THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2008年7月号

第39巻7号(通巻第458号)
編集人:福山 博、発行人:迫 修一
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替口座:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「サンマータイム」

 サマータイムが現実味を帯びてきたが、夏時刻法という法律で1948年5月からわが国で始まった夏時間のことを当時はこう言った。おそらく、サンマータイムの方が、よりネイティブの発音に近いのだろう。そこで、私も知り合いの米国人に「米国のサンマータイムはいつ始まり、いつ終わるのですか?」と聞いてみた。すると、彼は一言「日本と同じ」と言う。これではまるで禅問答で、私は面食らった。しかし、紆余曲折の末に分かったことは、米語の「サマータイム」は、「サマーシーズン」と同義語であり、これなら「日本と同じ」という意味もよく分かる。そういえば、ジョージ・ガーシュインの不朽の名曲「サマータイム」も豊かな夏の生活を夢見て歌ったブルースだ。
  夏時間のことを米語では、「デイライト・セービング・タイム」つまり、「日光活用時間」という言い方をし、夏時間をサマータイムというのは、英国を含めたヨーロッパでのことであるらしい。(福山)

目次

日盲連大会報告 新センター落成と結成60周年を祝う ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
らくらくホンプレミアム ワンセグ搭載の高機能ケータイ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6
東京メトロ副都心線開業 交通至便となった「西早稲田」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
7
「西早稲田駅」周辺図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11
カフェパウゼ:改名の是非をちょっとだけ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14
(特別寄稿)成功の9ステップ・セミナーに参加して(望月優) ・・・・・・・・・・・・・・・・
15
リレーエッセイ:勝っても負けても阪神タイガース(浜田幸一) ・・・・・・・・・・・・・・・・
24
外国語放浪記:井の中から大海原へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
あなたがいなければ:最初の挫折 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
「ゆいまーる」発足記念講演会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
38
感染症研究:中国・四川大地震の被災地で発生したガス壊疽感染とは ・・・・・・・
41
知られざる偉人:米連邦上院議員を務めたT.P.ゴア ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
新コラム・三点セット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
大相撲:近代大関列伝その8 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
53
映画『西の魔女が死んだ』小学校でバリアフリー上映会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
56
時代の風:拡大教科書来年度から発行努力義務、
  ユニバーサル基本法検討着手、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59
伝言板:日点随筆作品募集、チャレンジ賞・サフラン賞募集、他 ・・・・・・・・・・・・・・
62
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63

日盲連大会報告
―― 新センター落成と結成60周年を祝う ――

 日本盲人会連合(日盲連・笹川吉彦会長)は、6月9日から11日の3日間、第61回全国盲人福祉大会を東京で開催した。初日は、西早稲田の日本盲人福祉センターと東京都盲人福祉センターで理事会、評議員会、あはき協議会代議員会、スポーツ協議会代表者会議、日本盲人福祉センター建設委員会が、2日目は文京区の東京ドームホテルで第45回全国盲人代表者会議が、最終日には第61回全国盲人福祉大会が、千駄ヶ谷の東京体育館において、西川京子厚生労働副大臣をはじめ国や都の福祉関係者や視覚障害団体の来賓、全国から駆けつけた会員などおよそ3,000人が参集して、新日本盲人福祉センターの落成と日盲連の結成60周年を盛大に祝った。
  ここでは、視覚障害者の問題が集中的に議論された2日目の代表者会議分科会の様子を中心に報告する。
  代表者会議の冒頭で挨拶にたった笹川会長は、「会員をはじめ多くの方々の協力のお陰で、このように立派な日本盲人福祉センターが完成しました」と感謝の言葉を述べ、「器はできたが、私たちがこれからどういう運動を展開していくかが課題。今年度は障害者自立支援法の改正、障害者権利条約の批准に向けての国内法の整備、障害者差別禁止法の制定、タイ・スパ・セラピー受け入れ阻止など重要な問題が山積しておりますので、徹底的に討論してください」と述べた。
  生活分科会の最大の案件は、自立支援法関連の議題であった。認定区分項目については、視覚障害の特性を正確に反映せよとの要望が出された。また、移動支援については、通院時・入院時の病院内でのヘルパー利用を可能にとの要望や、自己負担・利用時間の上限の廃止、就労での利用などが要求され、代筆・代読サービスやガイドヘルパーの地域間格差の問題も含め、自立支援法関連は11の議題が提案され、1つを除き採択された。そのほか、権利条約の批准・差別禁止法の制定、裁判員制度における視覚障害者の参加、後期高齢者医療保険へ65〜74歳の障害者が事実上強制加入される問題などが上程され、いずれも白熱した意見が交換された。
  職業分科会では、盲人ホームの活性化、日本タイ国間の経済連携協定(EPA)によるタイ・スパ・セラピー導入阻止、東京モード学園をはじめとする各地の晴眼養成学校のあはき科新・増設対策、あはき業定義の明文化、無免許業者取り締まりと有資格者あはき業の啓蒙活動として、8月9日のはり・きゅう・マッサージの日のビラまき等市民への宣伝活動、特別養護老人ホームなどへの機能訓練指導員や企業等でのヘルスキーパーに視覚障害あはき師の受け入れ制度化、中途視覚障害者の継続雇用や職業リハビリテーション、保険請求におけるあはき療養費支給要件による医師の同意書撤廃などが議論された。
  このほか、参加者から、無資格者対策は言うまでもないが、柔道整復師のいわゆる捻挫の応急治療と称した肩こり・腰痛治療による保険請求は、視覚障害者のあはき業を圧迫しているので、日盲連全体としてもっと厳しく対処すべきではないかとの意見が出た。これに対して、時任基清日マ会会長は、「無資格者よりも柔道整復師による被害の方が甚大だと認識している。肩こりを頸椎捻挫、腰痛を腰椎捻挫として保険請求しているのは明らかだが、柔道整復師の中には鍼灸の免許も持っている人も多く、鍼灸治療をサービスとして行っている人も少なくないと聞いている。相手は手強くこちらとしては、証拠を積み上げていかないと追い詰めることができない。これは根が深い問題だ」とコメントした。
  バリアフリー分科会では、視覚障害者の安全な移動のために、歩道上での不法駐輪や暴走行為の取り締まり強化、横断歩道にエスコートゾーン設置、視覚障害者等情報支援緊急基盤整備事業の促進、地上デジタル放送への対応、公職選挙法への公報の点字・音声化の明記、路線バスの廃止撤回、金融機関窓口での代筆等のサービス制度の確立などの問題が論じられた。(戸塚辰永/小川百合子)

東京メトロ副都心線開業
―― 交通至便となった「西早稲田」 ――

 6月14日の東京地下鉄(東京メトロ)副都心線開業により、これまで交通至便とは言い難かった当協会が、最寄駅の西早稲田駅まで100m、徒歩3分。そして、地下鉄に乗ると都心のターミナル駅である池袋駅までは5分、渋谷駅までは11分で行くことができるようになった。事情は、西早稲田周辺にかたまっている日盲連、都盲協、都心障センター等も同様で、便利になった。
  副都心線の正式名称は「13号線副都心線」といい、埼玉県和光市の和光市駅から東京都渋谷区の渋谷駅を結ぶ東京メトロの鉄道路線で、小竹向原駅〜池袋駅間は有楽町線新線、和光市駅〜小竹向原駅間は有楽町線の線路を共用している(注1)。路線名は池袋・新宿・渋谷の三大副都心を縦断することから命名された。路線図や乗り換え案内で使用される路線カラーは「ブラウン(茶色)」で、路線記号は「F」。

副都心線に乗る

 6月14日の開業にさきがけて、6月8日(日)副都心線の内覧・試乗会があった。当日の正午、どんよりとした空模様の下、西早稲田駅前に集まった参加者は総勢100人余り。地元の町内会を通じて集まっただけに、参加者の圧倒的多数は高齢者で、それに子連れの夫婦やコンビニのオーナーが平均年齢を気持ちだけ下げていた。
  新線開業は地元にとって積年の悲願であったようで、高齢者軍団であるにもかかわらず、賑やかなおしゃべりと笑い声が響く、うきうきとした異様な熱気に包まれて地下鉄ツアーは開始された。
  エスカレータを一度乗り継いで、つまり2回乗って改札口階へ。ここには自動券売機の他は、時刻表や料金表、それに乗換案内があるだけなのだが、参加者は早くも持参のビデオ、デジカメ、カメラ付携帯で、バシャバシャ撮り、なにやら地下鉄撮影会の様相を呈していた。そこからさらにもう一度エスカレータに乗って、ホームへ到着。ここは10階建てのビルに相当する地下30mの深さで、ホームの途中に脚立や掃除道具が放置されている有様が、開業前を思わせるだけで、それ以外は完璧に準備が整っていた。しばらく待つとおなじみの電車が到着し、ホームドアが開き、各駅停車でちょうど11分で渋谷駅に到着。あまりの早さに、頭のなかにあったそれまでの協会から渋谷までの地理的イメージが大きくゆがんだ。この駅は、世界的な建築家である安藤忠雄氏による宇宙船をイメージしたもので、地下1階のコンコースから最大直径80mという楕円の大きな吹き抜けがあり、地下3階のホームまでのぞき見ることができる斬新な設計であった。
  ところで、日本初の地下鉄は昭和2年開業の銀座線だが、当時はすべて手で地下トンネルが掘られたという。そこから数えて9番目の路線となる新線は、むろん手堀でも地上から掘る工法でもなく、隣の駅へ向かって巨大なモグラロボットが横穴をあけるシールド工法で、全区間の4分の3が掘られたのである。また、深さも格別で、「急行の追い越し駅」となる東新宿駅のホームは上下2階建てになるため、最深部は地下40mに近いという。
  また、副都心線開業にあわせ開発された新車両10000系は、車両間の扉が全面ガラス張りで見通しがよく、警報音が「ほわん」と懐かしいのは、銀座線開通時の音色に似せたためである。ただし、電車は他に従来の7000系を改造したものも運行されており、今のところこちらの方が圧倒的に多いようであった。
  乗客の安全をはかる「ホームドア」も小竹向原から渋谷の11駅に設置されている。ただし、乗り入れる電車の種類が多いため、電車のドアよりもかなり広めにホームドアは開くので、ちょっと気をつける必要がある。また、車両との隙間が広い箇所には「可動ステップ」も設けられている。雑司が谷から渋谷の7駅には車椅子使用者や赤ちゃん連れにも使いやすい男女別の「多機能トイレ」もある。西早稲田駅の東京都心身障害者福祉センター前の出口は、階段もエスカレータもないエレベータ専用だ。しかも2基も並んでいるのは、車椅子利用者に配慮してのことであるらしい。このように、東京メトロとしては充分に配慮してきたのだろうが、なんと副都心線のホームにあるベンチは、透明プラスチック製であった。これには、当協会に勤めるロービジョンの職員が猛り狂っていた。視力にもよるのだろうが、彼にはこのベンチがまったく見えず、危険極まりないと言うのだ。とりあえず、個人的に東京メトロに厳重抗議したというのだが、この問題はちょっと根が深そうだ。というのも、このベンチは特別にデザインされたもので、駅毎に決められたステーションカラーのラインが入った特注品なのだ。副都心線の目玉の一つが、弱視者にとっては凶器になりかねないというのは、まったくの皮肉である。

路線図(乗換)

 和光市(東武東上線)→地下鉄成増→地下鉄赤塚→平和台→氷川台→小竹向原(西武有楽町線・池袋線)→千川→要町→池袋(丸ノ内線、有楽町線、東武東上線、西武池袋線、JR線)→雑司が谷(都電荒川線)→西早稲田→東新宿(都営大江戸線)→新宿三丁目(丸ノ内線、都営新宿線)→北参道→明治神宮前(千代田線、JR線)→渋谷(銀座線、半蔵門線、東急東横線、東急田園都市線、京王井の頭線、JR線)(注2
  通勤急行停車駅:和光市、地下鉄成増、地下鉄赤塚、平和台、氷川台、小竹向原、池袋、新宿三丁目、渋谷
  急行停車駅:和光市、小竹向原、池袋、新宿三丁目、渋谷

(注1)有楽町線の準急停車駅は、和光市、小竹向原、池袋
(注2)平成24年度(2012)より渋谷駅から東京急行電鉄東横線・横浜高速鉄道みなとみらい線への相互直通運転の予定。(編集部)

■ カフェパウゼ ■
改名の是非をちょっとだけ!

 先日、ジャネット(JANNET)の略称で知られる障害分野NGO連絡会の総会があり、英語の名称には「ジャパン」がついているのだから、日本語の名称にも「日本」を冠すべきだという動議が出た。するとそれに関連して、ジャネットは国際協力分野の障害分野NGO連絡会なのだから「国際」もつけるべきだという意見も出た。すると、「分野」なんていうへんてこな名がついていること自体がおかしいという、それぞれに一理ある議論が続出。結局、改名は見送られた。
  最近の「視覚特別支援学校」にしろ、古くは「○○情報××センター」というような名は、パッと聞いたところではよく分からないが、その後よくよく考えて分かる、いわば「考え落ち的名称」である。どうも、頭の回転が鈍いせいか、私はこのような名が苦手だ。ひるがえって、パーキンス盲学校は重複障害児に特化しても、依然として盲学校という名称を使っている。おそらく歴史と伝統のある名は、それだけで「宝」だとの見識を持ってのことだろう。
  もっとも「全日空」は、中国語では「1日中空っぽ」という怪しからぬ意味になるということで現在はANAに統一されている。カルピスが米国では「カルピコ」と名乗っているのは、「カルピス」が米国人には「カウピー(牛のおしっこ)」と聞こえてしまうためだ。特に英文略称をつけるときは、ちょっとだけでもネイティブにアドバイスをもらう必要がありそうだ。(福山)

「ゆいまーる」発足記念講演会

 視覚障害を持つ医療従事者の会(ゆいまーる)は、6月8日(日)東京・品川の東京都南部労政会館で発足総会と記念講演会を開催した。会場には、視覚障害を持つ医師7名と理学療法士3名の会員をはじめ、7年前に設立した「聴覚障害を持つ医療従事者の会」やNPO法人タートルの会員も応援にかけつけ、約50名の出席者で同会の門出を祝った。
  ゆいまーるとは、沖縄の方言で相互扶助という意味で、同会は、全国各地で孤軍奮闘する視覚障害を持つ医師や理学療法士などが集い、一人ひとりの知恵や経験を持ち寄り、医療現場の問題解決に活かそうという集まりだ。
  車椅子から発足の挨拶を行った同会代表の守田稔関西医科大学精神神経科医師(32歳)は、「目の前のものが物理的に見えなくなることがつらいのだと考えていましたが、実際には、これから自分が進もうとしている人生の道が見えなくなるということが、より深い悲しみをもたらすことを実感しました。中途で視覚障害を持つ人は、多かれ少なかれ同じような経験をされると思います。2001年に欠格条項が緩和され、そのおかげで、今私は医師として働くことができています。私たちの力は微力で、何かをなす上では時間もかかるでしょうが、多くの方のお知恵やお力添えをいただければ幸甚に存じます。同じ悩みを持ちながら医療という人生の道を選んだ人やまたこれから選ぼうとしている人たちにとって、ゆいまーるが足下を照らす光りの一つになればと私たち一堂、心から願っています」と、人柄が察せられるきわめて丁重な挨拶を行った。
  次に発足までの経緯説明に登壇した大里晃弘事務局長(53歳)は、「きっかけは、昨年(2007)3月に個人的に知り合った視覚障害を持つ医師5名が話し合いを持ったことです。会の力量から当面、正会員は医師、理学療法士、精神保健福祉士などに限っています。他の医療職を含めるかどうかは、今はまだまったくの未定で今後の検討課題です」と述べた。
  続いて開催された第1部では、守田代表と同氏の母親である喜久子さんによる、失明してからの苦闘と現在の生活が発表された。守田氏は、医学部5回生在学中にギラン・バレー症候群が再発して1年間大学を休学し、この間生死の境をさまよう。そして、一命はとりとめたものの四肢麻痺、視覚障害となり、大学に復学。家族をはじめ、学友、大学関係者のサポートを得て2003年に行われた医師国家試験に合格し、視覚障害者として日本初の医師となる。以来、関西医科大学病院の精神神経科の医師として、現在まで6年間勤務し、性同一性障害の患者の診察などの外来を担当している。
  同氏は、「私のできることは身体的な限界もあり、限られていますが、家族や多くの方々に支えられて歩いてきました。ここにおられるゆいまーるのみなさんも、私同様に先の見えない人生を歩んでおられるのかも知れません。けれども、歩いた後には必ず道が残り、それぞれの道と道とがふれあえば、きっと何かが見えてくると信じています」と語りかけた。守田さんの母親である喜久子さんは、「二人三脚の日々」という題で闘病生活や医師国家試験受験を支え現在まできた道のりを、時折涙ぐみながらも淡々と話した。闘病中、竹下義樹弁護士や(本誌でもおなじみの)指田忠司氏、視覚障害医師などの当事者に出会い、相談に乗ってもらったことが特に支えになったと述べた。
  続いて、会員の自己紹介と近況報告がなされた。茨城県内の民間病院で精神科の外来と病棟を担当する大里事務局長は、今年から受け持ちの患者が増えたこともあり、パソコンを使ったカルテ記載に追われ、一人ひとりの患者との関わりが希薄になりつつあるのが悩みで、病気によってはほとんどコミュニケーションがとれないこともあり、目の見えない医師がどれだけ正確な診断ができるか、看護師などのスタッフとの連携をはかりながら診療していると話した。熊本県内の病院でリハビリテーション科に勤務する下川保夫医師は、他の医師の書いたカルテを閲覧するのが困難なので、できるだけ患者に接して聴力と触診をフルに活用して診療を行っていると述べた。カルテの電子化が進んで視覚障害者にとってアクセスしやすくなったと思われがちだが、画像データも多く、音声読み上げに対応していない文書が、かえってバリアになっている現状が報告された。(戸塚辰永)

映画『西の魔女が死んだ』小学校でバリアフリー上映会

 全国ロードショーに先駆け、映画『西の魔女が死んだ』の音声ガイド・日本語字幕付きのバリアフリー上映会が、6月12日、東京都中央区の月島第三小学校で開催された。観覧したのは、同小の5・6年生140人と保護者40人、そして主に中央区に住む視・聴覚障害者とヘルパーら40人が招待された。この上映会は、子どもたちが体験を通してバリアフリーを学ぶことはもちろんバリアフリー映画の存在を広める足がかりにすることを目的に、映画を製作した住友商事が企画し、学校やPTAの協力を得て実現した。
  『西の魔女が死んだ』という作品は、感受性の強い少女・まい(高橋真悠)が主人公。中学に進んで間もない夏のはじめに、「学校へ行かない」と宣言したまいは、ママ(りょう)の提案で、森で暮らす“西の魔女”ことまいのおばあちゃん(サチ・パーカー)と2人で過ごすことになる。まいのすべてを優しく受けとめるおばあちゃんから、ジャムを作ったり、草花を植えたりと、“魔女修行”を受けるまいは、自然と“生きる”力を取り戻していくが ―― 。
  原作は、梨木香歩の同名小説で、発表から十数年たつ今も愛されているロングセラーだ。第44回小学館文学賞、第28回日本児童文学者協会新人賞、第13回新美南吉文学賞受賞と数々の賞に輝く同作を、長崎俊一が監督・脚本を手掛け映像化した。まいを演じるのは半年に及ぶオーディションで選ばれた13歳の新人・高橋真悠、おばあちゃん役のサチ・パーカーは、アカデミー賞女優シャーリー・マクレーンの愛娘で、幼少期を日本で暮らした経験の持ち主でもある。
  上映に先立ち、同小の校長やPTA会長の挨拶に続いて、住友商事職員からのバリアフリー映画の説明が行われた。来場者は、配られた触図(おばあちゃんの家の周辺図)を手にし、特に子どもたちは目を閉じて触るなど興味深そうな様子。上映後には、サプライズゲストのサチ・パーカーと主題歌を歌う手嶌葵(テシマ・アオイ)が登場し、大きな拍手で迎えられた。インタビューと主題歌が披露され、最後に子どもたちからゲストの2人に花束が贈呈されると、少し涙ぐんだサチ・パーカーは演じた役のようにやさしく「生きていくことは本当に大切なこと。皆さんを見守っています」と日本語で語り、感動の内に上映会は終了した。
  映画を鑑賞した子どもたちは、「はじめは音声ガイドを聞くことや字幕を目で追うことが大変だったけれど、説明がある方が内容がよく分かった」「感動して泣いてしまった」と興奮気味。また、視覚障害の招待客は「子どもたちも静かで、一緒に楽しむことができてうれしい」と語った。同小の校長は、上映会について「私たちは1人では生きていけない、いろんな人の助けがあって生きている。子どもたちはそういうことを学んでくれたのではないか」と述べた。
  上映会を企画した住友商事は、制作から字幕化、上映までを一手に行える強みを活かし、早くからバリアフリー映画に取り組んできた企業だ。2006年の『武士の一分』では、日本初の音声ガイドをフィルムに直接焼き付ける方式で上映しており、今回もシネマ・アクセス・パートナーズの協力を得て、この焼き付け方式で上映する。また今年度中にあと2作品をバリアフリー化する予定だという。
  ここ数年でバリアフリー映画は少しずつ広まってきているが、まだ映画館側や一般の利用者の理解が不足しているのが現状だ。この上映会は、本誌も含めテレビや新聞など13のメディアが駆けつけ報道したが、これが普及の弾みになればと思う。
  音声ガイド付き上映の日程は以下の通り(上映時間は各劇場にお問い合わせを)。恵比寿ガーデンシネマ(東京、03-5420-6161)7月21日(祝)から25日(金)、T・ジョイ長岡(新潟県、0258-21-3190)6月27日(金)・28日(土)、伏見ミリオン座(名古屋市、052-212-2437)7月6日(日)・7日(月)、梅田ガーデンシネマ(大阪市、06-6440-5977)7月13日(日)・14日(月)、京都シネマ(京都市、075-353-4723)6月28日(土)・29日(日)、シネマ・クレール丸の内(岡山市、086-231-0019)7月13日(日)・14日(月)、ユナイテッド・シネマキャナルシティ13(福岡市、092-272-2222)7月6日(日)・7日(月)、T・ジョイパークプレイス大分(大分市、097-528-7678)7月2日(水)(小川百合子)

■ 編集ログブック ■

 連載執筆者の一人が、レジオネラ肺炎に罹り緊急入院したのは、ちょうど本誌先月号が発行された頃でした。バンコクから帰国後すぐの入院でしたから、おそらくタイで罹患したのでしょう。その1週間前は北京出張で、超多忙・疲労困憊の末のことでした。見舞いに行った病院は、東京近郊であるにもかかわらず下車駅は何と単線で、しかもホームの片側だけにしかレールは敷かれておらず驚きました。
  病床の彼は熱も下がり、思いの外元気でしたが、その前の数日は熱が40℃から下がらず苦しんだようでした。この病気は、一幡先生の本誌連載「感染症研究」の第8回(2004年6月号)に掲載されており、彼も同記事を読んで、大変参考になったと言っていました。元気になったとはいえ、レジオネラ菌は完全に制圧しなければ、耐性菌として蘇るので、思いの外入院も長引き、その後自宅療養も続きました。このため、休載のやむなきにいたるだろうと、病気見舞いのときも、その旨伝えました。しかし、「書くぞ!」という元気な予告電話があり、ありがたいことに、今月号の原稿もいつもどおりメールで送られてきて、雑誌に穴は開かずに済んだのでした。読者の皆様も時節柄、ご自愛専一に願い上げます。

投稿をお待ちしています

 日頃お感じになっていること、本誌の記事に関するご意見やご感想を点字1,000字以内にまとめ、本誌編集部(tj@thka.jp)宛お送りください。

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