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社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2009年2月号

第40巻2号(通巻第465号)
編集人:福山 博、発行人:迫 修一
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替口座:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「ザ・ビースト(The Beast)」

 バラク・オバマ米大統領専用車の愛称は、「野獣」を意味するザ・ビーストだという。ゼネラル・モーターズの高級車「キャデラック」の新型リムジンで、従来の大統領専用車よりもさらに大きく強靱になったからだろうか? そういえば1991年に制作されたディズニーの長編アニメーションの「美女と野獣」の原題は、「ビューティ&ザ・ビースト(Beauty and the Beast)」であった。
 ザ・ビーストのドアの厚さはなんと20cmもあって個人で携行できる肩撃ち式の誘導ロケット弾の攻撃にも耐えられ、しかも化学兵器にも対応できるよう完全密閉式になっている。大統領の専用車は伝統的に黒塗りのロングボディで、就任式のパレードでデビューした。
 なお、ザ・ビーストには、「アンチキリスト」という意味もあるのだが、これは気の回し過ぎだろうか?

目次

盲界のご意見番・直居鐵先生に聞く ―― 忘れられぬあの頃の舞台裏 ・・・・・・・・
3
夢はこうして実現する 堀内佳美さんのインドへの道 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
16
電子ブック「ドットブック」を音声で読み上げるまで
  ボイジャーの萩野社長に聞く
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22
スーパーベルズと考えよう鉄道とぷらっとほーむの安全 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
27
スモールトーク:シメサバは土曜日に限る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
リレーエッセイ:ふと、感じるコト(高良美佐代) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
外国語放浪記:バレンタインデー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
36
あなたがいなければ:希望あふれる高校生活 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
39
感染症研究:アフリカ南部ジンバブエ共和国でコレラ流行 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43
(特別寄稿)ルイ・ブライユ生誕200年記念国際会議に参加して(指田忠司) ・・・・・
48
よりどりみどり風見鶏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
53
大相撲:次期大関候補 ―― 把瑠都凱斗 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
56
時代の風:第3種郵便制度悪用が8割、だしのうまみの「相乗効果」を解明、
  リニア各県に駅?東京名古屋間各停でも1時間 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
伝言板:大島幸夫さんヘレンケラーッサリバン賞受賞祝賀会、詠進歌、
  来年のお題は「光」、第6回全国盲人ひとり演劇コンクール出演者募集! ・・・
62
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64

夢はこうして実現する
堀内佳美さんのインドへの道

 堀内佳美(よしみ)さんは1983年高知県吾川郡春野町(現・高知市)生まれの25歳。現在25人と全国でも児童・生徒数が少ない盲学校の1つである高知県立盲学校の小・中学部で学んだ。それでも彼女が在籍した1990年代は、専攻科まで含めた全校生徒は約40人ほどいた。しかし、当時でさえ、幼稚部から中学部まで合わせても7人。1人いたクラスメートも1年の2学期から病気療養のため出席しなくなり、以後9年間、堀内さんにクラスメートはいなかった

英語とタイ語で日本語を!

 中学に入学した彼女が英語に興味を持ったのは、「英語で、それまで話すことができなかった人と話せるようになるため」だった。とかく、1人きりの授業は変化が乏しく、退屈と思われがちだが、外国人英語講師から生きた英語をマンツーマンで教えてもらい、課外授業での外出は楽しかった。
 高等部から筑波大学附属盲学校へ進んだ彼女は、高等部普通科3年生の7月から翌年6月まで米国ミネソタ州の盲学校と高校に交換留学した。ミシシッピ川が縦断する同州は、北はカナダと国境を接する中西部に位置し、冬は零下40℃近くになるため「米国の冷凍庫」と呼ばれ、とりわけ南国育ちの彼女にとっては厳しい気候だった。そんな中で、もっと温暖な国から来たタイ人留学生と知り合う。アジア出身で仏教文化でも共通する彼女に親近感を感じて、帰国後すぐにタイ語を習い始める。むろん、点字辞書などはなく、初心者向けのテキストを発音記号とカナ読みで点訳してもらい、東京で知り合ったタイ人に習った。
 大学進学に当たっては、国際開発分野で活躍する卒業生を多数送り出し、タイにも留学できそうなので国際基督教大学(ICU)を選んだ。タイを初めて訪れたのは、大学1年の春休みだった。ICUが主催するタイ北部で暮らす山岳民族の村を訪問し、キリスト教会の補修を手伝うと共に、村人と交流するプログラムだった。その教会で行われた交流会で、彼女は全盲の夫妻と出会い、これを契機にタイの視覚障害者事情に興味を持ち、帰国後インターネットでタイの視覚障害者団体を探しては片っ端からメールを送った。
 すると、「航空運賃と小遣いは出せませんが、食事と宿泊の面倒は見ますので、マッサージ施術者に日本語を教えてください」という吉報が舞い込んだ。最初の滞在から数カ月もたたない大学2年生の夏休みに2カ月間、首都バンコクのタイ盲人雇用促進財団のマッサージセンターに単身乗り込んで日本語を教えた。受け入れ先のスタッフは、英語が話せるというふれ込みだったが、実際に英語ができるのは理事長とルームメートの女性のみでこれには困ったが、「タイ語を習得するいい機会だ」と頭を切り換えた。
 「外出するときはたいてい誰かと一緒でした。というのもバンコクにも所々点字ブロックがありますが、中には歩道一面に敷き詰められ、杖でたどると噴水に突き当たったりもしたからです」と笑う。
 2カ月間バンコクで暮らして手応えを感じた彼女は、ICUの交換留学生プログラムに応募し、3年の夏から1年間バンコクの名門、国立タマサート大学(TU)に留学する。
 TUでは主にタイの歴史や仏教、少数民族の文化などを履修し、それと並行して障害者インターナショナルアジア太平洋(DPIAP)の事務所でインターンとしても働いた。タイには障害に関する国際機関が多数集結しており、各団体のセミナーなどが開催されるので、オブザーバーとして参加したり、障害者の自助団体の企画にも参加。また、タイ盲人協会では日本語とタイ語の通訳のアルバイトもした。「すごく楽しい経験で、大学ではとても知り合うことができない人たちと知り合え、充実した日々でした」と当時を振り返る。
 TU留学中のもう1つの成果は、マレーシアで開かれた国際視覚障害教育会議(ICEVI)の会場で、ドイツの全盲女性サブリエ・テンバーケンさんと出会ったことだ。1997年、中国・チベット自治区に盲学校を創設・運営し、その後、「国境なき点字(BWB)」プロジェクトを開始したサブリエさんについては、彼女の著書『我が道はチベットに通ず』を高校時代に読んでおり知っていた。彼女の行動力に強い感銘を受けていた堀内さんは、実際に話してみて、お互いの夢がほとんど変わらないことを知り意気投合。
 2006年8月、帰国した堀内さんは「就活」を開始。日本語教師を目指していた彼女は、日本語教育を専攻し、視覚障害者のための日本語教育をテーマに卒業論文を書いた。しかし、いざ就職となると、新卒で日本語教師の口は厳しく、非常勤講師をいくつも掛け持ちしなければ食べていけないことを知る。そこで、ひとまず日本語教師は諦めて、東京・大手町の証券会社にて翻訳管理者として勤務する。しかし、この間も日本語教師への夢は絶ちがたく、2007年からは終業後にボランティアとしてインターネットの無料電話「スカイプ」を通じて日本語をベトナム人に教えた。

新たな挑戦

 WHOの推計によると、世界には1億6,100万人の視覚障害者がいるが、その90%はアジア、アフリカ、ラテンアメリカ、環太平洋地域で暮らしており、600万人が18歳未満の子供だ。しかし、そのうちの90〜95%は教育を受ける機会がない。そこで、サブリエさんらBWBは、これらの地域に住む視覚障害児の社会的立場の向上と彼ら自身の力で学校を運営したり、ビジネスプロジェクトを立案できるように支援しており、すでにチベットで成果をあげている。彼らがこの1月にインド最南端のケララ州に立ち上げるのは、視覚障害者を中心とする社会起業家の研究機関(IISE)だ。
 堀内さんがこの計画を知ったのは、くだんのICEVI総会で、サブリエさんから聞いたのだが、そのときは「自分の組織を作る」といわれても、具体的なイメージを思い浮かべることはできなかったので、話を聞くだけに終わった。
 それから2年後の2008年7月に日本財団とアジア太平洋障害者センターがバンコクで開催したアジアの若手視覚障害者による「視覚障害者リーダー・未来への対話 ―― よりよいアジア社会の構築を目指して!!」に参加した堀内さんは、有識者として参加したサブリエさんと再会し、「ぜひとも開発に携わってみたい」と申し出た。すると、「それだったら、BWBに参加したら」と薦められた。堀内さんが「まだ、はっきりした夢がないんです」と言うと、「高いモチベーションを持つ参加者と議論を深めていくうちに、夢は形になっていくわ」と言われた。
 「開発支援をするんだったら現地の人と現地で」と考えており、当事者自身が運営しているBWBの理念には共鳴すると思った彼女はIISEに参加することを決意。国際開発に携わりたいと考え大学に進学した堀内さんだが、インターンの経験はあるものの、開発の現場で働いた経験はない。しかし、彼女は応募し、選考試験に合格して、BWBから滞在費と旅費を含めた奨学金を受けながら、ケララ州で2009年1月から11カ月間のプログラムに参加し、12月末に帰国する予定となった。
 「インドでの1年は、これから何をすべきか、ほんとに自分にできるのかをじっくり考える時間です」。仕事をしていると将来についてじっくり考える時間がないので、証券会社は12月末できっぱり辞めた。サブリエさんと出会い、「インドでのプロジェクトを知ったこともなにかの縁で、この機会を逃したら次はおそらくないとビビッと感じました。行動が先で、論理は後付けするタイプですから」と笑う。
 IISEの参加者は28人で、障害者が26人、晴眼者が2人。参加者はアフリカ諸国が多く、アジアからはチベット、フィリピン、インド、日本、ヨーロッパからはドイツとノルウェーで、年齢も20代から50代まで様々。幼稚園を作りたい、リハビリテーションセンターを作りたい、視覚障害者の権利運動のリーダーになりたいといういろいろな夢や動機を持った人が集まり、職員や講師とともに寮で寝食を共にする。
 IISEの授業は、英語のゼミナール形式で行われ、その目標は、1年間で社会起業家としてのスキル(技能)を身につけること。そのために、毎日多種多様なプログラムが用意され、例えばIT技術、マスコミとの交渉術、プロジェクトマネージメント、資金調達、なかには演劇の振り付けなどもあり、NGO設立に必要なすべてのスキルを身につけられるようになっている。そしてプログラムの最後の2カ月間は実習で、これからの指針を書いたプロジェクト計画案を提出。「私たちが教わるのではなく、いわゆる講師と学生という関係ではなく、互いに学び、成長する場を作ることなのです」と彼女は目を輝かせる。
 世界のどこかで彼女の夢が花開くために、2009年は彼女にとって極めて重要な年になるだろう。その成功を願わずにはおれない。そして、久しぶりに元気あふれる若い視覚障害者に出会い、清々しい思いでインタビューを終えた。(戸塚辰永)

電子ブック「ドットブック」を音声で読み上げるまで
―― ボイジャーの萩野社長に聞く ――

 《昨年(2008)10月、(株)高知システム開発(以下、高知システム)が読書支援ソフトウェアの「MyBook」を発売し、デイジー図書、ないーぶネット上の点字データ図書の他に、現在話題になっている本をネット書店から発売と同時にダウンロード購入して、手軽に読むことが可能となった。この電子ブックの読み上げ対応には東京都渋谷区の(株)ボイジャーの協力が不可欠であったという。音声対応に踏み切った経緯を(明治)神宮前の同社にて萩野正昭(はぎの・まさあき)社長(62歳)に聞いた。取材・構成は、本誌編集部戸塚辰永》
 ボイジャーは1992年に萩野さんら4人が、米国ボイジャー(Voyager)とのジョイント・ベンチャーとして、日本に設立した電子ブックビュワーソフト、電子ブック作成ツール等の製造・販売を行う会社である。英語で「航海者、海の探検者」を意味する社名は、宇宙を旅する惑星探査機ボイジャーのように、情報の海を航海するという意味から命名されたという。日本法人設立1年前に米国のアップル・コンピュータが、手頃な価格のノートパソコンを発売。このパソコン画面に文字を表示して、本のようにページをめくることができる電子ブック「エキスパンデッドブック」を見た萩野さんたちは、「いよいよコンピュータで本を読む時代が到来した」と感じて起業したのだ。
 ところがボイジャーは船出したものの、その後パソコン環境の激変という嵐に翻弄される。1992年当時はMS-DOSの全盛期であったが、1995年にウインドウズ95が登場、数年後には同98・・・とOS(基本ソフト)が目まぐるしく変わった。ボイジャーの電子ブック作成ツールもそのたびに、新しいOSに対応しなければならなかった。また、MS-DOSが使われなくなるとともに、電子ブックも消えてしまうという憂き目も味わった。「紙の本はローテクだが、確実に50年、100年残っていくのに、電子ブックはハイテクだと威張っても、こんなに情けないものか」と痛感するとともに、本はあらゆる人がどこでも読めるものでなければとも感じた。ただ、その頃はそういう理想を掲げてはいたが、視覚障害者が電子ブックが読めない事情はよく知らなかった。

青空文庫とボイジャー

 「実は、青空文庫はこのオフィスからスタートしたんです」と萩野さんは何気なく語った。青空文庫とは、インターネット上で著作権が消滅した古典や名作をテキストデータで提供して、誰でも無料で読むことができるサイトである。同文庫の運営者は、視覚障害者からのアクセスがあることをいち早く知り、「視覚障害者はスクリーンリーダーを用いて読書ができるから直ぐに対応すべきだ」と主張し、萩野さんにも提案があった。とは言うものの、現在でも著作権が有効な本を複製や改ざんの可能なテキストデータで頒布することは、出版社としてはとてもできない相談である。萩野さんたちはどうすればできるか模索し、出版ユニバーサルデザイン研究会などにも足繁く通った。
 ある日、「出版社は、なぜ青空文庫のようにテキストデータで提供してくれないのか?」と視覚障害者から声があがった。しかし、出版社の関係者はだんまりを決め込み、誰一人答えようとしなかった。そこで萩野さんが、「テキストデータでは著作権が保護されないからですよ」と代わって答弁した。すると、視覚障害者側から嵐のような反撃を受けた。「何も僕が答えなくても、出版社の人が答えればいいのにとも正直思いました。しかし、視覚障害者の話を聞いて、彼らの読書環境が切実なものであることを知り、つべこべ言わずに電子ブック作成ツールの製作者として、何とかして読めるようにしよう」と決意したという。2006年のことである。

橋渡し役の出現

 そこにちょうど、ある会社が「電子語り部」という読み上げソフトを開発したので、ボイジャーと共同でビジネス化しようと持ちかけてきた。ボイジャーでも弱視者向けに文字の拡大等に取り組んだ時期でもあり、こうして音声化にも取り組むことになった。しかし、ボイジャーの電子ブック作成ツールで作成した電子ブックの音声化は、すぐに暗礁に乗り上げた。というのも電子ブックは、初期のエキスパンデッドブックから「ドットブック」へと急速に進化し、文庫本形式の縦書きにも対応し、視覚的にも非常に読みやすくなって好評であったが、その分複雑な構造になっていたのだ。「眼が見える人にとっては価値があっても、眼の見えない人にとってはまったく無価値だと分かっていながらも、どうしてもそれにこだわっていたのです」と萩野さんは当時を振り返る。
 そんな折りに、ユニバーサルデザイン出版推進の急先鋒である千葉県立中央図書館職員の松井進さんから連絡があった。そして、彼が高知システムとボイジャーの橋渡しをするから何とか電子ブックの音声化を実現して欲しいと提案してきた。いわば、松井さんが仲人となることで、両社は「MyBook」の開発に着手したのだが、その果実はなんとたった3カ月ほどで実ったという。
 「実は、高知システムの方には、まだお会いしたことがないんですよ。打ち合わせは全てEメールでやりとりしましたからね」と萩野さんは苦笑する。ボイジャーからはドットブックのプログラム情報を開示し、それらを基に高知システムが、データを引き出すときに外部から見ることができなくしたり、不正なコピーができなくするようなシステムを構築したのだ。こうして、視覚障害者も「MyBook」をとおして、ネット上で市販されているドットブックを簡単に読むことができるようになったのである。
  「MyBook」が完成したことでボイジャーは各出版社に対して著作権を侵すことなく電子ブックが音声対応可能であることをアピールし、理解を求めた。これに対して、講談社、新潮社、角川書店の大手出版社と、以前から付き合いのある日本劇作家協会などが音声化に賛同してくれた。「しかし、いくら説得しても頑として承諾してもらえない出版社もまだ多いんです」と萩野さんは肩を落とす。消極的な出版社の言い分は、「音声化に当たって作家に許可を取るのが大変だから」につきるという。「電子音声のようなつたない物で、自分の作品を読み上げられたり、誤読されるのは我慢できない」と筒井康隆氏のように態度表明する作家もいる現状を恐れ、出版社は二の足を踏んでいるのだ。
 それに対して萩野さんは、「活字本を読めない人が読むためのシステムであり、間違って読むと言うが、だれだって読めない漢字はあるでしょう。そのときは読み飛ばしますよね。それと同じですよ。読んじゃいけないと言うよりも、多少の誤読はあるものの、読めることの方が価値があるんじゃないんですか」と作家や出版社に反論し、精力的に説得を試みている。それにつけても電子ブックの読み上げ対応は極めて容易で、出版社がパソコン上で項目にチェックを入れて、著者の許諾を得るだけだというのだが。
 2008年12月現在、ドットブックで音声化対応されているものは、新潮社が約100、角川書店が約400、講談社が約1,000、その他の出版社が1,000、合計2,500タイトル。「来年か再来年にはおそらく5、6,000タイトルに増えていることでしょう」と萩野さんは胸を張る。
 ドットブックにより提供する電子ブックは、主に新刊本と若者向けの本。購入方法は、同社がインターネット上で経営する理想書店の電子書籍販売サイトからダウンロードする。なお、電子ブックには、ドットブック以外に2種類の形式があり、今後それらも音声化されることが期待されている。

■ 編集ログブック ■

 堀内佳美さんがインドで研修する内容に「演劇の振り付け」があると聞き、少々不審を抱きました。それがNGO設立に必要なスキルとは、とても思えなかったからですが、今はあながち見当はずれだとは思っていません。
 1月13日(火)午前11時から深谷市の養護盲老人ホームひとみ園(茂木幹央園長)にて、埼玉県盲人福祉協会(茂木幹央会長)の「第21回三療研修会並びに第18回婦人部研修会」が開催され、午後一番に「ネパールの盲人事情」について話をするよう依頼されました。
 予定よりかなり早く着いた私は、午前中のプログラム、ひとみ園の入所者と職員による演劇を観劇しました。職員を別にすれば最も若いキャストで70歳、最高齢者は88歳という陣容ながら、それなりにまとまった手作りの舞台をみせてくれました。監督・台本・主演が茂木幹央氏で、足下がおぼつかない出演者にはスタッフが黒子として付き添っており、それがまた、ある種の「異化効果」となっていました。茂木先生のバイタリティあふれる活動のバックボーンに、演劇の造詣があるように思え、NGOワークの必須スキルと思った次第です。(福山)
 今月号の「知られざる偉人」は休載します。

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