第39巻9号(通巻第460号)
編集人:福山 博、発行人:迫 修一
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替口座:00190-5-173877) 定価:一部700円
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はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「燕京(Yanjing)」
中国・北京の古称で、紀元前1046年に始まる周の時代には、すでに燕という国の都であったところからこういう。この名を冠した燕京ビールは1980年創業ながら、同業他社を買収して急成長し、現在、全中国でのシェア1位。2位は1903年創業の日本でもおなじみの青島ビール。燕京ビールは典型的なローカルビールで、北京でのシェアは90%。一方、青島ビールは早くから輸出に力を入れ、高級レストランでプレミア・ビールとして幅を利かせている。
ところで、この両社はそろって8月24日に閉幕した北京オリンピックと、9月6日から9月17日まで開かれる北京パラリンピックの公式スポンサーである。通常スポーツ・イベントのスポンサーは、「1つの商品ごとに、1つのブランド」というのが大原則なので、他の国ではちょっと考えられない事態だ。
「この夏のセミナー・講習会」
ウェブアクセシビリティ診断講習会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
3 |
2008ロービジョンセミナー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
7 |
アイダス協会研修会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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理教連定期総会イン岡崎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
13 |
ラオスショック(上) 100年遅れの盲人協会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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あの望月優氏お勧めの保険登場! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
21 |
リレーエッセイ:一度しかない人生、たのしまなきゃ(小倉雅弘) ・・・・・・・・・・・・・・・ |
23 |
外国語放浪記:スカンクと雪ダルマ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
27 |
あなたがいなければ:「班長」になった経験 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
30 |
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
34 |
コラムBBエクストラ:「幻のタイ旅行」その後(下) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
37 |
感染症研究:なぜハンセン病患者が入国禁止なのか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
40 |
知られざる偉人:ドイツの裁判官H.E.シュルツェ博士 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
45 |
よりどりみどり風見鶏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
49 |
大相撲:千代大海12度目のカド番脱出 ―― 大関の権威とは ・・・・・・・・・・・・・・・・ |
52 |
アジアでのデイジー支援を総括 DFAが最終報告会開催 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
55 |
スモールトーク:光化学スモッグの越境汚染 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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時代の風:難病患者の皮膚から万能細胞、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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伝言板:復興に立ち上がるミャンマーの視覚障害者たち、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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「この夏のセミナー・講習会」
視覚障害者の新職業にできるか?
―― ウェブアクセシビリティ診断講習会報告 ――
株式会社アメディア代表取締役/望月優
7月24・25の両日、東京・四谷の日本盲人職能開発センターを会場に当事者によるウェブアクセシビリティ診断の講習会が行なわれた。
「ウェブアクセシビリティ」とは、障害者や高齢者にも扱いやすいウェブサイト、すなわち誰にでも読みやすいホームページにするという考え方である。この考え方は、2004年6月にJIS規格にまとめられており、国の機関や地方自治体はこのJIS規格に準拠してホームページを作らなければならないことになっている。
講習会では、富士通中部システムズの星野史充(ふみたか)(全盲)講師が、各自パソコンを目の前にした11名の受講生に対して、まずウェブアクセシビリティを考えるときの3要素を紹介し、これらが互いに関係しあって、個々の人にとってのアクセシビリティが決まるという原則を最初に話し、事細かく指導した。
その3要素とは、@視覚障害者のホームページ閲覧環境、A視覚障害者のホームページ閲覧スキル(技能)、Bホームページ自体の作り方。
「ウェブアクセシビリティ診断」とは、実際にはホームページを閲覧してその作り方にウェブアクセシビリティに反する方法が使われていないかをチェック。使われていたならばどんな方法でホームページを作り直せばよいかということをアドバイスするわけだが、その前提として、前記@の閲覧環境とAのそれを使いこなすスキルは視覚障害者側が持ち合わせていなければならない。そこで、講習会の前半は、視覚障害者のホームページ閲覧ソフトウェアの特徴紹介とウェブアクセシビリティ診断を行なう上で最低限必要な閲覧スキルの指導だった。
当日の講習会ではホームページ閲覧ソフトウェアとして高知システム開発の「ネットリーダー」が用いられたが、そのほかに、JAWSとホームページリーダーについて詳しい説明があった。アメディアのボイスサーフィンについては、講師の方があまり利用されていないようで、名前の紹介に留まった。
閲覧スキルとして誰でも知っておかなければならないものとして、@1行ずつ読み上げる操作、Aリンクを前後に移動する操作、B見出しを前後に移動する操作、Cリンク先に移動する操作、D表を読み上げる操作、などが指導された。
このうち、「前後の見出しに移動する操作」は、ホームページ閲覧環境でもPC-Talkerや95Readerでインターネット・エクスプローラを利用している状態ではできない操作なので、一般の視覚障害者の中で知らない人が多いことが指摘された。しかし、見出しを付けるということは、ウェブアクセシビリティの高いホームページを作るための1つの重要な要素なので、診断する側でもそのスキルを身に付けて見出しをチェックすることの重要性が説かれた。
今回の講習会では、名古屋ライトハウス職員の藤川香(かおり)さんが講師のアシスタントとして活躍しておられ、これまで講師の星野さんとともに名古屋ライトハウスでウェブアクセシビリティ診断の実践を行なってきた立場から、その報告も行われた。
2007年3月に総務省からの依頼を受け、総務省のホームページのうち53のページを視覚障害当事者が診断した。その後、4月から2008年3月までの1年間で5名のウェブアクセシビリティ診断士を養成。名古屋ライトハウスでは、この間の経験から、以下の3種類の診断プランを立て、診断注文を受けている。@ざっとページのアクセシビリティをチェックする「ウォークスルー診断」。Aあらかじめ用意されたチェックリストに従ってチェックする「チェックリスト診断」。Bユーザーが目的を達成するためのシナリオを設定し、そのシナリオを実際に達成できるのかをチェックする「シナリオ診断」。
チェックリスト診断に用いるチェックリストは、星野講師自身が作成している。
さて、今回の講習会は、ウェブアクセシビリティの診断を視覚障害者の新職業の1つにできるのではないかという夢を持って行なわれている。この点については、実はアメディアでは2004年3月に有料のアクセシビリティ診断を開始し、一度ビジネス化を試みているので、その立場から一言述べたい。
アメディアでは、約4年半前にメーリングリスト等で診断士の希望者を募ったところ、10名を超える希望者があり、その中から試験などで5名の診断士を認定した。営業活動の結果、当事者診断サービスを売り込むために期間を設けて無料で診断を行なった件数が10件以上あったものの、有料化した後は、注文いただけたのはこれまでに1件のみであった。これは、宣伝方法が未熟だった面もあろうが、お金を払ってまでもウェブアクセシビリティの診断をしなければならないという社会的機運に達していない現状によるものと推察する。アメディアでは、1年半ほどホームページを中心に営業し続けたが、2005年の秋頃からはあまり積極的な宣伝はしていない。
一方、名古屋ライトハウスのように、これからウェブアクセシビリティ診断を視覚障害者の職業に育て上げようとする動きはほかにもある。NTTの特例子会社で視覚障害者も働いているNTTクラルティでは、「ウェブサイトのバリアフリー化支援」ということで、当事者によるウェブアクセシビリティ診断を事業として行なっている。また、名古屋にあるソーシャルサービス協会というところでは、名古屋ライトハウスとは別に独自のウェブアクセシビリティ診断サービスを展開している。これらの事業が現在どの程度の規模で行われているかは判らないが、ウェブアクセシビリティが社会的に必要なものであることがより明確に認知されれば、視覚障害者の新職業の1つに十分になりうると思う。
多面的に考える、網膜色素変性症の就労への影響と対処法
―― 2008ロービジョンセミナー ――
日本盲人職能開発センター主催の「全国ロービジョン(低視覚)セミナー」が、今年も7月26日(土)、戸山サンライズにおいて開催され、約250名が参加した。
午前の基調講演では、まず仲泊聡(なかどまり・さとし)国立身体障害者リハビリテーションセンター病院第三機能回復訓練部部長が、眼科医の立場から「網膜色素変性症の現状」について講演した。網膜色素変性症とは、光を感じそれを電気信号に変えて伝える網膜の視細胞が、遺伝子の変異によって損傷をきたす病気である。現在薬物療法や手術療法が用いられてはいるが、完全な治療法はまだ無い。しかし、朗報もある。網膜と脳をつなぐ神経節細胞や網膜と神経節細胞をつなぐ双極細胞に、光を感じる物質を作る遺伝子を投与し網膜の代わりにする遺伝子治療、網膜に、あるたんぱく質を眼内注射し網膜を再生させるという再生治療の研究は、人での実験が試みられる段階にまで至っているのだ。また、人工視覚の研究も進められている。こう解説した上で仲泊氏は、今するべきこととして、「眼科医は、常に先端技術に目を向けると同時に、正確な情報の獲得に努めること、また地域との連携を図ること。行政は、網膜色素変性症の支援基準を常時見直しつつ専門家の養成のためのシステム作りや活動できる施設を整備すること。当事者は、治ることをあきらめず常に新しい情報に目を向けるとともに、なるべく広い対人関係を築き充実した生活を送ることが大切」と述べた。
続いて、「網膜色素変性症の患者の方への取り組み」と題して、同病院で生活訓練専門職を務める中西勉(つとむ)氏が講演した。同病院では眼科医、視能訓練士、生活訓練専門職、ソーシャルワーカーが連携して医療的アドバイスから拡大読書器・拡大鏡・遮光眼鏡などの選択や使い方の訓練、生活訓練、手帳や年金の申請・特定疾患の認定などの保険福祉制度の活用、関係施設・団体の紹介、家族への見えづらさの理解を求める取り組みまで総合的なロービジョンケアを行っている。中西氏は、「患者は様々な問題や不安を抱えている。しかし、それをサポートする施設や人的資源はまだまだ少ない。患者のニーズを満たし、問題や不安を軽減し、自分の持つ可能性に気づかせる場を作ることがもっと必要」と訴えた。
午後のパネルディスカッションでは、指田忠司障害者職業総合センター研究員のコーディネートのもと、企業で働く視覚障害者とその上司が、それぞれの立場から発言した。
カツラの製作と通信販売を手がける(株)スヴェンソンは、2年前から電話応対の業務に視覚障害者を採用、現在3名が働いている。今年4月から同社の総務部でパートタイマーとして勤める竹内美津代(みつよ)氏は、視力0.2と0.1、視野狭窄を持つ。現在は拡大文字の電話内線表や座席表を使い、太いサインペンを用いてメモを取っているが、病気の進行を考え点字でメモが取れるよう訓練中である。高原真弓同社総務部マネージャーは、「同じ視覚障害者でも、人によってできること、できないことが違いサポートの仕方も違うので、一人ひとりと徹底的に話し合うようにしている。また席を離れる時や戻って来たときには必ず声をかけるようにしている」と話した。
電子部品製造のオータックス(株)技術部で働く松坂治男(まつざか・はるお)氏は、現在両眼とも視力0.01。以前は同業他社に勤めていたが、障害者手帳を取得した3年後22年勤めた末経営改革のリストラに遭い退社した。その後、長年の経験とノウハウを買われオータックスに入社、そしてパソコンを駆使して企画や書類の管理、新製品開発・トラブル処理へのアドバイス、計画書・報告書の作成、メールの処理などを行っている。
就職活動をする人、働く人へのメッセージとして竹内氏は、自分の経験から「技術を身につけ努力すれば、障害があっても働いていける」と努力の大切さを強調。また松坂氏は、「対人関係を大切にすること。そうすれば自然にたくさんの情報が得られるし、自分にはない能力や力も得られる」と語った。機器の進歩や新たな職種の開拓によって当事者に求められる技術や能力は変化してきたが、コミュニケーション能力と努力することの大切さだけは変わらないようだ。(成瀬有希子)
進化するデイジーを追う
―― アイダス研修会 ――
7月27日、東京都千代田区の雙葉学園同窓会館で、視覚障害情報機器アクセスサポート協会(アイダス協会)の研修会が開催され、約50名の参加者が集った。開会式では会長の山縣浩氏が「我ながらよくぞ29回も続けたという感じだが、必ず30回を迎えたい。当初の目的を変えず山椒のように小粒でもピリリと辛いそんな会を目指していく」とあいさつした。
今年の「本音で生討論」のテーマは「アナログからデジタルへ、移りゆく記録媒体 ―― どこまで進んだか、テープからデイジーへ」と題して3つの発表が行われた。テーマの通り日本点字図書館などはデイジーへの移行を発表。また昨年から携帯型デイジープレイヤーが続々と発売され、さらに今年5月にはマイクロソフトからワードファイルをデイジー形式に変換するプラグイン(ソフトに機能を追加するための小さなプログラム)が公開されるなど関心が高まっている。しかし、利用者からはデイジー再生機が高い、操作が難しいといった反応も出ている。コーディネータの岡田弥(あまね)氏(日本ライトハウス)は、「これをどう解決していくか」として、1人目の発表者である矢部健三氏に繋いだ。
矢部氏は、リハビリテーション施設・七沢ライトホームで行っている中途視覚障害者へのデイジー図書訓練プログラムとその訓練終了者への利用状況調査を報告した。訓練プログラムは、初期・中期・終期の3段階。初期は主に情報提供施設の紹介・デイジー図書の説明・基本操作、中期は実用操作・利用体験、終期は録音・編集操作、びぶりおネットの訓練が行われる。中期・終期訓練は、初期訓練後実際に利用してから希望した者のみに行うという。また、訓練終了者への利用状況の調査では、72名の回答者のうち、37名(51.4%)がデイジー再生機を所有しており、新しい機械に消極的と思われがちな60代の所有率が最も高いという結果が出たと報告。また、点字読み能力別に所有率を比較したが、その顕著な関係はみられなかったという。この結果を「8年間の訓練の実績。デイジーへの移行はある程度対応できる」としつつも、今後も変化するであろう読書環境に対応した訓練プログラムを提供したいと結んだ。
続いて日本ライトハウスの松本一寛氏は、今注目の携帯型デイジープレイヤーを比較。使用したのは、アメディアの「おしゃべりデイジーレコーダー」、KGSの「BF-Voice」、エクストラの「VRストリーム」、そして年末に発売予定のシナノケンシの「PTP1(仮称)」についても直接問い合わせた結果をもとに、細かな機能までが報告された。同施設が行った機器展での反応は、聞き流すことを主とする人にはボタン数も少なく1番コンパクトなおしゃべりデイジーレコーダーが好評で、パソコンを使用していないユーザーにはパソコン以外からデータ転送できるBF-VoiceまたはPTP1の関心が高いという。また、ハードユーザーには再生機能が充実したVRストリームが、ボタン操作の面からも評価されているようだ。松本氏は「携帯型デイジープレイヤーの出現は大きな1歩」とし、さらにデイジー形式での録音・編集ができるようになると理想的だと期待を寄せた。
最後に、塩原視力障害センターの秋山仁(ひとし)氏は、デイジーの現状を報告。デイジーには、画像や本文テキストなどにも対応したいわゆるマルチメディアデイジーがあるが、日本での普及は遅れている。その理由は、日本で普及している再生機やソフトがテキストに未対応もしくは対応が不完全であり、完全な形で制作できるツールもないとし、また著作権の問題も大きいと語った。秋山氏はこれらの課題が解決できれば、テキスト情報がユーザーの読書環境を大幅に改善すると説明。特に弱視ユーザーにとって、色やフォントサイズを個人の見え方に合わせることができる点は大きく、全盲ユーザーも検索や点字ディスプレイに対応できる点で有益だという。また、マイクロソフトのデイジー化プラグイン「Save As DAISY」については、「まだ日本語化されておらず動作も安定しないが、半年程度で実用化が期待できるのではないか」と予測した。
こうしたデイジーの進化は、視覚障害者が読書に親しむ機会を広げるものと期待されている。その一方で会場からは、「マルチメディアデイジーへ移行するなかで、LDや他の障害への関心が高まっている。全盲の使用者のことが忘れられようとしているのではないか」と懸念する声も上がった。(小川百合子)
新たな課題を見据えて
―― 理教連定期総会・全日盲研イン岡崎 ――
愛知県岡崎市で、7月30日に全国理療教育研究協議大会(理教連定期総会)が、翌7月31日と8月1日には第83回全日本盲学校教育研究大会(全日盲研)が開催された。ここでは、昨年21世紀の理療教育のあり方についての最終報告に課題を残した理教連定期総会と、特別支援教育2年目を迎え、初の年間を通した事例発表となる全日盲研の特別支援分科会の模様を報告する。
岡崎ニューグランドホテルを会場に行われた本総会は、全国の理療科教員ら67名を代議員に迎え開催された。
まず、喫緊の課題である教員免許更新講習について議論が集中した。これは来年(2009)4月から導入される教員免許更新制にともない、現職教員に義務づけられた講習で、受講し、修了試験に合格しなければ教員免許は失効となる。対象となるのは35・45・55歳の人で、主に教職課程を持つ大学が講習を実施している。しかし、視覚障害教員が一般大学に受講を希望したところ、点字の受け入れ態勢が整っていないとの理由で断られたという事例も出ており、問題となっていた。法制部は文科省に講習について要望を出し、話し合いの場を持ったと報告。また、理療科教員免許が希少免許であり視覚障害教員が多いことから、筑波大学理療科教員養成施設(以下、養成施設)が実施する夏の資質向上研修に重ねるべく当事者間の会合が持たれたという。これについて吉川惠士養成施設長からは「今年度の開催は見送ったが、来年度は行う予定。ただし、講習は必修12時間、専門18時間の計30時間以上とされるが、日程の都合上専門領域についてのみ行う」と説明した。会場からは「養成施設で『必修』部分について講習を行わないなら、どの大学でも受講できるよう要望すべき」との訴えが起こった。
他に法制部からは、あはき等法推進協議会で「認定マッサージ師構想」が一部委員から提出されたと報告。認定マッサージ師とは、あマ指免許を持たないはり師・灸師等が、一定の要件を備えたあマ指講習を受講すれば当該業を認めるというもの。同協議会で理教連は反対したが、賛成する委員もおり継続審議となったので、会場からも懸念する声が上がった。
国家試験対策部からは、東洋療法研修試験財団としては、カセットテープの機器を維持することが近い将来難しくなるため、今年度入学した生徒が受験する際からデイジーに移行すべく検討中で、試作したものを各校に配布、意見募集すると報告された。会場からは教員側が対応できないのではとの意見も出た。
昨年物議を醸した筑波技術大の特別専攻科設置構想は、まず吉川養成施設長と藤井亮輔技術大准教授から、共同運営について、合同ワーキンググループを結成し議論した結果が報告された。将来一本化することで合意はしたものの、寄宿舎の確保やカリキュラム、設置場所の問題が解決できず、当面は併設されることになったという。今後、技術大は単独で特別専攻科を文科省へ申請し開設する。併設の間は視覚障害者に限定し、定員6名で募集する方針。
最後に、懸案事項である21世紀の理療教育のあり方委員会の報告が行われた。専攻科理療科の4年制化、本科保健理療科の廃止に議論が集中。4年制化は反対する声が多数聞かれたが、本科保健理療科の廃止については、中卒者がほぼいない現状から賛成とする意見と、現在在籍者もおり、教員定数への影響も心配されるため反対とする意見に二分、継続審議となった。
課題は山積するが、教員免許更新講習は緊急問題。期限満了の2年前から受講できるとはいえ、実質5日間かかる講習には休暇を利用するしかなく、失職する者が出る前に早急に手を打つべきであろう。
岡崎市竜美丘(たつみがおか)会館で開催された特別支援分科会は、特別支援教育における「視覚障害教育の専門性」と「校内体制と関係諸機関との連携」をテーマに事例発表が行われた。
大阪市立盲学校は就学前の親子教室を紹介。遊びを通した触知覚訓練や母親相談が実を結び、8年前12人だった小学部の生徒が現在は36人にまで増加。助言者の文科省特別支援教育調査官池尻和良氏は、「教育相談をすると通常学級に流れるというジレンマを克服した好例」と述べた。また、熊本県立盲学校は、校内で実施している専門性向上研修を紹介。触察・点字・弱視などのグループを作り、評価も行っている。しかしこうして蓄積された専門性も、異動や退職で継承が難しくなっている。会場からは「団塊世代が退職すれば20〜30代の若手教員しかいなくなってしまう」と差し迫った状況が報告された。また山梨県立盲学校は、地域の諸機関との連携について1人の母親支援の成功例を発表。母親の「困り感」を具現化し、諸機関との仲介・支援につとめた。外部支援については「校内体制を整え、年々教育相談が増えている」との発表もあったが、その一方で「盲学校に全面的に依存する一般校もある」「負担増で自校の生徒の指導もままならず難しい」という声も聞かれ、側方支援のあり方も課題となった。
助言にたった元筑波大学附属視覚特別支援学校長の皆川春雄氏は、「まだ何が正解かを考えるよりも、どうしたらいいか検討する時期」とし、参加者が少しでも多くの情報を交換するよう訴えた。今は教員のマンパワーによるところが大きいように感じたが、今後の動きに注視したい。(小川百合子)
この夏、ラオスの首都ビエンチャンを訪問した。大河メコン川沿いには、京都・鴨川の川床(かわゆか)(納涼床(のうりょうどこ))を彷彿とさせる高床の飲食店が川にせり出して連なっていた。もっとも安普請だが、それでも夕刻になれば、板張りにポリプロピレンの花ござを敷き詰め、座布団を置いた座敷に裸電球が灯って、ラオスの家庭料理やメコン川でとれた魚介類が格安で供される。川風に涼みながら、メコン川に落ちる夕日を楽しみ、一献傾けるというのが庶民のちょっとした贅沢である。周辺諸国のどこと比べても観光資源に恵まれていない国だが、だからこそのどかな落ち着きがあり、命の洗濯をするにはもってこいである。
ただ、視覚障害者の置かれている状況は、教育を中心にアジアの中でも絶望的に遅れており、その点は大変ショックで、「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉が脳裏に浮かんだ。
ラオスは戦前、ベトナムやカンボジアと共にインドシナ連邦(仏領インドシナ)を構成していたが、日本の本州とほぼ同じ面積の国土に、現在でさえ人口は580万人と兵庫県並みである。これはベトナムの14分の1にしか過ぎないので、宗主国フランスからは、もっとも顧みられることのなかった小国(地域)であった。
ビエンチャン市内を一巡すればすぐに気づくことだが、ホーチミン市にあるフランス様式の豪壮な歴史的建造物がきれいさっぱりない。この首都は人口約60万人だが、そのうち都市部に住むのは13万人程度に過ぎない。この街で一番高いビルは、メコン川の中州に最近建った14階建のホテルで、空は広く街のつくりはその分平坦である。まるで地方都市の趣だが、それゆえであろうか、アジアの大都市につきものの混沌とした猥雑さはない。お寺以外は、特徴的な建築物もなく、おしなべて安普請だが、町並みには清潔感が漂う。これには道路の整備等による、日本のODAも一役買っているようだ。清潔感は市民の服装にも現れており、ベトナムのアオザイに代表されるような派手さはないが、誰もがいかにも洗い立ての服を着て、こざっぱりとしている。
私がビエンチャンを歩いて驚いたことは、一般市民の生活状態が、ホーチミン市のそれと遜色がないように見えたことだ。いな、屋台で働いている若年労働者の体格は、かえってベトナム人よりよいようで、眉をひそめるような悲惨な貧しさも見なかった。ラオスにとっての最大援助国は日本だが、その次はなんとベトナムなので、これはとても皮肉なことである。
ラオス訪問にあたって、視覚障害者施設見学のアレンジを国際視覚障害者援護協会の山口和彦理事長にお願いした。すると、ラオスに入国した翌朝、アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)の前島和希(かずき)ラオス事務所長が、私が滞在するホテルに迎えに来てくれた。そして、彼の案内で同会の事務所にて、ダスキン研修生として日本で1年間研修を受けた、全盲のインペン・ウィライホーンさん(28歳)を待った。
私がそこでちょっと驚いたことは、ADDPだけでなく、日本のNGOの現地事務所が、国立リハビリテーションセンター(NRC)の中にあり、優遇されていたことだ。NRCは立派な体育館も持ち、リノリウムの床が一見病院を思わせ、よく掃除の行き届いた清潔な施設であった。これは日本のODAによって建設されたという。
ほどなくして、インペンさんが現れたので、早速、彼女がNRCで教えているIT研修を見学することにした。ITの授業も明るく広々とした教室で行われていた。パソコンは、日本財団からの寄贈品で、授業はスクリーンリーダーのジョーズ英語版とMSワードを使って、英語のテキストを書き写すものだった。
その教科書は、「Are you student?(あなたは学生ですか?)」という、中学校1年生が習う程度のもので、それを14〜21歳の6人の生徒が1文字ずつパソコンで書き写していた。
ラオスでは学校の夏休みは、6〜8月まで3カ月たっぷりあるので、その間、盲学校の生徒がNRCに泊まり込んでITを学んでいるのだ。しかし、30分ほどかかっても2〜3行ほどしか書いておらず、しかもかなり間違っている。これはインペンさんのITに関する指導が悪いのではなく、英語の基礎がまったくできていないためで、この国の教育はどうなっているのか?と、むくむくと疑問が湧いてきた。
夏休みのため盲学校は閉鎖されており、校長先生と立ち話をするのがやっとであった。しかし、ラオスは、経済的にはミャンマーやネパールよりはるかに恵まれているが、視覚障害者の教育に関しては、アジアのなかでも絶望的に遅れていることがよくわかった。フランスは植民地支配するにあたって、ラオスに「愚民政策」を持ち込んだが、その影響が今も残っているのかと思うと愕然とした。
ラオスには盲学校が3校あるが、その生徒総数は合計80人に過ぎない。別途、統合教育を受けている視覚障害者がいるが、小・中学校でさえ点字教科書が、1人に1冊そろっておらず、ネパールの20年前の状況を彷彿とさせるありさまであった。しかも、統合教育校では点字も教えていないという。統合教育校では視覚障害者の中退が多いというが、それは学生個人の問題というより、教育環境の問題なのは明らかである。
日本をはじめ世界の多くの国では、障害者運動を視覚障害者がリードしてきた歴史がある。しかし、ラオスではまったく取り残されており、ラオス盲人協会は1989年にコンケオ・トウナロム会長を中心に3人の仲間が集い、2001年に組織され、昨年やっと政府から公認されたばかりである。しかも、事実上、組織化できているのはビエンチャンだけだという。
東京都盲人福祉協会の前身が、板垣退助を総裁に結成されたのは、今から100年以上も前のことであるから、なんと100年も遅れているのである。(福山博)
今号の「巻頭ミセラニー」は、燕に京都の京と書いて「えんきょう」と読ませましたが、わが国では、実は歴史的には「えんけい」と読んできました。それを知っていて、あえて「えんきょう」にしたのは、中国在住の邦人は「えんきょうビール」とはいっても、誰も「えんけいビール」とは呼ばないからです。
ビールばかりではありません。神戸と天津を往復するフェリー「燕京号(ヤンジンハオ)」を、チケット販売代理店では「えんきょうごう」と呼んでいます。中華料理店で埼玉県狭山市にあるのは「燕京(えんきょう)」、東京都中野区にあるのは「燕京亭(えんきょうてい)」、そして、神戸にあるのはなんと「燕京(エンキン)」、「小燕京(ショウエンキン)」です。「えんけい」と読むのは、北九州八幡ロイヤルホテルにある一店くらいでしょうか?
ところで、このように日本語では3つの読み方がありますが、むろんどれが正しいわけでもありません。本家本元では「ヤンジン(YanJing)」、「ヤンジンビール」と呼んでいるのですから。
ビールといえば、この夏は西日本を中心に記録的な暑さで、ビール類の7月の出荷量は、前年同月比9.6%増の5,234万ケースと大幅に増加したそうです。
読者の皆様におかれましては、まだ、残暑厳しき折からご自愛くださいますようお願い致します。(福山博)
日頃お感じになっていること、本誌の記事に関するご意見やご感想を点字1,000字以内にまとめ、本誌編集部(tj@thka.jp)宛お送りください。
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