本誌の「よりどりみどり風見鶏」にて水谷昌史氏が、最近、様々な問題提起をし、その中にはややフライング気味のものもあり、物議を醸している。これに対して、本誌編集部に掲載した責任を問う声も聞こえる。
本誌では、表現内容については公序良俗に反しない限り著者の意向を尊重する立場から、いわゆる「広い意味での検閲」も、あるいは自主規制や事前抑制なども行っていない。このため本誌の署名記事には、当然編集人の考えと異なる記事もあり、本誌はこれまでもそれを尊重してきた。
特定の立場からの主張を否定もしくは肯定する意図をもって直接的・間接的な情報操作を行うことを「偏向報道」というが、これを排するためには対立する意見の双方を掲載する以外に手はない。寄稿された記事に、編集人の意見と正反対の主張が寄稿されても、表現の自由は絶対不可侵であるとの考えから、これまでも掲載し、今後も掲載するつもりである。(福山)
福地健太郎さんは、1984年大阪府生まれの26歳。2歳で全盲になった彼は、大阪の地域の小・中・高校に通い、2003年に筑波大学に進学し、教育学・障害・国際協力の分野を精力的に学んだ。
2005年9月から1年間は、ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業により米国の首都ワシントンD.C.にあるジョージタウン大学に留学して、教育学、社会学、国際協力の最先端の理論に触れると共に、バージニア州の障害者自立生活センターで、ピアカウンセラーとして実践を踏んだ。その後、タイ王国の首都バンコクのDPIAPでの研修も経験して、2006年8月からはDPIジャパンの研修生として、ニューヨークの国連本部での障害者権利条約の条文策定の委員会を傍聴する。
2008年3月に筑波大学を卒業し、現在、日本赤十字社に勤務している。
福地さんが国際支援に興味を持ったきっかけは、高校2年の時に大阪で、NGOから奨学金を受けて超難関校であるチュラロンコン大学へ進学したタイの学生に会ったことだ。彼女はスラムで親の仕事を手伝いながら勉強していたが、「外交官になり、恵まれない子供を救いたい」と夢を語った。
周囲も理解があり、点字教科書も保障された恵まれた環境で学んでいた彼には、彼女の話が衝撃的だった。ただでさえ教育にアクセスできないスラムにおいて、障害を持っていればなおさらだ。援助する側もスラムにも障害児がいることをなかなか想像できないと彼は考えて、障害当事者への教育分野での国際協力を将来の目標に定めたのだった。
筑波大学に入学して間もない2003年春、視覚障害学生を対象にした奨学金の授与式で、「福井に3年、雪の上にも3年・・・」と自己紹介するとても愉快な男に出会った。アフリカ・スーダン共和国出身のモハメド・オマル・アブディンさんとの運命的な出会いだった。その後すぐに大学の先輩からブラインドサッカーに誘われた福地さんは、アブディンさんと再会し、その後同じチームで、2人とも右の中盤としてプレーすることになった。そして、事あるごとに聞いて、スーダンの視覚障害児の劣悪な教育環境を知った彼は、2005年5月に行われた筑波大学の「やどかり祭(宿舎祭)」でタピオカジュースを友人と販売し、その収益金に寄附金を加え点字板を購入して、スーダンへ送った。
「そこからはじまったんですが、その後ブラインドサッカーで優勝したときのボールも送りました」と彼は当時を振り返る。スーダンの障害者を支援する団体を作る話は、スーダンから日本に留学した4人の視覚障害学生の間ではずっと前から話し合われており、福地さんも2005年頃からそれに加わるようになった。
現在アブディンさんが理事長を務め、福地さんも理事に名を連ねるスーダン障害者教育支援の会(CAPEDS)を結成したのは、2007年2月。当初はアブディンさんとモハメド・バシール、ヒシャム・エルサーの両氏と福地さんら5人で任意団体としてスタート。そして2008年3月に、NPO法人化が認められ、現在では40人ほどの会員がいる。
「会の最終的な目的は、スーダンの障害者が教育、就労、余暇などすべての面で社会に完全に、平等に参加することです。これは1981年の国際障害者年のテーマである『完全参加と平等の実現』に収斂されます。それを実現するためには、どういう戦略をとればいいかというと、僕も、アブディンさんも、他の仲間も教育に関心がありますから、まずは基礎教育に重点を置くことにしました。初等・中等教育を受け、社会へ参加するための基礎的な技術、知識、社会性を身につけられるようにすることは、いうまでもなく最も重要なことだからです」と語る。
スーダンの教育制度は、初等教育8年、中等教育3年、そして大学の3〜6年へと続く。しかし、小学校の就学率はざっくり66%、中学校は32%、大学への進学率は4%だと言われている。しかし、これは小学校に通っている子供の数を小学校に就学すべき子供の数で割っただけで、そこには遅れて入学した者や留年する者も含まれており、正確な就学率はもっと低いはずだが、正確な統計は誰も把握していないという。
スーダンには盲学校が4校あるといわれているが、そのうちなんとか機能しているのは、首都ハルツームのエルヌール盲学校1校に過ぎない。同校は連邦政府による盲学校で、90人ほどの生徒が在学するが、他の盲学校は、民家や眼科診療所の1室を借りた「寺子屋」のようなものだという。しかも、スーダンの盲学校には初等教育の課程しかない。これは1970年当時の教育大臣の「視覚障害者は中等教育まで受ける必要はない」という一言で決まったのだ。そのため、進学を望む生徒は、地域の普通校へ行かなければならない。
「先ほど中学校への進学率は32%と話しましたが、エルヌール盲学校から中学校へ進学する割合は100%で、その大半が大学にも進みます。スーダンでは一般でも60%以上の人が職に就いていないので、視覚障害者は大学まで行かないと就職できないのです」と福地さんは語る。
スーダン盲人協会によると、同国の視覚障害者は5万人とされているが、実際には遥かに多くの視覚障害者が把握されず、教育も受けられず、貧困状態にあるという。ほとんどの視覚障害児は盲学校で学べず、運が良ければ地域の学校で学び、周囲のサポートを受けて卒業できる状態なのだ。
基礎教育支援と並ぶCAPEDSの事業は情報教育だ。スーダンの視覚障害者は、丸暗記の耳学問で勉強してきたが、自分で論文を探し、それらを読んで、レポートを書く必要がある大学でそれは通じない。また、中学までとは違ってクラスメートも忙しく、朗読も頼みづらい。大学当局は視覚障害者の理解に乏しく、朗読者探しも手伝ってくれない。試験でスペルを間違えれば、点を引かれるのは当たり前で、視覚障害の学生に意図的に悪い点数を付ける教員もいる。そうした環境を変えるために、CAPEDSとスーダンの視覚障害学生会は、共同で学習環境整備に立ち上がり、2007年にCAPEDSがアラビア語のスクリーンリーダーを調達し、学生会は大学と交渉して学習支援室とパソコンを確保することで合意した。
当時、CAPEDSには約30万円の資金しかなかったが、1セット30万円もする「イブサール」というソフトを、1セット年間約5万円のリースで5セット借りて、さらに同ソフトのトレーナーも確保した。支援室の開室式には、ハルツーム大学の元学長やユネスコの担当官らも列席し、その模様はスーダンのマスメディアで大々的に報じられ、反響を呼んだ。
その後、支援室で視覚障害者向けのパソコン講習会が何度か開催され、これまでにハルツーム大学の内外で80人以上の視覚障害者がトレーニングを受けた。ハルツーム大学には60人ほどの視覚障害学生がいるが、今では彼らは支援室にある音声パソコンを使ってレポートを書いたり調べ物をしたりしている。
「視覚障害者にはパソコンも支援室もいらない。カセットテープ1台あれば十分だ」と言っていた大学当局も、こうした学生側の取り組みに刺激を受け、図書館内に支援室と同様の設備と部屋を視覚障害学生のために設けた。
「でも、その部屋は午後2時までしか使えなくて、まったく役に立たないんですよ。今、時間延長を求めて学生会が大学と交渉しているんです」と福地さんは笑う。
イブサールにはテキストデータを音声データに変換する機能があるので、今後CAPEDSは3年間で100冊教科書を電子データ化する計画である。こうすれば音声データを携帯電話などに入れて、好きなときに教科書の内容を聞くことができるからだ。昨年(2010)すでに10冊電子化され、今年、来年にかけて90冊製作され、その費用は、助成金や会費で賄う計画だ。
CAPEDSのユニークな活動にブラインドサッカーの普及がある。スーダンの国民的なスポーツはサッカーで、2007年にアブディンさんがブラインドサッカーを同国に初めて導入し、2008年には早くも「ヌール・アル・ハイヤート(人生の光り)」というチームが結成された。ブラインドサッカーを通じて仲間ができ、「スーダン代表になるぞ!」という目標もプレーヤーに芽生えはじめ、健常者も、「視覚障害者もサッカーができる。なかなかやるな」という意識を持つようになってきたと微笑む。
2009年に福地さんは初めてスーダンを訪れた。「彼らとサッカーをして本当に楽しかったです。サッカーは、言葉を超えて楽しむことのできるスポーツだと実感しました」と彼はその時の感動を振り返る。「先ほど話しました大学の支援室とか、サッカーチームのみんなが送ったボールでパス回しをして、ゴールを決めているところとかを見て、やっていて良かったなあとつくづく思いました。よく国際支援にありがちなアフリカは貧しいから支援してくださいという支援される側という意識は彼らにはなく、『僕たちの活動を見てよ!』という対等なパートナーシップだけがあります。『いつも支援してくれてありがとう』と言われるよりも、『やあ! 来たんだね!』と声をかけてくれることの方が嬉しく、これは何物にも代えられませんね」と言う。
ハルツームは、日中40〜50℃にも気温が上がる。そこで、ブラインドサッカーの練習は、涼しくなった夕方5時頃からはじまる。大学生や職探し中の視覚障害者10〜15人のメンバーが芝生のコートに週2回集まって交替で練習する。だが、コートが狭いため、思いっきり走る練習ができないことと、各人が十分練習できないことが目下の課題。「スーダンは物価が非常に高いんです。ハルツームで広いコートを1時間借りるためには、日本円で8,000円もかかります。それほどサッカーは人気があるんです。とても、視覚障害の学生がそんな高い使用料を支払えません」と福地さんはぼやく。ちなみにスーダンの1人当たりのGNI(国民総所得)は1,220ドル(約10万2,500円)である。
だが、そんな恵まれない環境にあっても、ヌール・アル・ハイヤートは、なかなか強豪チームであるらしい。(戸塚辰永)
昨年(2010)11月24日(水)、東京・赤坂の日本財団で「2010堀内佳美アークどこでも本読み隊報告会イン東京」が行われ、支援者ら52名が参加した。アークは堀内さんがタイで起ち上げた、子どもたちのための移動図書館。今回、設立から1年を迎えるのを機に、日本でその活動を報告する場が設けられた。堀内さんが本誌2009年5月号から1年間連載した「ケララ便り」では、インド・ケララ州のIISE(社会起業家の研修所)でアークの構想を練り上げるまでをレポートしてくれたが、その後実際にどのように歩き始めたのか、聞いてきた。
アーク(ARC)とは、オールウェイズ・リーディング・キャラバン(Always Reading Caravan、いつでも読書キャラバン)の略で、その名の通り、キャラバンのようにタイの各地をめぐって子どもたちに本を読む機会を提供するNGO。対象をすべての子どもたちとしたのは、障害者に限らず農村部に行くほど読書環境が整っていないためだ。タイの識字率は92.3%と高いにもかかわらず、ユニセフの調査によると読書量は年間5冊、ほかの調査ではわずか3行とのデータもある。これは本が高価で、図書館の整備も遅れているだけでなく、タイの人々が“読書=勉強”とイメージしていることも問題だと堀内さんは分析する。
そこでアークは、(1)読書の楽しさを広める、(2)みんなの手に本を、(3)心のギャップ(障害・民族・貧困による差別)を埋める、という3つのミッションを打ち立て、活動を開始。「私にとって本は世界への窓でした。本にアクセスできない人たちのために、私たちが足となって本を届けていきたいのです」と訴える。
まずアークが始めたのは、ミニ移動図書館「お話キャラバン」だった。読書の習慣がない子どもたちの興味を引くため、紙芝居や本を読み聞かせるのだ。タイには紙芝居が少ないので、タイのシーナカリン大学の学生に協力してもらい日本語の絵本や紙芝居をタイ語に翻訳。絵はイベントに来た中高生に描いてもらうなどして準備した。
まだ専用の車を持っていないアークは、用意した紙芝居や本を抱え、乗り合いバスなどで移動、村の学校や児童養護施設などをめぐった。「初めは本当に楽しんでもらえるのか不安もありました。でも告知もしていないのに、本を並べた途端に子どもたちがバーッと集まってきたのです。次第にスタッフに慣れた子どもたちは『この本を読んで』とお願いしてくるようになり、2日目になると年長の子が自発的に、字が読めない小さな子や私にも読み聞かせしてくれるようになりました」と嬉しそうに語る。中でも感動したのは、「帰り際に、1人の子が『次はいつ来るの? 今度は手伝うからね』と言ってくれた」ことだった。
読み聞かせや本の貸し出し以外にも、子どもたちにゾウの絵本を読み聞かせた後絵を描いてもらったり、地図の県境をボンドで加工しお手製の触知図を作るなど、本に関連したイベントも行っている。
こうしたイベントは、現在代表の堀内さんを筆頭に現地のコアスタッフ約10名が考え、イベントの運営スタッフとして20名ほどが参加している。1年で徐々にスタッフや各地から来て欲しいという要請の声が増えてきているという。日本でもこれまで個々に行われていた支援が、有志による「応援隊」が組織されたことで、寄付や寄贈の窓口を1本化。そのほかブログでのPRや日本でのイベントの手伝いなども担っており、日本からのバックアップ体制も整いつつある。
順調な1歩を踏み出したアークだが、まだ課題も多い。車やオフィス、安定した収入がまだなく、法人格の取得もこれからだ。堀内さん自身もバンコクにあるアジア太平洋障害者センターで、日本財団の委託のプロジェクトスタッフとして週3日働いて生計を立てている。
今後アークは、予算が確保でき次第、バスかミニバンを購入して地方を巡回するという。最後に堀内さんは「アークのコンセプトは、東南アジアや南アメリカなどほかの地域でも使えます。そのためにもアークをロールモデルとなるような団体へと成長させ、いずれは世界各地でアークを運営するリーダーを育てていけたらと考えています」と、大きな夢を聞かせてくれた。堀内さんは、この夢に向かってアークをさらに発展させていくことだろう。(小川百合子)
《2010年11月25日(木)、東京・西早稲田の日本盲人会連合(日盲連)を訪ねて、鈴木孝幸(たかゆき)情報部長に視覚障害者を対象とした金融機関の代筆の取り組みについて聞いた。取材・構成は本誌編集部戸塚辰永》
戸塚:視覚障害者の場合、2011年1月4日からゆうちょ銀行や郵便局の振り込み等の窓口手数料が、ATM使用料と同額になりますね。これは金融機関が視覚障害者に対するサービスを真剣に考え始めた1例ですね。日盲連としてのこれまでの取り組みをお聞かせください。
鈴木:日盲連では、全国盲人福祉大会で以前から銀行などでの行員による代筆の要望が出ていました。それで、ほぼ毎年金融庁などへ陳情してきました。そして、その都度銀行から「努力します」との答えがありましたが、空虚なものでした。全銀協(全国銀行協会)も代筆をするよう通達を出していました。しかし、大会で要望が出ることから、実際には銀行などの現場では取り組まれていないことは分かっていました。
戸塚:それがなぜ急展開したのですか?
鈴木:今年(2010)8月25日に笹川吉彦日盲連会長が自見庄三郎(じみ・しょうざぶろう)郵政改革・金融担当大臣に面会しました。医師でもある自見大臣は、視覚障害にも非常に理解がある方で、代筆問題を解決するよう関係機関に書面で通達することを約束しました。早速、8月26日付で「視覚障害者に配慮した取り組みの積極的な推進について(要請)」が金融機関団体代表に送付されました。そして、9月8日に金融庁で視覚障害者団体と金融機関団体との歴史的な意見交換会が実現したのです。
戸塚:どんな団体が意見交換会に参加したのですか?
鈴木:当事者団体は日盲連と全視協。金融機関は30団体で、全銀協、地方銀行協会、第二地方銀行協会、全国信用金庫協会、全国信用組合中央協会、全国労働金庫協会、郵便局、農林中央金庫の8団体、銀行15行、信託銀行3行、銀行持株会社4社です。
戸塚:意見交換会ではどんなことが話し合われたのですか?
鈴木:視覚障害者に使いやすいATMの増設、点字ブロックの設置、点字や音声コードによる明細書なども話し合われましたが、特に窓口での代筆・代読サービスの徹底が話し合いの中心になりました。実は、金融庁のアンケート調査によると、金融機関の職員が代筆をすると内規で定めているところが、90数%もあったんです。私は日盲連の会員から代筆についての問い合わせがあった場合のことを考えて、「代筆についての具体的な内規があるのなら、その内容を提示してもらえませんか」とお願いしましたが、残念ながら回答をいただけませんでした。しかし、窓口での代筆について「誠意をもって努力します」と皆さんが約束してくれましたので、良しとしました。
戸塚:意見交換会を契機に状況が劇的に変化したというわけですね。
鈴木:はい、そうです。9月半ば、金融庁の担当者がわざわざ日盲連まで来られ、各金融機関の取り組みについて報告すると共に、金融庁の地方機関でもある全国9ブロックの財務局でも、9月8日と同様の意見交換会を行うことを伝えました。それで、10月に各ブロックで視覚障害者団体と金融機関との話し合いが行われ、今各地で金融機関が代筆を行うと続々と表明しており、窓口での代筆が今年中に徹底される予定です。それから地元視覚障害者福祉協会の要望を受けて、千葉県の地方銀行3行が今年の2、3月から視覚障害者の振り込み等の窓口手数料をATMと同額に引き下げました。これは「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が功を奏した1例です。千葉県での事例が突破口となり、この取り組みは全国に広がっています。
戸塚:来年(2011)以降の課題をお聞かせください。
鈴木:問題になるのは、口座を開くときや融資を受けるときの代筆がどうなるのかで、今研究しているところです。先日も金融庁の方がそうした代筆の法的根拠、いわゆる本人確認や本人意志の確認をどうするのかということで、法的な裏付けを求めて日盲連にも相談に来られました。この件については、弁護士でもある竹下義樹日盲連副会長が説明しました。結論が出たわけではありませんが、今の流れでいくと、代筆してもらいやすい環境に向かっているのかなという感じですね。私たちが当事者団体として働きかけているだけでなく、金融庁からの問題提起があり、各金融機関も課題解決に前向きだととらえています。
戸塚:金融機関には銀行系の他にも証券会社系もありますが、その辺りの代筆も今後の課題ですね。
鈴木:今回は口座の出し入れというところでの代筆が焦点になりました。金融機関には銀行系と証券会社系がありますが、代筆の問題は、金融庁が所管する全ての金融機関に当てはまります。
戸塚:株券の名義変更も問題になりますね。
鈴木:株券の名義変更や融資を受ける際の申請などで、誰が「書字」するのかが問題になります。これは、本人に限る場合、金融機関の職員が代筆できる場合、本人に代わって親族が代筆できる場合があります。現在、日盲連は親族による代筆をガイドヘルパーにも拡大していいのではないかと考えています。代筆には職員が複数立ち合いますが、ガイドヘルパーが第三者として確認に立ち合ってもいいのではないかと思います。また、逆にガイドヘルパーが代筆したものを金融機関の職員が確認してもいいのではないでしょうか。代筆では、誰が書いて誰が確認するのかが重要です。晴眼者は自分で書いて自分で確認できますが、視覚障害者はできません。信頼するガイドヘルパーに書いてもらって、金融機関の職員がそれを読み上げて視覚障害者本人が確認するという方法もあると思います。そういう点も今後解決すべき課題です。
戸塚:本日は、お忙しいところどうもありがとうございました。
本誌先月号(12月号)の活字裏表紙の奥付に、「11月号 10月25日発行」と誤記されたものが一部混入しており、これに気づかずに発送してしまいました。当方に送り返していただければ交換しますので、恐れ入りますがご連絡いただきたく、ここにお願い申し上げます。なお、点字は間違っておりません。
本誌2010年11月号「読書人」で紹介した藤原章生著『ギリシャ危機の真実』が点訳できました。貸し出しは当協会点字図書館(03-3200-0987)にお申し込みください。インターネット上のサピエ図書館からダウンロードすることもできます。
11月28日(日)午後5時半から今年度サフラン賞受賞者の奥野真里さん(日本ライトハウス点字製作係主任)、片岡好亀賞受賞者込山光廣さん(日本点字技能師協会理事長)の受賞を祝う会がメルパルク名古屋にて開催されました。
サフラン賞に対応するチャレンジ賞に選ばれた杉田正幸さん(大阪府立中央図書館司書)には、その昔、『点字サイエンス』では、常連執筆者としてお世話になりました。
片岡好亀賞に対応する近藤正秋賞の受賞者は木村愛子先生(元附属盲教諭)で、先生には、先月号の本誌に「記念碑建立に寄せて」と題して寄稿していただきました。
12月13日(月)午後6時から、本年度本間一夫文化賞の受賞者榑松武男さん(KGS株式会社社長)、社会貢献者表彰の酒井久江さん(聖明福祉協会参与)、鳥居賞受賞者の高橋秀治さん(ロゴス点字図書館長)を祝う会が、ホテルグランドヒル市ヶ谷にて開催されました。高橋さんはいうまでもなく、本誌の元編集長です。
以上の祝賀会には私も参列致しました。
お陰様で1月23日に開催する「ハッピー60thコンサート」のチケットは完売しました。当日券は、1月23日午後1時から会場にて先着順で販売します。
来たる年が皆さまにとって明るく平安でありますよう祈念します。(福山)