THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2011年5月号

第42巻5号(通巻第492号)
―― 毎月25日発行 ――
定価:一部700円
編集人:福山 博、発行人:三浦拓也
発行所:社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会点字出版所
(〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4)
電話:03-3200-1310 E-mail:tj@thka.jp URL:http://www.thka.jp/
振替口座:00190-5-173877

目次

「ヘレンケラー・サリバン賞」候補者推薦のお願い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
巻頭コラム:鉄道に電気をまわせ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4
(特別寄稿)鳥居篤治郎と京都ライトハウス創立50周年(上)(田中正和) ・・・・・・・
7
シティ・ライツ設立10周年 この10年そしてこれから(斉藤恵子) ・・・・・・・・・・・・・・・
15
第4回シティ・ライツ映画祭
  音声ガイド紡いで10年 たくさんの出会いにありがとう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
21
初めての避難所体験 災害時の自助・公助とは(山口和彦) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
横盲昔話の会 盲学校再生への試み(神崎好喜) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
48㎡の宝箱 キャンパスは背中と掌 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
自分が変わること:大災害を目にした最初の直感 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
リレーエッセイ:災害とアクセシビリティ(伊敷政英) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
外国語放浪記:ローマの休日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲:テレビの“八百長報道”に異議あり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
あなたがいなければ:愛とはなんでしょう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
時代の風:シナノケンシ被災利用者へ代替品、モンゴルで盲学校設立、他 ・・・・・・
64
伝言板:オンキヨー点字作文コンクール、障害学生向け体験プログラム、
  日点チャリティ映画会、大嶋潤子ソロリサイタル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
67
編集ログ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
71

「ヘレンケラー・サリバン賞」候補者推薦のお願い

 「ヘレンケラー・サリバン賞」は、視覚障害者の福祉・教育・文化・スポーツなど各分野において、視覚障害者を支援している「晴眼者」にお贈りする賞です。これは、「視覚障害者は、何らかの形で晴眼者のサポートを受けて生活している。その支援に視覚障害者の立場から感謝の意を表したい」との趣旨で、当協会が1993年に創設、今年で19回目となります。なお、同賞の名称は、ヘレン・ケラー女史と同女史を生涯支え続けたアン・サリバン女史の名に由来します。選考は、視覚障害者によって推薦された候補者の中から、当協会が委嘱する視覚障害者の選考委員によって行われます。受付は6月末日(必着)まで。発表は本誌10月号で行い、受賞者には本賞(賞状)と副賞(ヘレン・ケラー女史のサインを刻印したクリスタルトロフィー)をお贈りします。推薦書をご希望の方は、当協会(03-3200-1310)までご請求ください。多くの方からのご推薦をお待ちしております。

巻頭コラム
鉄道に電気をまわせ!

 3月14日早朝の西武新宿線はもの凄い混みようで、私は4本の電車を見送って、5本目にようやく乗れた。しかし、これはまだましな方で、編集課のある女性は、電車が動いている駅まで24kmの大渋滞の道のりをタクシーで4時間かけ、それからさらに各駅停車で出勤したため、職場への到着は飲まず食わずで午後2時頃になった。そこで彼女は、やむを得ずその日から戸山サンライズ(全国身体障害者総合福祉センター)の宿舎に泊まることになった。
 こんな具合だから、この日、出勤できなかった職員も大勢いた。むろんこれは当協会の話だけではない。出入りの宅配業者は、「指定日通りに到着するかどうか保証できません。なにしろ出勤できないドライバーがたくさんいるのですから」と言っていた。
 同日の夕方、西武新宿線は西武新宿駅から8駅しか動かなかった。そこで、私は女性触読校正者を手引きして、一駅間だけだが20分間歩いた。途中、7駅分歩くという声も聞こえたので、おそらく2時間近くかかるはずだ。
 翌朝も、私は触読校正者と連れだって、隣駅まで歩いた。そして歩きながら、東電がなぜ重要なライフラインのひとつである鉄道にまで、電力の供給を制限するのかどうしても腑に落ちなかった。
 自宅の停電はある程度仕方ないことで、冷蔵庫の中身が腐らない程度に、輪番停電をして不便を誰もが分かち合えばいい。しかし、鉄道は停電から除外し、最優先して電力を供給すべきではないのか。
 ところが東電はそうは考えなかったようだ。実際に自宅のある杉並区と職場の新宿区は停電の対象外である。ありがたいことだが、実際には、それより電車の運行制限の方が生活を直撃する。
 一方、東電は当初23区での停電は行わないと言っていたが、実際には足立区や荒川区などの一部で何の前触れもなく停電した。これらの地域へは埼玉県内の変電所から送電されているため巻き添えになったのだ。こうして、抜き打ちに停電された地域の人々は、東電への不信を募らせている。東電がそのように基本的な事項を知る立場にありながら、まったく考慮しないでずさんな停電を行ったためだ。
 ところで西武新宿線は3月15日の昼過ぎから、運行区間が大幅に拡大され、基本的にどの駅からでも通勤できるようになった。これは国交省が3月14日、東電と協議して計画停電から鉄道事業者の除外などを要求。東電は当初「鉄道の変電所だけに電力を供給することは無理」としていたが、国交省の技術担当官が、停電区域の変電所にピンポイントで送電することは技術的に可能と指摘し、「手間と時間がかかる」などと難色を示していた東電を説得したためだ。
 東電は、ライフラインの重要性を知らないばかりか、電力供給について国交省の技術担当官ほどの専門性も持っていないらしい。
 停電は、地震や津波による天災であろう。しかし、鉄道のダイヤの乱れは、東電による人災である。(福山)

48㎡の宝箱 ―― 京盲史料monoがたり
(2)キャンパスは背中と掌

京都府立盲学校教諭/岸博実

 1枚の日本画を紹介したい。サイズは縦43×横59cmで、画面中央に学習机と椅子が置かれ、5人の生徒が腰かけている。真ん中の男児2人とそれを挟むように立つ教員2人、この4人が主人公である。生徒は縞柄・筒袖の着物姿で、教員は文明開化にとまどっているかのようなぎごちなさが漂う靴と洋服姿だ。全体にけばけばしくなく、落ち着いた色づけが施されている。
 タイトルは『盲生背書之図』(盲生徒の背中に文字を書いている絵図)とある。「孝山」と読める号は、京都府立盲唖院長・古河太四郎(ふるかわ・たしろう)(注)の親戚にあたる画家・青山孝山(あおやま・こうざん)を指す。筑波大学附属視覚特別支援学校にも孝山による類似の絵が保存されている。それは「盲生背書掌書之図」(盲生徒の背中や掌に文字を書いている絵図)と題され、画面の上部に絵柄の説明文が加えられている。タイトルとしては、こちらが正確である。
 右側の少年は、左斜め向こうむきに座り、絵を鑑賞する人に後姿を見せている。その背中に右側から教員が人差し指の先を沿わせて1つの字を書いているところだ。
 左側の子は、絵を見る人に正対して右手を左方向に差し出し、掌を上向きにひらいている。もう1人の教員が左側からやはり指先でそこに何やら文字をなぞっている。
 背中に表現されているのは「学校」の「学」の旧漢字である。冠の部分が今の「学」よりも複雑だ。(掌の文字は小さくて読み取りにくい。どうやら画数の少ない字らしい。判然としないから思うのだが、この場合、教員は文字をどちら向きに書いているのだろう? 自分向きにか、生徒向きにか。盲ろう者と伝達しあうときの指点字の向きにも通じる問題として解読を尽くしたい。)
 この絵は、京都盲唖院で行われていた、盲生に対する文字教育の一場を描写したものである。教え子の背中や掌に指をすべらせて文字の形を示し、意味や熟語を言葉で補う手法が採られていた。スペースとしては背中のほうが大きいから、画数の多い字や字形の細部を捉えさせるために背中を使った。
 当時の学校文書に「くすぐったさや痛みを与えないよう、指の圧力や爪の長さに配慮しなくてはならない」旨の一文があり、笑みを誘われる。
 東西両校が教育に手をつけた頃、日本には点字が存在しなかった。授業は口から耳への伝授によってでもある程度可能だが、知識の定着や蓄積、あるいは認識の高度化や自由な表現力のためには、文字が欠かせない。しかし、しかし、点字はまだない。鉛筆などで紙に書いた墨字では盲児には役立たない。では、どうするか。
 1つの答えが、この方法だった。それは、特別な道具を必要としない。簡便だ。ただし、字形は安定しない。書き手によって微妙な差異が生じただろう。指先の移動とともに消えうせるのも難点だ。「時間に耐えられない文字」なのだ。学習ツールとしては欠点がある。その一方、薄暗い時刻でも、散歩の途中でも、時・所を選ばずに行なえる利便性もあった。
 絵を前に、ある盲学校に在籍して子育て真っ最中の保護者が「同じこと、私もしてます!」とおっしゃった。なるほど!そうか、ならば、と想像は広がる。江戸時代にも、同じような技法を編み出してうまく活用した盲人がいたとしても不思議ではない・・・と。
 なにより、絵の中の人物たちは誰もがふっくらと微笑みを浮かべている。授業崩壊の兆しはみじんもない。文化を伝え、受け取る喜びがここにある。盲教育の史料として価値を持つだけでなく、教え・学ぶ営み本来の魅力をたたえた、かけがえのない宝物である。
 (注)古河太四郎(1845〜1907):明治2年(1869)小学校教師となり、視聴覚障害者教育を志す。明治11年(1878)日本初の京都盲唖院(後の京都府立盲学校・京都府立聾学校)を創設。翌年、初代院長。こより文字の工夫や指文字の指導など、独創的な教育法を考案・実践。明治33年(1900)大阪盲唖院長。


「盲生背書之図」

(写真は著者のご要望により、ホームページに限り掲載しています)

編集ログ

 山口和彦さんの「初めての避難所体験」を読んで、3月11日の大震災当日が鮮やかに蘇りました。この日、日盲連では日盲委選挙プロジェクトの研修会が開かれており、騒然としました。参加者は遠くは岡山、大阪、京都などからも来ており、新幹線が動かないことがわかった段階で、日盲連の事務局が素早くホテル(?)の予約を行ったため、少なくとも地方からの参加者からは帰宅難民は出ませんでした。
 日盲委(03-5291-7885)が東日本大震災の義捐金を受け付けています。郵便振替口座00190-2-701753、社会福祉法人日本盲人委員会、通信欄には「東日本大震災視覚障害者支援募金」とご記入下さい。
 二次災害というべきでしょうか。三井金属上尾工場(埼玉県)の操業停止が原因で、点字用亜鉛板が入荷せず、点字出版業界は困惑しています。同工場の生産ラインは最低でも2日間連続して稼働しなければ生産できず、東京電力の計画停電により3月は操業停止せざるを得なかったのです。4月から操業は再開しましたが、夏の電気需要期にどうなるか今から懸念されます。
 3月25日、東京・新御徒町に日盲社協会館が竣工し、同日、関係者による内覧会が開催されました。聞きしにまさるペンシルビルで、1・2階が盲人ホーム杉光園の施術室、3階が研修室、4階が役員室、5階が日盲社協の本部と杉光園の事務室。1階には身障者用トイレもあり、エレベータも完備されており、狭いながらも実用的に設計されていました。もっとも大震災の影響で什器類の搬入が遅れており、ちょっと殺風景でしたが、本部事務室の机だけは、茂木幹央理事長が、急ぎ同氏経営のひとみ園から取り寄せたと聞きました。(福山)

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