ハブ空港は、各地に放射状に伸びた航空路線網の中心として機能する空港を意味する言葉だ。ハブ(hub)とは英語で車輪の軸のこと。ハブが空港、スポーク(輻(や))が航空路線に当たることから、この名称が付いた。
厳密には2つの意味がある。(1)ある空港を特定の航空会社が運用拠点にしていること(航空会社ハブ空港)。(2)ある空港が広域航空路線網の要として機能していること(拠点都市)。航空業界でハブ空港というと(1)を指す。航空機や要員などの効率的な使用、乗客や貨物の効率的な輸送を可能にするため、多くの路線を運行する航空会社はどこかにハブ空港をもっている。ハブ空港のステイタスは各航空会社の事業戦略によって決まるもので、空港の規模や設備には必ずしも左右されない。ハブ空港の定義が明確でないことから、最近は国際拠点空港という呼称が使われている。
10月3日(土)13〜16時、「ウィーン大学での障害学生への配慮とは?」をテーマに、日本点字図書館において、ウィーン大学政治学研究所研究員で同大障害者協議会議長のヴォルフガング・ノヴァク氏(全盲)による講演が、伊藤聡知(あきのり)富山大学障害学生支援担当特命助教の司会で開催された。講演は、前半が同氏が開発したガイド・システムについて、後半が日本の障害学生支援状況の紹介も交えた、障害者協議会議長としてのノヴァク氏の活動で、聴衆は同氏のユニークな発想と力強い行動力に興味を持って聞き入っていた。
ノヴァク氏は1976年9月15日、オーストリアの首都ウィーン生まれの現在33歳。商業高校の生徒だった14歳の時に脳腫瘍で失明し、入院、手術、リハビリ、生活訓練に1年を費やした後、大学進学を目指してギムナジウムへ転校。その後ウィーン大学へ進学し、哲学、政治学、法学を専攻し、2006年に哲学と政治学の修士号を取得。現在、博士課程で哲学と政治学の論文をまとめるべく準備を進めながら、同大政治学研究所の研究員としてインターネット上で大学の講義を提供するeラーニング・プロジェクトで、政治学と哲学のシステム構築を任されている。
趣味は武術で、なんと「柔術」とカンフー。とくに7年前から始めたカンフーの腕前は上級レベルで、「心身の鍛練や瞑想は、哲学や政治学の書物を読むのと同様に重要だ」と真面目な口調で語り、「研究ばかりだと運動不足になるので、スポーツはダイエットにもなるからね」と実益もさらりと付け加えた。
今回が初来日の彼は、9月上旬から10月12日まで東京、京都、岡山などを一巡した。目的は、同氏考案のガイドシステム「視覚障害者用誘導ライン」の紹介と宣伝、そして視覚障害者用誘導ブロックの研究開発拠点である岡山県立大学での情報交換、および同大ほかでの講演であった。「ガイドシステムについて岡山で講演し、実り多い議論ができてとても有意義だった」と満足げに話す彼は、日本の印象について、「話に聞いていたが、誘導ブロックが街中至る所にあるのにはとても驚いた。ぜひとも、オーストリアにもこうした誘導ブロックが広まって欲しい」と述べた。ただ、日本の鳴き交わし式の音響式信号機はとても気に入ったが、「おそらく同じものをウィーンには導入できないだろうね。ウィーンには鳥がたくさんいるから」とジョークを飛ばした。絶好調の彼を、日本滞在中にガイドをしたのは、恋人のマリアさん。彼女は日本学の修士論文を早稲田大学でまとめており、実は彼女を頼って彼は単身訪日したのであった。
ガイドシステムは、ノヴァク氏がこれから書く博士論文、ウィーン大学出身で20世紀を代表する哲学者の一人に数えられるオットー・ノイラート博士(1882〜1945)と密接に関係する。同博士は学問と社会との関係を重視し、オープンカレッジに繋がる成人教育を実践した人物で、1938年のナチス・ドイツによるオーストリア併合後英国に亡命し、大学で教鞭をとりながら市議会顧問としても活躍した人だ。同博士は全盲の数学者と再婚したこともあり、ノヴァク氏は親近感を持ったという。
同博士の発明したものに、アイソタイプという絵による言語がある。これは、全ての概念を単純な絵によって表そうというもので、社会・経済統計のように言葉にすると難解なものも単純な絵にし、誰もが理解できるようにしたもので、その思想は今日の交通標識、地図の印、グラフィックデザイン等に受け継がれている。
ノヴァク氏は、「絵だからと言ってアイソタイプは視覚障害者に無縁なものではない」と主張し、アイソタイプの発想を視覚障害者の誘導システムに取り入れた。同システムは、高さ2mm、幅3cmの2〜7本の線を杖や足の裏で確認することで、自分の位置や向かおうとする方向が分かるもので、ウィーン大学内に敷設されている。具体的には、5本の線は階段へと案内するもので、これが基本となっており、この5本線を便宜上1、2、3、4、5とする。この5本線の外側に6と7の線を加えて7本線にすると、これは危険を喚起する意味の線となり、階段の手前などに敷かれる。なお、7本線はオーストリアの地下鉄や鉄道のプラットホームの端の危険警告線と同じ形式のもの。一方、5本線から1と5をとった3本線は研究室へと向かう線。線と線の間隔が9cmの2本線(2と4の線)は、本部棟の外周を周回する線。同じ2本線でも線と線の間隔が21cm(1と5)の線は、カフェ、ATMコーナーなどへ、間隔が3cmの2本線は図書館へ、線と線の間隔がほとんどない2本線は障害者用トイレへと案内する。また、交差点は四角形の囲み線が3個入れ子状になっている。
ノヴァク氏は、「言葉で説明すると難しく聞こえるが、実際のシステムはとても分かりやすく、誰でもすぐに慣れる。ウィーン大学には数十名の視覚障害学生がいるが、皆システムを便利に活用している。また素材はサンドペーパーのように滑りにくいので、冬場に凍結しやすい構内をガイドシステムのおかげで安全に歩くことができると健常者からも好評だ」と言う。同システムの利点は、(1)素材が高速道路などで使われているフィルムのため安価なこと、(2)フィルムは2mmと薄いため、車椅子使用者のじゃまにならないこと、(3)敷設に手間がかからないことだという。そして、「ガイドシステムをオーストリア全大学21校に広めていきたい」と彼は抱負を語った。
ノヴァク氏は、昨年10月にウィーン大学の障害者教職員で組織する障害者協議会の議長に選出された。同大には、約6万5,000人の学生と、障害を持つ教職員180人を含めた7,000人の教職員がいる。オーストリアの法律では5人以上障害者がいる事業所は、障害者協議会を設置することが義務づけられており、同大障害者協議会は毎月会議を開き、障害を持つ教職員の抱える問題を討議する。そして議長であるノヴァク氏は、障害学生や教職員の学内での権利や利益を保証するために、他の組合と共同で教授会や学長と話し合っている。なお、目下最大の課題は、大学の建物が建て替えられる際にバリアがないように、いかにするかだという。
2007年から2年間、ウィーン大学の社会科学系の学部9学部が参加する学生会議の議長も務めた彼は、障害学生の学習環境整備にも力を注いできた。同大には障害学生支援センターがあり、視覚障害学生に点訳、墨字本のテキスト化等のサービスを提供している。また、資料検索のシステムが新たに導入された際に、視覚障害者がアクセスしやすいように大学側に要望し、実現させてもきた。
オーストリアの視覚障害学生の多くは、コンピュータで資料を入手しやすいことから法学を専攻している学生が多いが、彼は哲学を専攻したので、「古い文献を読むのにとても苦労した」と語る。同国では、情報処理を学びたい視覚障害者は、理系の学習環境が整っているリンツ大学へ進学するという。現在、視覚障害の学生の問題は取り立ててないが、聴覚障害学生の手話通訳の費用負担が高額なため、議論されている。ただ、「最近、ウィーン大学の女性職員が、聴覚障害者として初のオーストリア国会議員に選出されたので、この問題も良い方向で解決するだろう」と楽観的である。
ノヴァク氏の講演に引き続き伊藤聡知氏が、日本の障害学生支援状況を解説。日本学生支援機構の「障害学生の修学支援に関する調査」によると、日本では高等教育機関におよそ300万人が学んでおり、その内大学から支援を受けている障害学生は僅か0.2%に過ぎないが、同氏は、「潜在的な需要はもっとあるはず」と推測する。富山大学には、現在8,000人の学生がいるが、大学が支援している障害学生は2人のみ。ガイドシステムを校内に張り巡らせることは金銭的にも非現実的なので、視覚障害学生にガイドを付けるというサービスをとっていると述べた。そして同氏は、「世界中どの大学でもコストとサービスの質がテーマになっている。ノヴァクさんの話を聞いてオーストリアでも同様の問題があると感じたので、障害学生支援の世界的なネットワークが必要だ」とノヴァク氏に提案し、その場で賛同を得ていた。
わずかな時間であったが、最後にフロアからガイドシステムや学習環境、ユニバーサル・デザインへの考え方など、様々な質問や意見が出され、講演会は熱気を帯びたまま終了した。(戸塚辰永)
2010年は管鍼の考案者である杉山和一検校(1610〜1694)の生誕400年に当たる。そこで、(財)杉山検校遺徳顕彰会(和久田哲司(わくだ・てつじ)会長、以下顕彰会)は、杉山和一生誕400年記念実行委員会(時任基清実行委員長)を組織し、医療、視覚障害者福祉、教育の先達である杉山検校の功績を保存・展示する資料館建設のために4,000万円を目標に「杉山和一生誕400年記念募金」を2010年12月末まで呼びかけるとともに、2010年5月30日に行われる生誕400年記念祭に向けてイベントを連続開催している。
東京・墨田区千歳の江島杉山神社には、杉山検校関連の古文書や『杉山三部書』原本といった貴重な資料や琵琶を始め当時の物品が保管されている。これまで、顕彰会は日本財団から助成金を受けて、北里大学東洋医学総合研究所客員研究員の大浦慈観(おおうら・じかん)氏らに依頼し、歴史的にも貴重な資料の修復・保全作業に取り組んできた。さらに、こうした資料をきちんと保存し活用するためには、杉山和一検校資料館が必要との結論に達し、募金活動に至ったという。
「資料館ができれば、琵琶など当時の物品を展示することもできます」と時任さんは話す。「募金は、一口5,000円ですが、何口でも構いません。もちろん、それ以下、いくらでも歓迎致します」という。募金趣意書の実行委員発起団体には日本盲人会連合、全日本鍼灸マッサージ師会、日本鍼灸師会、日本あん摩マッサージ指圧師会、全国病院理学療法協会、日本理療科教員連盟、東洋はり医学会と並んで江島杉山神社の地元墨田区千歳1・2丁目町内会が名を連ねている。また、協力支援団体には、東京ヘレン・ケラー協会も加わっている。
同実行委員会では、記念事業として、明治13年に今村亮(いまむら・りょう)らによって3,000部刊行され、ほとんど現存していない『杉山流三部書』の活字版を再復刻した。同書は、江戸時代全国45カ所に広まり、後の盲学校へとつながる鍼治講習所で使用されていた鍼灸の教本である。再復刻版は1部2万円、桜雲会で販売しているほか、一般書店でも購入できる。また、記念切手の販売、杉山和一の功績や逸話などを記念誌として発行する計画も進んでいる。
時任さんは、「私も執筆者の1人なのですが、江ノ島で鍼灸の技術向上の願をかけた和一の枕辺に妖艶な姿の弁天様が立ったという話をおもしろおかしく書こうかと考えています」と構想を語ってくれた。
「今、鍼灸師の多くは管鍼で鍼を打っていますが、その管鍼を盲人である杉山和一が発明したことを知っている晴眼鍼灸師はほとんどいません。そこで、東洋療法学校協会にも杉山和一のことをもっとしっかり教えるようにと事あるごとに要望しています。ですが、果たしてどこまで分かってもらえているのでしょうか」と首をかしげる。同実行委員会は今回の杉山和一生誕400年の記念イベントを通じて、鍼灸が視覚障害者の業であることを広くアピールするつもりだ。
6月18日に東京・両国の江戸東京博物館で行われた落語家林家時蔵(ときぞう)公演で「杉山和一・苦心の管鍼」が演じられ、好評を博した。また、2010年1月23日に東京・なかのZEROで和波孝禧氏のヴァイオリンと森雄士(もり・ゆうじ)氏の琴と胡弓のチャリティーコンサートを企画している。そして5月30日(日)に、杉山和一生誕400年記念祭を迎える。当日には、江島杉山神社での神事、すみだ産業会館での杉山検校賞授与式、同賞受賞者による記念講演、按摩鍼灸研究者数名による研究発表、祝賀会が開催される予定だ。
「鍼灸関係者のみならず、杉山和一に関心のある方は、イベントを機にぜひとも顕彰会の活動に参加してください」と時任さんは呼びかけている。
募金は、通信欄に「杉山和一生誕400年記念募金」と明記の上、ゆうちょ銀行振替口座00190-5-281484、杉山検校遺徳顕彰会へ。(戸塚辰永)
「ユニークなキャンパスガイドシステム」は、10月3日に日本点字図書館で開かれたノヴァク氏の講演と、それに先立って、戸塚記者が同氏にインタビューした内容をまとめたものです。ノヴァク氏の恋人・マリアさんは、オーストリア人ですが、お母さんは日本人なので、日本への関心が一方ならぬわけです。ところで、同講演会の司会をされた富山大学の伊藤聡知(あきのり)先生は、「あなたがいなければ」の筆者のご主人です。当日は、王崢さんも富山から駆けつけて来ており、戸塚記者は初対面の挨拶をしたそうで、「えっ、今まで会ったことがなかったの!」と驚いた次第でした。
小林幸一郎氏の「日本が一番だと思う」は、今や神話と化した成熟した欧米先進国の「不快さ」を小気味よくえぐっています。そのシチュエーションと態度から知らないはずないのに、しらばっくれられるのは、本当に逆上ものです。しかし、この逆はもっと困ります。本当は知らないのに、「困っている人に知らないとは言えない」心優しい性格から、懇切丁寧に教えてくれるのです。それでどうなるかといえば、むろん迷子です。いえ、ネパールの話ですが、本誌が発行されたころ、私はインド国境沿いの田舎町にいる予定で、そこで道に迷っているかも知れません。いずれにしろ、藤原章生さんの青春時代のように途方に暮れることはないとは思いますが。(福山)
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