《この3月末で、皆川春雄筑波大附属視覚特別支援学校(附属盲)校長・筑波大教授(63歳)が、定年退職される。先生が委員長の筑波大附属特別支援学校構想検討委員会は、去る12月、『支援を必要とする子どもたちのために ―― 特別支援教育筑波モデル(Next 50) ―― 筑波大学附属特別支援学校新生プラン』(以下、「ネクスト50」)の最終報告書を発行した。そこで、本誌では、定年にあたっての感慨と共に、「ネクスト50」発行の背景と、とりわけその最終報告書の意義、そして視覚障害児教育の今後について、筑波大東京キャンパスの皆川研究室を訪れてインタビューした。取材と構成は、本誌編集長福山博》
本誌:昨年の12月に出された「ネクスト50」の最終報告書を中心にお話をお聞きしたいと思っております。その前に、『視覚障害教育ブックレット』(以下、「ブックレット」)が創刊されたとき、先生に「発刊に際して」と題して本誌(2006年6月号・通巻433号)に書いていただきました。その「ブックレット」の編集後記に、先生が盲学校教員として採用された初年度、大学に進学した女の子に「先生の授業はおもしろいのだけど、資料も多いし話す言葉も早いしで半分くらいしかわからないよ」と言われ、ショックでその晩一睡もできなかったと書いてありました(笑い)。それから36年たったわけですが、その当時はこのような盲教育の大改革が起こるなんて考えもしなかったのではないですか?
皆川:定年にあたってこのような場を与えていただき、ありがとうございます。これは私が教師になった年の7月頃のことで、今でもはっきりと覚えております。というのも私にとって視覚障害を持ったやる気のある子たちへの対応やこの教育に関して、根本的な課題を突きつけられ、その後の教師生活を決定づける事件だったからです。その日、一晩寝られなかったのは、最初は恥ずかしいという思いだけでした。しかし、落ち着いてくると自分が勝手に想像し、一生懸命考えたことが、何も視覚障害教育の本質に迫っていなかったんだと思えてきました。その頃は大量の教材を持ってしかも相当の早口で世界史の授業を行っていました。しかし、視覚障害教育の核心の1つ目は「その単元の本質に位置する内容を、時間をかけて丁寧に説明すること」、2つ目は、「新しい教材を次々に教えることではなく、教材の数を1つあるいは2つに厳選して内容を十分に理解させること」、3つ目が50分の授業の中で「何を、どう学ぶかという見通しを生徒に与えること」です。私は自分だけが授業計画をもっていて、これを生徒と共有していませんでした。そして次から次に教科書を元にしゃべりまくっていました。色々脱線するので、何について話しているのか、生徒にはよくわからなかったのです。しゃべる熱心さとか、脇道の面白さとかには感じるところがあったかも知れませんが、話の内容はわかりにくかった。これを契機に反省して、教師生活の中では、節目ごとにこのときの経験を思い出しておりました。
本誌:先生最後の大仕事となったこの最終報告書ですが、まず、この冊子はなぜ出ることになったのですか?
皆川:特別支援教育が、平成19年度から始まりました。それに向かって、日本の障害児教育の中で、筑波大ができることを発信するためです。この前に、中間まとめ、第1次報告を出して、この最終まとめで3冊目です。2年にわたって検討してきたのですが、基本には次の3つがあります。1つ目は、障害の重い生徒に何ができるか? 筑波大は世界で唯一、すべての障害に対応する附属学校(5校)を持っており、ご存じのように多くの教育者や研究者を輩出してきました。そういう人材と施設を動員すれば、障害の重い子に対しても何かできるはずです。2つ目は重複障害児教育とはいっても、それは一つ一つの障害に対応する専門性があるだけで、「目が見えなくて知的障害がある」というような重複障害に対する専門性があるわけではありません。このためそれぞれの障害の専門性をさらに確立します。3つ目は附属5校を抱える筑波大のセンター機能は何か?で、これは地域の公立学校が必要としていることに応えるセンター機能を持つということです。以上の3つの目標から今後の50年を見据えて、附属障害5校をあらためて考え直し、3目標に向かって発信できるものを作ろうとしたのがこの報告書です。結果的に視覚・聴覚・肢体の学校はそのまま継続し、知的に障害のある子どもに関しては、「統合キャンパス」としてまとめ、そこに研究者や学生たちも含めて投入します。そして、教科教育を中心とした3校とくくりつけて、大学の研究者や現場の教師の融合を図るのです。
本誌:附属盲の小学部は、現在10学級ありますね。学年別に6学級あって、それに加えて弱視学級が2、特別学級が2クラスあります。ところで、この特別学級について編集部の附属盲OBたちに聞いたのですが、誰も知りませんでした(笑い)。
皆川:知的障害のある視覚障害児を受け入れて実践的、実験的、先進的な教育を行ってその成果を全国、あるいは全世界に発信するという役割を持った学級です。もう、10数年前からあります。
本誌:これが、統合キャンパスに移行するのですね。
皆川:そうです。それに加えて幼稚部にも重複障害児がおりますので、そこも移行します。しかし、だからといって附属盲は今後一切関係ないではなくて、ある年次、ある学期などに限って、受け入れて交流することはあります。それによって社会性を高め、ダイナミックな学級編成を行うことができるのです。
本誌:この最終報告書を読むと、視覚障害単独の子どもたちにアカデミックな教育を絶対に保障するのだという強い意志を感じ、とても心強く感じました。
皆川:しかし、逆に他の研究者からは、それが50年後の視覚・聴覚・肢体単独障害のあり方なのか?と問われることがあります。われわれは教科教育をちゃんとやれる生徒を育てるためには、1人ではだめで、どうしても同級生という仲間が必要である。それができるのは附属の各特別支援校であると思い定めたのです。これが筑波大が、文科省や数多い知的障害研究者や学校に対するメッセージの1つなのです。これだけは絶対に譲れないと考えてのことです。
本誌:全国の盲学校を平均すると重複が46.5%、その内の70.5%が知的障害を併せ持つ生徒です。そこで、地方の盲学校の小学部や中学部はすでに崩壊状態です。つい先頃、鳥取盲学校が教員免許を持たない実習助手に教科を担任させていたということで問題になりましたので、同校のホームページをのぞいて見ました。すると中学部は0人で、小学部は1年0、2年1、3年1、4年0、5年1、6年4の合計7人で、その内の3人は重複障害児でした。これではどんなに優秀な先生方ががんばっても、きちんとした教育は無理です。しかし、最近は首都圏の盲学校もかなり危うくなってきているようで、これはある新人の盲学校教師から最近聞いたのですが。大学で盲学校に赴任したら、ああやろう、こうやろうと夢をふくらませていた。ところが実際には赴任と同時に、夢は一瞬にして吹き飛び、現実は重複障害児をどうするのかというのが、唯一最大の課題になったというのです。そういう意味では、附属盲が最後の砦という気がします。また地方ではインクルーシブ教育というのでしょうか。いわゆる「統合教育」を行わないと優秀な人材は育たないようにも思います。附属盲は全国の盲学校のセンター的な機能も併せ持つわけですから、これは歴史的にもそうだと思います。先生は附属盲の前に八王子盲、その前に文京盲の校長を歴任されています。そこで、公立盲学校との関係はどうなるのかお聞かせ下さい。
皆川:私は、今福山さんがおっしゃった意味よりもわが校の存在意義を、もっと大きくとらえたい。ある部分に関しては、世界の視覚障害教育のセンターの1つとしての役割があると思っております。これは鳥山先生(鳥山由子筑波大特任教授)等のおかげで、例えばこの3月末から4月初旬にかけて、タイのバンコクでアジア地域の視覚障害教育の研究会に依頼されて、本校の全盲の数学教諭である高村明良先生、理科の浜田志津子先生そして鳥山先生の3人でワークショップをやります。そうした役割、つまり視覚障害児の教科教育をきちんと教えられる力を持った先生を育てることやその方法論等の発信ということに関しては、世界の中で本校が1つの役割を持っており、そのことに関してためらう必要はないと考えています。世界の現状は、インクルーシブ教育に向かっていますが、それはいわば権利と人権の広がりと共に中心的な願いとしてあります。ですが、障害を持つ子どもたちの教育というのは、とくに開発途上国では普及しておらず、「エデュケーション・フォー・オール(教育をすべての人に)」というスローガンが叫ばれています。しかし、その「すべての人に」とは、障害者ばかりでなく、貧しくて教育を受けられない人も含まれるわけです。それから先進国では、外国から流入してくる人たちの言語教育も含まれます。そして同時に障害を持つ子どもたちの教育もというふうに、実態はごちゃ混ぜです。このため途上国では、障害を持つ子どもたちのための教育がきちんと行われていません。また、先進国の中でもインクルーシブ教育を行う中で、視覚障害教育の教科教育がどんどんレベルダウンしている実態もあります。そこに教科教育をきちんとやり続けている本校の立場があります。世界に対してと同じように、本校以外の68校の公立盲学校、あるいは地域にある普通校に少しずつ視覚障害児が通学しているのですが、その子どもたちの教育を支援するためのセンターとしての役割も昔よりは格段に大きくなってきています。さっき言われたように、子どもたちがいなくては、教科教育の力をふるいたくても、ふるいようがありません。そういう意味では、一定の子どもたちの集団が確保できている本校が、全国に向かって教科教育に関しても、視覚障害教育に関する課題に関しても発信していく、あるいは研修の場を提供していく、そういう役割があるのです。本校には、私が校長として赴任してから先生方と散々議論して、最初に福山さんからご紹介いただいた「ブックレット」を創刊いたしました。そして、1学期に1号ずつ発行してきて、現在通巻6号で、この4月には第7号が出ます。創刊する前に散々、「年に3回冊子を発行することはそう簡単なことではない」と言われました。はたして先生方は書き続けることができるか?という話です。でも、私は附属盲学校に赴任して先生方と話をしてきて1つの確信がありました。先生方の中にちゃんとセンターとしての意識があり、教科教育は自分たちが担っていくのだという覚悟がある。しかも、先生方の中に書きためた資源、あるいは書きたいという欲求もある。このため、5年ぐらいは本校の先生方だけでも何とかなるだろうと思っておりました。元々これは、教科のネットワークをめざして創刊されましたから、やり続けることによって、全国の研究者や盲学校の先生方の研究報告や原稿を集めながら、誌上討論し、提案していくこともできる。そこで、まずは自分たちができるところからやっていき、だんだんと附属盲から外部の先生たちに増やしていくという編集のやり方を考えたのです。そして実際に、内容が充実しながら継続できているのは、ありがたいことです。そのことが附属盲の役割と、今後の見通しを端的に表しています。研究者や研修を必要としている先生方あるいは地域にいる一般教育の先生方、そうした人たちとのネットワークを組んでいく。そうしたつながりの輪をつなぐ役割も本校の仕事です。先ほど申し上げました「ネクスト50」の将来構想、私どもは視覚障害教育に関しては、教科教育がきちんとされている学校が必要だということを、今後50年を見据え、教育界がどう変わっても、あるいはインクルーシブ教育が進んだとしても、盲学校教育は必要だということを訴えたつもりです。
本誌:たしかに附属盲は世界のセンターの1つですね。鳥山先生はインドでも研修会を開催されていますね。
皆川:はい。それにタイ、韓国、英国でもなさっています。
本誌:ところで、特別支援教育になって教員免許も変わりました。附属盲は問題ないわけですが、公立の盲学校では特殊教育の教員免許を持っていない先生方がたくさんいて、それで点字を知らないで授業を行っているという現実が昔からあります。これは特別支援教育になっても、実態は変わっていませんし、子どもがいないという現実もあります。そうすると盲学校の必要性はわかるとしても、インクルーシブ教育に移行せざるを得ないという側面もあります。これに関しては、どう考えるべきなのでしょうか。
皆川:私は盲学校長会の会長が7年と長かったので、これに関しては言いにくいところです。ただ、盲学校で「盲免(盲学校教員免許)」を持たないで、教えている教員がたくさんいたのは、国の施策の問題ですね。もう一つは視覚障害教育についていえば、実は「盲免」があることよりも、教科の力がなければ、視覚障害教育はどんどんレベルが下がっていくのです。「盲免」に類する問題に関しては、現場の実践によって力をつけていくということが大事です。ここにきて特別支援教育免許状というのは、いわば社会の要請ということになります。今はまだ必須ではありませんが、今後は教科の免許状と、特別支援教育免許状の2つを持つ必要があります。視覚障害教育の部分に関しても、たとえば英国などでは、ほとんど大学院で視覚障害教育の専修免許を取ることになっております。今後はそうならざるを得ないでしょう。もう一つは、私は盲学校をいくつも歩いてきましたが、専門性に関する研修はやろうと思えばできるんです。私が葛飾盲学校で教務主任をやっていたとき、校長は小林一弘先生でした。初任者や他の障害から転任してきた先生に対して、今の初任者研修は校内研修300時間ですが、私はその前から校内研修を500時間やっていました。その中で、亡くなられましたが竹村久子先生等に指導をお願いして、点字は5月の連休が終わって、1学期の中間テストをやるときには、とりあえず自分で問題を作れるぐらいの点字の力を身につけさせました。特別な時間は無くても、工夫して視覚障害に必要な研修というのは、もっと内容を充実させていくべきなのです。他の障害からきた先生方は、視覚障害教育の魅力になかなかたどり着かないのですが、しかしこの校内研修を継続していくと、だんだん魅力に気づきます。また、本校の場合はできるだけ大学院に行きなさいとか、学会にできるだけ全員が出るように勧めております。
本誌:一方この「ネクスト50」の最終報告書を読みますと、附属盲のスリム化についても触れられております。先ほど話題になりました特別学級2クラスが統合キャンパスに移行し、鍼灸手技療法科が6学級から3学級になり、音楽科が2学級から複式1学級になり、理学療法科は「筑波技術大への移行には賛成しないが、余儀ない場合は、生徒定員の確保を提案」となっています。巷では、鍼灸手技療法科も筑波技術大に統合していいのではないかという声も聞きます。職業教育の部分については、今後どうなるのでしょうか?
皆川:全国の盲学校のセンターとしての本校の役割の中に、職業教育の部分もあります。公立の盲学校ではできにくいことに関して、発信していくという役割があるのです。筑波技術大が、短大から4年制の大学になった段階で、附属盲と理療科教員養成施設と筑波技術大の3者は、同じ国立大学法人として、やはりお互いの良さを生かすような方向性を探らなければいけない時期にきました。筑波技術大もそうですが、本校も職業課程は定員割れです。そうすると3者がそれぞれ並立して、将来の見通しを描けるかというと、「描けない」というのが結論なのです。そして、職業教育に関する教員養成をする部分については、大学・大学院レベルで教員養成を行うべきで、これは3者で協力して、筑波技術大をわれわれも支える必要があるのです。ただその移行は、徐々に行う必要があります。本校の理療科も全国の盲学校に大事なものを発信してきて、現に存在するわけです。例えば、教員養成の課程で教育実習をする場を提供する、この分野に関して先導的な実験研究を行い発信する等、本校の鍼灸手技療法科も1クラスは残したのです。その点、理学療法科はその構想が描けませんでした。ただ、これはまだ計画段階なので、実際に動き始めたら紆余曲折があるかも知れません。筑波大、筑波技術大、附属盲が連携、あるいは部分的には融合していかないと、視覚障害教育そのものがだめになってしまいます。筑波大には障害科学系(旧心身障害学系)という障害に関する研究部門があり、たくさんの研究者がおりますが、視覚障害に関する研究者は相対的にとても少ないのです。今度、河内先生(河内清彦教授)が学系長になられました。その障害科学系とも連携して、また職業教育に関しては、筑波技術大と連携して視覚障害教育に関する部分は、ますます集約化しないとレベルの高いところで、将来を展望することはできなくなります。気がついたらレベルが下がって自己崩壊するようなことは、絶対避けなければなりません。この時代に、この仕事に携わる教育者なり研究者は、その責任があります。この「ネクスト50」は、基本の考え方を示したプランなのですが、具体化できるように学校の中でも盛んに議論し、アクションプランに持って行く必要があります。現在、統合キャンパスのところだけアクションプランを、佐島毅(サシマ・ツヨシ)先生等准教授の先生方を中心にした推進委員会で、練っていただいているところです。それと同時に、今後各附属学校の将来構想について、より具体的な検討を進める必要があります。
本誌:附属盲にはいろいろな教科の研究会がありますね。理科の研究会とか社会科の研究会とか?
皆川:ありがたいですね。これは皆さんに広く知っていただきたいし、ご協力いただきたいし、ご指導いただきたいことです。先ほど福山さんはアカデミックな教育ということを言われました。もはや1つの学校だけで視覚障害教育が完結する時代ではなくなっています。日本中の盲学校が役割分担して進めていかなければならない。そのために「ブックレット」は「教科の連携ネットワークのために」を、キャッチフレーズにはじめました。それと同時に、そこに投稿されたり、提案されたものも含めて編集します。理科は日本視覚障害理科教育研究会として、もう30年からの歴史があります。
本誌:実は理科教育研究会については、もう一昔以上も前のことですが、鳥山先生に誘われて、私も参加したことがあります。
皆川:そうでしたか。理科の研究会はこの2月に、2日間の講座を終えたばかりです。それで、参加された先生方の「ここに視覚障害者の理科教育の本質に迫る実践があった」という感想をたくさんいただききました。この素晴らしい実践を他の教科でもということで、日本視覚障害算数・数学教育研究会、事務局長は本校の高村先生、同様に社会科は岩崎洋二先生や青松利明先生がやってくれている日本視覚障害社会科教育研究会。今、30数年変わることのなかった点字地図帳を新しくしたいと研究を続けております。範囲と基準を地図に示した画期的なものになる予定です。これに点字教育研究会があるのですが、これとは別に、「国語教育研究会」に発展すればいいなと思っております。また、来年度は、英語教育の研究会が組織できたらいいなと考えているところです。以上が教科についてですが、領域に関しては自立活動の研究会と、これは特総研(国立特別支援教育総合研究所)にありますが、日本弱視教育研究会もあります。そことのタイアップも、今後重要になってくるでしょう。特に弱視教育に関しましては、地域にもっともっと発信していく必要性があります。それと今、拡大教科書が課題になっていますね。本校の先生方も何人か関係しておられます。このように各教科と領域に関しまして、それぞれ研究会を立ち上げながら、今後の日本の視覚障害教育の中で役割を果たしていきたいと考えているところです。
本誌:これも「ブックレット」を創刊された先生のお力があってのことだったのですね。
皆川:いやいや、いつも私が学校の中で口を開けば同じことを言って騒いでいるので、「しょうがないから、やるか」と先生方がやっているのが実情です(笑い)。
本誌:去年の今頃でしょうか? 特別支援教育に変わると視覚障害教育に関しては、暗黒時代が来るような印象があったのですが、お話を伺っていて、少しは明るい兆しが見えてきたのかなと思いました。
皆川:この最終まとめは、国内外に対する筑波大の特別支援教育に対する回答でもあるのです。私たちはそれも込めたつもりです。特殊教育には特殊教育の限界がありましたが、特別支援教育にも、これもまた十分ではない部分があるのです。それではインクルーシブ教育であればそれでいいのかというと、理念としては正しいのですが、視覚障害を持つ子が、健やかに育っていくにはやはり仲間が必要であり、視覚障害教育の専門性を持つ教科教育、領域の力が必要です。それらと同時に他の障害、あるいは障害のない人たちとの交流による経験というものを積み重ねながら、障害があるものとして、なおかつ、その障害を活かしながら、自分の生涯を切り開いていくような力を育てていかなければなりません。視覚障害教育は特別支援教育の中でもマイナーですから、われわれの側から歯止めをかけておかなければ、どこかで雪崩現象が起きます。そこで視覚障害教育の研究者たちは、この1月5日に鳥山先生を代表に「『視覚障害に対応する教育を専ら行う特別支援学校(盲学校)』の必要性に関する緊急アピール」というものを出しました。ご存じでしたか?
本誌:いいえ、知りませんでした。以前の附属盲のホームページに皆川先生が「盲学校の必要性に関する緊急アピールが訴えるもの」と題して書いておられましたが、あれとは違うのですか?
皆川:あれは平成17年1月に、これからの視覚障害教育を考える懇談会が出したものですが、あれに重ねたものです。今年度から特別支援教育が始まったことで見えてきたことに危機感を持った研究者たちが、さらに緊急アピールを出したのです。鳥山先生が日本特殊教育学会の理事をなさっているので、先生に代表になっていただきました。
本誌:学校長のお立場で緊急アピールを出すことに困難は感じませんでしたか?
皆川:公立校の校長をしていたときは、それはできませんでした。しかし大学法人ですので比較的自由に発言できるのです。他のことはともかく、こと視覚障害教育に関しては、この立場を活用して積極的に発言すべきだと思っております。
本誌:本日は長時間ありがとうございました。3月11日の先生の退職記念講演を拝聴に伺いますので、楽しみにしています。
皆川:何で知っているの、内緒にしていたのに(笑い)。
福山:筑波大のホームページに大きく出ていますよ(笑い)。
皆川:いや、気が重くてね。辞退したいといったら、「次の人が困りますから」と言われて断り切れなかったんですよ。
福山:また、本日はおいしいコーヒーをいただききまして、ありがとうございました。