THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2010年3月号

第41巻3号(通巻第478号)
編集人:福山 博、発行人:藤元 節
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替口座:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「ソーシャルメディア」

 ソーシャルメディアは2006年7月から使われ始めた比較的新しい用語だ。電子掲示板、ブログ、ツイッター、ミクシーなどのソーシャルネットワークシステム、「お気に入り」を共有するソーシャルブックマーク、オンライン百科事典、通販サイトのカスタマーレビュー、動画投稿共有サイトなど多様な形態をとる。まとめていうなら、インターネットに基づくアプリケーションの一群だ。
 テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などの産業メディア(従来型のマスメディア)は基本的に大衆に対して一方的に情報発信、発信には膨大な資源が必要だ。これに対してソーシャルメディアはユーザー個人が情報発信、ユーザー同士のつながりが促進され、しかも比較的安価だ。ソーシャルメディアは大衆をコンテンツ消費者からコンテンツ生産者へと変え、知識や情報を大衆化してきた。その影響力は増しており、今後の動向が大いに注目される。

目次

新印刷機内覧会のお知らせ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
指田忠司WBUAP会長アジア太平洋盲人福祉会議の概要を語る ・・・・・・・・・・・・・・・
4
読書人のおしゃべり:「レット・イット・ビー」と「バリアオーバー」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
9
ウルトラマラソン完走記 (山口和彦) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
13
サービス産業300選に(株)ナレッジクリエーションを選定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15
代議士の参列で華やいだ国リハあはきの会「新年の集い」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
16
老後を楽しく有意義に ひとみ園新園舎竣工式 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
18
ドイツ・チェコ出張報告(チェコ編) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20
自分が変わること:死を前にした感覚 その3 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
ケララ便り:高知、東京、そしてバンコク ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
福田案山子の川柳教室(最終回) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
リレーエッセイ:ピンポン打って社交ダンス踊れる落語家(笠羽明美) ・・・・・・・・・・
35
外国語放浪記:英検を巡って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
39
あなたがいなければ:優しい日本人の皆さん ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
42
感染症研究:ワクチンに用いるアジュバントとは ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
よりどりみどり風見鶏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲:朝青龍引退で土俵は活気づく!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
時代の風:カラーバリアフリーの取り組み、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
57
伝言板:調布映画祭2010、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
61
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63

指田忠司WBUAP会長アジア太平洋盲人福祉会議の概要を語る

 日本盲人福祉委員会とWBUAP(世界盲人連合アジア太平洋地域協議会)は、笹川吉彦日本盲人福祉委員会理事長を実行委員長に、2010アジア太平洋盲人福祉会議(2010WBUAP中期総会)を10月29日(金)から11月1日(月)の4日間、千葉市のホテルグリーンタワー千葉(10月29〜31日)と東京都墨田区のすみだ産業会館サンライズホール(11月1日)にて開催する。そこで本誌では、指田忠司WBUAP会長に同会議の趣旨や意義、イベントなどを紹介していただいた。
 日本で行われる視覚障害当事者によるこの種の国際会議は、1955年に東京で開催された第1回アジア盲人福祉会議、1991年のWBU東アジア太平洋地域会議、2002年に大阪で開催されたアジア太平洋ブラインド・サミット会議に次ぐもので、大会実行委員会は、1人でも多くの方に興味を持ってもらえるよう、プログラム等を検討してきた。実行委員会は、田中徹二日本点字図書館理事長、竹下義樹日本盲人会連合副会長、田畑美智子WBU執行委員をはじめとするWBU日本代表を中心に、山口和彦国際視覚障害者援護協会理事長らを加えた12人で結成され、さながらオールジャパンの布陣で取り組む。
 そもそも同会議の開催は、一昨年(2008)11月に東京で開催されたWBUAPの理事会で、笹川日盲委理事長の内諾の下、指田WBUAP会長の提案にさかのぼる。その後、開催場所を検討しながら実行委員会の結成に向けて準備が進められ、昨年(2009)7月に第1回実行委員会が開かれ、以来会議を重ね、昨年12月に同会議のプログラム案が決定した。
 「サイトワールドのことを考えて東京での開催も考えましたが、宿泊費用や会場の都合も検討した結果、成田空港からもアクセスがよく、会議会場の確保もしやすい千葉になりました」と指田氏は話す。実行委員会は、盲人福祉会議の参加者を200〜220人と見込み、すでに海外向けの案内を昨年末に電子メールで送信。現在、WBUAPの加盟組織は、北はモンゴル、南はオーストラリア、西はミャンマー、東はニュージーランドまでの22の国と地域に広がる。だが、その多くが途上国で組織としての経済基盤は弱い。「代表を会議に派遣したいが、費用がないので、旅費、宿泊費を援助してほしいとの要望が、インドネシア、カンボジア、ミャンマーなどから寄せられています。開催国としては、途上国からも参加できるように笹川実行委員長や財務担当者が現在資金確保に努力しているところです」という。海外からの参加登録料は、全日程で250米ドル(旅費、宿泊費を除く)。また、国内からの参加については、なるべく多くの方に参加してもらえるよう検討を進めており、正式な案内はもう少し先になるという。
 今回の盲人福祉会議のテーマは「障害者権利条約の批准と視覚障害者施策の充実を目指して ―― 平等な就業機会と生存権の保障 ――」であり、1日目の青年フォーラム、女性フォーラムに次いで、2日目の午前に開会式と記念講演があり、午後には参加各国のカントリーレポートがある。
 2日目の午前に行われる記念講演では、マリアン・ダイアモンドWBU会長が国連やWBUの取り組みを発表するほか、EBU(欧州盲人連合)のフレッド・リード博士が、EBUが行った視覚障害者の雇用調査について報告する予定だという。また「EBUは権利条約でも昨年(2009)5月に、ダブリン宣言を採択していますから、そういった話が権利条約をこれから批准しようとする日本を含むアジア太平洋諸国の参考になるのではないでしょうか」と指田氏は述べた。
 3日目には、午前のワークショップと午後のシンポジウムで権利条約と視覚障害者の就業について討議する。権利条約については、日本はこれから批准ということもあって、非常に関心も高い。「批准に向けてWBUAPの大会がどういう形で貢献できるか、オーストラリア、ニュージーランド、韓国などのすでに条約を批准した国の事例を参考にして議論ができれば」と話す。
 3日目のシンポジウムのテーマは雇用問題であるが、詳細はこれから検討するという。「共通する話題の1つとしてはマッサージですが、この問題は5月に韓国で開催される第10回WBUAPマッサージセミナーの成果を踏まえて、マッサージ委員会の委員長や、筑波技術大学が取り組んできたAMIN(アジア医療マッサージ指導者ネットワーク)推進委員会の方に話をしていただければ」と構想を明かす。また、一般企業での就労についても、リード博士にも加わってもらいながら、アジア各国に事業展開している多国籍企業で就労する視覚障害者の雇用について話題を広げていければ、と考えている。
 話が前後するが、今回特に力を入れているのは、中期総会の1日目に、青年フォーラムと女性フォーラムの二つの会議を設けたことだという。WBUでは、これまで女性フォーラムで視覚障害女性の地位向上のために活発な議論を重ね、行動計画を採択してきた。その様子については、2008年10月号の本誌で田畑WBU執行委員が報告しているとおりである。一方、青年フォーラムについては、2007年3月の前回の中期総会(中国シンセン)では開かれなかった。これについては、WBUAPでも世代交代を含めた組織の活性化を図るために、こうした話し合いの場を積極的に活用していくつもりだという。「各国の視覚障害者が直面する問題は大きく異なるかもしれませんが、これら二つのフォーラムへの参加を通じて、参加者がお互いの問題を知ることから始め、国を越えて共有できるものを見つけて議論してもらえればいいのですが」と指田氏は期待する。
 今回の会議では、海外からの参加者に対しては、日本の文化を知ってもらうような企画も検討されている。また「4日目の11月1日にはサイトワールドを見学してもらい、日本の視覚障害者向けIT(情報技術)に直接触れてもらえたらいい機会になることでしょう」と述べている。
 「会場は東京から少し離れていますが、これだけ日本にアジアの視覚障害者が集まる機会は2002年の大阪で開かれたブラインド・サミット以来です。久々に日本でアジアの人たちが一堂に会しますので、同時通訳も付きますし、是非とも交流を深めていただきたい。特に、こちらからアジア各国に行って交流を求めるのはなかなか大変です。各国のカントリーレポートを聞いて、彼らが元気に活動している様子を知っていただきたいと思います。きっと、日本の視覚障害者にも共感できることがたくさんあると思います。2日目の午後には、東京ヘレン・ケラー協会や日本点字図書館など、日本の団体が行っているアジア各国への支援についても、サブイベントで報告していただく予定です。3日目の午前には、デンマーク盲人協会が支援してきたアジア太平洋地域の当事者団体の組織強化事業についても報告してもらいます。そうした話を聞いて日本でも、あるいは自分も何かしたいという機運が生まれるかも知れません。この会議がアジアの仲間と交流して、アジアについてともに考えるきっかけに、またWBUAPの活動をみなさまに知っていただける機会になれば幸いです」と指田氏は呼びかけた。(戸塚辰永)

ドイツ・チェコ出張報告(チェコ編)

 昨年(2009)の12月1日午前8時半、ブレイルテックのフントハウゼン技術部長が運転するフォルクスワーゲンのハッチバックに我々4人は同乗して、ドイツ・マールブルク市のホテルからチェコ・ボヘミア地方のノビボール町へと向かった。車は高速道路のアウトバーンを西から東へとドイツを横断し、ドイツ東部の都市・ドレスデンを目指した。午後3時過ぎから降り出した冷たい雨は、次第に雨足が強くなり、午後4時前だというのに外はもう暗かった。
 ドレスデン郊外でアウトバーンを下りると、社会主義時代に建てられ今や廃墟となった巨大な住宅団地の間を通り抜け、旧市街に入るとやっと賑やかな人通りに出た。しかしそれもつかの間、車はそこからエルベ川の渓谷に沿って山越えをして、チェコに入ると、巨大な森林の中の車1台がやっと通れる真っ暗闇の未舗装のデコボコ道を走った。
 こう書くと悲壮感が漂うが、実は長い道中にはちょっとした楽しみもあった。アウトバーンのパーキングで車を止めたフントハウゼン氏が、「この近くにカプセルが隠してあるから、みんなで探そう」と言い出した。「ジオキャッシング」という宝探しゲームで、インターネット上の公式サイトにアクセスして参加登録すると、「キャッシュ」という宝物の位置を緯度と経度で記した座標や在りかに関するヒントを入手でき、参加者同士の情報交換もできる。そして、参加者はGPS(全地球測位システム)の端末を頼りに宝箱に見立てたキャッシュの位置を絞り込み、ヒントを元にキャッシュを探し出すのだ。全世界に100万のキャッシュが、砂漠の真ん中や大都市の片隅、海中にまで隠されており、中には発見者の名前を記すログブックやコインなどのちょっとした物が隠されており、参加者はキャッシュを隠し合い、探し合い、互いの宝物を交換し、宝物の価値、発見した場所などをインターネット上で報告し合うのだ。
 フントハウゼン氏はドイツの上位100位以内に入る愛好家で、なんとこれまでに3,200個ものキャッシュを発見し、今回の道中でも、我々は6個のキャッシュを見つけた。こうして、道草を食いながら9時間30分の長旅の後、ノビボール町のホテルに着いたのは夕刻の6時で、緯度が高いためすでに真っ暗闇であった。
 12月2日と3日の両日、ホテルから車で10分ほどのチェコ・ツヴィコフ村のグラフォストロイ社にて、平板点字印刷機GPB3の印刷テストを行った。
 点字印刷機は一度導入すれば30〜40年は使えるので、最新の同点字印刷機は、まだ韓国の大邱(テグ)、中国の上海、イランのテヘラン、イタリアのシチリアにあるだけで、2007年に当点字出版所は上海盲学校にこの印刷機を見に行ったが、なんと故障していた。ちなみに故障の原因は作業員の操作ミスであった。
 グラフォストロイ社は、1884年に織機製造メーカーとして操業し、その後印刷機器製造に切り替わり、社会主義時代の最盛期には広大な敷地に何棟もの工場を建て、400人もの従業員が働いていた。しかし、資本主義へと移行した現在では40人ほどの従業員が1棟の工場で、細々と旧式の活版印刷機を生産しているだけであった。しかし、ブレイルテックはその技術力に目を付け、GPB3を委託生産させているのである。
 我々は朝9時に同社に着き、事務所でガイドシュ社長と打ち合わせをして工場に入ると、なんとGPB3・2台がフル稼働しており、我々を唖然とさせた。しかもこのテスト用に事前に東京から送っておいたA3判の点字用紙2万5,000枚のうち8,000枚が、この日すでに印刷されていたのである。計画では、この点字用紙は我々が立ち会って、GPB3・1号機、2号機に日本から持参した亜鉛版をセットして1万枚ずつ印刷する手はずだったのだ。慌てて事情を話して、印刷機を止めてもらった。
 なぜ、このような誤解が生じたのか? チェコの企業は、伝統的に高度な技術を持っているが、概して英語のできる人が少なく、同社でも女性事務員が流暢なドイツ語を話せる他は、社長が多少英語ができるだけであった。このため肝心のGPB3を開発した技師はチェコ語しか話せなかった。これに対して、フントハウゼン氏は、「我々エンジニアは言葉が通じなくても身振り手振りで理解できるんだよ。これまで、世界中にチームを組んで行っているが、何も問題なかった」と豪語し、我々を余計に不安にさせた。
 そんな窮地を救ってくれたのは、兼松KGKプラハ支社のヘリスさんだった。彼はチェコ語、英語の他、なんと日本語も巧みに操って大活躍したのだ。それもそのはずで、彼は日本の大学や研究機関で原子物理学を5年間研究し、奥さんは日本人であった。このため、機械に関する専門用語から日本人のメンタリティーまで熟知していた。彼によると、チェコの工場の勤務時間は通常午前6時から午後2時までなので、従業員は我々の到着を待ちきれず、午後2時に仕事を終えるため、点字印刷機を回してしまったようなのだ。
 そうこうするうちに、11時になった。「さあ、今からテストを始めようか」という矢先に、「そろそろ、昼休みだから、食事に出かけよう」とガイドシュ社長が言った。こちらは、さっき朝食を摂ったばかりだったが、車で数分の牧場付属のレストランへと向かった。そこで、私が食べたチェコ料理は、レバーを団子に丸めたほうれん草のスープとジャガイモにサラダであったが、そのボリュームとしょっぱい味付けには閉口した。
 そうして、ようやくGPB3のテストが始まったのは午後1時過ぎで、あっという間に2時となり、従業員は次々と帰り支度を始め、暖房は止まり、広々とした工場はしんしんと冷えた。私は、ダウンジャケットにジーパンの下にはタイツも着込んでいたが、それでも床からの冷気に震え上がった。
 GPB3の外形はおよそ2m四方の立方体で、重さは約3.8tだが、当点字出版所にある英国製固型点字印刷機の半分以下である。固型点字印刷機は、熱硬化性インクを点字の形に塗布し、それを巨大なヒーターで乾かすため、そのタイミングを誤ると、点字用紙が焦げるので、その操作には常に細心の注意と熟練が必要である。一方、GPB3は点字原版と紙をセットすれば、後はスイッチを入れるだけで、誰でもあっけないほど簡単に印刷ができる優れものだ。
 GPB3印刷の仕組みは、まず、横方向に回転する2枚羽根のプロペラがあり、プロペラの先には紙ばさみが1つ付いており、エアーを吹きかけて点字用紙を浮き上がらせ、それに同期したプロペラが回転し、紙ばさみで紙を挟む。次に、プロペラが90°回転し、亜鉛板の間に点字用紙を差し込み、亜鉛板が上から押されて、点字が刻印されたら、プロペラが90°回転し、印刷された点字用紙が排出される仕組みだ。A3からB5サイズまで印刷でき、1時間当たりの生産能力は2,500枚である。
 テスト用に仲村点字器製作所製の自動製版機で製版した原版を1・2号機にセットし、1万枚印刷予定のところ、結局、我々は各7,000枚ずつの試し刷りに留めた。
 普通、日本で使っているローラー式の点字印刷機を使うと、亜鉛板で1,000枚も刷ると一部の点字が薄くなり、読みにくくなる。しかし、GPB3で印刷した点字は1枚目から7,000枚目まで全く変わることなく非常に読みやすいもので、その安定した印刷には舌を巻いた。
 こうして、我々はホテルへ帰り、初日のテストが無事終了したことを東京にメールしたのだった。その晩の本場のビールが、格別美味かったことは、言うまでもない。(戸塚辰永)

■ 編集ログブック ■

 本誌1月号の「福田案山子の川柳教室」終了のお知らせと、2月号のインタビュー「案山子先生の川柳人生は妻鳴子さんとの二人三脚」は、多くの読者に衝撃を持って受け取られたようです。そして、同教室の終了は「福田先生の都合ではなく、新印刷機導入に伴う誌面刷新のため」と思われた読者も少なからずおられました。
 「川柳教室」の終了は、福田先生から昨年の7月31日付で、点字の手紙をいただいたのがきっかけといいましょうか、いわゆる「終わりの始まり」でした。その手紙にはおおよそ、次のようなことがしたためられていました。
 「当時の高橋秀治編集長(現ロゴス点字図書館館長)から『1、2年ほども続けば十分ですから』と声がかかって始めたコーナーでしたが、あっという間にふた昔もたってしまったわけです。投句者も減少傾向にあり、私も体調が優れませんので、そろそろ引き時と考えました。つきましては2009年11月号をもって川柳教室を閉じたいと思います。勝手な決断をお許しください。ジャーナルに新風が吹き込まれることを祈りつつ、皆様のご厚情に重ねて感謝申し上げます」。
 そこで、私は「11月号というのは、いかにも切りが悪いので、ご健康が許せば切りのいい3月号までご無理をいただき、その直前には本誌のインタビューをお受けいただけませんか?」と、あわてて電話でお願いして、快諾を得たのでした。
 こうして、「川柳教室」は、1989年4月号から2010年3月号まで、ちょうど21年間続くことになったのです。
 バンクーバー冬季五輪でちょっと驚いたのは、日本人がロシア代表や米国代表になる時代が来たということでした。これから、ますますグローバル化が進み、国籍の壁もしだいに薄くなるでしょう。五輪スピードスケートでチェコに史上初のメダルをもたらしたマルティナ・サブリコバ(女子3,000m)の快勝に拍手を送った当協会の職員はすくなくありませんでしたが、それは、ちょうどそのときチェコの技師が当協会で技術指導していたからです。10月29日(金)から11月1日(月)の4日間、千葉市のホテルグリーンタワー千葉をメイン会場に、2010アジア太平洋盲人福祉会議(笹川吉彦実行委員長)が開催されますが、このような時代であるからこそ、有意義で実りある大会にするために、オリンピックではありませんが、オールジャパンで取り組んでほしいものだと思います。(福山)

訂正とお詫び

 先月号(2010年2月号)掲載の「携帯できる音声・拡大読書機『携帯リーダー』発売!」の記事中、携帯リーダーCR-1000の発売日が1月8日との記述がありますが、1月18日の誤りでした。お詫びして訂正致します。(編集部)

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