THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2008年11月号

第39巻11号(通巻第462号)
編集人:福山 博、発行人:迫 修一
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替口座:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「総選挙(General election)」

 通常は、立法府の議員全員を一挙に改選することを総選挙と呼ぶので、わが国では衆議院議員選挙にのみ用いられ、参議院議員の選挙は3年ごとに半数を改選するため「通常選挙」と呼ぶ。総選挙を実施するためには解散か、任期満了により、議員全員がその資格を喪失する必要があるので、二院制議会の場合、議員全員がその資格を喪失するのはもっぱら下院のみであり、総選挙も下院のみに限定して実施される。英国をはじめカナダ、インド、イタリア、オーストリア、ドイツ、ロシアなど議会の解散が存在する国においては、任期満了まで待つ事は稀であり、一般的には解散権をもつ者が政権党にとって有利なタイミングで下院議会を解散して総選挙を実施する。そのタイミングを見計らっているのか、解散風がビュービュー吹いても、わが国の首相はどこ吹く風である。

目次

(インタビュー)著者自らが音読した『失敗学のすすめ』の薦め!
  この11月中にもデイジー版を関係施設に無償配布
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
点字で投票しよう!(日盲委笹川吉彦理事長に聞く) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11
(特別寄稿)「飛行機に乗れない」という不安と焦燥(佐々木憲作) ・・・・・・・・・・・・・
15
秋篠宮同妃をお迎えして華やかに 全盲老連創立40周年記念式典 ・・・・・・・・・・・
20
望月優氏を実行委員長に〜障害者雇用を中心に全国集会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
リレーエッセイ:子育てから学ぶ人生観(土居由知) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
外国語放浪記:アメリカ秋の歳時記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
あなたがいなければ:初めて盲学校に行った ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31
スモールトーク:ノーベル物理学賞の登竜門J.J.サクライ賞 ・・・・・・・・・・・・・・・・
35
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
感染症研究:汚染米から検出されたカビ毒のアフラトキシンとは ・・・・・・・・・・・・・・
40
知られざる偉人:視覚障害者雇用に貢献したJ.ランドルフ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
よりどりみどり風見鶏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
49
大相撲:立ち合い手つき徹底で、どうする? 朝青龍 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
タイの視覚障害マッサージ事情探訪 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
時代の風:本間一夫文化賞決定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
伝言板:ヘレン・ケラー音楽コンクール、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
61
編集ログブック:読者より(田中邦夫) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63

(インタビュー)
著者自らが音読した『失敗学のすすめ』の薦め!
―― この11月中にもデイジー版を関係施設に無償配布 ――

 《「畑村洋太郎さんという面白い先生がいるんだけど、とにかくユニークな方だから一度取材してみたら」と勧めてくれたのは、この春、筑波大学附属視覚特別支援学校(附属盲)から横浜市立盲特別支援学校へ異動された岩屋芳夫先生。そこで、9月10日、東京千代田区内神田の畑村創造工学研究所に先生をお訪ねした。取材・構成は本誌戸塚辰永》

先生の横顔

 東大名誉教授・工学博士の畑村洋太郎先生は、1941年1月8日東京生まれの東京育ち。現在は工学院大学教授だが、そのかたわらベスト・セラーとなった『失敗学のすすめ』(講談社)をはじめとして、工学、数学、失敗学など約50冊の著作がある。そして、2001年には科学技術振興機構の「失敗知識データベース整備事業」の統括として、科学技術分野の事故や失敗の事例を分析し、得られる教訓とともに、それらをデータベース化した「失敗知識データベース」を立ち上げている。また、失敗学会の理事長として、大事故の検証、再発予防にも尽力している「失敗学」の権威だ。
  なにやら厳めしそうだが、実際に会ってみるととても気さくな方で安心した。同氏がいわゆる象牙の塔の住人にはない、際だった存在感を感じさせるのは、学者である前に、まず物作りのエキスパートであったからだろう。
  1966年に東大大学院修士課程を修了後、日立製作所に入社し、同氏はブルドーザーの設計に携わる。そして、「大学で実際の生産現場を知っている人がいないので、教壇に立ってくれないか」と誘われ、1968年に助手として東大に転職。その後、助教授、教授として学生の指導と研究に携わる。専門は、ナノマイクロ加工学、生産加工学、創造的設計論。
  東大で機械設計を教えていた畑村先生だが、学生達はちっともまじめに講義を聞こうとしない。「東大でもそうなんですか?」と驚くと、「どこの学生でも自分に興味のない話には興味をもてないのです」と身も蓋もないことをおっしゃる。そこで先生は、「マシンを水浸しにした」とか、「死に損なった」とかいう失敗談を織り交ぜることにした。すると、学生の死んだような目が輝き、懸命に聞き耳を立てることに気付く。
  そんな講義を続けて行く中で、当時すでにシリーズ化が決まっていた「実際の設計」の3冊目に、それらのエピソードを織り込み、『続々・実際の設計―失敗に学ぶ』という本を1996年に上梓した。そこでは、設計してものを作るときに必然的に起こる失敗を取り上げて、失敗はどうして起こるか、失敗を織り込んだ行動をどうすればいいかを説いた。
  すると「これはとてもおもしろい本だ」と高く評価して、宣伝して歩いてくれた人がいた。当時、東大の教養学部で「立花ゼミ」を主催していた評論家の立花隆氏だ。その評判を聞きつけた一人に、国民的アニメーション作家で映画監督でもあるスタジオ・ジブリの宮崎駿氏がいた。畑違いにもかかわらず早速講演を頼まれると、その講演を聴いた講談社の編集者から執筆の依頼がきて『失敗学のすすめ』が世に出された。このたび先生がデイジーに音訳した原著である。
  このようにまったくの奇縁で発行された同書の内容については、著者自身が音読するデイジー版を聴いていただくことにして、ここではデイジー製作にいたるまでの経緯をさかのぼってみよう。

一つの仮説と合唱団

 2001年に東大を退官し、工学院大学に新たな活躍の場を求めた畑村教授は、60歳からは自分のやりたいことをやろうと決意。畑村創造工学研究所を開設して、企業への出前講座「畑村塾」の開催や講演・執筆活動に多忙な日々をおくるが、その中である仮説に到達する。
  畑村塾や講演で、畑村先生は絵に描いてよく説明するのだが、それを見た人は、どうやら頭の中にその画像がそのまま入るのではなくて、絵の動きを頭の中で思い浮かべて、言葉にして、ちゃんと説明がつくように組み立てて理解する。その証拠に、その人に言葉で説明してくれというと、ちゃんと言えるのである。また、その逆に、言葉だけで説明して、図解して欲しいというとちゃんと絵を描いて貰える。
  大脳皮質には言語野だとか、視覚野があるが、「それよりもっと奥で、人間の理解とか記憶はなされているのではないか」というのが畑村先生の仮説である。こうして、それでは「視覚障害者が物事をどのように認識するのか」に興味を持った先生は、今回の音読を、仮説を実証するための実験の一つとしてもとらえている。
  先生は、毎週火曜日の夕刻になると、地元文京区の市民合唱団である「文京シビック合唱団」の練習にいそいそと通う。この合唱団は、2000年にオープンした文京シビック・ホールのこけら落としのために、同区が募集したベートーベンの第九を歌うための市民合唱団を母体に、2003年に結成された合唱団である。東京芸術大学の指揮科の先生が150人の団員を指導し、同大オーケストラが演奏するという本格的なもので、定年2年前に応募して、第九を歌った感動が忘れられずに、以来先生は合唱にやみつきになっている。
  合唱の練習後には、居酒屋で一杯やりながら四方山話に花を咲かせるのも楽しみである。今から2年ほど前、ピアノを弾いて合唱団の指導をしてくれる遠藤美栄子さんとお酒を飲んでいたときに、「絵と言葉は同じことだ」という持論を展開。すると、遠藤さんも同調して、話は大いに盛り上がった。そこで、実は『失敗学のすすめ』を一度目の見えない人に読んで聞かせてみたいという夢を語った。すると遠藤さんが、まじめな顔をして「畑村さん、本気ですか?」と言う。そこで、「俺はやってみたいんだ」と畑村さんは即答する。
  この話はさらに進み、遠藤さんに附属盲の廣瀬豊副校長を紹介してもらい、昨秋、附属盲を訪ねた。すると副校長からさらに岩屋先生を紹介されたのであった。その後、遠藤さんから、過去に同校の音楽科で臨時に先生をしたことがあり、視覚障害者の事情に詳しかったと種明かしされたのだった。

立体的に音訳する

 畑村さんには音読に対する強いこだわりがあった。絵はむろん言葉にするが、それだけでこと足れりとは思わなかったのだ。もともと立体的にいろいろ工夫して記述している本を音訳する際に、単純に右から左にべた一面に読むことには抵抗があった。そこで、その思いを岩屋先生にぶつけた。
  「ただ朗読をするだけではちゃんと伝わるとは思わないから、1冊の本に書いてある事柄を正確に伝えるには、たとえば、まず全体としてこういうことを言っているとか、次に目次を読んで、中で言っていることがどういう構造を持っているかを、著者である僕が説明して、本文に入っていく必要があります。一つの章を読むに当たっても、章の名前を言ったら、その章が全体として何を言っているのかを先に説明すると概要が分かるはずです。さらに、一つずつ節や項目が出てきたら、始めにこの節の中には、こういう絵が描いてありますと、絵を言葉で説明して、文章を読み始めるようにしたら良いのではないだろうか。そうしないと、もしも僕が目が見えないとしたら、絶対に頭に入らないと思ったからです」と力説。
  すると岩屋先生に「それは朗読と言うよりも音読では」と指摘されて、「ロウして作るんじゃなくて、音にして読むのだから、その方が正確だと思いました」と朗らかに笑う。
  とは言うものの、実際に音読をするのが初めてである先生は、「視覚障害者のために録音したものが、目の見えるサラリーマンに通勤電車の中で聴かれるのはたまらない」とも危惧。それを岩屋先生に話すと、「デイジー形式で録音すれば、目の見えない人だけが内容を聴くことができるから、よけいな制限をする必要もありません」とアドバイス。そこで、デイジーのことを研究するために日本点字図書館に行くと、職員の方から、「目が見えていても、身体の具合が悪くて本を読めない人もいることを聞かされて、そういう人たちのことにも気付きました」としみじみと語る。
  岩屋先生から「たぶん、上手くいくのでは」と励まされ、いよいよ後に引けなくなった畑村さんは、今年の目標を『失敗学のすすめ』の音読と決め、早速本を全部見直す作業に正月の元日から取りかかった。
  「言葉で説明するとしたら、どう説明できるのかとずうっと考えながら、文章にしたんです。この本には40枚くらい絵や写真があるけど、それらを全部言葉で表現し直したら、くたびれて、くたびれて。元日の夜からお酒を止めて取りかかっても、結局7日もかかってしまいました」と大笑いする。そしてその力作は、録音テープにして8時間になったのである。
  このように正月早々から大忙しになったのには、別の奇縁が関係する。NHK教育テレビ放映の生涯学習番組「知るを楽しむ」の中で、畑村先生は「だから失敗が起こる」というテーマで、2006年の8月から9月にかけて8回にわたって出演。すると、その反響は大きく、この番組は、その後NHK出版からDVDと墨字テキストのセットとして発売される。その番組を担当したディレクターに、この音読計画について話したところ、
  「畑村さんは、これまでにない新しい分野を拓こうとしている。それはただ本を朗読するとか、ただ番組にするのとはまったく違う新しいことで、面白いから手伝いましょう。ついては、編集もできるようなスタジオと人員に、少しお金がかかりますが」と言われた。そこで、「ちゃんと稼いでいるからいいよ」と言うと、話が一気に急展開。早速、新橋にスタジオを借りて、今年の1月だけでも7〜8時間の収録・編集作業を3回も行い、本文全ての音読を終えることになった。
  音読者が著者自身なので、文庫本に新たに収録した箇所もデイジー版に加えた結果、どこにもない『失敗学のすすめ』がここに作り出された。ここまで来るには、時間がなくて、NHK関係のナレーターに頼もうと思ったこともある。そのことを廣瀬副校長に話すと、「あまり賛成しない」と言われ、遠藤さんからは、「せっかく乗りかかった舟だから最後までやらなくっちゃだめ」と叱咤激励されたという。

ゴミ箱に直行しないために

 ところで、やっとできあがったデイジー図書だが、全国の盲学校や点字図書館に寄贈しようと今春準備に取りかかって、ハタと気付いた。「変なCDが突然届いたら、きっとゴミといっしょに捨てられてしまうだろう」と。そのことを廣瀬副校長に相談すると、「私が推薦文を書きましょう」といってくれた。そして現在、畑村先生の研究所で全国の盲学校長や点字図書館の館長の氏名を調べて、直接、届くように作業を続けており、今年の11月中には無償で発送する計画だ。そして、同書を一人でも多くの視覚障害者に読んでもらって、「音読方法も含めて感想をいただきたい」と畑村先生は願っている。
  というのも、『失敗学のすすめ』が上手くいったら、第2弾として自著の『みる わかる 伝える』を音読してみたいのだ。「デイジーへの録音作業中に、みる、わかる、伝えるということが、視覚障害者にとってとても大切なことだと分かりました。それから、岩波新書の『数に強くなる』で、合唱での体験を、音のサインがあると『雑唱』が合唱になることを書いたのです。これもおもしろいから音読してみたい。さらに、『直観で分かる数学』も読んでみたいんですね。この本は、数式を使わないで、高校と大学で習う数学を全て言葉で僕が説明しました。附属盲で高村明良先生の数学の授業を見学したのですが、本当に驚きました。三角関数を教えており、教科書にはもちろん点図やグラフがあるのですが、それらをほとんど使わずに、先生が全部言葉で説明していました。あんなに、すばらしいことができるのなら、僕みたいな物好きは盲学校でいっしょに勉強した方がいいんじゃないかな」と、やる気満々に、今後の抱負を語る畑村先生であった。

点字で投票しよう!
―― 選挙公報が全文点訳をはじめ3媒体で発行されます ――

 《日本盲人福祉委員会(日盲委・笹川吉彦理事長)は、10月4日付で、全国の盲学校、日盲連加盟団体、関係情報提供施設、報道機関に対して、「点字投票アップのためご協力を」と題する書簡を送った。いま、改めて点字での投票を推進する狙いと日盲委の立場を聞いた。取材と構成は本誌編集長福山博》

 福山:10月4日付で盲学校を初めとする関係機関に笹川先生のお名前でお願いがまわりました。
 笹川:日盲委は前々から選挙公報の全文点訳を要求してきました。幸い、前回の参院選では完璧とはいえませんが、「比例区」を中心に実現できました。今回も点字版、録音版、SPコード付きの拡大文字版の3媒体による発行を要求しています。そして、総務省自体もこの問題にしっかり取り組む姿勢をみせています。これは遅きに失した恨みはありますが、大きな成果で、私たちの権利は1歩前進したわけです。が、それと同時に義務もあり、それは点字で投票するということです。ロゴス点字図書館の高橋秀治館長が示された資料によると、点字投票はほとんど横這いで毎回1万票に達しない状況が続いており、これはまことに残念です。そこで、国民としての義務をきちんと果たしてもらおうと、全国的に呼びかけることにしたのです。最近の傾向として、若い人たちの投票率が低いので、今回はとくに盲学校も含めて呼びかけました。ただ、情勢が急変して、本当に選挙がいつあるのかわからなくなってしまいましたがね(笑い)。
  福山:一時は10月26日投票が確実視され、一部の地方自治体では、同日の日付を入れた投票入場券を作成したところもありました。その後、解散風の風向きはおかしくなりました。しかし、どんなに遅くとも衆議院議員の任期切れである来年9月までには必ず総選挙はあります。ところで、点字投票をする人が9,000人もいるというと、そんなにいるのかと驚く人もいますが(笑い)。点字の読み書きができる視覚障害者は、平成18年度障害者実態調査では4万8,000人、13年度の同調査での3万2,000人から増えたのですが、どの程度できるのかという問題もあります。前回の参議院選での「比例区」の選挙公報をトータルで4万5,000部発行しましたから3〜4万人くらいが実数ではないでしょうか? その中の9,000人は、それほど悪くはないというのです。
  笹川:まあ9,000人が多いか少ないかというのは見方の問題です。少なくとも3〜4万人いるとすれば、当然もっと多くてもいいわけですからね。日盲連大会ではいろんな要求が出ますが、いざ選挙になると「行かない」では話になりません。要求した以上は、それを実現するために選挙権を行使して国政に参加する必要があります。言いっ放しでは意味がありません。
  福山:視覚障害者の中で高齢化が進んでおり、70歳以上が49.4%と約半数もおり、点字は書けるが代理投票でやりたいとか、中途失明者では全盲でも墨字で書く人もいます。田舎では投票すると誰に投票したか分かるから嫌だとか、そういう風なことも含めて点字投票をしない人にはそれなりの理由もあります。
  笹川:確かに町村部では点字が1票とか2票になりますから、本人自身のプライバシーの問題にもなります。棄権するくらいなら墨字で書くのも、それは一つの方法です。ただ、代理投票は私どもとしてはやりにくい。これをどうクリアするかも問題ですね。それでも、70歳を過ぎて東京都の事業を受けて点字で名前が書けるようになったという人もいるのです。そうすると、少なくとも点字投票はできますね。
  福山:最高裁判事の国民審査では、最高裁判事を辞めさせたいと思ったら名前を全部書かなければならないので、面倒だという話もあります。
  笹川:あれはもう少し方法を考えなくてはいけませんね。私も開票作業に行くこともありますが、ほとんど書いてありませんね。例えば審査を受ける人たちに番号を振って、その番号を書くのも一つの案ではないでしょうか。
  福山:投票所の点字器が使いにくいとよく聞きますが?
  笹川:書きにくいですね。仲村点字器の立派なものがあったり、プラスチック製があったり、投票するたびに変わった点字器が次々出てきます(笑い)。だから慣れていない人はものすごく戸惑うでしょう。そこで、私は自分で点字器を持って行きます。点筆もやっぱり使い慣れたものでないと正確に書けないですからね。
  福山:もう一つガイドヘルパーの問題がありますね。自治体によっては平日の9時から5時までとか、時間を区切っているところもあります。
  笹川:それは本当に問題です。まず投票所に1人で行ける人は、限られていますね。学校みたいに広いところは、我々は苦手です。家族と一緒でない限りは、ガイドヘルパーをお願いすることになりますね。しかし、支給量が決められていると行きづらくなります。「よく近所の人と一緒に」なんて、親しくできる近隣関係はあまりないですよ。もっとも、選挙に熱心な人は、わざわざ誘いに来る特殊なケースもありますけどね(笑い)。
  福山:せっかく選挙公報の全文点訳という目処がつきました。「比例区」も「国民審査」も問題なくでき、「小選挙区」には少し課題もあるようですが、視覚障害者の選挙権行使にとっては画期的なことですね。
  笹川:これまでの夢でしたからね。これは大きな成果だと思います。皆さんの声が総務省に届いたということですね。一部では点字全文点訳を法律に入れるようにという要求もありますから、それくらい熱心ですね。あとは盲界マスコミにしっかりPRしてもらって、点字投票がアップすることを願うばかりです。
  福山:『点字ジャーナル』もおよばずながら、点字投票の推進にいささかなりともご協力できればと考えております。本日はどうもありがとうございました。

■ スモールトーク ■
ノーベル物理学賞の登竜門J.J.サクライ賞

 「ノーベル物理学賞を日本人3人が独占」10月8日付の新聞各紙は、誇らしげにこう報道した。これに対して南部陽一郎氏(87歳)の国籍は、日本ではなく米国だというややひねくれた指摘がある。米国籍であっても生まれは東京で、これはノーベル財団の報道資料にもわざわざ明記されている。なにより、日本のマスコミの求めに応じて、本人が日本語で答えており、大学までは日本だったのだから、ご本人も日本人だと考えているだろう。少なくとも、化学賞を受けた米国生まれのロジャー・Y・チェン氏のように殺到する中国マスコミの前で、「私は中国人ではない」と断言するようなことはなかった。
  本年度物理学賞を受賞した残りの日本国籍の2人、小林誠氏(64歳)と益川敏英氏(68歳)は、アメリカ物理学会(APS)が、理論素粒子物理学の貢献者に与えるJ.J.サクライ賞の第1回受賞者(1985)でもある。この賞は非常に権威があり、理論素粒子に関するノーベル賞の登竜門とさえ呼ばれている。南部陽一郎氏も少し遅れて1994年に受賞している。
  J.J.サクライ(Jun John Sakurai)とは、1982年に49歳で急死した著名な米国籍の素粒子物理学者、櫻井純米カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)教授のことで、同賞は同氏の業績を記念し、家族、友人らの寄金で新設されもので、賞金は5,000ドル。
  私はこの話を、平成元年(1989)の2月に香港経由で、ネパールに行く道すがら当時の当協会櫻井安右衛門理事長からたっぷりと、それこそ涙ながらに聞いたのであった。
  櫻井教授はスイス・ジュネーブの欧州原子核研究機構(CERN)に出向していて、客死されたのであったが、あまりに突然の死に、当時の新聞はいわくありげな書き方をした。後に自然死であることがわかったが、これはほとんど報じられなかった。これは自慢の息子の死をまだ受容できていない安右衛門氏にとっては、きわめて残酷な仕打ちであったし、よりによって思い出深いジュネーブにてである。同氏は戦前にILOの「帝国事務所」に勤務しており、物価の安いフランス側に居を構え、自家用車で毎日通勤したのであった。
  ジュネーブへは、行きは新婚旅行を兼ねて香港経由の船旅であったが、帰国は緊迫するシベリア鉄道に乗り生きた心地はしなかったという。焼け跡闇市の時代に、優秀な息子は奨学金を得て高校から米国に留学し、不自由なく研究生活をおくるためには米国籍が必要だという訴えにも二つ返事で応諾した。
  その結果に対して父は、もはや嘆くしかなかったのである。ただ、第1回目の受賞に日本人が選ばれたのは、「APSが気をつかったのかな?」という時と「ついに日本では運転免許を取らなかった」という時には、笑顔も見えたが。(福山博)
●上記記事に関して、その後、櫻井純氏のご遺族から、下記のようなご指摘を受けましたので、ここに訂正してお詫び致します。編集長福山博(2010年12月24日訂正)
  「物理学者の兄・純がアメリカ国籍のように書かれて居られますが、正確には永住権を取得したまでで、1982年に日本国籍のまま死去しております。J.J.SakuraiはJun John(ヨハネ)サクライ、真ん中のJ は洗礼名です」

■ 編集ログブック ■

読者より

 「外交音痴」 ―― これは本誌8月号、「巻頭ミセラニー」のタイトルでした。「日本は他の民族に征服された歴史を持たず、鎖国状態が維持できる程度に自然と食料に恵まれていたため、外交が苦手だ」とありましたが、素人目にもヒヤヒヤさせられることの多いわが国の外交下手には、異論を挟む余地はなさそうです。
  そんな折り耳にした皮肉なニュースがありました。8月20日のこと、米シーファー駐日大使の行動です。これはまさに日米の、外交における相手への「牽制術」や「根回し術」の格差を見せつけられる思いでした。その日大使はまず
  1.自民党の麻生幹事長と会談し、「新テロ特措法の延長」を要請したそうです。
  しかし、それだけではすまない。会談後記者団に対し、すかさず
  2.「給油だけでなく、アフガニスタンでほかの形での貢献もしてほしい」と間接的な形で本音の注文を追加。
  そして結びは
  3.「民主党の小沢代表と近く会談したい」とのオマケまで付けたことが報じられたのです。
  臨時国会をにらんだ、なんと周到なホップ・ステップ・ジャンプであることか。先手を取って、圧力をかけたり揺さぶったりしながら、相手国を自国の思うつぼに引っ張り込む ―― これが外交の戦術戦略というものなのでしょうが・・・。
  考えてみれば太平洋戦争だって、わが国の外交音痴が日本国と日本人すべてを奈落の底に突き落としたわけですから、外交下手を侮ってはおられません。
  それにしても情けない。何とかなりまへんかなあ、ほんまに!まったく!(東京都北区/田中邦夫)

編集長より

 9月18日の『朝日新聞』朝刊1面に、デカデカと「自民・公明両党が10月3日に衆院を解散し、10月14日公示、26日に投開票する総選挙日程で合意した」と掲載されたため、すっかりその気になった人も多かったのではないでしょうか。かくいう私もその1人です。埼玉県の上尾市と本庄市は、そのためなんと10月26日執行の投票入場券を作ってしまったそうですが、まったくお気の毒な話です。このように総選挙日程が混沌として、やや気勢を削がれた時点のインタビューとなったのですが、日盲委の笹川吉彦理事長には、快く応じていただき、「点字で投票しよう!」と力説していただきました。現在は11月末投票説がささやかれていますが、どうなるのでしょうか? 点字出版業界は総力を挙げて「点字公報」を発行するために準備しているのですが。
  福島智氏(45歳)が10月1日付で、東京大学先端科学技術研究センターの准教授から教授に昇任されました。この場を借りて、こころよりお祝い申し上げます。(福山)

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