1700年代のロンドン証券取引所で、支払不能で債務不履行に陥った株式仲買人などを指す言葉として用いられたが、1860年代に米国の政治用語として流用されるようになった。レイムダック(脚を引きずるアヒル)とは、役立たずの政治家を指す政治用語で、選挙後まだ任期の残っている落選議員や大統領を揶揄するときに使われる。転じて、米国では「役立たず」などと、特定の人物を冷やかす慣用表現としても用いられている。日本では、従来米国の政治状況を報道する際、レイムダックを「死に体」という相撲用語で説明してきた。現在は、首相など政権担当者や内閣の他に、政党の内部で派閥領袖などが力を失いつつある場合にも使われている。米国と韓国の政権は明らかにレイムダック化しているが、わが国を省みればどうなのだろうか?とても微妙だ。
全国理療教育研究協議大会(理教連定期総会)が、8月1日(水)、鳥取市の鳥取県民文化会館で開催された。3期目を迎えた緒方昭広会長は、「特別支援教育がこの4月からスタートし、これからいろいろな課題が出てくる。注意深く動向を見ながら、対応していかなければならない」と述べ、理療教育にとって何が重要か、そこに焦点を当てた議論をと訴えた。続いて来賓の全国盲学校長会澤田晋会長は、「特別支援教育元年の今年、盲学校69校のうち校名を変更したのは5校。盲学校は特別支援教育のセンターとして一層奮起すると共に、視覚障害教育の専門性を高めることが求められる。福祉から就労への変革期にある今、改革すべきことは何か!」と会場に問いかけた。
法制部からは、かねて噂されている学校法人モード学園が建設中の医療専門学校にあはき課程を新設する件が出された。同学園は、東京西新宿に50階建ての高層ビルを建設、2009年4月に開校を予定している。近隣にある他の専門学校も集約し、およそ1万人規模の生徒が通う国内最大級の専門学校ビルになる模様で、名古屋でも同様の動きがあるという。まだあはき課程は申請されていないが、理教連は、申請が厚生労働大臣によって19条を根拠に不認定処分された場合、「職業選択の自由」を盾に違憲裁判に訴えるのでは、とみている。この問題の広報と対策を進めるため、8月26日に東京都障害者福祉会館で「モード学園と視覚障害者」集会を開催すると発表した。
次に、あはき師国家試験について、2006年9月に実施団体の東洋療法研修試験財団より各校校長宛に受験者が5名未満の会場の一部廃止の通知が出された。この件に関して、国家試験対策部は、2006年3月に盲学校長会名で要望書を提出したが、他の視覚障害者団体からの賛同も得られにくく、財団は基本的に統合の方向だと説明した。現段階では5人未満の会場は約11カ所、そのうち5カ所は会場廃止となる見通しだという。理教連としては、各県や地区での運動を基本とし、理教連がバックアップ、財団に要望書を出すとした。会場からは、「1年は保留とされたが、次回は廃止が濃厚。他県が会場となると試験を受けられなくなる生徒もいるため、理教連としてもっと強く反対するように要望する」との声が上がった。
日本経穴委員会からは、WHOの経穴部位国際標準化で決定された経穴について、今年11月を目途に日本語版を完成する予定だと報告された。また、同じようにWHOで鍼灸用語についても標準化の動きがあり、早期対応するため、日本鍼灸学会の下日本鍼灸用語標準化委員会が設置された。その下部組織として、学校、理教連、出版社等で構成されるワーキンググループが作られ、これまでに2回会議を持ったと報告。まず今年度中に日本の鍼灸用語として適切と思われる用語を数千個抽出し、来年度は和文と英文による定義付けの作業へと進めていくことになるという。
最後に、21世紀理療教育のあり方委員会からは、理療教育と理療科教員養成の理想をまとめた最終報告が提出された。理療教育については、本科保健理療科や生徒数の減少など従来からの課題から、特別支援教育になったことで予想される問題などが提起され、今後の理療教育の方向性が示された。理療科教員養成については、指定教員養成機関であるための問題や免許状についての課題から、教員養成のあり方が細かく示された。最終報告がまとめられたものの、特別支援教育関連の問題があることから、委員会の継続が提出され、承認された。また、教員養成に関連して、理教連副会長に就任した筑波技術大の藤井亮輔准教授から、同大の教員養成課程設置構想についての説明があり、会場からは時間を押すほど質問が飛び出し、関心の高さが伺えた。
今後、21世紀理療教育のあり方委員会からの最終報告を実情と擦り合わせながら検討していくことになるだろう。今後の動きに注目したい。(小川百合子)
今年の視覚障害情報機器アクセスサポート協会(アイダス協会)は研修会を、折りもおり参議院選挙の投票日当日の7月29日、東京・四谷駅前の幼きイエス会(ニコラ・パレ)修道院9階ホールにて開催した。このため開会の挨拶に立った山縣浩(ヤマガタ・ヒロシ)会長は、「政権与党の都合で国政選挙と重なってしまいましたが、私共の方がずっと以前に決めていて・・・」と語り始め、この春大学を退職し、現在はアイサポート仙台の理事長をしていること、この6月に初めて年金を受給して年金生活の厳しさを実感していること、社会保険庁のずさんな業務、金儲け主義で介護制度が大きく揺らいでいることなどを、穏やかな口調ながら手厳しく批判した。
午前中の呼び物は、日本盲人職能開発センター北林裕(ヒロシ)氏がコーディネートした「本音で徹底解剖?どう変わる、ウインドウズ・ビスタとオフィス2007」で、発表者は日本ライトハウスの岡田弥(アマネ)、岡本昇(ノボル)両氏とライオンの平塚秀人(ヒデヒト)氏。これは岡本・平塚両氏が午後に話題提供した「ワード2007とエクセル2007 ―― PCトーカーとフォーカストーク」も密接に関係していた。結論は、「ウインドウズ・ビスタが発売されてから約半年たち、もうちょっと待った方がいいですよといって半年がたち、さらに言いつづけなければならない」という岡田氏の言葉に集約されていた。もっとも、「従来パソコンを使っていなかった人が、ウインドウズ・ビスタを使うなら、それなりに便利に使えるのではないか?」との声も聞かれたが、もはや完成の域に達しているウインドウズXPと比べるなら、現状では使い勝手が悪いとの酷評が多数で、ちなみに参加者60余人のうち、実際にウインドウズ・ビスタを持っている人は11名であった。ウインドウズ・ビスタと同時に発売された「オフィス2007」についても、視覚障害者が使うメリットは「今のところ思い当たるものはないばかりか、操作しにくくなった」と岡本氏が報告。ただ、そうはいっても「いつか会社の端末にビスタが採用されるかもしれない。そのときになって使えませんでしたでは仕事もなくなってしまう」という平塚氏の切実な声にはリアリティがあった。その上で、「PCトーカー・ビスタ」と「フォーカストーク」という、現在、ウインドウズ・ビスタに対応するスクリーンリーダーの比較は示唆に富んでいた。
続いての話題は、国立特別支援教育総合研究所の大内進(ススム)氏による「豊かな触覚活用をめざして――三次元造型の実際」。これは、スキャナで絵や写真を取り込んでデータ化しプリンタで出力するように、立体的なものを3次元スキャナでデータ化し、3次元出力装置で造型しようというもので、技術的にはほぼ完成しているようだ。ただ、気軽に教材作りに応用するためには、特にコスト面などでの課題が残っているという。
続いては、日本ライトハウスの福井哲也氏による「俺のデイジー炸裂レポート」。これはデイジー開発から10年がたち、「デイジーのおっかけ」を自称する同氏が、今日のデイジー隆盛までの10年間を強い思い入れと共に縦横に語ったもの。同氏が10年前から強く主張してきたことは「視覚障害当事者が製作できないシステムは不完全である」ということだが、この問題は2002年8月シナノケンシからPTR1が発売され一応解決した。ところが、当初デジタル録音図書の規格として開発がはじめられたデイジーが、いわゆるマルチメディアへと進化する中で、同様の障壁が現れてきた。海外では全盲者がマルチメディア・デイジーの製作をしている例もあるというが、誰もが使える状況にはない。また、風前の灯であるカセットテープからデイジーに完全移行するには、使いやすく、携帯性に優れたデイジープレーヤの開発が鍵だと提言した。
最後は、国立特別支援教育総合研究所渡辺哲也氏による「スクリーンリーダの詳細読み、その4 ―― 第2水準の田町読み」。これは使用頻度の少ない難解な漢字になればなるほど、その説明が困難を極める事情を、その困惑ぶりも含め見事に浮かび上がらせた発表。漢字文化の持つ奥深さに半ばあきれ、困惑しながら奮闘する姿が興味深かった。スクリーンリーダー用の詳細読みという、注目されることの少ない地味な仕事を黙々と継続しておられる方々には改めて敬意を表したいと思う。
今回の研修会は、午後になりにわかに空が曇り、激しい雷鳴に話が中断することもあったが、終了をはかったように雨も上がり、爽やかな夏の夕暮れとなった。(福山博)
7月28日(土)、戸山サンライズにおいて日本盲人職能開発センター主催の「全国ロービジョン(低視力)セミナー」が、標題のテーマで開催された。当日は、視覚障害当事者・企業関係者・盲学校教諭・施設職員など約250名が参加、様々な立場からの講演に熱心に耳を傾けた。
午前の基調講演では、新井千賀子(アライ・チカコ)杏林アイセンターロービジョンルーム視能訓練士が、同ルームのロービジョンケアの取り組みを事例を交えて紹介。その上で、現在直面している3つの課題について、1.特に進行性の疾患を持つ患者は、強い不安を抱えることが多い。そのため、メンタル面のサポートができる臨床心理士のような専門家の存在が必要である。2.リハビリを受ける際、休職するのではなく、仕事を続けながら行いたいというニーズが増えてきている。しかし大半のリハビリ施設が入所型であり、ニーズと現状のギャップが出てきている。3.補助具を使えば読み書きできる視力が十分にありながら、点字や、音声によるパソコン操作の訓練を受けている例がある。ロービジョンケアのさらなる普及が必要である、と述べた。最後に関係機関との早急な連携の必要性を強く訴え講演を締め括った。
「複眼的に見る、視覚障害者雇用」と題された午後のパネルディスカッションでは、実際に企業で働く視覚障害者とその上司が、それぞれの立場から発言した。
ライオン(株)お客様相談室に勤める平塚秀人(ヒラツカ・ヒデヒト)氏は、専門学校に通っていた1988年の秋事故で失明、全盲となった。現在の東京都視覚障害者生活支援センターでの1年間の生活訓練、職能開発センターでの2年間のテープ起こしの仕事を経験した後、1992年ライオンに入社、現在は視覚障害者への製品情報の提供や、一般のお客様から寄せられるEメールへの対応などの仕事をしている。平塚氏は、「自分を理解してもらえるように積極的に働きかけ交流することが大切。3年前から作っている『さわってわかる歯みがきの本』も、視覚障害者への情報誌として何かいいものはないかと他部門へ相談に行ったことがきっかけだった。最終的には広報部や、他社をも巻き込んだ大プロジェクトとなり大変よい仕事ができた。それが自分の大きな自信にもなった」と述べた。また、高倉孝生(タカオ)相談室長は、「以前視覚障害者を採用したが1年半ほどで辞めてしまった経緯もあり、平塚さんの採用の際社内には消極的な意見もあった。しかし、最終的には彼の意欲や明るさ・忍耐力といった人柄が決め手となり採用となった。これからも能力の開発や職域拡大を図りつつ、ライオンで働いてよかったと思えるような仕事をしてほしい」と述べた。
(株)サイゼリヤ人事部で働く相馬久弥(ソウマ・ヒサヤ)氏は、2003年に同社に入社。しかし、昨年1月視神経炎によって突然失明した。その後視力は右0.1・左0.08まで回復したが中心暗点が残った。同年5月に病院を退院した相馬氏は復職を考えるが、その条件として会社から一人で通勤できること、パソコン操作の技術を身につけることを提案された。相馬氏は持ち前の積極性を発揮して自ら情報を集め、東京都盲人福祉協会をはじめ様々な視覚障害関係施設をめぐり歩行とパソコン技術を習得、その年の12月、驚異的な速さで復職を果たした。相馬氏は、「復職する前と比べるとできない仕事も多いが、できない事をできないとあきらめるのではなく、どうしたら自分にもできるか創意工夫している。これからも夢や目的を失わずに前向きに仕事に取り組みたい」と話した。また、織戸実(オリト・ミノル)人事本部長は「復職の際の条件を見事にクリアした彼に当社で働きたいという強い意欲を感じ、なんとか復職させたいと思った。彼の性格やコミュニケーション能力、前向きな姿勢を考え、採用の仕事を担当してもらう事にした。これまでの社員経験を生かし、よい仕事をしてほしい」と語った。
パネルディスカッションでは、社内理解の促進や環境の整備、サポートなどに努め雇用責任を果たそうとする企業側の話も聞かれ、雇用問題が少しずつではあるがよい方向に進んでいることが感じられた。その一方で適切なロービジョンケアが受けられず当事者の熱意や努力がなければ必要な情報すら得られない現実もある。情報の提供や機器の紹介、リハビリ、そして病院から他の施設への橋渡し役を担うロービジョンケアの更なる普及が待たれる。(成瀬有希子)
筑波技術大学保健科学部(学部長一幡良利教授)が、音頭をとって現在組織化を進めているアジア視覚障害者マッサージ指導者ネットワーク(AMIN)結成に先立ち、その日本側教授部門ともいうべき組織がこのほど結成された。アジア各国に派遣する医療按摩指導者人材バンク(BMIN)がそれで、設立の第1回会議は7月21日、東京都千代田区の「アルカディア市ヶ谷」(私学会館)にて、40名余りの関係者を集めて開催された。
結成の中心メンバーの一人である形井秀一筑波技術大教授は、「アミン(AMIN)は、昨年(2006)より日本財団の財政的支援を受けて、5年計画でアジア地域の意欲ある視覚障害者に日本の医療按摩等を教え視覚障害者の職業自立の一助にしてもらうことを目的に設立を目指している。それのみならず、アミンは韓国や中国などの手技療法先進地域との交流を通じて日本の按摩業界の活性化を図るものでもある。ビーミン(BMIN)は、その目的を達成するために結集した専門技術者集団であり、営利を追及しない、完全にボランタリーな組織である」と設立趣旨を紹介した。
続いて登壇した長岡英司筑波技術大教授は、「IT技術の習得は、視覚障害者にとって医療按摩の学習において、読み書きのみならず、インターネットによる情報収集等が不可欠であり、卒業後の職業自立においても重要である」と前置きし、「これからインストラクターとして医療按摩を普及される先生方には、文字の読み書きを含めた広い意味でのITの講習もお願いしたい」と要望。また、「ラオス国内には点字プリンタが3台しかなく、教材作りも困難な状況だが、カンボジアには日本財団の支援等でピンディスプレイもあり、教材作りも比較的スムーズに運んでいる。アジアは、国や地域によって状況が極端に異なるので、各ニーズに合ったきめ細かな支援が必要」と本年3月に調査訪問した両国の状況をも併せて報告した。
参加者から、「ビーミンの現地での活動は、短期滞在型なのか、それとも、3ヶ月から1年といった中・長期間の講習を念頭においているのか。それによって派遣できる人材が限定されるのではないか」との質問が出た。
これに対して、形井教授は、「日本での長期間の実習は人員的に可能。現地での講習は短期間が現実的だが、可能であれば中・長期の講習も検討したい」と答え、「中・長期派遣対象者は理療科教員退職者、理療科教員養成施設を終了し、盲学校等に就職する前に海外で経験を積みたいという人、実績のある臨床家を念頭に考えている」と述べた。
この件に関しては、午後に行われた討論でも中心的な議題の一つとなった。「短期間の派遣であっても現役の教員は学校長や教育委員会の理解が得られないかぎり、ビーミンの活動に参加しづらい。アミンならびにビーミンが、盲学校長会や文部科学省に会の活動をアピールして、現役の教員であっても参加しやすい環境を整えるべきだ」という意見が出された。これに対して、理教連の緒方昭広会長は「理教連としても盲学校長会へアミンやビーミンの活動を紹介して、現役の教員が参加しやすい環境を作るように努力したい」と協力を表明した。
結成メンバーの一人である藤井亮輔筑波技術大准教授は、「アミンでは今年度中に再度ラオス、カンボジア両国を訪問し、医療按摩の講習会を開催する予定で、この他、モンゴル、ベトナム、マレーシアからも講習会の要請があり、現在調整中」と述べた。また、「日本語の講習会用テキスト『アジア視覚障害者のための医療按摩標準テキスト』も完成したので英訳版を早急に作成し、将来的には現地医科大学等と連携して現地語訳の発行も予定している。また、来たる10月23〜25日の日程でアジア視覚障害者マッサージ指導者ネットワーク(AMIN)の設立総会を東京で開催するための準備を進めている」と述べ注目された。
そのためには、まず基盤となる日本側インストラクター組織であるビーミンの組織固めと共に、アミン結成に至る理教連等の動向にも注目したいものである。(戸塚辰永)
ロシア政府保健社会開発局、全ロシア盲人協会中央委員会、クルスク音楽大学は、標記の音楽コンクールをロシア南西部の都市・クルスク市(注)の同大にて2007年11月13〜16日の日程で開催する。コンクールを主催する組織委員会は、ロシア国外からの演奏希望者を現在広く募集している。長年にわたりヘレン・ケラー記念音楽コンクール(音コン)の審査員を務めるヴァイオリニストの和波孝禧氏は、同コンクールを音コンの延長線上の腕試しの場に位置づけており、日本の若手視覚障害演奏家の参加を呼びかけている。和波氏を通じて当協会に英文の要項が主催者から届いたので、ここにその概要を紹介させていただく。
同コンクールの目的は、芸術性に優れ、見事な演奏を完成させることにより、視覚障害者の積極的な社会参加、リハビリテーション、交流をはかることと、有能な視覚障害演奏家を発掘・支援し、ロシアにおける音楽文化の発展を目指すこと。また、当日の様子は、ロシア各メディアで報道され、視覚障害者への理解を訴えるという。
コンクールの参加資格は、プロの演奏家あるいは音楽教育機関の学生で、35歳までの視覚障害者に限られる。審査は、12〜15歳の少年の部、16〜20歳の青年の部、21〜35歳の成人の部の3部門。なお、年齢はコンクール開催時の年齢とする。コンクールは、予選の第1ラウンドと本選の第2ラウンドで行い、予選は50人、本選は最大12人の演奏者を予定している。また、審査対象は「ピアノ」、「ボタンアコーディオン・アコーディオン・ドムラ(ロシアの弦楽器)・バラライカ・ギター」、「管楽器」、「打楽器」、および「声楽(成人の部のみ)」。ちなみに、入賞者には賞状と賞金(大賞1万5,000ルーブル《およそ7万円》、など)が送られる。
参加希望者は、氏名、生年月日、医師の診断書、専門の楽器、音楽教育機関の名称および受講期間、予選・本選での演奏曲目、伴奏者の有無をコンクール組織委員会へ10月1日までに提出する必要がある。ただし、伴奏者を用意できない人にはクルスク音楽大学が伴奏者を提供する。書類審査の上、参加決定者には10月30日までにコンクール組織委員会から参加者リストが郵送される。
プログラムは、コンクールの他に、上級者へのレッスン、会議、視覚障害児への音楽指導についてのディスカッションなどが企画されている。なお、参加費は3,000ルーブル(1万4,000円)、現地までの旅費、滞在費等は別途自己負担。
課題曲等詳細について知りたい方は、当編集部へ電話か、Eメール(tj@thka.jp)でお早めにご連絡ください。(戸塚辰永)
(注)クルスク州の首府人口40万人、盲目の詩人ワシリー・エロシェンコの生地でもある。
酷暑お見舞い申し上げます。熱中症で死人も出ているので、残暑とはいいにくいのです。水分を補給し、ご自愛ください。
「あみんも最近再結成したし、ちょうどいいよね」と触読校正者が軽口をたたいていたのは、本号の「医療按摩指導者人材バンクが発足」の記事を校正しながらのことでした。私は芸能界にはとんと疎いのですが、ここでいうあみん(Aming)とは、今から25年前の1982年に「待つわ」が大ヒットした女性デュオのことです。AMIN(アミン)命名にあたっては、当然この女性デュオが念頭にあったことでしょうから、これも縁なのかも知れません。今年の10月のAMIN結成が期待されます。
今回の「知られざる偉人」は、筆者も面識があったためか特に力が入ったようで、気がついたら通常より1ページ多めでした。本来なら容赦なく削除してもらうのですが、夏休み直前の慌ただしさと聞き武士の情けです。ところで、現在のネパールでは点字理数記号にネメスコードを使っていますが、これは平成6年(1994)にNAWB事務局長が当協会で研修を受けた際に、私がいわば押しつけたものでした。ということで、私にもネメスコードには格別の思い入れがあります。(福山)
日頃お感じになっていること、本誌の記事に関するご意見やご感想を点字1,000字以内にまとめ、本誌編集部(tj@thka.jp)宛お送りください。