2010年は、ヘレン・ケラー女史生誕130年、協会創立60周年、『点字ジャーナル』創刊40周年の記念すべき年にあたります。そこで当協会は、この節目に(財)JKA(下重暁子会長)の助成を仰ぎ、より高品質の点字印刷物の発行を目指して、現行の固型式点字印刷機に代わる新点字印刷システムを導入します。
新システムは、ドイツのブリスタ・ブレイルテック(以下「ブレイルテック」)製自動製版機PUMAZ・1台と平板点字印刷機GPB3・2台、および周辺機器により構成され、産業機械の専門商社である(株)兼松KGKを通じて輸入します。平板点字印刷機は、点字巻取用紙を使う輪転機ではなく、シート状の点字用紙を上下に挟んで点字を刻印する方式です。このため、活字を併記した点字印刷や、時代のニーズに即応した多様なサイズの点字用紙に対応できます。
これらの機器はすべて受注生産であるため、製版機はドイツ・マールブルクのブレイルテックにて、印刷機はブレイルテックの協力工場があるチェコ・ツヴィコフ村のグラフストロイ社にて組立・製造しました。当協会は、これらの機器の出荷前試験に立ち会うため、点字出版所製版課長藤森昭、同印刷課主任佐々木晃、同編集課主任戸塚辰永の3名を、11月29日〜12月6日の日程でドイツとチェコの製造工場に派遣し、点字の質と安定した高速印刷を確保するための稼働試験を行いました。
機器等は、12月中にドイツ・ハンブルク出航の貨物船に船積みされ、7週間以内に東京港に着船。これに合わせて、(財)JKAの前身の一つである日本自転車振興会の助成を受けて、1973年4月に英国より輸入し、当協会新館1階に据付後36年間稼働した固型式点字印刷機2号機を撤去・廃棄すると共に、新しい印刷機の据え付けに向けて印刷室を補強・整備しました。そして、2010年3月初旬に同印刷室に平板点字印刷機2台を据え付けると共に、毎日新聞早稲田別館3階点字製版室に自動製版機1台を設置します。その上で、メーカーから3名の技術者を招聘し、点字印刷機器等の最終調整と、当協会職員に対する運転・保守整備の技術移転を行います。
本誌『点字ジャーナル』は、この新システム導入に伴い、2010年5月号(4月25日発行)より、現行のA3判変形固型式点字印刷から、A4判エンボス式点字印刷に変更致します。
なお、『ライト&ライフ』は、かさばらずに持ち運べてどこでも読めるという他の点字雑誌にないコンパクトな利便性が好評を得ておりますので、当分の間は、現行の固型式点字半裁のスタイルを変えずに発行する予定です。
「なんだこれは!」2009年10月23日(金)、首都・カトマンズのネパール盲人福祉協会(NAWB)本部ビルに足を踏み入れた私は、思わず声を上げた。倉庫はもとより、廊下や階段まで、不揃いな段ボール箱が山と積み上げられていたのだ。
NAWBアルヤール事務局長は、得意げに教育省から注文があったのだと述べた。そして、この3カ月間は、歩行訓練士など点字出版以外の担当職員も総動員して、点字教科書製作に当たった。そして「昨日、やっと印刷だけは終わった」と、吐息を漏らしたのであった。
教育省からの注文は、300人分の算数(数学)・英語・理科の点字教科書を初等部(第1〜5学年)用450タイトル、中等部(第6〜10学年)用450タイトル合計900タイトルという大部のものであった。しかも、ご存じのとおり点字教科書は通常、1タイトルが3、4冊にもなるので、NAWBだけでも約3,000冊にもなる計算である。
他に視覚障害者の当事者団体である「ネパール盲人協会(NAB)」も、同様に社会科とネパール語を受注しており、製本され、あり合わせの箱に詰めて送られてきたので、NAWBはまさに点字教科書に埋没寸前であった。
2009年は特に、15日間祝われる秋の収穫祭・ダサインが、平年より一月も早く最盛期の9、10月は気を揉んだという。その2週間後にはティハールという5日間の灯明祭もあり、ふる里に帰省して合わせて1カ月間の長期休暇を取る人も少なくない。いわば盆と正月が一緒に来たような賑わいをみせる時期なのだが、NAWBはダサインでも5日間、ティハールでも3日間しか休業しなかったという。
点字印刷は、日本とデンマークの国際協力機関であるJICA(ジャイカ)とDANIDA(ダニーダ)から各1台ずつ寄贈された高速点字プリンタを使った。しかし、毎日のように停電があるので、通電している夜間も動かす必要があった。そこで、職員の1人が連日、NAWBに泊まり込み、夜は10時まで、朝は3時から点字プリンタを動かしたのである。
点字印刷は終わったとはいえ、連続用紙を手作業でばらして、1冊ずつ製本するのは根気のいる作業である。しかも、部数が多いので、人海戦術で行うしかない。このため、詰めれば100人も収容できる会議室が、臨時の製本工場になり、学年毎の各点字教科書が床に小山を作っていたのであった。
「これだけの仕事があれば、少なくとも点字出版所は自立して運営できるね」と、アルヤール事務局長に何げなく聞いたら、ギクッとしたようであった。そして、教育省が提示する単価が安く、残業や公休出勤に対しても時間外手当が払えない現状をこぼした。そして、残業時には夕食を出して、点字教科書の納品が終わってから、振替休日をとってもらうという。また、来年、教育省から同様に大量の注文があるという保証もなく、実際、かなり悲観的らしい。というのも、教科書は日本のように消耗品ではなく、点が摩滅して読めなくなった点字教科書だけ注文されても、たかが知れているのだ。
ところで、NAWB点字出版所の起こりは、当協会が1986年8月にNAWBの職員を日本に招聘したことにまで遡る。そして、当協会と仲村点字器製作所にて、点字製版・印刷・製本、および点字製版機の組立・保守の技術指導を行ったのである。そして、その職員の帰国に合わせて、当協会は点字製版・印刷システム一式をカトマンズに送ったのだ。したがって、ここに至るまで23年間を費やしたことになる。当時の足踏式製版機は、いまや点字カレンダーの製作にしか使われていないが、今でもなんとか現役である。日本でも原版の修正などで、辛うじて命脈を保っているので、これも時代の流れだろう。
変化といえば、障害者に対するネパール社会も、この20年で劇的に変わった。当時は「盲人に教育など必要ない」という声が、あからさまに聞こえたが、現在は視覚障害者の社会進出と共に、そのような声は聞こえなくなった。
このような社会的変化を背景に、十分とは言えないまでも、ネパール政府による点字教科書の買い上げや福祉予算の増額が行われているのだと思われる。われわれもNAWBも非力だが、それでもまさに継続は力なのである。
旧知の指田忠司氏から「ニーラさんを知っている?」と電子メールで照会されたのは、2009年10月10日(土)のことだった。
同氏はご存じのとおりWBUAP(世界盲人連合アジア太平洋地域協議会)の会長で、WBUのメールマガジン最新号に「全盲のニーラ・アディカリさんがネパール政府の公務員上級職に合格」と掲載されたのを読んで、問い合わせてきたのだ。
彼女と初めて会ったのは、2005年7月のNAWBでのことであった。日本点字図書館の田中徹二理事長から、今度同館が招聘するつもりなので、会って来て欲しいと依頼されたのだ。そして、アルヤール事務局長の推薦もあり、好印象を持って帰国し、「間違いない人物です」と田中先生に太鼓判を押したのであった。
それから一月ほどたってから、彼女は同館主催の池田輝子ICTセミナーに参加するため来日した。そこで、ネパールには海がないことから、彼女の休日に合わせて、港横浜を案内したのであった。
そしてこの10月31日(土)、ネパール出張の合間に、アルヤール事務局長の案内で、彼女の住むラリトプル市(パタン市)に車で出かけた。片足に障害を持つ若い女性と共に、彼女は下宿の玄関前で待っていた。4年ぶりの再会である。彼女を介助していたのは、教師をしている友人で、下宿仲間だという。
ニーラさんは、現在、管理職研修のまっただ中で、非常に多忙を極めており、翌日の日曜日も試験だという。そこで、同市にある日本人経営の高級ホテルのティールームにて話を聞いた。直前の研修では、なんと拳銃の分解・組立、そして実弾の射撃も行ったと、少し物騒な話を愉快そうに語った。治安維持のために警察との連携も欠かせないので、このような研修もあるのだという。警察における3日間の研修には警棒を使った逮捕術もあったらしいが、さすがにこれは免除してもらったと朗らかに笑った。
彼女はこれまでNAWBのサポートにより教育を受けて来たこと、そして2005年夏のICTセミナーをとても懐かしそうに語った。そして、「今の私があるのは、あのICTセミナーに参加できたお陰です。田中先生をはじめ関係者の方々にニーラがお礼を述べていたとお伝えください」と、しみじみと語った。
私はてっきり、そのときもらったパソコン(PC)が役に立ったのだろうと思ったが、そうではなかった。
「もちろんPCを使って、今も電子メールのやりとりはします」と言いつつ、ネパール語のスクリーンリーダーがないので、実はそれ以上使えないというのだ。「その点、ノートテイカーの『ブレイルメモ』はとても役立ちました」と何度も繰り返した。
社会学を専攻した大学院の修士論文も公務員試験も、現在、行われている公務員上級職の管理職研修もすべてネパール語で行われ、この武器がなければ、彼女はここまで来ることはできなかったというのだ。彼女は英語が堪能なので、てっきりPCを駆使していると思ったが、これはとても意外であった。
また、今回、他の視覚障害者から「KGSのブレイルメモはいくらするのか?」、「提供してもらう当てはないか?」としつこく聞かれ、驚いたのであったが、欲しがる理由がよく分かった気がした。
彼女はこの4月に教員になったばかりだが、そのかたわらNABの理事、NABの有力な支部であるラリトプル郡の支部長、女性委員会の委員長、ネパール全国障害者連合(NFDN)理事、また、WBUの執行委員も兼任しており大忙しであったという。公務に就いてもこれらの活動は続けるのかと聞いたら、これ以上、責任の重い職は無理だが、現職は続けたいし、可能だと語った。
2009年8月には、スイスのジュネーブで開かれたWBU総会にて日本でお世話になった田中先生と再会した。そして、女性フォーラムでは田畑美智子さんとも親しくお話をすることができたと嬉しそうに語った。私が田畑さんも良く知っているというと、「お2人にどうぞよろしくお伝えください」と頼まれた。
このようにネパールの視覚障害者福祉にも、ようやく明るい兆しが見えるようになったが、まだまだ課題も山積している。その最たるものは、多く見積もっても5%という視覚障害児の就学率の低さであろう。2万とも3万人ともいわれる視覚障害児に教育の場を提供できるのはネパール政府以外には不可能なことである。しかし、それまでは、今しばらく、私たちの小さな力も必要なのだろうと、改めて思い知った、日差しだけがやけに強い彼の地の晩秋であった。
堀先生へのインタビューは戸塚デスクが担当しましたが、彼は日を置かずにドイツ・チェコ出張の予定があったため、私が後を引継ぎまとめました。このインタビューは、堀先生が参議院議員を2期12年間務められた時代の回顧が、実は導入部になっておりました。しかし、新春インタビューの企画意図は、「政権交代により鳩山内閣が誕生し、障害者にどのような影響がでるのか、民主党の戦略とその課題を聞く」であったため、断腸の思いで大幅に割愛せざるを得ませんでした。実は読み物としては、この部分がとてもイキイキとしており、官僚の珍妙な答弁に爆笑するシーンもあって面白かったのですが残念でした。
私事で恐縮ですが、50の坂を越えたら、まったく「光陰矢のごとし」で、新年を迎えたらあっという間に五十路半ばとなります。
巻頭で述べましたとおり、新年はヘレン・ケラー女史生誕130周年、協会設立60周年、本誌創刊40周年の節目で、新点字印刷システムを導入するため『点字ジャーナル』も一新します。コンパクトでさらに読みやすい誌面作りを目指しますので、これまで同様引き続き、ご愛読賜りますようお願い致します。
皆様にとっても、来たる年が明るく平安でありますようお祈り致します。(福山)
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