THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2009年5月号

第40巻5号(通巻第468号)
編集人:福山 博、発行人:藤元 節
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替口座:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「やばい」

 日常会話やインタビューで「やばい」を口にする若者やスポーツ選手をよく見かける。
 「やばい」はもともと盗人や香具師の隠語で、「不都合なこと」「危険な様」を意味する「やば」の形容詞化した語だ。「やば」は『東海道中膝栗毛』にも登場、江戸時代後期には定着していたが、形容詞化の過程ははっきりしない。「やばい」は戦後の闇市などで一般に広まったといわれる。1980年頃から若者の間で「怪しい」「格好悪い」などの意味で使われるようになったが、肯定的な意味では使われていなかった。1990年代に入ると、「すごい」「のめりこみそうなぐらい魅力的」など肯定的な意味でも使われ始めた。否定的にも肯定的にも用いられるのだから、前後関係や話の流れが判断基準となる。
 「巻頭ミセラニーの担当にされて、もうやばいです」。この例文では、「やばい」を果たしてどちらの意味に取ればいいのだろうか。(田辺淳也)

目次

第17回「ヘレンケラー・サリバン賞」候補者推薦のお願い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
目に見える実績を上げるために! 日盲社協茂木幹央新理事長に聞く ・・・・・・・・・
4
(特別寄稿)CSUN2009 今年の目玉はこれだ!!(望月優) ・・・・・・・・・・・・・・・・
15
(新連載)ケララ便り:初めの2週間(堀内佳美) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20
2010年は国民読書年 読書バリアフリー法の実現を目指して
  日盲福祉センターでシンポジウム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
23
リレーエッセイ:心をつなぐラジオ「里枝子の窓」(広沢里枝子) ・・・・・・・・・・・・・・・・
28
外国語放浪記:ジャンクフード天国 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
あなたがいなければ:象牙の塔に踏み入る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
39
感染症研究:視力回復手術後の感染性角膜炎による集団感染の被害発生 ・・・・・
42
知られざる偉人:盲ろうのシスオペで活躍のG.グリフィス女史 ・・・・・・・・・・・・・・・・
47
よりどりみどり風見鶏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
大相撲:史上最弱大関!? 千代大海 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
スモールトーク:おでこは見るもの!? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
57
立道聡子さんついにメジャーデビュー! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
時代の風:南米発の水虫広がる、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
伝言板:視覚障害者ビジネススキル向上コース、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
61
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63

目に見える実績を上げるために!
―― 日盲社協茂木幹央新理事長に聞く ――

 4月1日、日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)の平成21年度第1回理事会が東京都新宿区河田町の東京都視覚障害者生活支援センター(生活支援センター)で開かれ、5期10年務めた本間昭雄前理事長の退任を受けて、常務理事であった茂木幹央さんが第11代理事長に選出された。
 日盲社協ではこれまで理事長の下、常務理事2名体制をとってきたが、この理事会で定款を改正し、常務理事3名体制に移行し、組織を強化することにした。常務理事には、再任された石倉光行生活支援センター所長の他、新たに岩上義則日本点字図書館館長と、高橋秀治ロゴス点字図書館館長が加わり、強力な新体制がスタートした。
 当編集部では、4月1日の理事会終了後に、無理をお願いして、茂木新理事長に当協会点字出版所にお越しいただき、今後の日盲社協について、また茂木さんが理事長を務める社会福祉法人日本失明者協会(埼玉県深谷市)の養護盲老人ホームひとみ園の建て替えなどについてもインタビューした。茂木さんの寄って立つバックボーンを知ることは、今後の日盲社協の運営方針などにも深く関係すると思ったからである。(取材・構成は本誌編集部戸塚辰永)

「日盲社協会館」の建設

 昭和28年(1953)に故・岩橋武夫氏らによって設立された日盲社協は、55年余りの歴史と加盟団体215施設を有する全国的な視覚障害者関連団体だが、これまでは同じ全国組織とはいえ、日盲連と較べると、その活動はかなり寂しいものがあった。
 日盲社協の本部事務所は、以前は、生活支援センター内にあったが、日盲社協が施設の一部を使用するのは好ましくないとの東京都の指導があり、急遽、事務所を同区住吉町のワンルームマンションの1室に緊急避難的に移転。そこで、常勤1名とパート2名の事務職員が勤務しているが、全国組織としては、いかにもこぢんまりとした事務局体制である。
 そこで、茂木理事長は、5月25日に開かれる理事会で「日盲社協会館」(仮称)建設計画を提案する意向である。同時に、毎月1回、理事長、常務理事等による事務局会議を開き、具体的な事業を意欲的に検討するという。
 とはいえ、会館建設用地は、新たに取得するのではなく、日盲社協が現在所有する東京メトロ日比谷線「仲御徒町駅」から徒歩10分の東京都台東区台東3丁目1番6号の盲人ホーム杉光園(さんこうえん)を建て替えて、本部事務所もそこへ移転させる計画だ。
 現在の杉光園は47.03㎡(およそ13坪)というとても狭い土地に木造モルタル2階建てが建ち、所長兼指導員1名と3名のパート事務職員が勤務する。この建物は、昭和9年(1934)に日本赤十字社東京支部の救急所として建設され、昭和34年(1959)から盲人ホームとして使われてきた「歴史的建造物」である。むろんリフォームを重ねて、なんとか体裁を保ってきたが、老朽化のため火災や地震などに遭ったらひとたまりもないと、かねてから心配の声が上がっており、立て替えの必要性も以前から議論されていたが、今日まで日の目をみることはなかった。
 そもそも杉光園は、国立東京視力障害センター(現・国立障害者リハビリテーションセンター理療教育就労支援部)の関係者が、卒業生の開業準備のための研修機関として、同センターの生徒の実習の場として設けられた施術所であったという。同園設立以前にも、施術所は東京・池袋など4カ所に開設されたが、ついにどれも軌道に乗らなかったという。そんな中にあって杉光園は、当時国から50万円、東京都から25万円、自己資金25万円で、日本初の社会福祉法人形式の盲人ホームとしてオープンし、現在に至る由緒ただしき施設なのである。
 茂木理事長が描く日盲社協会館の青写真は、7階建てのペンシルビルだが、延べ床面積は255㎡(80坪弱)と意外と広い。これまでひとみ園を始め8箇所の建築物を手がけたことがある茂木さんは、建築設計士とも話を重ね、建築基準法や東京都の条例等を十分検討して、最大限の土地活用を図って、設計図もすでに手回し良く完成させているという。
 具体的な間取りは、1階に待合室と日盲社協本部事務所と杉光園の事務所を兼ねた事務室、2〜5階に施術室を各2部屋ずつ計8室、6階に会議室、7階に倉庫と洗濯室を置く計画だ。建設費用は、約1億1,000万円と見込んでおり、5月25日の理事会ならびに評議員会で承認されれば、すぐにも会館建設準備委員会を立ち上げ、いよいよ建築着工へと進むことになる。
 ところで、会館建設で一番の気がかりは、資金調達だが、「日盲社協加盟団体に建築資金の協力を要請するつもりはありません」と茂木理事長は、意外なことを明言した。「たとえば、ケアホームの場合は国が2分の1、自治体が4分の1、残りの4分の1を自己資金でおぎなうことになっている」という。「資金は私流で集めていく。障害者施設は以前の老人ホームのように補助率の点で今は良い条件になっている」と説明する。
 資金調達の一部として、日盲社協が所有する東京都杉並区内の土地149㎡を処分することも検討している。ちなみに、この土地は旧国立東京視力障害センターに近い場所で、当時の厚生省が日盲社協に払い下げたものである。23区内にこれだけの広さの土地といえば、高い値が付くと誰しも思うはずだ。しかし、この土地は南北38m、東西4m弱と細長く、現在は隣接する公務員宿舎の住民の通路として使われている。「高い値で売れるとは思えませんが、多少なりとも建設資金の足しになるのではないかと期待しているのです」と、茂木理事長は言う。

その他の課題

 会館建設は、目下最大の懸案事項だが、日盲社協が取り組む課題は他にも多い。点字出版は加盟団体の主な事業の一つだが、平成4年(1992)から始まった点字図書給付事業(価格差保障制度)では、「点字雑誌は今なお給付対象外であり、これを給付対象に組み込む必要があります」と述べた。
 また、障害者自立支援法により、2006年10月以後、価格差保障制度の実施主体が、国から各地方自治体に移管されたため、厚生労働省は各市町村で対応・判断する問題だと下駄を地方に預けている。その結果、全国一律であった制度にばらつきが生じて、制度の根幹が揺らいでいる。茂木理事長は、自立支援法以前のように全国一律の制度に戻すよう、全国市長会や全国市議会議長会等に粘り強く訴えて行くつもりだという。
 さらに、施設整備に支払われる国の補助金が、国家財政の悪化に伴い削減され続けている。以前は国が2分の1、地方自治体が4分の1、自己資金が4分の1で老人ホームが建設できたが、現在では補助金が激減し、建設が困難になっている。盲老人ホームのひとみ園の施設長でもある茂木さんは、現在ひとみ園本館の改築を計画しているが、改築に当たり、1ベッド1室に要する費用は、1,000万円強かかると見積もっている。しかし、埼玉県からの補助金は、1ベッドあたり300万円に過ぎない。8億円に上る建設費用の内、補助金でまかなえるのは2億円弱で、残りの6億円は、融資を仰がなければならないのが実情だと嘆く。
 「これも、国や県が高齢者施設に冷淡な対応をとるからで、どこの施設も運営は厳しいのです。そうした背景があって、群馬県渋川市の高齢者施設の『たまゆら』での痛ましい火災による大惨事が起こってしまったんですよ。『たまゆら』は無届の施設でしたが、認可を受けるためにはきちっとしたものを作らなければいけませんね。それには多額の資金を必要とするから無届で粗末なものを作ってしまうのです。だから、人の命を預かる施設を作るには、もっと国や県が以前のようにお金を出していただかないと、いい施設はできません」と茂木理事長は静かに行政の不作為に憤る。
 点字図書館の施設整備にしても、ほとんど同様の状況にある。盲老人ホームや点字図書館の補助金は、国から地方自治体に支払われる交付金から賄われている。以前は、交付金の使い道が指定されていたが、一般財源化ということで使い道の指定がなくなった。これにより、都道府県や市町村の裁量で補助金が配分されるようになり、きめ細かな福祉施策がなされるようになったと見えるが、結局、声の大きなところが、より多くの補助金をもらう傾向になったそうだ。そこで、茂木理事長は、「私たち盲人施設は少数派で、しかも声が小さいから割を食っています。盲人施設を作るための交付金制度の復活を、国などに要望して行くつもりです」と語った。
 盲老人ホームの人件費についても、以前は国、県、市町村から措置費として特別に捻出されていたが、その措置費自体、一般財源から支払われることになった。そのため、市町村は入園希望者でも盲老人ホームに措置しなくなってきているという。だから税金ではなく介護保険料で運営される特別養護老人ホームへの入居を勧める傾向があると説明する。こうした状況では、盲老人ホームの運営はますます厳しくなり、実際に入居者の定員割れを起こす施設も出てきている。
 厚生労働省は、平成18年に盲老人ホームの入居条件を、障害者手帳1・2級の視覚障害者が望ましいとの方針を出した。このため3級以上の経済的に困窮した視覚障害者が入居しづらい状況になりつつあると、茂木さんは懸念する。「1・2級に限らず盲老人ホームに入りたいという人は、入居させるように考えてもらわないと、このままでは視覚障害者の行く末が心配でたまりません。日盲社協としても放置できない問題なので、何か運動を展開していかなければいけないでしょう。このように大変厳しい状況ですが、障害当事者の粘り強い反対運動によって、この4月から障害者自立支援法が応益負担から応能負担に改正されました。こういった運動を範にして、大きな運動を作って行きたいものです」と新理事長としての抱負を力強く語った。

あさひ園の施設長として

 茂木さんは、ひとみ園と共に盲人ホームあさひ園の施設長も兼任している。本誌では2006年7月号で、あさひ園の開設直後の様子をお伝えしたが、ウォーターベッドを揃えて他のあはき治療院にはない充実した設備や丁寧な施術、加えてマッサージ施術料金が2,000円と格安なこともあってオープン当初から地元で評判で、今では年間延べ4,000人が受診するまでに成長したという。
 「昨日3月31日には、ついに1日の患者数が25人の新記録を達成しました」と茂木さんは喜ぶ。こうしたこともあって、あさひ園は施術者の定員を増加し、この6月から20人まで受け入れ可能な就労継続支援B型事業所に変更することにした。
 そこで、地元深谷市の担当者に相談したところ、「B型事業所になると、貴方の施設も毎月2万数千円の施設使用料を各施術者から徴収しなければなりませんよ」と言われて茂木さんはハッとした。
 「そんな金額を貰うなんて、とんでもない!」と、B型事業所への移行を断念しかけたが、自立支援法が改正されて応能負担になったことで、施設使用料は上限1,500円と減額された。これによって、施設側がちょっと工夫すれば、施術者の負担がほとんどなくなることも分かった。「障害者自立支援法は、悪法だと言われ続けてきましたが、運動の成果によって応益負担から応能負担に切り替わったことで、身近な所でもB型事業所にすることが可能になりました」と喜ぶ。

本格的な演劇ホールを備えて

 日盲社協の理事長に就任したことで、茂木さんは会議などで埼玉県深谷市から東京に出かける機会が増えて、ますます忙しい。日本失明者協会は傘下に建物は4棟だが、9種類の社会福祉事業を展開している。その内の、特別養護老人ホームむさし愛光園は茂木夫人が施設長を務めているが、他の3棟は茂木さん自身が施設長を兼務している。このため多忙を極めているはずだが、
 「忙しくなるが職員にも協力してもらいながら、やっていくつもりです」とそれを少しも苦にはしていない。
 来年の2010年1月末に完成予定のひとみ園本館は、鉄筋3階建て、延べ床面積3266.54㎡と、現在よりかなり広い。このため館内には、照明装置や音響装置はもちろん、緞帳を吊した舞台や楽屋を備えた240席の本格的な劇場が設けられるという。そこでは茂木さんが脚本を書き下ろして、職員がスタッフとして参加し、入居者有志による演劇も上演される予定で、みんなが完成を心待ちにしているらしい。
 1979年に開園したひとみ園では、1986年から演劇活動も行っているが、すっかり、地元埼玉県では有名で、毎回50名以上の観客が外部から訪れ、入居者による演劇を楽しんでいる。昨年10月の舞台では、大江賢次原作の「絶唱」が上演され、その様子は「毎日新聞」埼玉版や「埼玉新聞」でも写真入りで大きく紹介された。
 「下手な話をするよりも、演劇を観ていただいた方が、盲老人についてよく分かってもらえます」。「それから特に、若い配役を演じることで自然と身も心も若返るのです。出演者も、職員もお互いに力を合わせて一つのドラマを完成させて行くという作業には、苦労もありますが、その分楽しみもたくさんあります。昨日は、みんなで打ち上げ会をやりました」と茂木さんは一段と朗らかになる。そして、「盲人福祉事業、とりわけ入所系の施設を経営している人たちは、人生の演出家でないといけないんです。いかに演出して、楽しい生活の場を作っていくかが大切なんですね」とその醍醐味を熱っぽく語った。
 これは介護一般の問題かも知れないが、盲老人ホームでも介護職員をいかに確保し、定着させるかが大きな問題になっている。ひとみ園では、介護職員の休暇を月4週間の内3週間は土・日としている。週末に休みが取れるということで、長年にわたって勤務している職員も少なくない。
 ちなみに、筆者も特別養護老人ホームで機能訓練指導員として働いた経験があるが、3日働き1日休み、2日働き1日休むというローテーションで、むろん元旦から1年中働きづめであった。連続して取得できる休暇は、最長4日で年に2回、夏休みと冬休みという名目だった。が、それも公休に有給を付けたわびしいもので、それ以上は結婚休暇ぐらいなものといわれていた。しかし、どこの介護職場もほぼ同様だと聞く。そういう意味で、ひとみ園は特別であろう。
 ひとみ園に関して特筆すべきことは、もう一つ、介護職と事務職の職員が共に点字で業務日誌を書いていることだ。職員が点字を覚えることで、視覚障害者に対する職員の意識も向上していったという。
 「新しくなるひとみ園本館は、トイレや押入れが付いた1人1部屋の個室になります。そして、入居者の好みで部屋に畳を敷いて和室にしたり、ベッドを置いて洋室にすることも簡単にできます。また、廊下には入居者同士がぶつからないように、往来の多い場所4箇所に、音声で知らせる横断信号機を付ける予定です」と茂木さんは、その斬新なアイデアを披露する。
 「日盲社協としても、目に見える成果を上げていきたいですね。日本失明者協会もさらに整備を進め、視覚障害者にとって生活しやすいような施設にしていきたいのです。中でも、今後は働く場所の整備に力を入れるつもりです。具体的には、あさひ園の増築と同園に隣接して、そこで働く人が宿泊できるようなグループホームを建設する予定です」と、飽くなき挑戦者として語る。
 寝る暇もないほど忙しい茂木さんだが、理事長、施設長の仕事を終えた後、一休みした後、真夜中に所沢市から依頼された点字広報の点訳作業を足踏み製版機を使って行っているという。「これも少しでも資金を作るための努力です」という、当年とって73歳というが、パワーあふれるまさに鉄人である。

立道聡子さんついにメジャーデビュー!

 本誌2008年5月号の「リレーエッセイ」を執筆した、全盲のママさんシンガーソングライターの立道聡子さんが、ついに5月20日、シングル「たからもの」で念願のメジャーデビューを果たすことになった。
 立道さんは、附属盲(現筑波大学附属視覚特別支援学校)専攻科音楽科出身。卒業して同じく附属盲出身のご主人と結婚した後も、音楽への夢を諦めず、地道にライブ活動やコンクールへの出場を続けていた。そうしたなか、「たからもの」を歌ったあるコンクールがきっかけで、フジテレビ「FNNスーパーニュース」の取材を受けることになる。何度も特集が組まれ、特に初めての妊娠・出産を経て母親となる様子を追った回は、大きな反響を呼んだ。
 この番組を見た現在の所属事務所から声がかかり、2007年にはシングル「たからもの」をインディーズ盤として発表。そして昨春、ビクターエンタテインメントがこの曲に惚れ込み、メジャーデビューすることが決まった。
 立道さんは現在27歳。母親と歌手、両方の夢を叶えたその歌声はますます伸びやかになることだろう。今後の活躍が期待される(本誌次号でインタビューを掲載予定)。
 「たからもの」(VICL-36443):「たからもの」、「戀の花びら」、「フラワー」の3曲を収録。定価1,260円(税込み)。発売元ビクターエンタテインメント。

■ 編集ログブック ■

ベトナムの読者より

 ニャックアン(日光)盲学校の職員室で『点字ジャーナル』2009年1月号の「スモールトーク・灯台もと暗し」を読んでいて、最後のあたり、ホテルサンルートの1階にそのATMが鎮座していたという所まで読んで、思わず声をたてて笑ってしまいました。すると、そこに居た生徒2人が「なぜ笑ったのか」と聞いてきます。私はベトナム語で説明するのが難しいので、生返事をして応えないでいると、しつこく聞いてきます。それで仕方なく、落ちだけはしっかり伝えようと思い、頼りないベトナム語で、「オーストラリアの盲人に頼まれお金の両替に行った。電車に乗って行ったが、そこには機械がなかった。別の所に行ったがそこにもない。次の所に行ったらやっとあったので喜んだ。3人は疲れ果てて電車に乗ってホテルに帰ったら、その機械はホテルの入口にあった」という内容にして話しました。生徒2人も手を叩きながら上手!上手!面白い!面白い!と大笑いです。生徒の1人は「盲人には時々あることよ」と言いながら、また笑っていました。(ホーチミン市/佐々木憲作)

編集長より

 3月25日の当協会理事会で、私は迫修一の後任として、4月1日付で点字出版所長を命じられました。私の後任の編集課長は、田辺淳也が『ライト&ライフ』編集長を兼務しながら務めます。当分の間、『点字ジャーナル』編集長は私が兼務しますが、戸塚辰永が編集課主任(デスク)として、記事の取材や編集を総括します。これに伴い、今号から「巻頭ミセラニー」の担当は、私から田辺に交替しました。戸塚のデスクとしての初仕事は、堀内佳美さんの「ケララ便り」として見事に結実しました。なお、これまで本誌の発行人は点字出版所長名にしてきましたが、これを機に理事長名に変更致します。さらに読み応えのある誌面を目指しますので、皆さまのご支援、ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。
 また、点字出版所では4月1日付で組織再編を行い、従来の経理課、業務課を総務課(藤永昇課長)に統合しました。総務課には経理係、業務係、企画推進係、総務係を置き、事務のスリム化と事業のスピード化を図りますので、いっそうのご理解とご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
 「スモールトーク」でご紹介した(株)アイプラスプラスの「オーデコ」が、ついに発売されました。もっともオーデコを使うためには所定のトレーニング(トレーニング基本コースは20時間12万6,000円、追加コースは2時間追加する毎に1万2,600円)が必要です。無事トレーニングを終え「修了証書」を手にして初めてオーデコ(126万円)が購入できます。詳しくは(株)ビクトリアオーデコ事業部フリーダイヤル0120-580-777へ。

投稿をお待ちしています

 日頃お感じになっていること、本誌の記事に関するご意見やご感想を点字1,000字以内にまとめ、本誌編集部宛お送りください。

Copyright 2004 Tokyo Helen Keller Association. All Rights Reserved.

THKA