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社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2008年3月号

第39巻3号(通巻第454号)
編集人:福山 博、発行人:迫 修一
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替口座:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「リビング・ウイル(Living will)」

 厚生労働省は、75歳以上で「終末期」の患者が医師らと相談し、延命治療の有無などの希望を文書などで示す「リビング・ウイル」を作成すると、病院などに診療報酬が支払われる制度を導入する方針を決め、2008年度診療報酬改定案に盛り込んだ。
  リビング・ウイルとは、死期が迫ったときの治療方針などについて、事前に本人の意思を書面で示したもので、リビングは英語で「生きている」、ウイルとは「遺言状」のことで、死んだのちではなく、生きているうちに効力を発生する遺言状の意。日本尊厳死協会は「尊厳死の宣言書」と訳し、「いたずらに死を引き延ばすための延命措置」などを拒否する独自の書面を作成している。2003年の厚生労働省の意識調査では、リビング・ウイルの考え方に賛成する人は一般国民の約6割に上った。

目次

(座談会)障害者の権利条約と私たち(下) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
10年ぶりに視覚障害者のためのアマチュア無線講習会開催 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
15
新日鐵などが主催する日韓コンサートにご招待!
  ビューティフル・フレンズ・コンサート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
17
(特別寄稿)有宗義輝先生の死を悼む!(大橋由昌) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
18
ミャンマー白杖製作報告会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
23
リレーエッセイ:ユニバーサルデザインと社会参加(武者圭) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
コラムBB:間もなく「センバツ」、春が来る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
感染症研究:あなどれない帯状疱疹とは ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
知られざる偉人:米国初の全盲医師、J.ボロティン博士 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
40
新コラム・三点セット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
44
大相撲:近代大関列伝その4 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
47
ブレーメン:死に神と葬儀屋 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
国リハあはきの会「新年の集い」開催 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
53
(投稿)消えゆく「点字古書」(?)を惜しむ(与野福三) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
カフェパウゼ:現代シベリア流刑事情 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
56
時代の風:1日2杯のコーヒーで流産の危険が2倍に、
  北京を歩けない盲導犬、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
伝言板:日点春のチャリティー映画会、奨学生公募のお知らせ、他 ・・・・・・・・・・・・
62
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64

(特別寄稿)
有宗義輝先生の死を悼む!

朝日新聞ヘルスキーパー/大橋由昌

 昨年(2007)11月30日(金)東京教育大学附属盲学校(当時。以下「附属盲」)の恩師である有宗義輝先生が、64歳の若さで逝去された。彼は附属盲同窓会の副会長で、僕も理事として末席を汚していたことから、1年ほど前からお体の具合は側聞していた。その後、前立腺ガンに加えて喉頭ガンもあり、しかもあちこち転移して極めて深刻な病状であることも聞いていた。見舞いに行かれた附属盲の教師から、声が出ないのでコミュニケーションは難しい、と報告を受けていたので、見舞いを自粛せざるをえなかった。このため、訃報を聞いたときは、ついにくるべきものがきた、さらに、早く役員で見舞いに行っておけばよかった、と思ったのが、正直な実感であった。しかも、先生に教わり、共に運動に熱中したわれわれの青春の一時代が、一瞬鮮やかによみがえった一方、「戦友の死」と共に活動を振り返る相手が、またひとり失われたことをつくづく思い知ったのであった。
  有宗さんの存在を強く意識したのは、僕が中学生のときに行われた附属盲の寮祭で、学生の彼が「目黒のサンマ」という落語をもじって、「目白のアンマ」という、とても愉快な寸劇の脚本を書き、かつまた、演じていたことであった。その後1970年の春に、僕は附属盲の専攻科に入学し、彼は僕の恩師となった。先生は1943年11月24日の生まれであるから、当時は26歳のばりばりの青年教師だ。病気のため2年遅れていたので、僕は当時すでに20歳。年もそれほど隔ててはおらず、そして先生も教師風を吹かせるより、先輩、あるいは「良きアニキ」としてわれわれに接してくれた。
  理療科の教員としての有宗先生は、率直にいって、臨床に熱心な研究者タイプではなかったと思う。当時から酒とたばこが大好きで、そのためばかりではないだろうが、割れ鍋のようながらがら声であった。しかし、教え方は資格試験の合格を想定した、とてもツボにはまった実践的なもので、生徒にはわかりやすく人気があった。先生は、僕が代表を務めていた社会問題研究会が、当時頻発した目白駅からの転落事故を取り上げて「駅長交渉」を行った際には、自発的に参加して安全確保の要望もしてくれた。また、先生がはじめて担任を持たれたのは、僕の学年の一つ下であったが、このクラスは先生が病に伏されるまで、継続して同窓会を行っており、先生共々にぎやかに騒いでいた。
  そんな友好関係が緊張したのは、1972年に起こった附属盲での学園闘争だ。先生は折悪しく生徒会の顧問で、生徒会行事のトラブルがその発端となったため、全校集会でわれわれにつるし上げられたのである。当時は「70年安保闘争」に象徴される政治の季節で、「先進的な」盲学校もそれとは無縁ではなかった。前年に起きた、京都府盲の闘争もしかりだ。まして、当時附属盲には、中途失明者で、大学で全共闘運動を身近に見てきた生徒が数人いたこともあってか、学園紛争は留年者まで出すような激しいものであった。
  一方、有宗先生は教員のかたわら、日本大学の通信教育で法学を履修・卒業。生来の理屈屋ぶりにさらに磨きをかけた。おおざっぱな性格だったので、事務方には向いていなかったが、天性のアジテーターで、しゃべらせるとかっこよかった。大学を卒業後、授業や運動の合間を縫って、司法試験にも数度挑戦されている。時代がもっと下って生まれたのであれば、おそらく先生は理療科教師の道ではなく、別の道を歩まれたのではないかと僕は思う。
  有宗先生は1996年1月1日から2001年7月31日まで、日本理療科教員連盟(理教連)の会長を務められているが、その前には事務局長、法制部長などを歴任。著作は2作あるが、その一つは『新あはき法解説』で、これもなるほどなあと首肯できる。ちなみに版元は東京ヘレン・ケラー協会である。
  僕が、有宗先生と共に本格的に運動に関わったのは、筑波技術短期大学(技短)設立反対闘争を通じてであった。結局、同短大は1987年10月に3年制の国立大学として設立されるのだが、われわれが反対の烽火をあげたのは、それから9年もさかのぼる1978年のことであった。同年に「身体障害者のための高等教育機関」を作るための「調査会」が設置され、技短の設置構想が寝耳に水で明らかになった。僕は専攻科卒業後に、京都の大学に進み、そして、卒業と共に上京して間もない、1979年の10月に、筑波短大問題研究会を立ち上げた。理教連の「創立30周年祝賀会」を、中止に追い込んだのも、附属盲組合との共闘があったからだ。先生は、そのブリッジ役を担ったのである。
  この技短設置反対闘争は、現在も語り継がれ、そして、その時の名残が今も完全に払拭されてはいない大闘争であった、といえるのではあるまいか。
  その闘争がちょうど山場を迎えようという1982年には、青天の霹靂というべき別の大問題がもちあがった。早稲田鍼灸専門学校にあはき課程を設置するという問題だ。いわゆる「早稲田鍼灸問題」である。これに対してもわれわれは共闘した。僕は在野であったが、先生は組合や理教連を舞台に、誰にも止められない猪突猛進ぶりを遺憾なく発揮。なにしろ当時「盲界の四天王」の一角であり、「業界の天皇」ともいわれ、畏怖されていた芹沢勝助・筑波大名誉教授に楯突いたわけであるから、大変な軋轢が生じたのは想像に難くない。
  先生はいわゆる理論家肌で、併せて正論を切れ味良くずばっと言う信念の強さを持ち合わせていた。このため、その意味では敵もあり、毀誉褒貶に晒されることも多かったのは残念なことであった。交渉の時など大声で理屈が得意な人だったから、一般には親分肌で強心臓と思われていたかも知れない。が、実際に身近に接して感じたのは、極めて繊細な心の持ち主で、気配りの細やかな人だったというのが僕の印象である。
  先生は揺りかごから墓場までとはいかなかったが、それに近い幼稚部から附属盲専攻科の教員を退官するまでの、人生の大半を現在の筑波大学雑司ヶ谷キャンパスで過ごした稀有な数人の一人である。このため、附属盲には人一倍思い入れが強かったのではないかと推測する。その思いの強さ、母校愛、同胞愛が、時として大いに誤解されることがあったのも事実だろう。ともあれ、またひとり巨星墜つ。合掌!

ミャンマー白杖製作報告会

 2月2日(土)午後、東京都板橋区のグリーンホールにて、IAVI・国際視覚障害者援護協会(直居鐵理事長)は、静岡県浜松市のNPO法人六星・障害者授産所ウイズ斯波千秋代表による「ミャンマーの視覚障害者と白杖製作」と題する報告会を開催した。
  IAVIとミャンマーの視覚障害者との交流は、3年前に2人の視覚障害留学生を同国から日本に招いたことから始まる。留学生の受け入れにあたって、山口和彦事務局長は首都・ヤンゴンを訪問し、折から行われた10月15日の「国際白杖の日」パレードに参加。しかし、そこに集った視覚障害者の手には、白杖ならぬ木や竹の棒が握られていたことを目の当たりにした山口さんは、スリランカでの白杖作りの指導経験がある斯波さんに相談を持ちかけた。そして、昨年(2007)8月29日から9月12日まで、ミャンマー盲人協会をパートナーに、ヤンゴン市内にあるキリスト教団体が運営する盲学校で、白杖製作と歩行指導講習会を行った。
  9月初旬のミャンマーは雨期で、ヤンゴン市内の穴ぼこだらけの道路には至るところに水たまりができた。そこで、視覚障害者が単独で歩くのは難しいと判断した斯波さんは、杖作りと歩行指導の他に、急遽視覚障害者のガイドの仕方も教えることにしたという。
  この講習会には、会場となった盲学校の教員など40人あまりが参加。現地にあるものを工夫して白杖を製作するのが、斯波さんのスタンスなので、今回も校内にあったベンチを作業台に転用。一斗缶に水を入れ、七輪で湯を沸かし、加熱すると縮むプラスチックチューブを竹に被せてお湯にくぐらせて白杖を作った。参加者は、まるで手品を見たかのように驚いて、すぐに白杖作りに夢中になったという。早速、参加者は新品の白杖を使って校内を散策、併せてガイドの仕方とされ方も教わることになった。
  帰国後もミャンマーで白杖を作るためには、どうしても白杖の握りの部分を現地調達する必要があった。そこで、斯波さんは、講習会のない日に盲人協会のスタッフとヤンゴンの町工場を訪ね歩いた。するとロクロによる木地挽きを行っている町工場があり、青年社長が熱心に話を聞いてくれ、白杖の握り製作を請け負ってくれたという。
  今回の講習会では直杖と折りたたみ式の白杖、併せて100本製作したが、それ以上に、「白い杖を持って街に出ることが人々の意識を変え、やがて社会を変えることにつながるという考え方が、参加者に浸透したのが何よりの成果」と斯波さんは語った。
  講演終了後、ミャンマー、ラオス、ベトナムの留学生と、この4月から留学を予定している5人が、一生懸命に日本語で挨拶した。
  閉会後、名残を惜しむ参加者は、IAVI事務所に場所を移し、ビールを飲みながら、留学生たちとさらに交流を深めた。(戸塚辰永)

■ 編集ログブック ■

 1月号で「世視協」理事長の出田敦子さんを紹介したら、世田谷区視力障害者福祉協会の所在地が知りたいとの問い合わせがありました。そこで、遅ればせながらご紹介します。住所は東京都世田谷区宮坂2-3-12、電話は03-6662-5900です。
  本号編集作業中に、沖縄盲学校の現状維持を求める請願署名用紙が、突然職場に回覧されました。昨年の本誌11月号で、松山盲学校問題を取り上げた際、「盲・ろう・養護学校を特別支援学校に統合・再編する計画が、全国各地で着々と進行している」と戸塚記者は書いたが、それが現実のものとなっているのです。
  沖縄盲学校は、同県教育委員会が示した県立特別支援学校編成整備計画案で、知的障害との併設型特別支援学校への移行が検討されています。これを受け同盲学校の保護者、同窓生、退職教員などが「沖縄盲学校の未来を考える会」を1月18日に結成し、「視覚障害教育における専門性の集積の場として沖縄盲学校を存続させることが、県の視覚障害者の福祉・就労に寄与し、その人材を育成する上で必要不可欠」として、単独維持型を強く求めて、1月28日から署名活動を開始したのです。取り急ぎ、私も署名し、本誌でも今後フォローしなければならない重大問題だと強く感じた次第です。(福山)

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