7月29日のロンドン五輪柔道男子66kg級の海老沼匡(えびぬま・まさし)とチョ・ジュンホ(韓国)の準々決勝で、1度はチョに上がった3本の旗が、畳の下の審判委員(ジュリー)が3人の審判団を呼びよせて再判定となり、今度は海老沼に旗3本が上がった。この判定が覆ったことに対して、7月30日付のスポーツ各紙は、「技の判定が変わることは多いが、試合の優劣の判定結果が覆るのはきわめて異例」、「審判と審判委員の権限があいまい」、「審判は絶対というスポーツの常識に反する」として一斉に批判した。
だが、ビデオ判定を本格運用するということは、審判は絶対という常識が覆るということではないのだろうか? カメラの小型軽量化によって設置台数が増え、様々な角度からの撮影が可能になり、審判が見えなかった部分を映し出して、ミス・ジャッジを探すのもテレビの演出になった。その映像が映し出す赤裸々な事実に対して、謙虚に誤審をなくそうと採用されたのがビデオ判定のはずである。
柔道におけるビデオ判定は、現在日本男子チームを率いる篠原信一(しのはら・しんいち)監督が敗れたシドニー五輪男子100kg超級決勝で、篠原の内股すかしが、ドイエ(フランス)の内股と判定される「世紀の誤審」が問題となり、当時のスポーツ紙は一斉に批判し、誤審に対処するため、2007年から本格運用された。
審判は絶対などという因習にこだわると、敗者を勝者にすることになりかねない。微妙な判定は相撲のようにビデオで検証して、勝敗を明確にすべきなのである。
ロンドン五輪体操男子団体決勝、日本の最終演技者内村航平は最後の着地で大きく乱れ、日本は4位に転落した。しかし内村の最後の降り技の判定をめぐり、日本が抗議して審判団が協議。抗議が認められて2位に繰り上がり、日本は銀メダルを獲得した。素人目には失敗に見えたが、ビデオは難度の高い技を繰り出す内村を、しっかり映し出していたのである。(福山)
オリンピックが始まると、まことしやかに囁かれる流言がある。オリンピックで目覚ましい活躍をする黒人が、水泳で冴えないのは、骨密度が高く水に浮きにくく、水泳に不利だからというものだ。骨密度が高いというのは事実らしいが、だからといって水泳に不利とは限らない。骨密度は20代でピークになるから、20代は水泳に不利だろうか? 皮下脂肪が多い方が水には浮きやすいが、それが競泳に有利であれば、水泳選手はみなメタボ体型のはずである。
シドニー五輪50m自由形で金メダルを取ったアンソニー・アービン、北京五輪競泳男子400mリレーで金メダルを取ったチームのカレン・ジョーンズは、共に米国男子黒人スイマーだ。ジョーンズは、ロンドン五輪では男子50m自由形で銀メダルをとった。だから黒人の一流スイマーがまったくいないわけではなく、骨密度は関係ない。
問題は、黒人の水泳人口が圧倒的に少ないことにある。全米の人口比率では12%強もいるというのに、全米水泳五輪代表選考会へ出場する黒人の割合は1%に満たない。
日本は島国であるから伝統的に教育の中でも水泳を重視し、小学校では必修だ。このため、全校生徒50人にも満たない過疎地の小学校にもちゃんとプールはある。一方、米国は夏休みは長いが、プールがある学校は限られており、子供たちは民間の水泳学校に通うしか手はない。もちろんそれなりに費用がかかる。
これはある種の文化の違いで、大邸宅や裕福な階層が住む集合住宅にあるのがプールなので、公営プールはとても少なく、黒人居住区にはまずない。一方、陸上競技、野球、フットボール、テニス、バスケットなどのできる環境は充実している。
米国では実に黒人の7割が泳げず、水難事故で死亡する確率は、他の人種より3倍も高い。このため自身も5歳の時におぼれ九死に一生を得たゴールドメダリストのジョーンズは、「安全に泳げる環境を整えたい」と自身のトレーニングのかたわら、人種を問わず子供たちに水泳を指導している。(福山)
古河太四郎が考案した教具のなかで最も知られているものの一つが、古河式盲人用算盤である。「半顆(はんか)算盤」とも「半珠(はんだま)算盤」とも呼ばれた。「半球(はんだま)算盤」と書かれた文献もあるが、「珠算」の「珠(タマ)」であるから、「半珠算盤」のほうが適切だと考えられる。
市販の一般的な算盤は、指の動きを敏感に反映し、珠が円滑に動くのが良品とされるだろう。しかし、古河は、それでは「手の摩擦により算珠の転動し易きにより数位を乱すの害あり」と気づいた。盲唖院に通う子どもたちは、洋服でなく、筒袖の着物を着ていた。不用意に腕を動かすと、袖の先が珠を乱すという不具合も生じたに違いない。できあいの算盤には、見えない子らにとって、位取りを認識する点でも不便さがあった。
「半珠算盤」は、三つの特色を持っている。
1.算盤に底板を貼り付けた。
2.珠の下部3分の1ほどを切り取った。
この二つの改良によって、珠は、軸に貫かれて宙ぶらりんの状態に浮くのではなく、下端が底板に接触する仕様に変わった。その結果、珠と底板に摩擦力が働く。すると、指や袖に影響されて珠が乱れる現象が減殺される。同時に、珠がぐるぐると回転しないので、扱いやすい。
3.上下の枠、五珠と一珠の間の梁に、刻み、もしくは鋲を施した。
これによって、普通の算盤に描かれている定位点が見えなくても、くっきりした触感によって位取りを把握しやすくなった。
以上の要点を、古河自身が説明した文章がある。『明治十七年五月於岡山県県学事奨励會之節出品 京都府盲唖院出品説明書』の中の、「盲生半顆算盤」の項である。
「尋常ノ珠算盤ハ盲人ノ運算ヲ課スルトキ手ノ摸擦ニヨリ算珠ノ転動シ易キヨリ数位ヲ乱スノ害アリ此算盤ハ即チ此害ヲ防カン為メニ製セルモノニテ算珠ハ悉ク其半球ヲ欠キ欠処ヲシテ殆ント盤底ニ触レシメタレハ回転自由ナラス為ニ算数ヲ混乱スルノ患ナシ又算盤ノ上下両辺及ヒ背梁ニ大小ノ凸所ヲ施シタルハ以テ定位ノ標準ヲ摸識スルニ便セルモノナリ」。
念のために説明を加えると、古河の創作した「半珠算盤」は、現在の「4珠」式ではなく、一の珠が5個ある「5珠」であった。全体のサイズは算盤としては比較的大きめだ。明治14年よりも前には「金球を竹串に貫通したもの」を使っていたとする記録が残っているが、実物は見当たらない。
京盲資料室には、「こはぜ算盤」も保存されている。これは、足袋のかかとの部分を留め合わせる小鉤(こはぜ)の形をした珠 ―― 「将棋のコマに似ている」とも形容できる ―― を用いた算盤である。その珠を、手前から向こうへ倒す、向こうから手前に倒すという処理によって、数を表す。普通の算盤だと、上から力を加えると多少とも珠が乱れる可能性があるが、この方式ならば、その問題はほとんど生じない。
現在は、合成樹脂製で、上部に一般の算盤の珠の形を施したタイプが広く用いられているが、これも「珠を倒す」という使い方である。「珠を倒す」という発想は「こはぜ算盤」を受け継いだものといえよう。
「こはぜ算盤」の考案者は、岸高丈夫(きしたか・たけお)であった。従って、「岸高式算盤」とも称される。岸高は、東京盲学校の教官として、大正7年からおよそ2年間、米英仏に留学、同14年から京都府立盲学校長となった。理科や数学に詳しく、多数の一般用・盲学校用教科書や教具(立体地図等)・器具(点字タイプライター等)を考案した。
「半珠」にせよ、「こはぜ」にせよ、通常の算盤をベースにしているからには、縦書き筆算とは別種の計算であり、異なる学習形態とならざるを得ない。機能の違いがあるからだ。加えて、点字という文字の特性、点字器や点字タイプライターの性能も、縦書き筆算にはなじみにくい。明治から大正にかけ、その課題への挑戦が重ねられることとなった。
盲人用算盤
(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)
『点字ジャーナル』8月号を読ませていただきました。海外の、それも、課題の多い地域で活躍されている女性が、際だっていたように思うのは、ひいき目でしょうか? 実に、天晴れの思いで読みました。日盲社協の記事に、知り合いの名前があったので、久々に電話をして、しばし歓談できました。
しばらく暑さが続き、鰻の値段も鰻登りとか、編集スタッフの皆様方も、ご自愛願います。(埼玉県/品田武)
残暑お見舞い申し上げます。突風に竜巻、ゲリラ豪雨と異常気象、これからは台風の来襲もあるかも知れません。読者の皆様、ご自愛専一に願い上げます。
『ルイ・ブライユの生涯 天才の手法』を「読書人のおしゃべり」で取り上げるにあたって、どなたに寄稿していただくかで悩みました。点字版はまだ出ておらず、墨字版も出たばかりで、読んでいる人は同書の関係者ばかり。その果てに大内進先生にたどりついたのは、同書の原文を読んでおられたからでした。かくして、8月号に続いてのご登場となりました。なお、同書の点字版は厚労省の委託図書として日本点字図書館から全4巻で、近々発行されます。
兵庫県立盲学校(視覚特別支援学校)の同窓会で事務局を担当している山本正樹様から小誌8月号の編集ログ中「昭和14年に兵庫県立盲学校の設立とあるのは、大正14年の誤りです」というご指摘がありました。山本様のご指摘の通り、「昭和14年」というのは「大正14年」の誤りです。
兵庫県立視覚特別支援学校のホームページを見ておりながら、年号を間違えてしまいました。まさに「恥の上塗り」でした。関係者の方々に大変なご迷惑、ご心配をおかけしましたこと、ここに訂正して、お詫び申し上げます。(編集長/福山博)
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