「ツイッター(Twitter)」というインターネットのサービスがブームの兆しだ。2006年8月に米国のベンチャー企業ツイッターによって開始され、日本語版は2008年4月にスタートした。
「今何してる?」の問いかけに対し投稿することで、ほかのユーザーとつながる。投稿は「つぶやき(tweet)」と呼ばれ、140字まで書き込める。フォローしたユーザーのつぶやきは自分のページで見ることができる。魅力は、タイトルも付けずに思ったことをそのまま書ける気軽さとユーザー同士のゆるいつながり。オバマ大統領が選挙戦で活用、今年6月のイラン大統領選をめぐる混乱で改革派が利用、ツイッターは情報の共有・伝達手段として認知された。わが国でユーザーは78万人を超え、政治家や評論家、アーティストからもユーザーが出ている。今後ブログ(日記形式のホームページ)につぐインフラに成長するか、新しい使い方が出てくるか注目される。
8月28日午後、東京都渋谷区の国連大学本部ビル5階エリザベス・ローズ会議場にて、国連広報センター(UNIC)と国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の主催、飛騨高山東京事務所協力による、「バリアフリーで真に豊かなまちづくり ―― アジア太平洋におけるアクセスの現状と国連・岐阜県高山市の取り組みの考察」が開かれた。なお、同シンポジウムは、11月24日から3日間高山市で開催される「国連ESCAP バリアフリー高山会議 ―― 住みよいまちは生きよいまち」のプレイベントでもある。
冒頭、国連広報担当赤阪清隆(あかさか・きよたか)事務次長は、障害者権利条約の意義を述べ、「世界には6億5,000万人の障害者がいるが、その内4億人は貧困状態にある。国連は貧困と障害の悪循環を断つためにいっそう取り組んでいく」とのパン・ギムン事務総長のメッセージを代読した。
続いて、アジア太平洋地域のバリアフリー等障害者プロジェクトを現地で支援しているESCAP社会開発部社会政策人口課秋山愛子課長代理が登壇し、アジア太平洋地域ではバリアフリー化がなかなか進まない状況があるが、経済的にも政治的にも投資することが経済効果に結びつき、インクルーシブな社会開発が可能になるとバリアフリー観光の可能性を述べ、「タイやインドの観光地では高山同様、バリアフリーと観光を結びつけた取り組みがスタートしている」と紹介した。
車椅子使用者でリハビリテーション・インターナショナルのビーナス・イラガン事務総長は、彼女の母国・フィリピンは2007年に障害者権利条約に署名し、2008年に批准しており、2010年には国連の障害者の権利に関する専門家委員会に最終報告書を提出すると前置きし、「障害者は、政府がどのような報告書を出すのかとても注目しており、その際、お金がないからできないと、言うべきではない。なぜなら巨額な軍事費をバリアフリー化の費用に充てることもできるからだ」と訴えた。そして、「日本からはお金を支援してもらうよりも、バリアフリー社会を実現させたノウハウを学びたい。そういう意味でも国連ESCAPバリアフリー高山会議で各国の取り組みについて情報交換できれば」と期待をにじませた。
自らが盲導犬ユーザーの静岡県補助犬支援センター久保田道子事務局長は、初めて訪れた街を歩く視覚障害者のストレスについて述べた上で、「高山では設備面のバリアフリーに加えて、人の心のぬくもりを感じるので、ストレスなく観光できる」と語った。
最後に、飛騨高山東京事務所山本誠代表は、「高山が観光地として復活できたのも、バリアフリー・モニター・ツアーを30回実施し、障害者や高齢者から直接意見を聴いてまちづくりに反映してきたから。こうした地域活性化を促す福祉のまちづくりを目指している高山市をESCAP参加者に1人でも多く見ていただきたい」とPRした。(戸塚辰永)
9月4日、午後6時半から筑波大学附属盲学校同窓会による、『むつぼしのひかり』復刻プロジェクトへの理解を深めるための同誌創刊号の読書会が、筑波大学附属視覚特別支援学校(附属盲)で行われた。
『むつぼしのひかり』は、東京盲唖学校盲生同窓会によって明治36年(1903)6月に発刊された日本初の点字総合月刊誌であり、戦時中の昭和18年(1943)5月の第473号まで発行され続け、その後戦後に復刊し、現在も同窓会誌として脈々と受け継がれている。附属盲資料室には創刊号をはじめ300巻もの『むつぼしのひかり』が保管されている。しかし、100年以上の時を経たものは紙の劣化が著しく、触読困難になりつつあり、このままでは歴史的遺産が朽ち果ててしまう恐れがある。そこで、2004年秋に『むつぼしのひかり』を墨字にして出版しようという計画が、筑波大学の中村満紀男〈マキオ〉教授から提案され、2005年度から文部科学省の科研費を受け、同教授と附属盲資料室の岩崎洋二〈ヨウジ〉教諭、それに附属盲同窓会の有志を加え『むつぼしのひかり』の復刻プロジェクトがスタートした。
復刻作業は、@視覚障害者が『むつぼしのひかり』を触読しカセットテープに録音する、A晴眼者がテープを墨字におこす、B晴眼者と視覚障害者が2人一組で墨字版と『むつぼしのひかり』を読み合わせて校正するという手順で行われている。同プロジェクトは、資料室にある第473号までのおよそ300巻分の刊行を考えており、現在、全体の4分の1ほどの80〜90巻を墨訳し終えた。
同プロジェクトでは、10人ほどの有志が毎月第3あるいは第4土曜日の午後に附属盲に集まり、これまで読み合わせ校正を行ってきた。『むつぼしのひかり』には医学用語や明治時代に使われていた言葉などが頻繁に登場し、解釈に苦労することもあるが、「それをその都度議論するのが、楽しい」というのが参加者の声。また、当時の点字には句点がなく、文章の区切りで2マスあけていたが、1マスしかあいていない箇所も多い。加えて、段落もはっきりしていないところもあり、正しく文脈を捉えることができているかどうか、判断に苦しみ、しばしば作業は中断するが、その謎解きもなんともいえないという。
当初から復刻作業に携わっている同プロジェクトメンバーで同窓会の土居由知〈ヨシトモ〉さんは、「医学用語に精通し、当時の言葉に詳しい方が1人でも多く作業に加わっていただければ、力強いのですが」と新たな参加を呼びかけている。
現在、プロジェクトは『むつぼしのひかり』の録音とテープおこしの作業を学生などに謝金を払って依頼している。作業にかかる費用は、これまで科研費や寄付などで補填してきたが、資金も底をつきはじめ、今後の作業の存続も難しくなってきている。そこで、「ぜひとも、創刊号を読むことで1人でも多くの人が関心を寄せてほしい」と土居さんは期待する。
創刊号には、東京盲唖学校教師の奥村三策による鍼按学講義や小西信八(のぶはち)同校校長の第15回卒業証書授与式での報告の他、発刊を祝う和歌などが収録されている。土居さんは、「これまで視覚障害者については、比較的著名な人が研究されてきた。だが、『むつぼしのひかり』には名の知られていない視覚障害者の和歌や寸評が随所に登場する。それらを読むことから等身大の視覚障害者の生活を知り、歴史を問い直す作業が可能になるはずだ。そう言ったことに若い視覚障害者が興味を持って参加してくれれば・・・」と語る。
読書会では、『むつぼしのひかり』創刊号のレプリカを手にとって、感想を述べ合った。オリジナルは、ページ行を含めて17行、26マスで製版されているが、レプリカは『むつぼしのひかり』のマスあけやレイアウトなどの表記をそのまま再現した点字データをプリントアウトしたもので、「メイヂ三十六年六月ハツコー」と下がり数字を使うなど現在とは異なる表記で書かれている。こうした当時の表記法が話題になり、話は大正時代に来日した全盲ロシア人エロシェンコにまで広がった。
なお、『むつぼしのひかり』は全巻そろっている訳ではないので、同プロジェクトでは戦前の『むつぼしのひかり』が発掘されたら附属盲資料室(03-3943-5421)の岩崎教諭にご一報くださいと呼びかけている。(戸塚辰永)
一時代を画した人たちが、次々と逝かれます。1961〜1974年日盲連の婦人部長であった中村歌子女史が、9月1日老衰により天に召されました。享年95。当協会のネパールにおける事業にも一方ならぬご尽力を賜りました。ご冥福をお祈り致します。
10月23日〜11月8日、東京・渋谷のシアターコクーンで、鈴木杏主演の「奇跡の人」が上演されます。過去6回、大竹しのぶがサリバン先生を演じて評判だった舞台のキャストを代えての再演です。新潮文庫の『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』に、大竹が一文を寄せて、横浜訓盲学院で三重苦の少年とふれあったことで、「自分を受け入れること」、「自分を愛すること」、「そして感謝すること」を学んだと情熱的に記しています。わが国唯一のキリスト教精神に基づいた盲学校として、古くから重複障害教育を行ってきた同校は、この9月26日創立120周年を迎えます。この場を借りてお祝いを申し上げます。
「国連・障害者の十年」は1983〜1992年ですが、中国組織委員会事務局が設立されたのは「あなたがいなければ」に書かれているとおり1986年で間違いありません。国連の常任理事国なのに当時の中国は、随分のんびりしていたようです。(福山)
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