「大震災は天罰」と石原慎太郎東京都知事が発言して物議を醸した。もとよりこれは失言だが、発言内容を精査してみると被災者を貶める意図はなく、日本人のモラル低下を憂えてのことだった。たしかに、震災に続いて、原発事故が起こり、われわれも別の意味で覚醒する必要があるように思う。これまで原発による豊富な電力を、せいぜい必要悪程度の認識で享受してきたが、これが誤りであることは水素爆発が証明した。もちろん、今すぐ原発全面廃棄などできるはずはないが、推進は見直すべきで、菅直人首相が中部電力の浜岡原発の全面停止を要請したことは英断である。
失言よりたちが悪いのは「正義の声」だが、それがホワイトハウスから聞こえ、星条旗を振る歓声がそれに応えた。5月2日付夕刊各紙1面に「ビンラディン容疑者殺害」の文字が躍り、殺害の文字にたじろいだが、これは米大統領自らがそのように語ったからに他ならない。
この日、私は元参議院議員の堀利和氏の近著『共生社会論 ―― 障がい者が解く“共生の遺伝子”説』現代書館刊、税込2,310円を読んでいた。その中にはドストエフスキーの『罪と罰』が出てくる。また、ロープシン著『蒼ざめた馬』を引き合いに出して、米軍の特殊部隊がアフガンで、ビンラディンを取り逃がした事件をも紹介している。
経済的困窮から志半ばにして法学の道を断念した主人公・ラスコーリニコフは、「伝説の英雄のような人類の指導者となるべき選ばれし者は、より大局的な正義を為すためならば、既存の法や規範をも超越する資格を持つ」という独自の犯罪理論を持ち、金貸しの強欲狡猾な老婆・アリョーナを殺害する。しかし、予定外に遭遇したアリョーナの妹・リザヴェータをも巻き添えにしてしまい、その後の彼を待っていたのは、想像を絶する苦悩と葛藤の日々であった。
米大統領は、改悛も後悔もしない怪物化した、現代のラスコーリニコフなのだろうか。(福山)
3月11日の東日本大震災に遭遇して、だれもが使えるウェブコンクール実行委員会とNPO法人ハーモニー・アイは、4月25日(月)、東京・麹町のクリーク・アンド・リバー社で、災害時の情報アクセシビリティに関する緊急講座を開催した。会場にはウェブ制作者や障害者など50名ほどが集まった。
パネルディスカッションの司会にはウェブ制作者の森田雄氏が、パネリストには日本IBM(株)東京基礎研究所の飯塚慎司氏、ウェブ製作にかかわる障害者として伊敷政英氏(弱視)、平林裕一氏(聴覚障害)が震災直後の個々の経験、災害時の情報発信の課題などを話し合った。
まず、飯塚氏が被災直後のIBMの取り組みを報告。大混乱の中、「できることからとにかくやりましょう」という浅川智恵子フェローの声でアクセシビリティチームは団結。東京電力の電力需要のグラフをテキスト化し、スクリーンリーダで読めるようにするなど、もっとも生活に必要な情報のアクセシビリティ対応に尽力した。
震災直後、インターネットも携帯電話も全く使えなかったが、被災地周辺ではウェブ上の掲示板のツイッターが視覚障害者に役立ったと伊敷氏は事例を挙げた。計画停電の情報がスクリーンリーダに対応しない画像データで配信され、ある視覚障害者がツイッターで呟くと、計画停電の時間を教えてもらえたという。その上で、「ツイッターは便利なものだが、ウェブ上では災害時にデマも流布するので、情報を取捨選択する力も日頃から必要だ」とも伊敷氏は述べた。
平林氏は、災害時の文字情報や手話での発信の重要性を訴えた。震災直後に宮城県仙台市に入った同氏は、仙台市のあるコミュニティFMがいち早く放送内容をテキスト化してホームページにアップしたことや、手話による震災情報サイトが震災翌日の3月12日にスタートしたことを紹介した。
東日本大震災は、ウェブが普及して初めて直面した未曾有の大災害であるため、ウェブ上でも大量の情報が錯綜した。避難所リストなど様々な情報がスクリーンリーダで読み上げ不可能な画像データのまま配信された。そうしたデータを多くのボランティアがテキスト化したという。「緊急時にはアクセシビリティの配慮のない情報でも提供されることが重要であり、後はそれらを手分けして何とかするしかない」と森田氏は話す。
これまでウェブアクセシビリティは、国、自治体、ボランティアベースで取り組まれてきた感がある。一方で、企業はウェブアクセシビリティをコストとして考える向きがあった。これからはコストとしてとらえるのではなく、情報コンテンツに付加価値を与える投資として企業自らがウェブアクセシビリティに積極的に取り組むことが、災害に強くアクセスしやすいウェブに繋がるだろうという結論でパネルディスカッションは終了した。
その後、(独)防災科学技術研究所の長坂俊成氏が、被災地での情報ネットワーク復旧の取り組みを報告。最後に、緊急時に必要な手話を学び、講座を終えた。(戸塚辰永)
「ケータイ」を買い換えてスマートフォンにした。ケータイでは、通話よりメールを打つ方が多くなったので、キーボード付に買い換えたのだ。私はメモ代わりに、深夜思いついたことを、自分のメールアドレスによく打つ。しかし、テンキー入力に慣れていないので、極端な省略をするため翌朝、職場のパソコンを立ち上げてメールチェックをすると、意味不明で頭をかかえたことが何度かあった。
そこで1月末に冬春モデルのカタログを見て、買う気満々で最寄りのドコモショップに出かけた。ところが、意中の製品だけがまだ発売されておらず、「2月4日から予約を受け付けます」と言われ意気阻喪した。機能的に特別優れているわけではなく、「シンプル・イズ・ベスト」という観点から決めたものだけに、とても意外であった。
実はそのモデルよりも入力しやすそうな日本製のキーボード付ケータイが、他にあるのだが、それにはテレビが見られる「ワンセグ」や買い物ができる「おサイフケータイ」などの余計な機能がついている。ついていてどこが不都合か?と言われそうだが、使わない、あるいは使いたくない機能が付いているのは、やはり嫌なのだ。
従来のケータイではなく、本格的なネットワーク機能やスケジュール・個人情報の管理に便利なスマートフォンにしたのは、本年早々にある協会の新年会で、新しもの好きのアイデアマンとして有名なある視覚障害者の方と同席したためだ。彼から、ケータイとしては大画面だがその分大きくて片手に余る(190×120×12.1mm)タブレット型ケータイの「ギャラクシー・タブ」と、それを手のひらサイズにコンパクトにまとめた、「ギャラクシーS」を見せられ、ボタン操作をしなくても、このように視覚障害者でも文字入力ができると実演してもらった。そして、スマートフォンの時代がすぐそこに来ていることを知り、すっかり啓発されたのだ。
ところで、私が購入したケータイはLG製、くだんの「ギャラクシー」はサムスン製で共に韓国のメーカーである。ケータイの全世界市場シェアは、1位こそフィンランドのノキアだが、2位はサムスン、3位はLGで、日本のメーカーは日本市場でも安閑としてはいられないようだ。(福山)
5pもしくは3p角の正方形で桂あるいは桜材の板に凸字や凹字を刻んだ教具がある。「木刻凹凸文字」である。捫字(もんじ)とも呼ばれた(「捫」は、「なでる」という意味)。ひらがな、カタカナ、数字、漢字などを1字ずつ彫り出したおよそ450個が残っている。
「背書・掌書」は指先の動きとともに消える文字であったが、木に刻むことによって文字はモノとして固定され「時間に耐える」ツールになった。目の見えない子どもたちが、一枚一枚、時間をかけてじっくりと触り、字形を確実に知る条件が生まれたのだ。
5p大のものはほとんどすべて、片面に凸字が、裏側に凹字が表現されている。それは「凸のほうが分かりやすい」という生徒と「凹のほうが好きだ」という生徒がいたことへの対応だった。いわば、「個別のニーズに応じたサービス」に相当する。ユーザーの選択権を尊重したともいえよう。生徒の声に耳を傾け、それを受けとめる柔軟さがあったのだ。特に仮名の凹凸文字は、小さな手が何度も何度もそれを手に取り、各自の好む面を丁寧に撫でた結果であろう。まるで磨かれたようにつやつやしている。
木刻凹凸文字の漢字には、楷書と崩し字の2種類がある。古河は、楷書は画数が多い(直線的で分かりやすい)、草書・行書は画数が少ない(曲線が多く複雑である)と考えていたと思われる。
漢字学習においては部首の指導が重視される。弱視児への漢字指導の優れた実践例は、一様に「機械的なドリル」に偏ることなく、基本となる部首をしっかり身に付けさせることに力を注いでいる。点字を用いる生徒に漢字を教える場合も、それは当てはまる。盲唖院の漢字指導において早くもその気づきがあったのには驚かされる。「部首に分けた木刻凸字」(七十二例法)が作られているのだ。残念ながら、72種類の内、数個は現存しない。しかし、当時の説明文書によって、すべての造形を知ることができる。これは、古河が青蓮院(しょうれんいん)というお寺で修行していた時代に、僧・夢覚(むかく)から教えられた部首分類だと伝えられている。夢覚がどのような人物でどれほどの学識を持っていたかはまだよく分かっていない。
細長い長方形で、ペンケースの底箱のような木の枠も用意された。5p大の木刻文字を5個ほど並べて収めることができる大きさ。この中に木刻文字を並べることによって、単語や文節の学習へと発展させた。枠は、字を並べるときのガイドラインとなり、散らばると扱いにくいことへの配慮でもあった。
木刻文字には、もう一つ、重要な「秘技」が隠されている。それは何か?
木刻文字を見学者の手にお渡しすると、ほとんどの方が「正しい向き」に置き直してから観察なさる。晴眼者や弱視の方に例外はない。当然の反応である。
しかし、「墨字を見たことがない、あるいは墨字を学んだことがない」明治期の盲児、盲唖院に入学したての子どもたちには、その真四角な板に彫られた凹字や凸字はどちらが「上(向こう)」でどちらが「下(手前)」か、判断できなかったのではなかろうか。だが、字形を確かめるためには、まず、「字の向き」を正しく知る必要がある。どうするか。
―― ここで少し考える時間をとってから、次をお読みください ―― 。
答えは、「三角の刻み」である。木刻文字には、文字の上側に相当する辺の中央に小さな三角の刻みが施されている。これによって、盲児も自力ですみやかに文字の「上・下」を識別することができた。
京都盲唖院は、明治12年(1879)に木刻文字の製造を彫刻家に発注している。テレホンカードや牛乳パックの封などに切り込みを入れる近年の手法のルーツとも評価しうる、この技を発想した古河や熊谷伝兵衛(くまがい・でんべえ)(注)はやはりスゴイ。
とはいえ、木刻凹凸文字は、高価で、かさ張るツールではあった。
(注)熊谷伝兵衛(1834〜1914):本名、伝三。隣家に聾姉弟が住んでいたことから待賢小学校を擁する学区の区長として、古河に聾教育を促し、自らも教具を考案した。
「木刻凹凸文字(凸面)」
(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)
2010年12月号の本欄で、6月号の「ヤンゴンでマッサージを教える」で紹介した塩崎真也先生と、2009年3月に平塚盲学校を卒業し、先生のティーチング・アシスタントを務めるダンクン・チャンさんがヤンゴンで結婚しましたと報じました。その2人がこのたび帰国・上京したので、この4月16日高田馬場駅前の中華料理店で、友人・知人20名ほどが集まりお祝いの会を開きました。天涯孤独で不幸が身に付いたような女性が、輝くばかりに大変身していたのには驚くと共に嬉しくもありました。末永くお幸せに!
「テレビの報道や、コメンテーターの言葉を聞いて、わかったつもりでいましたが、荒井太郎さんの先月号の解説に納得」というメールを埼玉県春日部市の読者からいただきました。実は、私もシカゴ大学レビット教授の確率論にすっかりだまされた口で、「むしろガチンコ力士だから7勝7敗に追い込まれる」という解説に目から鱗でした。
岐阜アソシアの棚橋公郎さんによる「岩手の視覚障害被災者調査活動に従事して」で、震度6弱の余震に飛び起きるくだりは、活動が二次災害の危険と隣り合わせであることをよく示しています。そして圧巻は、個人情報保護法の壁の前で、棚橋さんが粘り腰で、身体障害者手帳所持者を網羅したデータを行政から入手したことです。
今年度から小学校の教科書で使われる液体の体積を表す単位「リットル」が、墨字で「筆記体のl」から「L」に改められました。これは教科書の単位を国際単位系(SI)に統一するための措置です。本号に、誌上初「dL」(デシリットル)という形で、3カ所だけ登場しましたので、見慣れない単位にちょっと戸惑いを覚えた方がおられたかも知れませんね。(福山)
本誌先々月号(4月号)の「自分が変わること」で、「水田泰雄さん」とあるのは、「水田泰次(みずた・やすじ)さん」の誤りでした。お詫びして訂正します。
日頃お感じになっていること、記事に関するご意見などを点字800字以内にまとめ、本誌編集部宛お送りください。