本誌『点字ジャーナル』は、創刊以来毎月20日を発行日としてまいりました。しかし、この発行日を厳守することが今日、極めて困難な状況にあります。本誌の編集にかかる作業が、各地方自治体から受託している点字広報の毎月15日発行分の校正作業と重なるためです。とくに、発行日が休日にかかると、発行を前倒ししなければならないため、一挙にその負担は増し、従来よりその対応に苦慮してまいりました。
一方、地方自治体の経費は毎年節減する方向にあり、しかもサービスの質は落とさずむしろタイムリーに発行するという方針の下、自治体からの原稿提出と発行日との期間は年々接近しております。そして、委託発行費も過当競争のあおりで、長期低落傾向にあります。それに追い討ちをかけるように、点字図書・雑誌の購読者も、いわゆる点字離れのため減少しており、点字出版業界の経営を圧迫しているのは皆さまご承知のとおりです。
業務の集中をできるだけ避け、適切かつ合理的に人員を配置するためには、勝手ながら『点字ジャーナル』の発行日を5日遅らせていただきたく、ここにお願いする次第です。
つきましては本来6月20日に発行すべき次号から、発行日を25日にさせていただきますので、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
『点字ジャーナル』の題字下と墨字表紙の下部には、これまで「この紙はリサイクルできません」と表記してまいりました。しかし、これは当方の誤解による間違いで、まったく問題なくリサイクルできていることをこのたび確認致しましたので、ここに訂正して、以後この一文は削除いたします。
このような間違いが長年放置された理由は、各古紙回収業者や各地の清掃事業者の誤解に基づく説明を鵜呑みにしたためでした。以前の古紙相場が低迷していた時代は、固型点字だけでなく一般の「エンボス点字」も、各地において回収拒否に遭っています。それは墨字雑誌等と比べかさばるため、トラックの積載量が減り敬遠されたためです。その際もっともらしい理由として、固型点字は塩化ビニルが含まれている点字インクを使っているので、リサイクルできないといわれました。しかし、実際は固型点字を印刷した紙は、毎日新聞社早稲田別館が契約する古紙回収業者に問い合わせたところ、従来から段ボール等と一緒に古紙溶解機(パルパー)において、ゲル状になった段階でフィルターを通して点字インク部分は除塵しており、まったく問題なくリサイクルされていたのです。当方の認識不足のため、長年誤解をあたえる表記をしていましたことをここにお詫びいたします。
なお、現在でも古紙回収業者等に引き取りを拒否されてお困りの方は、必ず当編集部宛に事前連絡の上お送りください。当方で責任をもってリサイクル致します。
《本誌先月号で、「これからの理療科教員養成の在り方を考える」と銘打った3月28日の筑波技術大学(以下、技術大)の公開シンポジウムをレポートした。このシンポジウム散会後、同大食堂で参加者による交流会が開催されたが、その席上、大沼直紀学長は「この構想(藤井プラン)に対して世論の支持があることを、今日のシンポジウムで確信しました」とあいさつし、理療科教員養成課程(以下、養成課程)の設置に強い意欲を見せた。実際にこの日のシンポジウムは、総論としては賛成という声が圧倒的で、識者からの注文はあったが、反対という声はまったく聞こえなかった。それでは、養成課程の設置に課題はないのかというと、まさに越えるべきハードルが幾重にも前途に待ち受けており、その克服の道筋を示したのが実は藤井プランともいえる。養成課程を正規ルートにのせることは盲界あげての悲願だけに、この問題をより深く掘り下げるために、技術大藤井亮輔准教授、筑波大学理療科教員養成施設(以下、養成施設)吉川惠士施設長、横浜市立盲特別支援学校神崎好喜主幹教諭、視覚障害者の高等教育のあり方を考える会大橋由昌代表に語り合ってもらった。司会は本誌編集長福山博》
本誌:藤井さんと吉川さんはシンポジウムにおける指定発言者で、当事者として最前線に立っている方です。一方、神崎さんと大橋さんは当日フロアにおられさかんに質問の手を挙げておられました。神崎さんには当方の期待としては当事者以外の盲学校代表として、大橋さんには筑波技術短期大学(以下、短大)設立時からの因縁浅からぬものがあり、批判的な視点も必要だと思い参加してもらいました。それでは、まず大沼学長が命名したいわゆる「藤井プラン」について、本誌前号の記事を補足する意味も込めて、簡単に藤井さんからご紹介ください。
藤井:これはまず学内のコンセンサスを得るために作った素案ですが、なにも私1人の案ではなくて保健科学部の中に昨秋できたワーキンググループの最終案です。骨子は短大から大学になったことで理療科教員養成の環境が整い、保健科学部の上に2年課程の専攻科を置いて、理療科教員免許状を出すようにしたということです。一方、盲学校専攻科を卒業した人たちが入れるように、学部の横に特別別科という2年課程を置く。これは編入学ができるまでの過渡期的な措置です。ただ、これには2つ問題があり、一つは養成施設との競合で、これについては養成施設や筑波大学と協議をします。二つめは授与する免許状の問題です。本来、専攻科では専修免許状を出せるわけですが、特別別科では専修免は出せません。したがって、当面は別科にあわせて専攻科も1種・2種にせざるを得ないという問題です。その意味でもなるべく早い時期に専攻科ないしは教職修士に一本化できるような環境整備をする必要があります。
本誌:養成施設とは完全に競合するし、平行してはあり得ない。筑波大学には養成施設のバックになる学科がなく、正規ルートにのせられなかったが、技術大にはそれがあるので統合できないかということですね。
吉川:養成施設は1903年にできましたので104年の歴史があります。戦後、形としては指定教員養成機関ですが、これは本来臨時的な措置で、非常に不安定なものなのです。教員養成は本来は学部学科ですべきですが、それが盲学校の理療科教員の場合はできませんでした。日本の教員養成は教員養成学部で養成するのと、一般の学部学科で国語や社会科などの免許状を出すという2通りの方法があります。筑波大学では教員養成学部は作らない方針なので、養成施設のバックとすべき学部は医学部か、体育学部か、しかしそのどちらも現実問題としては難しい。それでは心身障害学系かというと、そこは小中教育の研究者中心なので職業教育は難しい。そういう意味では技術大ができましたので、文学部で国語の免許を取れるような形が可能になったのです。教員養成は専門スタッフの周りに関連領域のスタッフが大勢いて、何重にも取り巻くことによって、教員および教育の質を確保していますが、そういう意味でも養成施設は難しいのです。いずれにしろ、養成施設の将来像については、筑波大学の中にワーキンググループを作って現在検討しているところです。
本誌:先のシンポジウムで、神崎さんもさかんに手を挙げておられました。しかし、結局時間切れになりましたが、どんな質問だったのですか?
神崎:技術大は視覚・聴覚障害者に特化した国立大学ですね。私は理療科教員の中に晴眼者がいることはいいことだと思っています。ただ便利ということでなく、健常者の理療科教員を通じて盲学校と社会の双方が互いを知り合う、ある種のノーマライゼーションという意味でも必要なのです。しかし技術大で晴眼者の教員をどのように養成できるのか? 二つめは、シンポジウムで特に香川先生とか皆川先生が言われた、特別支援教育の中で理療科だけでなく自立活動にも長けた教員になって欲しいという意見がありましたが、はたして技術大の2年間のコースでそういった教育を含めて対処できるのでしょうか? 私は1973年に養成施設を卒業しましたが、点字以外に、当時「養訓」といったいわゆる自立活動は習いませんでした。
本誌:現在、養成施設には晴眼者が何人いますか?
吉川:20人中4、5人かな。成績で入れるので3分の1弱ですね。
藤井:一つめの晴眼者の問題ですね。まずこの前のシンポジウムで出した案の中には晴眼者のことは触れていません。総論に晴眼者のことを入れると議論が頓挫してしまう懸念があったためです。したがってこれは私見ですが、短大開設時に国会で「視力0.3未満の人たちを対象にする」という足枷があり、それが生きているので学部に晴眼者を入れることはできません。ただこれが学部の上の専攻科あるいは大学院修士になると話は別で、また一からの議論だろうと思います。私個人としては今の養成施設のやり方を踏襲するべきと考えています。自立活動については学校教育法が変わり、盲学校も法律上特別支援学校になり、理療科教員の免許も「自立教科教諭」に変わり、自立活動に関しても16単位が入っています。だからやらなければならない。「国会答弁」としてはこうなりますが、個人的には理療科の専門性が形骸化されるので、理療に特化した教員養成にすべきだと考えています。
本誌:本誌の編集長でもあった阿佐博先生は、以前は理療科の教員で、附属盲では養訓も教えておられましたが、ああいうケースは稀なんですか?
大橋:結構いますよ。現在でも情報処理関係ならとらばーゆしたい人がたくさんいるじゃないですか。
神崎:理療科の教員枠の中から引き抜かれて、盲学校経験が長いのだから他学部や一般校の視覚障害者を対象にセンター機能を担えというなら、「理療科の学生を犠牲にしてまでやりきれない」とはっきり言う必要があります。あくまでも理療科の生徒を対象にしたピア・エデュケーションであり、ピア・カウンセリングだったらわかりますけどね。
藤井:以前に行った調査で、免許を取ったけど自立できない視覚障害者が多い。まさにそういう人たちへの支援が、理療科がはたすべき特別支援の在り方だと思います。
吉川:盲学校は従来、理療科よりも普通科の方が優秀だと言われてきましたが、今は逆です。理療科がないと盲学校は独立を維持できないので理療科に頼りすぎています。
本誌:特に地方の盲学校では小学部に1クラス2人しかいなくて1人が重複、中学部まで含めても生徒が少なくて、専攻科を含めてなんとか学校の面目を保っています。横浜市盲はどうですか?
神崎:120人おり、なんとか学校の体をなしています(笑い)。しかし、他校では専攻科も関わらないと学校行事が運営できなくなっているのも事実です。
本誌:大橋さん、大沼学長とも親しくお話をされておりましたが、教員養成に関してもまた反対の旗を振りますか?(笑い)
大橋:藤井プランは一言で言うと問題先送りプランだと思います。具体的に言うと特別別科を作ることで、理療科の先生方は一応納得するでしょう。ところが技術大の方で大学院の前に専攻科や研究科を作って、これらが将来的に大学院になる。そうすると教員免許の格差は生まれ、必ず先行き問題になります。改革をするのだったらある程度血を流す覚悟で、きっちり合併すべきなのです。また、全国の盲学校の理療科を今までの位置づけでいいのか、支援教育概念から理療教育ははずれています。盲学校の高等部理療科から1ランク上げない限りは話になりません。藤井さんの力でねじ伏せて技術大一本の方がすっきりします。神崎さんがおっしゃった晴眼者の入学については、僕の立場では非常に問題だと思います。古い話ですが、佐藤泰正<ヤスマサ>短大創設準備室長とやり合ったときに、彼が口を酸っぱくして「これは視・聴覚障害者に特化した短大であって、たとえ全盲の学生だけでも、何の不便もない」と言っていました。それを変えるとなると今までの教育は何なのかということになる。吉川さんも指定発言で、全盲・弱視・晴眼が理療科教員の3分の1ずつだ、ということを言っておられましたが、これは学校運営としては分かります。だとすれば、理教連をあげてティーチャーズ・アシスタント(TA)制度導入を文科省に訴えたらいいんです。晴眼教員を受け入れている一方で、晴眼養成校反対なんて言えないでしょう。普通科の先生のほとんどが晴眼者なんで、その上いまさらの感がありますね。
吉川:特別別科に晴眼者を入れることと、学部に晴眼者を入れるのは別問題ですよ。
藤井:学部に晴眼者を入れるのはあり得ません。誤解があったかも知れませんが、先ほど私が晴眼者を入れるかどうか決めていないと言ったのは、あくまで専攻科の話です。
大橋:僕は大学院にしても明治鍼灸大学もあるのだからその必要性を感じないんです。技術大自体が全国の盲教育をリードするような形にはまだなっていない段階で、晴眼者を安易に受け入れるという発想は間違っていますよ。
藤井:学部というのは、あくまでも按摩鍼灸師を養成する機関で、ここに晴眼者は入学できません。一方、理療科教員養成機関は視覚障害者のための、つまりフォア・ザ・ブラインドなので、枠をはめるなどして、晴眼者を入れても構わないと思います。
大橋:それを言い出すと。養護学校義務化阻止闘争の話になりますが、昔は特殊教育の普通科の先生になり手が少なかった頃、いったん養護学校に入って横転<ヨコテン>で一般校に行くのが一つの図式だったんですね。建前はわかるけどそれが現場の視覚障害者に説得力を持って伝わるかは疑問に思います。
吉川:理療科の教育体制を考えるとき、さっき大橋さんがTAをそろえればいいと言ったけど、それはちょっと違う。教員の中に視覚障害者も晴眼者もいて、教育の質が保たれるのです。今、鍼灸学部をもつ大学は5つありますが、そこでは按摩マッサージの免許が取れないから今でも原則的には教員養成はできません。法律上はあはきの免許を持っているものか、医者でないと理療科の教員免許は取れないので、そういう意味では技術大しか教員養成はできないんです。先ほど教員免許状で格差ができるという話がでましたが、特別別科を出て1種の免許状を持っていれば、大学院修士課程の受験は可能なんです。盲学校の専攻科出身でも特別別科を出て、大学院の修士課程に進めば、専修免許が取れます。
藤井:養成施設も技術大の養成課程もあくまでも盲学校の理療科教員を養成するための機関です。したがって卒業したら盲学校に就職してもらわないと困ります。ところが、今専門学校がたくさんできて、その教員不足を補充する機関になったら大問題ですよね。
大橋:晴眼養成校問題でも盲学校の教員の切れ味が悪いのは、内部に晴眼教員を抱えているからですよ。
吉川:それは違うでしょう。晴眼養成校問題にムキになって反対しない教員もいるというだけの話ですよ。盲学校に晴眼教員がいるかどうかは関係ありません。
神崎:大橋さんが一般の視覚障害者を代表していると考えるとわかりやすいかも知れませんね。しかし、理療科の教員の中に晴眼者がいるから切れ味が鈍っているというのは違います。逆に盲学校の晴眼教員が先頭に立って晴眼養成学校反対を訴えているくらいですからね。また、文字の読み書きのためにいるのかというと、それも違う。視覚障害の教員と晴眼の教員が、補いながらやっている教育活動はいっぱいあるのです。その現場を見れば一目瞭然ですが、それを知らない視覚障害者には、大橋さんのように抵抗を示す人もいるでしょうね。
藤井:先ほど大橋さんがいった、問題先送りで、生煮えのものを出した趣旨を説明させてください。うちの大学で理療科教員養成課程を作るために学長補佐を命じられたのは去年の5月でした。その際の大方針として、この養成課程は視覚障害者全体の資産であって技術大だけのためのものであってはならない。一定程度こちらの案がまとまったところで皆さんの声を聞く必要がある。あまり細かいところまで決めて出すと論点が錯綜する。まずは皆さんの声を聞くために1年目の区切りとして第1回目のシンポジウムを行い、学長補佐の仕事はこれで終わったのです。したがって当然生煮えで、問題先送りなのです。これから晴眼者を入れるか、養成施設との協議、免許の問題などはこの5月に立ち上がる予定の設置準備室の仕事になります。
吉川:ちょっと藤井プランを確認したいけど、最終的には修士課程ということですね。とりあえずのステップとして、特別別科と特別専攻科を置き、どちらも2年課程で1種免許状を取れると言うことですね。
藤井:そうです。特別別科はいつまでもだらだらと置いておくものではない。環境整備をした上で特別専攻科を経て教職修士に一本化すべきです。その環境整備はまさに盲学校専攻科の問題なんです。理療科の単位をなんとか大学の単位に認められるようにしなければなりません。単位が認定されたら3年生に編入し、専攻科に進むという道筋ができます。
本誌:そこで確認ですが、特別別科は筑波大学の養成施設と同じものですか?
藤井:全然違います。今の養成施設は悲しいかな、どの法律にも基づいていません。指定教員養成機関という、施行規則にあるだけです。一方、特別別科は学校教育法の57条に立脚しています。
吉川:特別別科というのはいくつもあるのです。たとえば看護師の免許を持ちながら養護教諭の免許を取るための課程とかね。
本誌:理療科教員養成施設は、戦前は問題なかったわけですよね。
吉川:普通科の教員免許状も取れたと言うだけで、学制には根拠はなかったんです。
藤井:師範学校は師範学校令という法律があったんです。ところが盲学校師範科あるいは師範部も根っこはなかったから、戦後の学制改革にのれなかったのです。
大橋:大正12年に盲唖学校令(盲学校及聾唖学校令)が公布されましたよね。
吉川:それが根拠です。ただ戦前は、そういう形での教員養成がいっぱいあったのです。
本誌:さっき大橋さんが血を流すといった発言がありましたが、結局この間のシンポジウムでは総論は参加者全員が賛成。しかし、それはとりもなおさず盲学校の専攻科から進学できる特別別科が準備されたからであって、その線がなくなり、学部で教えるということになったら蜂の巣をつついたようなことになるでしょう。
大橋:今の理教連にそんな力はないでしょう。ただ技術大もそこまで練ってくると、盲学校の専攻科から編入できるシステムを作るんですよ。そういう意味では短大創設時の反対運動で大沼学長は煮え湯を飲まされたみたいで、羮に懲りて膾を吹く感じなんじゃないかな? しかし、先送りしてもいつかは統合しなければならないから布石を打ってくると思いますよ。そういう意味では理教連は、なんと言っても高等部理療科をどうすべきかという議論をしっかりやらなければいけないんですよ。
神崎:たしかにそれはリンクした問題なんです。
吉川:話の流れから言うと技術大の学部に入った人の就職先を考えて教員養成を考えるという話になっていますね。しかし、これは逆で、技術大はまだ全国区ではないですね。教員養成があって、むしろ盲学校の専攻科からの学生を集め、全国に配置してはじめて全国区になるのです。
藤井:なぜ技術大が元気がないのか、全国区でないかというと、それは教員養成課程がないからですよ。
吉川:技術大には、「もっとしっかりしろよ」と言いたい。入ってくる受験者の数が少ない、定員に満たない年がある、国家試験の合格率が低いというようなことをきちんとしなければ、教員養成をやる大学としての質が問われるのです。障害者の後期中等教育の専門家はいません。厚労省がやっているのは福祉就労で、納税可能な障害者を養成することはやっていません。そのような専門家を養成するための学問体系を作るのが技術大の使命なのです。
大橋:とにかく分数の計算もできないような学生が入ってくるという噂も聞きますし、来るもの拒まずでは困るでしょう(笑い)。
藤井:そういう意味では技術大だけでなく、養成施設も附属盲も元気がない(笑い)。ここはまとめる方向で悪循環を断ち切って大同団結するしかないんですよ。
神崎:雑司ヶ谷系の3校の問題が出ましたが、盲学校教育と理療教育をどうすべきかということでグランドデザインを描く必要があります。単位互換の問題もさることながら、盲学校もどこかで統合という問題を考えなければなりませんし、盲学校という体裁でいくのか、視覚障害者を対象にした専門学校にするのか。今後20年先を見越して盲学校の教員は何人必要か見極めた上で、本来は理療科教員養成を考えるべきでしょう。
大橋:シンポジウムでも吉川さんがいろいろ説明していたけど、臨時教員の問題。そういうのが、はたして全員盲学校に行っているのか不思議ですよ。ただほんとに神崎さんが言うように理療科定員の定数を決めるのに今のままでは決められませんね。盲学校自体支援教育で揺れているのですから。各校の理療科なりのグランドデザイン、かなり昔から理教連にビジョン懇談会ってあったけど出ていないですね。
神崎:僕も理療科の教員として何年もこの問題を出しているけど、自分の生首がかかっているからなかなか進まないんですよ。
吉川:教員定数の標準法も変わるかも知れないと言われると、計算の根拠がなくなってしまうんですよ(笑い)。僕は来年60歳なのですが、筑波大学の定年は63歳だからまだ大丈夫だけど、一般的には定年ですよ。ここに集まっている人ももうあまり若くない(笑い)。しかし、年寄りだけが元気で、次の連中に何を残すかということを考えないといけない。今まで来たんだからいいんじゃないかという考え方が非常に強いんですね。障害者の団体もあはきの団体もそうです。
藤井:もし仮に養成施設と技術大が合併すれば、いろんな再編や変革のきっかけになるかも知れません。例えば大学の実習機関としてある今の附属盲理療科との関係ですね。
吉川:教員養成をするためには附属学校を持たなければならないですね。ただ、連携すればいけるのかな?
藤井:技術大にはその実習機関がない。そうするとどうなるの? 将来的には技術大と養成施設が合併するときに附属盲との統合の気運が高まるかも知れません。その時に他の盲学校への影響は大きいのではないかと思う。
神崎:そうなると特に首都圏の盲学校は大変な痛手を被ります。
本誌:先のシンポジウムで、総論賛成ということで、大きな流れは決まったと思いますが、これで行くんでしょうね。
藤井:いや、これはあくまでも技術大案に過ぎないので、結局この成否の鍵を握っているのは筑波大学ですよ。
吉川:僕が個人として決められるものではなく、ワーキンググループが結論を出します。今の筑波大学のひとりぼっちの機関から発展するかどうかという瀬戸際です。養成施設は昭和44年から晴盲問わず試験をやって成績順で入れており、これは崩せません。視覚障害者しか入れない特別別科は、どうぞご勝手にという話になるでしょう。ただ、個人的にいうと筑波大学の中でこれ以上の動きはないでしょう。発展を期待して技術大の組織として教員養成を置けば修士にもつなげられ、きれいな一本化ができます。附属の専攻科と合併すれば、入学する学生も増え技術大の足腰もつよくなります。そのためには技術大はあくまでも学問の府ですから、さっき述べたような学問体系を作るということで、それができない教員には出ていってもらえばいいんですよ。(過激だなという声と、笑い)
大橋:急転直下動く可能性もありますね。
藤井:設立準備室ができるということは、公式ルートで動きますよということです。
大橋:準備室ができると、もう否定はできないんです。短大ができるときにそれはよく身に染みました。
吉川:それが違うんですよ。文科省が準備室を決めたら2、3年でできます。しかし、今回は学内で決めた準備室だから違うんです。大橋さんだって間違えたように、そのあたりは陽動作戦でうまいんだよ(笑い)。
大橋:てっきり文科省が認めたものだと思ってました。まんまとはめられたな(笑い)。ところで、一昨年4月の衆議院文部科学委員会で筑波技術短大の四年制化が議論された時に、公明党の池坊保子議員が「日本の教師の質をもっと上げるべきで、四年制じゃなくて修士修了にしたらどうか」とも述べています。大学院も必要でしょう。
藤井:いや、今全国に国立大学は87大学あるんですが、大学院を持っていないのはうちだけですから、それは作らなければいけないんです。
吉川:今養成施設の求人数は1.6〜2倍あり、配当できないから技術大が教員養成課程を作りたいと言ったら、理由が立つんですね。特別専攻科も特別別科も指定教員養成機関ですから、文科省が指定するとできちゃうんです。だからね、筑波大学との交渉が難航して、技術大が文科省と話をして、知らぬ間に作られたら、えらいことだなあと内心思っているんですよ(笑い)。
藤井:そんな荒行はしませんよ(笑い)。ボリス・エリツィンはソ連の幕引きに成功し歴史に名を残したわけですから、吉川さんも歴史に名を残しますよ(爆笑)。少なくともきちっとしたビジョンを出し、コンセンサス作りをやりながらできるかぎりオープンにしていきます。これは盲界共有の財産ですからね。それをしなかったから、短大創設の時に大橋さんたちが反対したのであってね。
大橋:在野の活動家・運動屋の立場で言うと、今回は昔のような反対運動は起こらないでしょうね。理療科の教員の在り方をきれいにするという意味では反対はないですからね。
神崎:理教連サイドとしても自分たちの出身元のことだから、今回のシンポジウムについても盲学校の現場から見た評価・意見がないといけないだろうなあと思っています。
本誌:本日はどうもありがとうございました。
「いやー懐かしい、その節は大変お世話になりました」という読者の方も多いのではないだろうか? 「インターネットで簡単に新聞が読めるようになって、すっかりご無沙汰しています」というのは、本誌編集部の記者。平成10年(1998)には全国に23団体もあった代読ボランティア会が、現在は11団体(実質9団体?)と半減。しかも、サービス時間を絞り込んだり、代読サービスといってもテープに手短に収録したものを提供したりで、事実上の休業団体もある。
そんな中にあって昭和60年(1985)1月に発足した、まさにパイオニアであるNTT東京福祉文化事業団「ゆいの会」(古鉄愛子<コテツ・アイコ>会長)は、利用者減という逆風のなかでも、「細く長く」を合言葉に元気だ。少なくなったといっても、1日あたり15〜20人程度の利用は確実にあり、毎朝、産経新聞を読んでもらう常連もいるのだ。このため、「ゆいの会」で購読している朝日・毎日・読売・日経・東京の各新聞はそれぞれ1部だけだが、産経新聞だけは特別に2部である。
ゆいの会はNTTオペレーターの経験者らによるボランティア会なので、私はてっきり番号案内をしていた人たちだと思いこんでいた。そして、それはけっして間違いではないのだが、一般に電電公社と呼ばれた日本電信電話公社のオペレーター黄金時代は、むしろ市外通話の電話交換業務が花形だったことを、私はうっかり失念していた。
「それはそれは華やかでしたよ。なにしろ若い女性ばかり4,000人もいたのですからね」と懐かしそうに当時を語るのは、昭和36年に電電公社に入社したという、ゆいの会事務局員の高宮悦子<タカミヤ・エツコ>さん、それに大きくうなずいたのは事務局長の小澤信子<オザワ・ノブコ>さん。東京・大手町の逓信総合博物館の向い側に22階建ての高層ビル「アーバンネット大手町ビル」があるが、その片隅に赤い三角形のフレームを組み合わせた塔を思わせるモニュメントがある。その基部には「東京市外電話局誕生の地」と書かれ、その反対面には東京市外電話局の古めかしい外観図が描かれている。この建物は大正12年に竣工した3階建と昭和2年の4階建が連結した構造だ。碑文によると、東京電話交換局が辰の口(江戸城和田倉門外)に開設されたのは明治23年(1890)12月16日で、明治25年(1892)7月7日大手町に移転、「・・・以後、東京市外電話局、東京電話番号案内局として日本の電話交換業務の中心的役割を果たし、昭和62年(1987)8月建物再開発に伴い、その輝かしい歴史の幕を閉じた」とある。
ゆいの会の活動運営は、NTT東京支店をはじめとするNTTグループ会社および関連会社など、多くの企業、個人の皆様からの賛助金によって成り立っている。
取材でゆいの会を訪問した日は、ちょうどコメディアンで俳優の植木等さんが亡くなった翌日だったので、「植木さんが入院していた病院を教えてくれ」という電話がかかってきた。「そんなことまで調べるのですか?」と、驚いて聞くと、もちろんその日の新聞を読むことの方が多いが、一週間ほど前の記事でも、要望にこたえて読んだり、調べたりするという。また、英語の辞書を引いたり、各種説明書や手紙をFAXで送ってもらって読むことも少なくない。
ゆいの会のメンバーは、電話がまだ庶民にとって高嶺の花であった当時から高度経済成長政策により、爆発的に普及する有線電話の華やかな時代を知る人たちである。このため、若かりし頃、厳しく「通信の秘密を侵してはならない」とたたき込まれ、身に付いた人たちでもある。そこで、「安心して手紙などのプライバシーに属するものでも、FAXでお送りください。読み上げたものは、すぐにシュレッダーにかけ、けっして外に漏らすことはありませんから」と言う。このようないわば元キャリアウーマンぞろいであるため、ボランティア活動にもプロ意識がのぞく、少々疲れていても、ヘッドフォンとマイクが一体となったヘッドセットを頭につけると、自然に背筋がのびるというのだ。
「ゆいの会」への朗読の申し込みは電話03-3365-2000、FAX03-3360-2000。受付時間は月曜日から金曜日の午前10時から午後4時まで(祝日、新聞休刊日、年末年始は除く)。メンバーは約60人で、毎日、コミュニケーター(代読者)が3人と事務スタッフ1人の4人体制でサービスを提供している。読み上げるサービスは無料だが、通話料が別途かかる。
以下、所在地、団体名(電話番号)、朗読新聞名・サービス時間等の順。
●札幌:声の新聞(011-842-0110)、朝日・毎日・読売・北海道新聞(道新)・道新スポーツ、平日9時〜13時半
●函館:函館夢塔会<ムトウカイ>(0138-31-2231)、道新(テープ)
●北見:声の新聞(0157-31-0110)、道新、月・水・金の10時半〜13時
●東京:ゆいの会(本文参照)
●横浜:リーディングサービスよこはま会(0467-44-5000)、朝日・毎日・読売・日経・神奈川・スポニチ、月〜土の10時〜15時
●大阪:ともしびの会(06-6445-8371)、朝日・毎日・読売・産経・京都新聞、平日の10時〜16時
●広島:リーディングサービス広島、テープによる新聞見出しの確認(082-249-6255)、新聞見出しで確認した内容の代読(082-249-6234)、中国新聞、月〜土の10時〜12時と13時〜15時
●福岡:こんにちはお話ベル(092-741-3663)、朝日・毎日・読売・日経・西日本、平日の11時〜16時
●沖縄:芭蕉の会(098-858-4444)、琉球新報・沖縄タイムス等(テープ)、平日11時〜14時
※ 年末年始、新聞休刊日は各団体ともサービスを提供していない。
この冬は、世間でも騒がれているように近年稀にみる暖冬だった。暖冬とは12〜2月の気温が平年より高かった場合にこう呼ばれるので、暖冬の東京であってももちろん寒い朝はある。
その日は土曜日で、当協会は休日であるが、僕は出勤しなければならなかった。しかも、朝から篠突く雨で、夜半からは強風が吹くと天気予報は警戒を呼びかけていた寒い朝であった。前日より一段と寒く、気圧のせいか、電車に乗ってみたものの気分は最悪だった。
最寄り駅から協会まで徒歩で約15分かかる。「雨の中歩くのは嫌だなあ」と思ったが、バスは15分間隔でしか走っていないので、待つのもつらい。そこで、めったにないことだが、タクシーに乗ることにした。
幸いにも駅前にタクシーは、列をなして待っていた。しかし、乗るときにちらっと嫌な予感がした。いやに愛想のいいおばちゃんドライバーだったのだ。
一昔前に協会からちょっとした荷物を運ぶためにタクシーに乗ったことがあった。そして、そのタクシーは道に迷い、しかも、その女性ドライバーは、恐ろしいことに地図が読めないと告白したのである。結局、僕が道路地図を受け取ってナビゲーターをしたのだが、結局1時間近くも遅刻し、タクシー代も腹立たしい程高かったのを覚えている。もっとも、そのドライバーは、バックができないとも言っていたので、もっと恐ろしい場面に出くわした乗客もいたのかも知れないので、僕は運のいい方だったのかも知れないが。ところで、そのときのドライバーが愛想だけは抜群に良かったのである。
その時のことを、突然思い出した僕の勘は当たった。「諏訪通りから諏訪町交差点に向かってください」というと、おばちゃんは「はあ」と言ったのだ。道を知らないのである。
僕があっちと腕を伸ばすと、タクシーはためらいがちによろよろと走り始めた。仕方ないので僕がナビゲーターをしたのだが、勝手に曲がろうとして右折のウインカーを出したので、あわてて「違う違う」と大声を出した。右折しても、そこには上り階段しかないのである。ジープならともかく、タクシーでは無理だろう。この一件で彼女はもうすっかり依存体質となり、道なりにと言っても、細かく右ですか左ですかと聞いてくる。少し注意してみれば、反対側に行けないのはわかるはずなのである。道がないのだから。
タクシーには、ナビゲーションシステムが付いていたが、まったく使っていないらしく、画面のタクシーは、無惨にも道路をはみ出して走っていた。恐らくこのおばちゃんも地図が苦手なのだろう。地図が読めないと、どうやらナビゲーションシステムも豚に真珠らしい。世間にはこの手の勘違いや間違いは多いのだろうが、彼女は絶対就いてはいけない仕事に、就いたのである。
冷や汗をかきながら、無事タクシーが毎日新聞別館前に乗り付けた。運転手は「水たまりがあります。足下にお気をつけてください」と、妙な所では注意深く、親切である。しかし、僕はやや憮然と「おつり」とだけ言った。
すると、「いただいたのは千円札でしたか、5千円札?」と小さい声で言って、おろおろしている。お札をもらったら、すぐにおつりを渡さないから、こうなるのである。(福山博)
座談会「理療科教員養成の在り方を考える」は4月25日(水)午後7時から当点字出版所の1階会議室で、午後9時近くまで白熱した議論が交わされました。丁々発止と渡り合う中には怒声や爆笑も混じり、実況中継をやったら「さぞかし受けるだろうに」と思うのですが、残念ながらそうは行きません。盛り上がったところで、「今の話はここだけの話」とか、「オフレコ!」の声がかかるのです。しかし、いくらか最終調整は行われたとはいえ、その議論の熱は充分伝わるのではないかと思います。
席上、藤井先生が強調されているように、理療科教員養成課程は筑波技術大学だけのものではなく、視覚障害者全体の資産であると思います。そういう観点から、今後ますます建設的な議論が進むことを期待し、その一助とするためにも、この座談会は4名の参加者のご快諾を得て、当協会のホームページ(http://www.thka.jp/)でも公開することにいたします。こちらもご覧ください。
今月号から当協会石原尚樹点字図書館長による、連載を開始します。お察しの通り毎日新聞社のOBで、当協会の理事や広報委員長も兼務しています。(福山博)
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