草食男子あるいは草食系男子という言葉がもて囃されている。コラムニストの深澤真紀(ふかさわ・まき)が、2006年10月に『日経ビジネスオンライン』の連載で命名した。ブレークのきっかけは、ファッション誌の『non-no』2008年4月5日号の特集における論究だと言われている。
草食男子とは、協調性が高く家庭的で優しいが恋愛には積極的でないタイプの主に20代、30代の男性。草原にたたずむ山羊のようなイメージという。もともとはマーケティングのツールであったが、身近な存在でありいじりやすい用語でもあることから恋愛や世代を論じる切り口へと進化し、日常会話でも受け入れられている。草食男子は少子化の元凶であり、彼らを肉食にすることが少子化対策なのかもしれない。なお、反意語は肉食女子、恋愛にガツガツしている女性のこと。肉食女子が物色するのはどのような男性なのか、納得のいく指摘は見当たらない。
5月27日、東京都盲ろう者支援センター(以下、支援センター)が東京都台東区浅草橋にオープンした。支援センターでは、盲ろう者が地域で自立した生活を送り、社会参加をより一層促進するために、点字や指点字、指文字、手話などのコミュニケーション手段の習得訓練、生活訓練、パソコン機器の訓練、相談事業、通訳・介助者の養成事業などのサービスを提供する。支援センターは、東京都の補助金2,530万円を受けて認定NPO法人である特定非営利活動法人東京盲ろう者友の会(以下、友の会・山岸康子(やすこ)理事長)が運営する。
オープン前日に行われたマスコミ向けの内覧会の様子と6月5日に支援センターを訪ねて、手書き文字通訳を介して山岸康子理事長に行ったインタビューをここにまとめて紹介したい。(取材・構成は本誌編集部戸塚辰永)
まず、山岸康子理事長(66歳)は、「友の会は東京都内に2,000人とも言われる盲ろう者の発掘をして参りました。しかし、盲ろうという特殊な障害のために、見つけるのがなかなか難しく、85名が友の会に登録しているに過ぎません。周りも本人もコミュニケーションができない、情報が入らないということで友の会の存在が知られないままでいます。友の会は東京都に支援センターを作りたいと申し出て参りまして、やっと石原都政で作って頂くことになりました。なぜ今になって、支援センターなのか、海の向こうのアメリカに遅れることおよそ70年。日本では盲ろう者に対する教育も福祉も皆無に近かったのです。だから、今なお盲ろう者に対する認知度はとてもとても低いのです。福祉事務所に行っても盲ろう者とコミュニケーションができないので職員も対応ができません。だから、この支援センターでは盲ろう者にコミュニケーションの方法や生活訓練を行い、同時に盲ろう者をサポートできる人材の育成と研究をしていきます」と挨拶した。
続いて、友の会顧問でもある東京大学先端科学技術研究センター福島智教授(46歳)が登壇。「東京都が1996年に全国に先駆けて通訳・介助者派遣制度をスタートし、その後この制度は全国に広がり、2009年度には全都道府県で実施されるようになりました。ところが、どんなに優秀な通訳者が派遣されても盲ろう者自身に生きる気力がなかったり、コミュニケーションをしようという意欲がなかったり、そもそもコミュニケーションする技術がなかったら通訳者がいくらいてもそれらを活用できないのです。そこが盲ろう者福祉の難しいところです」と述べ、「通訳者派遣制度や養成と同時に盲ろう者自身の力をつけるためのコミュニケーション訓練、生きていく上での基本的な技術の習得、さらに根本的な生きる上での意欲を身につけていくためのサービスを提供する拠点がこの支援センターであり、全国的なモデルとなるように取り組んでいきたい」と述べた。また、支援センターの開設の話は、偶然だったという。ある都議会議員の紹介で石原慎太郎都知事と昨年10月に面会し、盲ろう者の事情を話した。「知事も関心を持ってくださって、とにかく小さくても拠点作りをやりましょうと言ってくださいました」と急な話だったことを打ち明けた。
前田晃秀(あきひで)支援センター長(34歳)は、「サービスの対象者は2,000人ですが、友の会で把握している盲ろう者はわずか100名程度です。残りの1,900名の人は、一体どうしているのでしょうか?」と切り出した。「なかには、家に閉じこもって家族からサポートを受けている人や、盲ろうという状態で施設で暮らしていて十分なサポートを受けられずに日々淡々と命をすり減らすような生き方をしている人もいるかもしれません。支援センターができたことを機にそういった盲ろう者を掘り起こして、盲ろう者が生きている実感、人生を楽しんだりできるような機会を与えていければいいなと考えています」と決意を語った。
支援センターには7名の職員(正職員4名、非常勤職員3名)がおり、社会福祉士、手話通訳士などの専門的な資格を有する人や盲ろうの当事者もいる。支援センターの機能をフルに活かして「ここに来れば盲ろう者の抱える問題がワンストップで解決できるようにしていきたい」と前田センター長は抱負を述べた。
支援センターの設立が最終的に承認されたのは、3月の都議会だった。それから2カ月あまりでの開設、山岸理事長は、支援センターの入る物件を探して前田センター長に連れられて足の小指にまめができるほど歩いた。
「最初、東京都は社会福祉法人であり、基盤がしっかりした全国盲ろう者協会に運営を打診しました。私は全国的な規模でできる全国盲ろう者協会で引き受けるべきだと主張しました。しかし、予算の面などを考えると友の会で運営することとなりました」と経緯を話した。これが12月で、あとはオープンに向けて今やるべきことだけを片付けていった。「この間、私は気分的に忙しかったのですが、センター長や職員が一生懸命働いてくれました」とねぎらう。
山岸理事長は、台東区浅草橋に支援センターができたことを大変喜んでいる。友の会の事務所は以前千代田区のオフィス街にあった。そのため、地元住民との関係が皆無だった。ところが、支援センターとともに下町の浅草橋に引っ越した途端、台東区役所、浅草橋町会長、商店街の連合会長などに挨拶回りで忙しい。「台東区は、下町で人のつながりを大切にするところで、1度ご挨拶すると協力したいと申し出てくださってすごくいいなあと感じました」。「盲ろう者が何人かで固まって歩いていると、町会長さんが『安心して頑張ってください』と声をかけてくださり、すごく嬉しいですよ」と喜ぶ。ちなみに、町会長さんは、支援センターからほど近い銭湯「弁天湯」の主人だ。訓練のあとで銭湯でひとっ風呂浴びるのも気持ちよいもので、入浴の練習にもなる。支援センターの下は野菜や果物を多く取り揃えた小さなスーパーマーケット。周囲には個人商店も多く、買い物などの練習ができそうだ。「それから、周囲にはそば屋や中華料理屋があるから、皆さんとても楽しみにしているみたいです」。オープン初日の5月27日には、盲ろう者、通訳・介助者など67名が内覧会を見学し、161㎡という広さにも関わらず支援センターは一時的にごった返したという。
訓練は1回2時間で、12回受講可能。しかし、それでも足りないようならば、延長もできる。6月5日時点ですでに何件かの問い合わせがあり、個人的に相談に来た人もいる。ルーペなども取り揃えており、弱視ろうの人に使いやすいルーペを紹介したという。現在、支援センターは、訓練希望者の要望を調査し、要望に添えるか否かを検討した上で、個々に合わせた訓練プログラムを検討・作成する作業に取りかかっている。7月の手話の訓練から順次スタートする予定だ。具体的な訓練の内容については、「東京都にはコミュニケーション訓練、生活訓練、パソコンなどの電子機器操作訓練といった計画書を提出しましたが、とにかく慌ただしい中でスタートしましたから、具体的な内容は皆で話し合いながら決めたいと思います。盲ろう者独自のものに対応すべく柔軟に検討していきます」と話す。支援センターには視覚障害者用品はあるが、今のところ補聴器などの聴覚障害者用用具はない。今後、補聴器や振動式の体温計などの用具も充実させていくとともにそれらの情報収集を行うという。
盲ろう者へのきめ細かな訓練の他に支援センターの役割の1つには、専門的な知識を持つ職員や通訳・介助者の育成がある。「これまで日本ではその方面の人材が少なすぎて盲ろう者にどのように接していいのか分からない人がほとんどでした」。友の会ではこれまで東京都からの補助で通訳・介助者養成講習会を実施し、盲ろう者への接し方、触読手話、指点字、手書き文字などを教えている。「受講生の中には、日本人なら誰でも文字を知っているから、手のひらに字を書くくらいできます」という人もいた。ところが、「いきなり、盲ろう者に字を書ける人はごくごくわずかです」と山岸理事長。養成講座が終了すると、盲ろう者にスムーズに話ができるようになる。支援センターではこの補助事業を受け継ぎ、技術の他に盲ろう者の心理や精神衛生などの講義も加えてより専門的な知識を持った通訳・介助者の養成を図るという。
東京都の通訳・介助者派遣事業に登録する通訳・介助者は、およそ350名。そのうち平日活動できる人は1割に過ぎない。そのため、盲ろう者が平日に買い物をしたり、会議の通訳を確保するのは困難だ。また、通訳・介助者の大部分は女性で、男性が不足している。友の会では毎年1泊旅行を行ってきたが、男性の盲ろう者の入浴時の通訳が確保できないということで、近年1泊旅行もままならない状態だという。「どうしたら男性が通訳・介助に関心を持って参加してもらえるか、良い案があったら教えてください」と訴える。
グループホームを作ることも今後の課題だ。「親が高齢になられて、この子を残して逝けないと心配する声をよく聞きます。盲ろう者が暮らすところも必要ですね。また、現在他の障害者と暮らしている盲ろう者もいます。そのような人には通訳・介助者が派遣されていますが、派遣時間は年間300時間余りでそれだけでは足りません。せめて1日8時間あれば」と話す。
こうした要望を友の会の家族の会などで幾度も東京都に訴えたが、国には盲ろう者に対する法律や制度がないからできない、法律や制度ができれば、盲ろう者独自の施策もできるといわれ続け、ラチがあかなかった。「ですから、この支援センターでデイケアも兼ねることになると思います。ここは161㎡と広く交流するスペースもありますから、毎日集まることもできます。買い物や風呂屋に行って生活訓練もできます」と笑う。
「センターの課題は、いっぱいあります。盲ろう者が自立し、仕事をし、そして結婚して、幸せに人生を送って頂けるように、そういう力をここで身につけて頂きたい。また、日本中どこへ行っても盲ろう者のことを理解し、コミュニケーションがきちんとできる人が増えてほしいと思います。これらはまだまだ先の夢ですが、ここから1つずつ広がっていってくれれば私はうれしいです」と山岸康子理事長は語った。
東京都盲ろう者支援センター:〒111-0053台東区浅草橋1-32-6コスモス浅草橋酒井ビル2階、電話03-3864-7003、Eメールtokyo-db@tokyo-db.or.jp、都営地下鉄浅草線「浅草橋駅」A4出口より徒歩2分、JR総武線「浅草橋駅」東口より徒歩3分、平日9時半〜17時半
6月7日、全盲のピアニスト・辻井伸行さんが、米国テキサス州フォートワースで開催された第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本人として初めて優勝を飾り、賞金2万ドルと3年間の海外ツアー契約などが贈られた。
辻井さんは上野学園大学3年の20歳。2歳でピアノの才能に目覚め、1995年には7歳でヘレン・ケラー記念音楽コンクールの前身である全日本盲学生音楽コンクールの器楽部門ピアノの部で第1位を受賞。2005年には、第15回ショパン国際ピアノコンクールで「批評家賞」を受賞している。
1962年に創設されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールは、課題曲がクラッシックから現代曲と幅広く、難易度が高いことでも知られる。辻井さんは5月23日に本予選を通過し、29日と31日の準決勝も突破。決勝では6月4日にショパン「ピアノ協奏曲第1番」、6日にラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」、7日にベートーベン「ピアノ・ソナタ第23番<熱情>」、ショパン「子守歌」、リスト「ハンガリー狂詩曲第2番」の3曲を演奏し、鳴り止まない拍手と声援を受けた。
オリコン週間アルバムランキングでは、2007年発売のデビューアルバム「debut」が300位圏外から8位、そして2位へと急上昇。今後の活躍に目が離せない。
本書は、大きく「ルイ・ブライユ生誕200年記念作品集」(作品集)と「点字エクササイズ63」(点字E63)の2つの部分から構成されており、さらに作品集は、「論文部門」と「エッセイ部門」に分かれている。
「作品集」には、昨年、視覚障害者支援総合センター(03-5310-5051)がブライユ生誕200年を記念して公募した論文15編の中から選ばれた4編と、エッセイ37編の中から選ばれた13編が収録されている。
「点字E63」は、『点字ジャーナル』の元編集長でもある日本点字委員会顧問の阿佐博先生が、「点字にまつわる質問に、点字の数(63)だけ答えたQ&A集」。
論文4編は、京都ライトハウスの加藤俊和(かとう・としかず)氏による「ルイ・ブライユの点字配列の考案は点字楽譜のためであったことの論証」、神奈川県金子昭(かねこ・あきら)氏による「ローマ字構成から見た特殊音点字について」、京都府立盲学校教諭岸博美(きし・ひろみ)氏による「『ひかり』への旅 ―― 日本点字を育んだ人々 ―― 」、四天王寺大学大学院教授愼英弘(シン・ヨンホン)氏による「点字選挙公報に関する一考察」。
これらの論文を目当てに本書を読む人も多いと思うが、そのどれもが期待を裏切らず、新たな知識と示唆をあたえてくれることだろう。特に点字に関係する仕事に従事する者にとっては必読の書である。
しかし、それらの玉稿と較べても劣らない存在感がエッセイの中にあったことは驚きであった。「どうせ点字の手練れが、美文調で上手にまとめるのだろう」という先入観を見事に覆す、荒削りな中にも珠玉の言葉と感動があり、しかも爽やかであった。
「発刊にあたって」の中で、版元である視覚障害者支援総合センターの高橋實理事長が「52編全ての作品を読みましたが、正直、作品を評価する行為があれほどまでに私を苦しめることになるとは予想もしていなかったのです」と、述べているが、あるいはこれは主催者にとっても嬉しい誤算であったのかも知れない。
「点字の世界においては、幼稚園児のような私だから・・・」と述べながら、「様々な福祉機器はあるものの、その操作を覚えたり、使用する手間を思えば、点字は簡単で、とても便利なものに思える」という窪田雅枝(くぼた・まさえ)氏。松本清張の名著『点と線』の点字版と録音図書を同時に借りて点字の練習をして、「点字を読み終えると肩が凝り、見えない目までが赤く充血する始末でした」という幸福隆士(こうふく・たかし)氏。極めつけは、中途失明者で盲学校を卒業して、午前中は病院の医療マッサージ師、午後は開業していたが、「聴覚低下が日増しに酷くなり・・・ある朝目覚めたとき、枕元の携帯ラジオも聞こえなくなってしまった。そのときばかりは声をあげて私は泣いた」という花岡健三(はなおか・けんぞう)氏。その彼が、再び自立できるきっかけとなったのは、点字で『ヴェートーベンの生涯』を読んだことだという。(点字版8,000円)(福山)
「大げさ過ぎないか?」との声は重々承知しておりますが、新型インフルエンザ対策として、点字出版所の1階事務所にも、速乾性擦式手指消毒剤「ウエルパス」とマスクを用意しました。そして、職員はもとより、当協会を訪問される方で、咳やくしゃみ、鼻水、鼻づまり、喉の痛み、頭痛、発熱など風邪様の症状のある方にはマスクの着用をお願いしています。ご面倒ですが、ご協力をお願い致します。
石原常務理事を通じての急なお願いだったのですが、「ご無沙汰しております。1度、高田馬場でお会いしただけですが、確か指田さんが来られ、とても印象深い宴だったのを覚えております」というメールと共に、藤原章生毎日新聞ローマ支局長に連載をご快諾いただきました。「知られざる偉人」の連載をお願いしていた指田忠司さんが闖入して、確かに宴はおおいに盛り上がったのでしたが、WBUAPの会長職が激務となり連載が終了し、藤原さんにお願いできたのも何かの縁ではなかったのかと思います。なお、藤原さんは開高健ノンフィクション賞に輝く名著『絵はがきにされた少年』(集英社刊)の著者です。
日頃お感じになっていること、本誌の記事に関するご意見やご感想を点字1,000字以内にまとめ、本誌編集部宛お送りください。