印刷物に誤字・脱字はつきもので、どんなに校正を重ねても漏れが出る。そのたびに頭を抱えるのは編集者の宿痾で、身に覚えのある者は、同業者の誤字・脱字についても同情的だが、それにも限度はある。
医道の日本社が発行する『新版 経絡経穴概論』という理療科の教科書は、他に類書がないだけに理療科教育を行うすべての学校が使っており、あはきの国家試験合格を目指す学生必読・必携の書だ。
著者の教科書執筆小委員会は日本理療科教員連盟(理教連)と社団法人東洋療法学校協会の委員で構成され、『基礎理療学U』と『経絡経穴概論』を踏まえ、第二次日本経穴委員会(委員長・形井秀一筑波技術大学教授)の協力のもと、WHO/WPRO(世界保健機関西太平洋地域事務局)の標準経穴部位に準拠した形で共同で編集した教科書である。
ところがこの4月、版元から理教連を通じて同書の正誤表が各盲学校にEメールで送られてきたが、それを見てうんざりしなかった理療科教員はいなかっただろう。なにしろ、活字版B5判全247ページの中に、97カ所も間違いがあったのだ。
中には意味上差し障りのないものもあるが、「手」を「足」と間違えるなど教科書としては致命的なものも少なくない。近年は、著者がパソコンで執筆して、電子データで出版社に出稿するので、編集上の入力ミスによる誤字・脱字は皆無だ。そうでなくとも、当然著者校正があるのだから、誤字・脱字の責の大半は著者にある。しかし、同書に関しては著者だけを責めるのはお門違いとの声も聞く。というのは、実際には日本経穴委員会の主導で性急に教科書が作成されたため、誤字・脱字が大量に出ることは予想されたことだったというのだ。
『WHO標準経穴部位英文公式版』が発行されたのは2008年6月で、それを元に翻訳して、同日本語公式版が発行されたのは2009年3月。そして、これに基づいて『新版 経絡経穴概論』が発行されたのは2009年3月30日だ。通常1年ほど吟味されるべき作業を省略して、いわば見切り発車されたところに誤字・脱字の主因があったのである。経穴部位の国際標準化は意義深い仕事だが、やや功を急ぎすぎたようだ。
教科書作成を急いだのは、2009年から世界基準に従い、日本の鍼灸養成施設でもWHO方式を採用する事が決定しており、授業に間に合わせるためには致し方なかったのである。だからといって、著者である教科書執筆小委員会が口をぬぐうわけにはいかないが、教科書作成時の執筆者や編集者の焦燥感はいかばかりであっただろうかと同情を禁じ得ない。
むろん教科書の体を成していない、刷り直してしかるべきこの欠陥教科書で勉強して国家試験をめざす学生が最大の被害者であることはいうまでもない。2011年度から、世界基準に従いあはきの国家試験が実施されるが、受験者に不利にならないよう関係各位には今から対策をお願いしたいところである。(福山)
《この5月初旬に米国の大学を卒業した塩崎真也さん(32歳)は、そのまま帰国せずにまっすぐミャンマーの最大都市ヤンゴン(旧・ラングーン)に向かう。そして、現地の視覚障害者に、まったくの無給でマッサージを教える。その準備のため、彼は2月初旬にミャンマー入りし、4月に一時帰国した。里帰り中の塩崎さんに本誌は電話でインタビューした。取材・構成は本誌編集部・戸塚辰永》
塩崎真也さんは1977年11月27日、鹿児島県種子島で生まれた。幼稚園まで地元で暮らしたが、弱視だったので、小学部1年生から県立鹿児島盲学校へ進み、寄宿舎で過ごした。普通、幼い子供が親と離れて暮らせば、間違いなくホームシックにかかるはずだが、彼はそうではなかったらしい。
「ホームシックとは無縁でしたね。僕は、かえって鹿児島という未知の世界や集団生活が楽しかったのです」と、彼は愉快そうに言う。その頃から人一倍好奇心が旺盛で、その性格が長じて、米国やミャンマーで遺憾なく発揮されることになるのだ。
鹿児島盲高等部を卒業すると彼は、東京を目指す。筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)専攻科理療科(現・鍼灸手技療法科)に進学して、現役で筑波大学理療科教員養成施設に合格する。
教職にあこがれており、高校生の頃から将来は教師になると決めていた彼は、栃木県立盲学校で3年、広島県立盲学校(現・県立広島中央特別支援学校)で2年の計5年間教職に就く。
「子供の頃からアメリカにとても興味があったんです。障害者に対してすごく開放的だとよく言われていましたよね。それが本当なのか、いつか行って、実際に確かめてみたいとずっと思っていたのです」と、米国留学のきっかけを語り始めた。
最初の渡米は、理療科教員養成施設1年生の夏休みに、カリフォルニア州ロサンゼルスに行き、語学学校に短期留学したことだった。
「視覚障害者は僕1人で、点字の教科書もなかったんですよ。でも、その時とても貴重な体験をしたので、いつか本格的にアメリカで暮らしてみたいと思いました」と言う。
教師として5年勤務した後、米国留学の夢断ち難く、2007年1月に米国北東部のオハイオ州アライアンス市にある1846年創立のメソジスト系私立大学マウントユニオン大学に入学した。専攻は教育学で、彼は29歳であった。同大は、オハイオ州の全寮制少人数教育を特徴とするリベラルアーツ大学のトップにランクされる長い伝統を誇る名門校。学生数は3,000人に満たないが、緑豊かな住宅街に115エーカー(約46万5,400㎡)という広大なキャンパスが広がり、校舎が点在する。
「実は、この大学が視覚障害の留学生を受け入れたのは、僕が初めてだったんです」と塩崎さんは言うが、その後も視覚障害学生は彼を含めて2人のみであった。
教科書は、全米どの大学にもデイジーのようなCD教科書があり、それを聞いて勉強した。
「苦労しましたね。わからない単語が出てきたときに音声で聞いただけでは、単語のスペルさえ推測するのが難しく、辞書を引くのにも時間がかかって最初は頭を抱えました」と、当時を思い出して笑う。
もちろん特に苦労したのは講義である。日本の大学でもそうだが、教員が「このくらいのものを、このように」とジェスチャーを交えて教えることがよくあるが、そうなると視覚障害学生はお手上げである。しかし、大学当局に悪気はなかった。留学生が15カ国から約60人おり、むしろ英語の苦手な彼らのために絵や図、ジェスチャーなどを駆使して視覚的な授業を行っていたのだ。他の留学生にとってはアウトラインが容易に理解できて便利な仕掛けが、塩崎さんにとっては仇になっていた。
「僕の場合は言葉が頼りですからね。手がかりがまったくなくて、泣きたくなりましたよ」と、置いてきぼりの悲哀を振り返る。
米国のリベラルアーツ大学は元々教会から発展したエリート養成機関で、少人数教育で学業はハードだ。このため、英語を母語としない視覚障害者という2重のハンディを抱えて、彼は毎日予習と復習、それにレポートの提出と息をつく暇もなかった。留学中に、オハイオ州内の一般の小学校で教育実習も行い、5年生のクラスを受け持った。そして卒業に必要な単位を昨年12月までに取得し、この5月に渡米して晴れて卒業を迎える。
「大学ではまったく遊ぶ余裕などなく、本当に勉強に追われた毎日でした。ただ、時間を作ってキャンパスイベントにも参加しました。学内の国際交流イベントで、『日本における代替医療の可能性(鍼灸・マッサージ)』というテーマでプレゼンテーションをしたのも良い思い出の1つです。世界中から集まって来たたくさんの人たちの関心を集め、鍼灸・マッサージの仕事に本当に誇りを持てる瞬間でした」と振り返った。
「ミャンマーに行くことは、1年前は想像もできませんでした。昨年の秋に卒業に必要な単位の目途もついて、卒業後、日本に帰って就職先をどうするか考えていた矢先でした。たまたま理療科教員などが登録しているメーリングリストに、ミャンマーのヤンゴンでマッサージを教えるボランティアを募集している案内を見たんです」と彼は言う。そのとき募集していたのは、ミャンマーを中心に国際医療協力を行う「NPO法人ジャパンハート」(代表・吉岡秀人医師)であった。
「元々、チャンスがあればと漠然と考えないこともなかったのですが、でも突然でした。そこで、恩師にも相談して、両親にも話したのですが、息子が決めたことだからと反対はありませんでした。しかし、心配はしているようでしたね」としんみり話した。
ヤンゴンにこの5月、ジャパンハートとミャンマー盲人協会、それに社会福祉省などの支援で「ミャンマー視覚障害者医療マッサージトレーニングセンター」が開校する。教員は塩崎先生で、ティーチングアシスタントを務めるのは、2009年3月に平塚盲学校を卒業したダン・クンチャンさんで、5月17日に開校式を行い、翌18日から授業が始まるが、東南アジアでは稀な2年コースの本格的なマッサージ師養成施設である。
ミャンマーの視覚障害者数は30万〜40万人で、人口6,000万人に比較するととても多い。しかも盲学校は8校しかなく、教育を受けられるだけでも幸運だといわれる。
「どこの国でもそうですが、視覚障害者にとっては卒業後、仕事に就くことが教育を受けること以上に困難です。この2月に現地に行ってみると、『一緒にやりましょう』と大歓迎されました。ありがたいことですが、今回の事業は現地の皆さんの期待がとても大きいので、本当に身が引き締まる思いがしました」と言う。
同センターでは、あらかじめ各盲学校から候補者を推薦してもらい、規模の大きな盲学校からは2人、小さな盲学校からは1人の計12人の生徒がマッサージを学び、2年間のトレーニングを経て地元でマッサージの指導者として活躍してもらう計画だ。
「ミャンマーでは、視覚障害者が職業に就くことがまったく難しい状況ですが、マッサージで職業自立することは可能だと思います。実は、数は少ないのですがマッサージルームのような所で働いて自立している視覚障害者もおり、収入も悪くないんです」と、将来計画には力が入る。ただ、標準的な教育カリキュラムがないので、それぞれの学校で、少し心得のある人が見よう見まねで教えているのが現状だ。そこで、塩崎さんは日本の医療按摩を体系的に教え、ミャンマーに広め、かつ定着させたいと夢を膨らませている。
「僕もまだまだこれからですが、トレーニングセンターの計画は始まったばかりなので、1つひとつコツコツとやっていくつもりです」という彼は、驚いたことに、生活実費の負担も受けず、まったく無給で働くのだという。
「こういう経験はなかなかできるものではないので、チャンスをいただいただけでも本当にありがたいと思っています。この仕事をしながら、その先のことは考えます」
トレーニングセンターの開設に向けて、塩崎さんは2月に現地入りして関係先を訪問。3月には教育カリキュラムの作成を始め、トレーニングセンターの経営方針・教育目標・成績評価基準・職員の職務組織体系まで全てゼロから作り上げた。
「本当に貴重な経験でした。色々なことを聞かれたり、重要局面での判断を一任されたり、自分の判断がセンター運営やミャンマーの視覚障害者の未来に直接影響するという精神的重圧と責任感に向かい合う日々でした。この仕事をする上で僕が最も大切にしてきたことは倫理観です。白紙からのスタートであるため、どんなことでも、やろうと思えばできますが、それは同時に高い倫理観に基づく責任ある判断も要求します。日本のシステムをそのまま当てはめれば良いというものでもありませんし、現地ならではの諸事情を十分に踏まえ、その国に根ざしたものを作ることも大切な要素です。そのため、ミャンマーの社会にとって必要なセンターでなければならないということを念頭において、色々な方々のご意見やアドバイスに耳を傾けながら、関係者とともにセンターをデザインしてきました。お蔭様で、多くの方々よりご意見やご協力をいただくこともでき、5月の開校に向けて準備が整いました。今回、僕自身にとっても貴重な経験となるこのような機会を与えて下さった関係者やご協力いただいた方々に感謝の気持ちでいっぱいです」と彼はストイックにインタビューを締めくくった。
国会議事堂は一般の参観者に一部公開されているが、参議院の参観ロビーに視覚障害者用の模型が設置されているのをご存知だろうか。これまでは2004年11月に設置された国会議事堂の模型だけだったが、このほど参議院議場の模型も完成し4月1日から公開されている。そこで5月11日(火)、同僚の触読校正者とともに見に行った。
当日は、あいにくの雨模様にも関わらず、国会議事堂の前には大型観光バスが列をなし、人が溢れていた。修学旅行と思われる学生が大半だが、中には個人の参観者や海外からの旅行者の姿も見える。
「参議院の参観者は昨年度だけでも34万人の方がいらっしゃってるんですよ」。そう説明してくれたのは、参議院庶務部広報課の田岡彦了(よしのり)さん。議場の模型製作を担当した方である。
さっそく模型が設置されている参観ロビーに案内してもらう。ここにはさまざまな展示物が陳列され、中には机とセットの議員席のレプリカもあり、実際に座ることもできた。その一角に500分の1スケールの国会議事堂の模型と目的の100分の1スケールの参議院議場模型が並ぶ。両方ともプラスチック製だが、着色もされた立派なものだ。
議場の模型は、縦355mm、横450mm、高さ120mmの箱形で、ちょうど肩幅に広げた両手に収まるサイズ。箱の上面、議場の天井部分がなく、真上から見下ろす作りになっている。議場は国会議事堂の2・3階にあり、吹き抜けになっていて、2階には議長席や議員席などが、3階にはコの字型に傍聴席や記者席などがある。後で議場を見学したが、議員席の数まで忠実に再現されていた。
実際に触ると、座面が5mm四方ほどのイスに肘掛けや背もたれなども作られているが、触ってはっきり分かるという。というのも実際の縮尺よりも厚みをもたせるなど触察しやすいよう一部をデフォルメしているのだ。また、それぞれの席の近くには略称を記した点字プレートが貼ってある。略称の凡例を示した点字プレートが見あたらないので聞くと、「模型の裏側の側面にあるんですよ」と田岡さん。凡例は模型の上部から裏側に手を伸ばして読むように上下が逆さまに貼られていた。
「模型の製作に当たっては筑波大学附属視覚特別支援学校の青松利明先生に助言を仰いだのですが、こちらの方が点字を読みやすいとご指摘くださいました。模型上面に貼ろうと思っていたので、これには驚きました」と振り返る。
そもそも議場の模型を製作することになったのは、社会科見学で来たある盲学校の生徒の言葉がきっかけだった。一般の見学では傍聴席までしか入れないため、全体像がよく分からなかったのだという。これを受けて田岡さんは、より分かりやすい模型を作るため、インターネットで探し当てた同校に協力を求めた。
紹介された青松氏と5回にわたり意見を交換し、最終的には発泡スチロールで作ったレプリカを使って触察のしやすさを追求した。田岡さんは、「依頼した模型製作会社が触察用の模型を初めて作ったこともあり、忠実に作りたい職人気質の製作者に、触察しやすさを理解してもらうのに調整が必要になることもありました」と製作秘話を明かす。完成までには実に4カ月間を要したが、完成品を先の生徒に触ってもらうと、大変分かりやすいと喜んでくれたという。田岡さんは、「参観ロビーには常に説明要員がいますので、ぜひ多くの方に参観していただき、国会を身近に感じてほしいです」と期待を寄せる。
参議院の見学コースは、参観ロビー、議場傍聴席、御休所、皇族室、中央広間、前庭(ぜんてい)で、所要時間は1時間程度。見学は平日8〜17時(受付は16時まで。本会議中や行事がある場合は見学できない日や時間がある)。10人以上の団体は事前申込が必要だが、個人の場合は9〜16時までの毎正時に案内を開始するので、直接参観受付窓口で申し込む。視覚障害者用に図版入りの『国会案内点字版』も用意されている。見学についてのお問い合わせは、警務部傍聴参観係(03-5521-7445)へ。(小川百合子)
「巻頭コラム」は、世相や「盲界」の時々の話題などを1ページにぎゅっと凝縮して、ウィットを交えて簡潔にお伝えできればと考えて始めました。ところが、昨年の4月から全国の盲学校等で使われている『新版 経絡経穴概論』という理療科教科書に97カ所も間違いがあったことを聞き、これは一大事です。
そこで複数の盲学校教師から裏付ける話を聞き、机上のコンセプトに煩わされているときではないと考え、しかし、ムキになることなく問題点を洗い出したつもりですが、いかがだったでしょうか?
この件について関係者からの反論、あるいは補足などあれば編集部宛、メールや電話にてお知らせください。6月9日頃までに情報をいただければ、本誌7月号に誌面化することも可能です。(福山)
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