7月25日(土)、日本職能開発センター主催の「全国ロービジョン(低視覚)セミナー」が戸山サンライズで開催され、視覚障害当事者・施設関係者など約200名が参加した。今回は、視覚障害の疾患の中で、大きな割合を占めている糖尿病網膜症に焦点を当てた。
午前の基調講演では、済生会新潟第二病院の安藤伸朗(のぶろう)眼科部長が、糖尿病網膜症診療の最前線について解説した。
糖尿病による高血糖で網膜に傷害をきたす糖尿病網膜症は、我が国の視覚障害の原因疾患では緑内障に次ぎ第2位となっている。手術や薬物治療といった最新の治療法を紹介した上で安藤氏は、「糖尿病網膜症は、10年後には治る病気になっている。治る病態に対しては見える質を重視して、早期発見と早期治療が大切。治らない病態に対しては、人工網膜などの開発、サポート体制などを充実させることが重要」と強調。そして、医療の進歩でロービジョンの患者が増えていくことを踏まえ、「ロービジョンケアが患者の生活に対して、手術と同等の効果を生み出すことを認識すべきである」と眼科医による適切な診療の重要性を訴えた。
続いて、七沢ライトホームの渡辺文治(ぶんじ)氏が、施設における糖尿病網膜症の視覚障害者に対するリハビリテーションについて紹介。基本となる糖尿病の管理として、低血糖時の対応、食事の管理、薬の管理などの訓練を説明。特に、自立した生活を送るためにも欠かせないインスリンの自己注射と血糖値のチェックは、医療機器の進歩で視覚障害者にも容易になったという。加えて、ヘルパーなどの利用できるサービスが増えてきたことから、単身生活者が増加している。渡辺氏は、「糖尿病網膜症の方は退所してから太ることが多い。管理した生活から家庭に戻ると医療や食事の管理が行き届かなくなる」と施設退所者へのサポート体制の課題を提起した。
午後からは、「多面的に考える、糖尿病網膜症の就労への影響と対処法」と題したパネルディスカッションが行われた。筑波技術大学の長岡英司教授のコーディネートのもと、糖尿病を抱えながら働く3名の視覚障害者(うち1名は本誌戸塚辰永記者)が、就労への影響や対処法について意見交換を行った。
マイクロソフト(株)人事本部採用グループの木原暁子(あきこ)氏は、小学生で若年性糖尿病を発症し、就職後に眼科手術の失敗で失明、その後に転職した。失明直後にやみくもに就職活動をしたが、うまくいかなかったという。就労を実現するポイントとして木原氏は、「ソーシャルワーカーをはじめコミュニケーションを取ることで多くの情報を得てきた。最後は人が助けてくれる」とコミュニケーションの重要性について語った。
国土交通省運輸安全委員会事務局横浜事務所の向田雅哉(むこうだ・まさや)氏は、就職後に糖尿病を発症して弱視の期間を経て失明し、職場復帰を果たした。現在は、事故調査に関する音声データをパソコンを駆使して文書化する仕事をしている。関係機関に対する要望として向田氏は、「目が見えなくなってから、情報を得られない状態が続き、悶々としていた。歩行などの訓練が受けられる情報が早く得られるようにしてほしい」と自身の経験から強く訴えた。
戸塚記者は、幼少期に事故で失明、学生時代に糖尿病を発症し、その後に就職した。ドイツ留学の経験から彼は、「ドイツでは、失明宣告を受けたらすぐに医師やソーシャルワーカーからリハビリテーション機関を紹介される。そして、障害者手帳が取得できて訓練も始まる。こうした制度が日本にもできれば」と提案した。これに関しては、会場からタートルの会の下堂園保(しもどうぞの・たもつ)氏が、公務員については2007年に中途視覚障害者の就労継続に向けてのリハビリテーションに関する制度ができていると説明し、「民間企業については、雇用促進法でリハビリテーションを受けさせるシステムができていない。今後、障害者差別禁止法の中で盛り込んでいきたい」と補足した。
今回のセミナーでは、眼科医、施設関係者の連携の重要性が叫ばれているロービジョンケアが、なかなか当事者まで浸透していない現状が浮き彫りになった。法整備を含めた具体的な方策の展開が待たれる。(山本令子)
7月29日、札幌市のホテルライフォート札幌にて、理教連(日本理療科教員連盟)定期総会が行われた。4期目を迎えた緒方昭広会長は、「生徒減少など厳しい現状だが、対策を立て職業教育を守っていく必要がある」と決意を新たにした。
職業教育を守るためには、今後の教育方針がカギとなる。昨年の総会では、21世紀理療教育のあり方研究会から2回目の提案が出されたが、継続審議となった。議論となったのは、(1)本科保健理療科の廃止、(2)専攻科の4年制化および自治体の枠を超えての統合、など。執行部は、会員の意見を集約するため、昨年末から全国でタウンミーティングを実施し、再検討した。その結果、(1)は現在中卒者が在籍していること、教員定数などに影響すること、(2)は盲学校廃止の理由になること、年限延長により中途視覚障害者に負担となること、などの理由から提案を取り下げたと報告した。これについて吉川惠士副会長は「(1)は白熱した議論を期待したが、先生方から代案が出ず残念。継続審議とする」と述べた。
また、筑波技術大学が今年、特別専攻科・特別別科構想から、学部で教員養成まで兼ねる構想へ方針を変更した件も経過報告された。『点字毎日』は理教連など関係団体が、4年に短縮することによる教員の資質低下を懸念、また教育実習があはき免許取得前になることなどを指摘し、反対を表明したことから、2010年度からの設置申請は見送ったと報じた。しかし、本誌8月号の村上芳則学長のインタビューで、将来的に学部養成も視野にあると取れる発言も聞かれた。このため理教連は7月27日付で、学長宛に質問書を提出。学部養成に強く反対すると共に、当初の特別専攻科・特別別科構想の再考を要望し、変更した理由、学部養成は白紙撤回なのか、など4項目の質問を投げかけた。
その他、教員免許更新制の講習を大学で受講する教員向けに予算を付けるよう文科省に要望したこと、教科書バリアフリー法に対する付帯決議に基づきデイジー版教科書が就学奨励費の対象になったが本科保健理療科に適用されなかった件も引き続き要望することが報告され、承認された。質疑応答では、統廃合などの状況について全国の盲学校へ質問が出た。会場からは、松山盲・沖縄盲は反対運動で現状を維持できたが、山口盲は昨年度より5障害対象の県立下関南総合支援学校になったこと、徳島盲・秋田盲・長野盲はそれぞれ他障害との併置案が具体化していることが報告された。また鳥取盲は寄宿舎が聾学校と共用化しており、三重盲も寄宿舎統合の噂があるという。
各地で統合の波が静かに押し寄せており、今後も目を光らせると共に、活発な議論や運動が期待される。(小川百合子)
アジアパラリンピック委員会と東京2009アジアユースパラゲームズ組織委員会は、9月10日(木)から4日間、アジア最大規模の14〜19歳のユース世代による障害者国際総合スポーツ大会「東京2009アジアユースパラゲームズ」(以下、パラゲームズ)を、アジア30カ国・地域の約900人の選手・役員の参加の下で開催する。競技は、陸上競技、ボッチャ、ゴールボール、水泳、卓球、車いすテニスの6競技で、都内の5会場で行われる。
日本選手団は、総勢218人。主将は、北京パラリンピック水泳代表の木村敬一さん(視覚障害)、旗手は同じく北京パラリンピック陸上代表の澤田優蘭(うらん)さん(視覚障害)が務める。この世代は2012年のロンドンパラリンピック、そして2016年のパラリンピックの主力選手となる世代で大いに注目される。そういう意味でも、9月に開催されるパラゲームズは未来のトップアスリートの活躍を間近で観戦できる絶好のチャンスになるだろう。
日程は、10日(木)東京体育館での開会式、11日(金)〜13日(日)の競技となる。陸上競技は国立霞ヶ丘陸上競技場、ボッチャは国立オリンピック記念青少年総合スポーツセンター、ゴールボールは国立代々木競技場第2体育館、水泳は東京辰巳国際水泳場、卓球は国立代々木競技場第1体育館、車いすテニスは東京体育館で行われる。なお、視覚障害者は陸上、水泳、ゴールボールの3競技に出場する。
パラゲームズに出場する視覚障害選手4人からコメントをいただいたので、ここに紹介しよう。木村敬一さんは、「今大会では日本選手団主将と水泳チームのキャプテンを務めさせていただくことになりました。自分にできることは、出場する6種目全てに全力で取り組み、競技に対する姿勢と結果でチームの士気を高めることです。将来を担う私たちユース選手団で日本の未来を明るく照らしたいです」と話す。また、旗手の沢田優蘭さんは、「同世代の選手が集い競技をするパラゲームズをとても楽しみにしています。100m、200m、走り幅跳びの3種目に出場します。ベスト記録を出すことが目標です。本番で最高の競技ができるようにがんばります」と目標に向かう。ゴールボール男子チームキャプテンの小林裕史さんは、「僕らのチームは、今年の4月に結成されました。初めは一定の距離感がありましたが、毎月合宿をする中でみんな仲良くなりました。大会ではチームのみんなが力を発揮して金メダルを獲得できるようがんばります」と意気込む。ゴールボール女子チームキャプテンの中嶋茜さんは、「私はゴールボールが大好きです。パラゲームズでは勝負を楽しみたいと思います。1球1球に集中し、絶対に勝つんだ!という気持ちでチーム一丸となってプレーします」と力強く話す。
選手の活躍が楽しみだ!(戸塚辰永)
毎日新聞社から当協会に出向し、『点字ジャーナル』編集長、点字出版局長(現・所長)、理事を歴任した井口淳(じゅん)氏(全盲)が8月16日午前4時、老衰により逝去されました。享年86。
8月15日の午後、同氏は突然心停止となり、子息が懸命の心臓マッサージを行い一命を取り留めましたが、翌16日未明に再発して永眠されました。
同氏は、日本盲人社会福祉施設協議会常務理事等も務め、1982年にキワニス社会公益賞、1992年に黄綬褒章、1994年に毎日国際交流賞、1996年ネパール王章(ゴルカ・ダクシン・バフ)を受賞しました。ご冥福をお祈りします。
藤原章生さんの「自分が変わること」に藤原新也の写真集『印度放浪』が紹介されており、古い記憶が蘇りました。水葬されガンジス川の中州に打ち上げられた死体を犬が貪る写真には、「人間は犬に食われるほど自由だ」とキャプションがつけられていました。とても懐かしいのは、当時の日本が今ほど壊れておらず、骨格がしっかりしていたからかも知れません。8月30日は総選挙の投票日です。(福山)
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