THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2012年8月号

第43巻8号(通巻第507号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

巻頭コラム:「英語版」を和訳してほしい! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(新連載)フィリピン留学記:自己紹介と彼の国への思い(石田由香理) ・・・・・・・・・
5
読書人のおしゃべり:久松寅幸著
  『視覚障害教育の歴史・現状・課題』を読んで(大内進) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
18
シンガポールは意外と遠い 搭乗拒否初体験、
  タイガー・エアウェイズとの戦い(堀内佳美)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
23
嵐の中の「日盲社協和歌山大会」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
ほのぼのとした笑いと、盛大な拍手に包まれて
  第5回シティライツ映画祭 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
33
鳥の目、虫の目:「アシスタント」から「アソシエート」へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
協会ホールで開催! サポートグッズフェア2012 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
自分が変わること:トレーニングとしてのデモ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
39
48㎡の宝箱:盲人用算木 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
44
(納涼特別寄稿)リレーエッセイ「ワイド」:廃校の瀬戸際から蘇った
  ライトハウス・ミュージック・スクール(加納洋) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
48
外国語放浪記:盲ろう者の総会で ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
大相撲:名古屋場所と平幕優勝 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63
伝言板 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
68
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

巻頭コラム
「英語版」を和訳してほしい!

 「東電・国による人災」、「規制の主従逆転を指弾」と7月6日付各紙(朝刊)には、同工異曲の刺激的な活字が踊った。国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調・黒川清委員長)による報告書に関する記事が、大きく好意的に取り上げられたのだ。
 関連して、七夕の日のA紙には「原発事故はメード・イン・ジャパン」と題した記事が掲載された。「序文は英語版と日本語版で内容が異なる」というのだ。それで、国会事故調のホームページ(HP)からダウンロードして、両者を辞書を引きひき較べてみた。
 結論は、目くじらを立てるほどの違いはなくほぼ同工異曲、読者が違うのだからむしろ序文は違っていい。それより私が「あれ!」と思ったのは、「英語版の方が解りやすいぞ! こいつを素直に和訳してHPにアップしてくれ!」ということだった。
 国会事故調の報告書(日本語版)には3種類ある。まず全641ページの本編の報告書、それを要約した本文44ページに付録がつき99ページとなった「要約版」、それをさらにまとめた10ページの「ダイジェスト版」。本編も今後英語版にまとめるそうだが、現在英文であるのは、本文46ページに付録がついた86ページの「エグゼクティブ・サマリー」という英文要約版だけだがこれがよくできている。
 英文要約版には、黒川委員長の近影以外に、爆発した原子炉建屋の航空写真2葉、東電の清水元社長と管元首相の写真。日本地図と、その一部を拡大して福島県・成田空港・東京の位置関係を示す地図、福島の被災地地図、福島第一原発の配置図、原発建屋の構造断面図などが示されている。
 それで、日本語の「要約版」はというと、これらは50年前の盲学校の教科書よろしくそれらはみごとにすべて省略である。しかももってまわった難解な日本語でとても分かりづらい。「英文要約版を素直に和訳したものがほしい」というゆえんである。(福山)

シンガポールは意外と遠い
搭乗拒否初体験、タイガー・エアウェイズとの戦い

タイ王国チェンマイ県/堀内佳美

 5月2日(水)午後5時、私はバンコク、スワンナプーム空港の格安航空会社タイガー・エアウェイズ(以下、タイガー)のカウンターの前で呆然と立ち尽くしていた。うわさに聞いていた、「介助者同伴なしの障害者搭乗拒否」という現象に、ついに遭遇してしまったのだ! 他人事ではなくなってしまったこの事実について、誌面をお借りして書いてみたいと思う。
 私は、高知県出身のアラサー全盲女子であるが、現在「アークどこでも本読み隊」(アーク)という小さいNGOを立ち上げ、タイの中部と北部で活動している。この日は、タイで活動するのに必須であるビザを更新するため、シンガポールへ向かうところだった。当然のことながらできるだけコストを抑えたい私としては、格安航空会社を中心にチケットを探し、友人が探し当ててくれたタイガーの、バンコク・シンガポール往復4,500バーツ(1万2,000円弱)という東京から実家へ帰るよりも安いチケットを購入した。
 いつものようにバンコクのアパートからBTSとエアポートリンクという2つの電車を乗り継いで空港に到着。タイガーは初めてだったので、たまたま降りる時に声をかけてくれた女性にお願いして、カウンターを一緒に探してもらった。彼女は、エアアジアという別の格安航空会社に乗ることになっていたのだが、その割と近くにタイガーを発見。お礼を言って女性と別れた後、早速カウンターで搭乗の手続きを始めようとした。ところが。
 「お客様、ご同伴の方はいらっしゃいませんか?」
 「いえ、1人ですが・・・」(いやな予感)
 「それではご搭乗いただくことはできません。当社のポリシーで、介助を必要とされる方のお1人での搭乗はお引き受けしておりませんので」
 ・・・しばし絶句。ついに来たか、と思った。でも、まさか、とも思った。「ありゃーー」という感じである。
 実は、5年ほど前、エアアジアでマレーシアへ行った時、似たような経験をしていた。その時は、「特別に」ということで、スタッフの人が誘導してくれたが、「基本的には同伴者なしはだめ」、と言われてびっくりしたことがあるのだ。しかし、その後各障害当事者団体などの働きかけや、もっとシュールな裁判などがあり、状況は劇的に改善されている、と思っていた。事実、この2年ほどの間に何度もエアアジアなどの格安航空会社に乗った時も、非常にきちんとした対応をしてもらっていたので、もうそれが東南アジアの空の常識になっていると思ったのだ。ああ、勘違い。
 そのまま、「あー、そうですか」、とうちへ帰るわけにもいかないので、オンラインでチケットを購入した際にはそのようなポリシーは明記されていなかったこと、格安も含めたほかの航空会社でも、ここ数年はそのような扱いを受けたことがないことなどを説明してみたが、「ポリシーですから」の一点張り。「少々お待ちください」と言われてさらにカウンターの前で待つことしばし。
 「ただいま電話で確認しましたが、機長もご搭乗いただくわけにはいかないとのことです」と宣言されてしまった。パイロットさんにまで断られてしまったのだ。ついには、私の目の前で搭乗手続きを締め切ってしまった。
 「TR2113搭乗完了です。客員数102名、預け入れ荷物合計143個、合計重量1250kg・・・」などと目の前で行われる報告を聞いていると、自分が透明人間になってしまったような錯覚すら覚えて、ちょっと悲しくなった。
 でも、シンガポールでは友人が空港へ迎えに来るつもりで待ってくれているし、今日を逃したらビザの申請にも間に合わなくなってしまう。とにかく私はシンガポールへ行かなければならないのだ。悲しくなっている場合ではない、と行動を開始した。
 困った時の神頼み、ではないが、こういう時は大きい団体の責任者に応援してもらうのが一番、と思い、タイ盲人協会のキティポンさんに電話で相談した。ヴィヴァ・ケータイ電話だ。とにかく、カウンターのスタッフではなく、責任のある人と話させてもらうようにお願いし、それで話し合ってみて埒が明かなければキティポンさんが直接話してくださることになった。
 いざ、と向き直って、「責任者の方をお願いします」というと、「もううちへ帰ったのでおりません」。内心「えーー?!」と思いつつ、それでもさらに粘ってみたら、電話で話させてくれた。でも、責任者の方もやっぱりポリシーで完全防御。チケットの払い戻しは可能かもしれないけれど、ほかの会社のチケット購入は私が負担しなければいけない、とのこと。そんな不条理な話は納得できないので、ついにキティポンさんに登場してもらい、何とかその場しのぎの合意案に至った。合意案とは、次の便(2時間後)に乗る一般の乗客の誰かに、私と一緒にチェックインし、シンガポールの到着ロビーまで行動をともにしてもらう、というものだった。
 こうして、急いで友人に遅れて到着する旨を連絡し、間一髪、真夜中にシンガポールに降り立つことができたのだった。キティポンさんに大感謝である。シンガポールがこんなに遠いとは思わなかった。ちなみに4日後の夜の便でバンコクへ戻ったときは、何とか機内までと、到着ロビーまでの案内をしてもらえた。
 友人の家族のおかげで、無事ビザも取得し、タイに帰って来られた私は、いまさらながらいろいろ考えてみた。まず、皆さんがうれしそうに使っていた「ポリシー」という言葉だが、いくら何でも乗客の人権侵害すれすれのこんなことまで「ポリシー」だけで通してしまっていいのだろうか? そして、よく使われる「うちは格安なので、人材も足りないし、そういうサービスはこのチケットには含まれていない」という言い訳もいまいち説得力に欠ける。
 だいたい、1,000円ぐらいで乗れてしまう高速バスや、10バーツで乗れるローカルの路線バスですら、乗り降りの時のサポートぐらいしてくれるのに、いくら安いからといって飛行機でそれぐらいの基本的サービスができないはずがないではないか。もしどうしてもお金の問題だというなら、その分少しだけ追加料金を取る、というような譲歩策もあるのに、「とにかく乗せてあげなーい」、というのはあまりにも子供っぽい。
 現在、タイの友人と協力し、このようなケースを集め、ペティション(陳情書)を作成しているところだ。このような差別的ポリシーを設けている世界中の航空会社を事例とともにリストアップし、オンラインで署名を集めてみようと思っている。障害を持つ人も持たない人も消費者レベルで巻き込めれば、必ずこの状況は改善できると信じている。

鳥の目、虫の目
「アシスタント」から「アソシエート」へ

 東京ヘレン・ケラー協会では、点字出版所長や点字図書館長、海外盲人交流事務局長の下の職制に「次長」職がある。その英文表記は、これまで「アシスタント・ディレクター(Assistant Director)」であったが、この4月から「アソシエート・ディレクター(Associate Director)」に変更した。
 「アシスタント・ディレクター」は英語で「助監督(AD)、副院長、副学園長、副館長、省庁の課長補佐」という意味なので、「次長」の英訳として適切であり、英語圏であればまったく問題はない。ところが、インドネシアやネパールでは事情が違い混乱が起こった。
 例えば海外盲人交流事業事務局次長がネパールで名刺を出すたびに、ネパール盲人福祉協会の事務局長がわざわざ「アシスタント・ディレクター」とは、「アソシエート・ディレクター」という意味であると、誤解を避けるために紹介することが実際にあったのだ。また、そういう喜劇的な場面で、「英語本来の意味はこうだ!」と主張しても始まらない。
 開発途上国によっては、どうも「アシスタント・ディレクター」という職制を乱発しているようで、単なる「アシスタント」程度の意味しか実際にはない組織もあるようなのだ。「謙譲の美徳」どころか、精一杯背伸びをする文化、「ハッタリ文化」では、勝手に「アシスタント・ディレクター」を名乗るやからもいるようである。
 それでは、英語本来の意味において「アシスタント・ディレクター」と「アソシエート・ディレクター」のニュアンスの違いだが、准教授がアソシエート・プロフェッサー、助教授がアシスタント・プロフェッサーと翻訳されることで見当がつくが、アソシエートの方が、アシスタントが付く方よりちょっと上なのだ。
 したがって、ディレクターとアシスタント・ディレクターの中間に別の職制があると、アシスタント・ディレクターをアソシエート・ディレクターに変更するとヒエラルキー(階層構造)が不明確になるので難しくなる。当協会ではそういう誤解の余地はないので、次長職に「アソシエート・ディレクター」を当てたわけである。(福山)

48㎡の宝箱 ―― 京盲史料monoがたり
(17)盲人用算木(さんぎ)

京都府立盲学校教諭/岸博実

 京都盲唖院の創立者・古河太四郎は、白景堂という寺子屋を経営する家に生まれた。白景堂は5、600人の寺子を擁し、京都では最大、全国でもトップクラスの寺子屋だった。よく知られるように、寺子屋における教育の主要部分は「読み書きそろばん」である。
 その家の四男として育った古河は、武道、軍学・天文学などと共に漢学や和・洋の算術を高名な師に学んだ。明治2年、24歳で待賢小学校に採用されるときは「筆道師」の辞令を受けた。青蓮院の知足院夢覚に師事した御家流書道の技量が認められたのだろう。
 後に訓導、院長となってからは、すべての教科を担当するが、数学への関心が強かったらしく、資料室に保存されている「古河家文書」の中には、彼が取り組んだ代数・幾何の問題やそれに関する計算の書き込まれた反故紙が大量に現存する。微分、積分などもこなしていたと読み取れる。
 そんな古河は算数・数学に関する指導法の研究に熱中したと容易に想像できる。今回採り上げる盲人用算木が彼の発明と言い切れるかどうか定かではないが、そうでない可能性よりも、そうである可能性が高いと筆者は考えている。
 算木の発祥は古代中国で、日本には奈良の東大寺二月堂に平安時代のものと推定される実物がある。算木を並べるための紙や布を「算盤(さんばん)」と呼んだ。江戸時代の和算家などは算木と算盤を用いて、加減乗除はもちろん連立方程式や高次方程式も解き、円周率も求めていた。
 算木は、細長い木片である。占いの世界にも細長い算木があるが、計算用の算木は比較的短い。その置き方によって数を表現し、計算を進める。並べ替えの作業は、縁のない平面の上で行われることが多かった。そのままでは、盲生にとっては手順が込み入る上に、散らばりがちで扱いにくかった。
 工夫は、二つある。一つは、木片に数に応じた凹線を彫ることによって、目が見えなくても、指先の感覚で数を確認できるようにした。これは、文字を三次元化した木刻凹凸文字と共通する発想といえよう。
 もう一つは、算木を並べ替える作業を、木製の枠の中で行うように改善している。墨字学習の際に、木刻文字を並べやすくするために用意された「筆箱の底箱」によく似た木製の枠である。その中にきちんとそろえて配列することで、作業もスムーズにできるし、並べた計算式が乱れることも防げる。この類似が、盲人用算木を古河の考案ではないかと推測する根拠である。便宜上これを算箱と呼ぶこととする。
 盲人用算木は、2種ある。いずれも約9mm×9mm×45mm弱の直方体だ。タイプ1は、その細長い4つの面に、0本、1本、2本、3本のいずれかの凹線が横断する(これは、凹線の数で0から3までの数を表す)。タイプ2は、同様の凹線が4本ある面(4を意味する)と、縦断する凹線が1本刻まれている面(5を意味する)と、1本の縦断線から4つの横断線が派生する面(9を意味する)と、空白の面を持つ。
 算箱は、5mm厚の木の板で作られ、内のり、横390mm、縦45mm強となっている。
 実際の計算は、横長に置いた算箱のなかで行う。これには算木3本を並べても余裕のある幅(28mm)毎に仕切がある。仕切られた枠内に算木を置いて数を表現する。0、1〜5、9は1本で表せる。6から8までは2本を用いる。5+1、5+2、5+3となるように。晴眼者用の一般の算木は、例えば4を表すためには4本、9を表すためには5本を並べる必要があって、煩わしかった。盲人用算木は、わずか2本を活用してすべての数を表せる。視覚障害への対応だけでなく、ユニバーサルな要素を持つ。
 内山昭氏は、『計算機歴史物語』(岩波新書)で、盲人用算木にヒントを得て、奈良・平安の算木に線の数を溝で表現したものが存する理由を「現代のように明るくなかったから、視覚より触覚に頼ったのではないか」と推定している。


盲人用算木

(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)

編集ログ

編集部より

 読者から、本誌7月号(通巻506号)の「48㎡の宝箱」で、「宝暦七年八月 年十〇(ママ)にて」とあるが、「(ママ)とは何か?」という問い合わせがありました。
 (ママ)とは「原文のまま引用」という意味の記号で、引用文中の誤字と見られる表記や文脈に一致しない文章などがあっても、訂正せずそのまま載せる場合に使います。読者に対して、著者・編者が見逃した誤植等ではないことなどを示すためのものです。

お詫びと訂正、および誤謬の経緯

 本誌7月号、畠田武彦氏による「私の点字事始め」の中に「神戸訓盲院へ行ったら、三木清著『人生論ノート』・・・」という部分の「神戸訓盲院」というのは、「神戸盲唖院」の誤りでした。ここに訂正してお詫びします。畠田氏の点字原稿では「神戸盲唖院」となっていたところを、当方の独断で書き換えてしまったことは痛恨の極みです。畠田様にご心痛をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。
 本誌では、寄稿文中に疑問点があった場合は、原則として執筆者に確認します。しかし、明らかな誤りと思われるものは、編集部の責任で書き換えることもあります。
 今回は初校の段階で、校正担当から「兵庫県立視覚特別支援学校の前身は、昭和14年に神戸盲学校が神港盲学校を合併して設立された兵庫県立盲学校。神戸盲学校の前身は明治38年に設立された神戸訓盲院で、神戸盲唖院という盲学校は歴史上存在しない」という指摘が、資料を添えてありました。そこで、私たちは「神戸盲唖院」は「神戸訓盲院」の間違いであると浅はかにも「確信」してしまったのです。
 私たちの最初の誤りは、神戸盲唖院を盲学校と誤解したことでした。神戸盲唖院というのは神港盲学校の経営母体で、同校が合併されて兵庫県立盲学校となってからは、もっぱら点字出版事業を行っていた施設です。当方の調査不足と思い込みのために、大変ご迷惑をおかけ致しました。(編集長福山博)

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