THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2007年1月号

第38巻1号(通巻第440号)
編集人:福山 博、発行人:迫 修一
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp
―この紙はリサイクルできません―

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「輓曳<バンエイ>競馬」

 車やソリをひかせる馬・輓馬<バンバ>が、騎手を乗せた最大1tの鉄製ソリを曳行(引っ張って行く)するのでこの名がある。サラブレッドの2倍近い体重のペルシュロン種やブルトン種など欧州原産の重種馬が、200mの直線コースで2カ所の障害を乗り越え競争する。明治末期から農耕馬で行われてきた「お祭りばんば」が発祥とされ、北海道独自の馬文化の1つとして北海道遺産に選定されている。1946年に公営化されたが、バブル崩壊後の景気低迷や、公営ギャンブル人気の低落で入場者がピーク時の65%に落ち込み、その存続が危ぶまれていた。しかし、ここにきてインターネット上で地方競馬の勝馬投票券の購入・払い戻しや全レースのライブ配信を行っている「ソフトバンク・プレイヤーズ」の支援で、一転して存続が決まった。

目次

(新春インタビュー)この春退官される鳥山由子教授に聞く
 ―― 危機的視覚障害教育に処方箋はあるのか?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
(特別寄稿)私のふれたスウェーデン(日比野清) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
ヘレン・ケラー記念音楽コンクール ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31
リレーエッセイ:ハンドサイクルで走ったフルマラソン
 ―― 仲間と切り開いた道(中王子みのり) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
感染症研究:海外渡航先で感染症にならないためにワクチン接種をしよう ・・・・・・・
36
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
41
知られざる偉人:視覚障害者の教育と雇用の発展に尽くしたR.レズニック ・・・・・・
44
コラム・三点セット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
48
大相撲:和製ホープ誕生・豊真将 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
51
『演歌’06』『ポップス’06』カラオケ歌詞集発行のお知らせ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
ブレーメン:ナチス・ドイツ時代の盲人たち ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
時代の風:補正予算措置で自己負担を軽減、ノロウイルス大流行、
 障害者雇用の指導強化、鍼灸の教育研究会が設立、今春森ノ宮医療大学開学、
 地デジ全国化、イスタンブール読書と作文の罰則 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
伝言板:留学生と新年会、「柳宗理と出西窯」展、
 国際セミナー「ソーシャル・ファームに対する支援」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
61
編集ログブック:読者より(田中邦夫) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63

(新春インタビュー)
この春退官される鳥山由子教授に聞く
―― 危機的視覚障害教育に処方箋はあるのか?

 《本年(2007年)4月から学校教育法の改正に基づき、特別支援教育が開始される。そこで本誌は、筑波大学附属盲学校等において長年実際に視覚障害教育に携わってこられ、その後筑波大学に転じてからは、特別支援教育のシステム作りにも尽力された鳥山由子筑波大学教授(心身障害学系)にインタビューした。
  先生は特別支援教育開始直前の3月末日をもって定年退官されるので、まずこれまで携わってこられた理科の視覚障害教育を振り返っていただき、併せて特別支援教育に対する考えや、視覚障害教育の展望等についてうかがった。
  インタビューは11月11日(土)、東京・茗荷谷の筑波大学東京キャンパスの附属学校教育局次長室を訪ねて行った。取材・構成は、本誌編集部戸塚辰永》

東京から愛知へ

 本誌:まず、本題に入る前に鳥山先生の職歴や現在の仕事についてお聞かせください。
 鳥山:昭和37年(1962)に都立富士高等学校を卒業し、同年4月に筑波大学の前身である東京教育大学教育学部特殊教育学科に入学しました。高校入学時から盲学校の教員になりたいと漠然と思っており、そのためにはどこの大学に行ったらいいのかなと思って進みました。ところが入学すると、同大の特殊教育学科は、全国の大学にある特殊教育学科の教員や研究者を供給する目的で設置されたと聞き、ひどくがっかりしました(笑い)。しかし気を取り直し、昭和41年(1966)に卒業して、すでに婚約しており、相手が愛知県で教員をしておりましたので、愛知へ行きました。その頃は、今と違って盲学校の教員になって数年で転勤させられることはありませんでした。そこで、最初から盲学校に勤めるよりも普通の学校を見てから盲学校へ行った方がいいだろうと普通学校を希望し、愛知県の中学校で初めて特殊教育学級ができるという知多郡〈チタグン〉の横須賀町立(現東海市立)横須賀中学校に任用されました。面接の際に最初から担任を受け持って欲しいといわれたのですが、初めてできる特殊学級の担任を学校の様子も分らない新人が背負って上手くいくとは到底思えないと言って、よく慣れた先生が担任になってくださればいっしょにやりますって条件をつけました。こうして、1年目は学年主任を予定していた先生が特殊学級の担任になり、私が副担任になり、2年目からはその学級を担任し、昭和42年(1967)から44年(1969)の3月までその学校に勤務しました。やはり、視覚障害教育をやろうと思ってきたので、3年たった時点で盲学校へ移動したいと申し出ると、盲学校は県立なので県の採用試験を受けなければならないと言われました。そして中学校側は、採用試験を受けるのは禁止しないというので、県立高校の教員試験を化学で受けて合格し、それ以来化学を教えるようになったのです。愛知県立岡崎盲学校を希望して、同年4月に配属されて6年間教えました。当時、高等部には生物の教員はいましたが、それ以外の理科科目は、全部私一人で教えました(笑い)。

中学生くらいまでにやれば、みんなができる

 本誌:視覚障害者の化学実験の方法を工夫され始めたのも同校だったのですか?
 鳥山:そうです。最初、中学生を教えたのですが、中3の子どもたちは0.02くらいの視力があり、ちょっと手をとって説明するだけで理解しました。けれど中2の子は全盲や光覚の人たちで、駒込ピペット(注)を渡しても、手に持って触ってにこにこ笑っているだけでした。後から聞いてみると、これまで実験は弱視の子だけがやって、全盲の子はただ座っているだけだったので、珍しかったようなのです。これは大変なことだと思って、実験器具の使い方の練習をしようかと生徒たちに提案したら大喜びでした。その頃の岡崎盲学校は、交通が不便で学校が始まるのが8時40分頃でしたが、寄宿舎にいる子どもたちは朝7時には起きており時間を持て余していました。そこで私が少し早く来て、始業時前に駒込ピペットなどの使い方を順番で教えました。方法さえ習得すれば全盲でも実験ができるものだと思っていましたが、岡崎盲学校で学んだことは、実験の前に基礎的な練習をしなければできないということでした。これは私の信念ですが、理解する力は個人によって歴然としてありますが、道具を使うことは、大抵の人ができます。例えば、はさみを使うとか、物差しを使うとか、ガスバーナーに火を着けるとか、そういうことは年を取ってから練習したのではなかなかできませんが、中学生くらいまでにやれば、みんなができるのです。
  本誌:その岡崎盲学校を、なぜお辞めになったのですか?
  鳥山:当時、私の理科実験について知った教育委員会が研究紀要に論文を執筆するようにいってきたのですが、そういうことをしていると、将来管理職に登用されるのです。当時の愛知県では県教委と日教組が激しく対立しており、ストライキに参加した組合員には履歴書に残るような厳しい処分が下されました。私は、管理職も組合活動も希望するところではなかったのですが、このまま静かに理科の一教員として、はたしていつまで続けていけるのか、とても不安に思っていました。
  本誌:それで上京されたのですね。
  鳥山:附属盲学校をはじめ東京の理科教育関係者から「機会があれば戻って来い」と事あるごとにいわれていました。それに、私もそれらの方々に教えを請う立場でしたので東京へ行きたいと常々思っていました。しかし、夫も愛知県で教師をしており、私だけ移るわけにも行かず半ば諦めていました。ところが、東京都で高校教員の採用試験があって、夫は組合のストライキにも真面目に参加していたので、だめもとで受けたのです。ちょうど美濃部都政の頃で、自分で書いた履歴書でいいということで合格し、都立高校に採用されました。ただ、私はちょうど2人目の子どもが生まれる予定だったので、新しい職場に就くことは難しく、それで、その年は附属盲学校の理学療法科で非常勤講師として週2時間物理を教えながら、後の時間は毎日理科の授業を見学させてもらいました。とくに、中学1年の生物の授業は、前期に植物、後期に動物の骨を観察するというものでした。目が見えれば顕微鏡を使って観察することができますが、目が見えない子どもたちは、それができないので、顕微鏡に代る観察手段、観察方法がないかと思案して、当時附属盲学校で生物を教えておられた青柳昌宏<アオヤナギ・マサヒロ>先生と指導法を編み出しました。9年間も盲学校の理科教師をしてきた私のようなものがいつも見学しているのは、普通だったら嫌ですよね。けれど青柳先生は、それをバネにして「盲学校での新しい生物教育をいっしょに作ろう」とおっしゃってくださいました。ちなみに、この授業は現在でも附属盲学校で受け継がれています。こうして、附属盲学校で非常勤講師として勤務した後、都の教員採用試験を受けて、盲学校を希望したんですが、空きがなくて北区立十条中学校で普通の理科教師として2年間教えました。いま特別支援教育の時代になってそこでの経験が役立っています。当時の十条中学校は、校内暴力が下火になったころで、そういう子どもたちもきちんと教えれば、ちゃんと勉強するのです。その後、昭和53年(1978)から附属盲学校に移り、平成10年(1998)まで約20年間化学を教えました。

筑波大学へ

 鳥山:私は大学教員としてのトレーニングを積まないまま筑波大学へ行くことになったので、最初のうちはいろいろと苦労しました。しかし、8年経った今、大学での教え子がたくさん盲学校の教員になっているのですね。そういう意味では良かったと思います。また、附属盲学校と筑波大学との繋がりも良くなり、学生たちがしょっちゅう盲学校に行って見学したり、夏季学校でボランティアをしたりするなど日常的に交流できるようになりました。
 本誌:先生の現在の肩書きですが、教授の他に、附属学校教育局次長という役職に就いておられますが、具体的にはどのような仕事なのですか?
 鳥山:以前から附属学校を統率するために筑波大学には学校教育部という部署がありました。しかし、平成16年度の大学法人化により学校教育局という名称となり、附属学校11校における教育委員会の役目をする組織として独立しました。その際、局長から障害学系から一人次長にしたいとの要望があり、私がちょうどはまり役ということで、引き受けたのです。次長の役割としては、第1に、筑波大学には障害児教育を担当する附属学校が5校あり、これらの学校に関して局長に助言し、補佐します。第2に、大学と附属学校との連携システムを構築するために、大学附属学校連携委員会を作り、私が委員長を務めています。第3に、これまで国立大学には、附属学校からの推薦入試がありませんでしたが、法人化により可能になったので、高校と大学の教育をつなげる研究的な観点で実現をめざしました。その一部として、平成19年度入試では障害科学類の推薦入試において、「障害者特別選抜」が実現しました。これは、附属学校だけを対象にしたものではありませんが、障害学生を積極的に受け入れ、高等教育の支援の研究を進めようとするものです。

特別支援教育の役割

 本誌:特別支援教育、とくに視覚障害に対する鳥山先生のお考えをお聞かせください。
 鳥山:特別支援教育という考え方は、やはり画期的なものだと思います。つまり、重い障害の子どもたちだけが対象になるのではなく、今まで本人の努力が足りないようにいわれていたり、あるいは手がかかる子どもだと思われていたりした子が、実は本人が一番苦しんでいるわけですね。その子どもたちに学校全体で支援すれば、学校生活がもっとスムーズに行きます。特別支援教育といえば、日本では障害者のことだけしか考えていませんが、外国ではむしろ、障害者よりも大きな集団として移民がいるのです。日本でも県によって移民がほんとに無視できない存在になっています。その子どもたちは、言葉が不自由なために苦労しています。今までは学校の規格に合う子どもたちだけを通常の学校に入れて、学校の規格に合わない子どもたちは特別な学校に行ってくださいというものでした。その最たる例が、障害のある子どもたちでした。これに対して、特別支援教育では個々の子どもに学校を合わせるのですから、画期的な考え方です。特に、軽度の障害でいえば、弱視の子どものごく一部が通級指導を受けているくらいで、大部分が一般学校にいて何の支援も受けていません。これからはそういう子どもたちもしっかりとカバーしていくのです。そのためにも、各学校に特別支援教育コーディネータを置くわけですね。
 本誌:そのコーディネータは盲学校の先生が担当するのですか?
 鳥山:いいえ、盲学校の教員ではなくて、特別支援教育の必要な子どもが在籍する学校の教員が行います。各学校には、特別支援の必要な児童・生徒に対して責任を持って掌握できるコーディネータを少なくとも一人置く必要があります。例えば、教頭、養護教諭、盲・ろう・養護学校に勤めた経験のある教員がコーディネータになります。今年(2007)4月から特別支援教育コーディネータを任命しなければならないと法律に規定されますから、全ての学校がよそ事ではなくなります。要するに、うちにはそういう子どもたちは入れませんとか言えなくなったのです。また、各区市町村や都道府県単位でコーディネータと特別支援学校の専門化による連絡会議も開かれることになるでしょう。おそらく特別支援教育が成果を上げるまでには、2、30年はかかると思います。
 本誌:特別支援教育が始まることで、これまで以上に地域の学校に点字使用の児童・生徒が増えるのでしょうか?
 鳥山:日本の場合、点字の必要な子どもは盲学校に行くのが基本です。しかし点字の必要な子どもたちが通常学校に行くケースが増えています。しかし、それはこの法律が施行されたからといって増えるわけではなく、いろいろなことが連動して起こっているのです。特別支援教育コーディネータは、支援の必要な子どもがいるときに、例えば盲学校から専門家に来てもらってみんなで研修を受けるとか、あるいはクラス担任を盲学校に派遣し、研修を受けさせるとか、点訳の依頼、医学、福祉等々子どもにとって必要なことをコーディネートします。特別支援教育がすでに軌道に乗っているイギリスでは子どもに予算が付いてきますから、お金をどのように分配するかもコーディネータの役目です。ただ、特別支援が必要な子どもたちは様々ですが、マジョリティは発達障害者なのですね。LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥/多動性障害)、高機能自閉症といった子どもたちの割合は、各学校で5〜6%にも達していて、学級崩壊の原因になっているという説もあり、これらの子どもたちを支援して行くことこそ特別支援教育の目的であると考えている人もいます。そうではなくて、教育の場を特殊学校だけではなくて通常学校にいる支援の必要な子どもに支援するのが特別支援教育の意義なのです。今、私は筑波大学において特別支援教育をどのように進めて行ったら良いのかを検討するプロジェクトの長をしております。特別支援教育について文部科学省が最終報告をまとめましたが、中間報告の時点では障害別の専門性なんていうものはすごく軽視されていました。それで、障害別の壁を取り払って、重複障害児が多いのだからどの教員もいろいろな障害に対応できなければならないし、学校も障害別の学校ではなくて、特別支援教育学校を作って家に一番近い学校へ行くのがいいといっていたのです。現在、養護学校が足りないものだから、知的障害児の親の中には近所に盲学校があるのだったら、なぜそっちに入れてくれないのかと要望する人もいます。でも、知的障害児こそ一番教育が難しいからより専門的な教育が必要なのですね。

盲学校は滅びゆくのか?

 鳥山:特別支援学校ができることで、盲・ろう・養護学校はなくなり、特別支援学校という名称に1本化されます。ただし、最終報告では特別支援学校という名前の後にカッコつきで視覚障害とか、聴覚障害とかどの障害を専門にするか明記しなければならないことになり、そのことで辛うじて専門性が保たれます。しかし、これまでの各都道府県に少なくとも1校盲学校を設置しなければならないという義務がなくなり、これからは特別支援学校を設置するだけでよくなります。そうすると、おそらく特別支援学校(視覚障害)がない県も出てくるでしょうね。
 本誌:私が暮らしている神奈川県でも盲・ろう・養護学校をまとめて特別支援学校を作るという噂が流れています。
 鳥山:特別支援学校では視覚障害児のためにいくつか部屋をあてがうようなところも出てくると思います。たしかに、視覚障害で重複障害を持つ子どもは増えてきているのは事実です。でも、半数は単一障害です。視覚障害だけの子どもは、きちんと教育をすれば自立した社会人になれます。重複障害が多いからといってその人たちを同じレベルで捉えてしまうと、視覚障害教育が営々と築いてきたものが、消滅してしまうのではととても心配です。
 本誌:まったくそうですね。
 鳥山:三つの障害を持った子どもたちが一つの学校で、それも一つの校舎で学ぶことは、視覚障害児が行き来する所に、これはしょうがないことですが、知的障害児がやって来て唐突な行動をしますね。視覚障害児は、完全に安全でないと一人ですたすた歩きません。ケガを心配するのではなく、安全でなければ自主的に行動する子どもが育たないということが心配なのです。例えば、野球をやっていて鈴入りボールが止まる前の音を聴いて方向を見定めるという所作が育つのです。そういった遊びができなくなった所で先生と手を繋いで行動するようになったら、一人で行動するという意識は絶対に身に付きません。そういった環境では、今まで視覚障害教育が到達できていたレベルが低下してしまうのではないかと私は懸念しております。もう一つは、特別支援学校ではどうしても知的障害児が多数を占めます。同じ視覚障害の仲間も少ないし、知的障害の子どもたちが走り回っているような学校にはたして親たちが子どもを積極的に入れたいと思うでしょうか? だったら、一般の学校へ無理してでも入れた方がいいのじゃないかと考えますね。一般の学校に入学するには「認定就学」という制度があります。これは、本人と学校双方の条件が合い、就学指導委員会が認定すれば一般の学校へ行ってよいという考え方です。昔から統合教育を受けていた子どもたちで、認定就学で行った子どもたちはほとんどおらず、いわばもぐりだったのです。認定就学制度は、そういった統合教育の実態を追認したもので、この制度があり、盲学校がなくなったのだから、地域の学校で教育を受けさせたいという親の言い分ももっともだということになりますね。これから視覚障害児が一般学校で学ぶという動きは、ますます加速し、おそらく、小学校はほとんどそうなるのじゃないかと思います。それから、特に地方の盲学校では1学年に一人というのがざらで、下手をすると小学部に一人ということもあります。大人の中でたった一人で学校生活を送るっていうのは、いいことではありません。特に、ひどいのは寄宿舎に一人しかいないことです。昔でも寄宿舎に入れることは、子どもにとってあまり好ましくなかったのですが、それでも仲間がたくさんいて、修学旅行状態でそれはそれで良かったのです(笑い)。私は、そういう一人ぼっちの状態だったらその子どもを地域の小・中学校へ転校させて、同時に盲学校の担任も県立だとか市町村立だとかいった人事の壁を乗り越えて、いっしょについて行くべきだと思っています。盲学校の専門家がその学校の教員になるべきです。奈良県で行われているいわゆる「奈良方式」は、視覚障害児童・生徒がいれば、一般学校に弱視学級などの特別学級を設けるというものです。これはいいのですが、専門家がクラスを担当しないのが残念です。でも、制度さえできれば、後は縦割り人事の問題だけですから、やろうと思えばできます。私は小学生では親と過ごすことが、中学生以上では友達と過ごすことがもっとも大切だと思います。中学生以上であればこれまでどおりでもいいのです。視覚障害児のための学校はかなり減ると予想されますが、必ず各地域ごとに1校は残してもらうような努力をしないといけないでしょうね。今のように各県で県教委とやり合っているようではどこも負けてしまいます。特別支援学校では生徒には一月に2度くらい帰宅できるように援助して、専門家による教育を提供できるようにします。そういう体制がないと、逆に特別支援学校から通常学校への支援ノウハウが築けなくなってしまいます。日常的に教えていないとそういったノウハウは育ちません。これが怖いことなのですが、視覚障害教育が崩壊してもそのようには外部からは見えないのです。つまり、各学校にいる子どもたちは、話をちゃんと聞く、教員が質問すれば結構賢く答えるので、わからないのです。
 本誌:『点字ジャーナル』の10〜12月号で、日本の大学・大学院に留学する視覚障害学生と附属盲学校の青松利明先生による座談会を企画しました。その際に、スーダンから来たアブディンさんが、スーダンのような途上国では統合教育が行われているが、点字も教えてくれないので、まったくの耳学問だったと話していました。
 鳥山:私の研究室にいるネパールからの留学生も、最初に行った学校では点字を教えてもらえず、それで彼は転校したそうです。やっと、転校先で点字を習うことができた彼は、2日間で点字をマスターしたといっていました。彼の言語習得能力は天才的ですが、残念なことに、彼はネパールで点図や模型に触った経験がないのです。日本の大学で初めて触れるグラフや図を見たのですが、彼はそれらにちょっと触ってそれが凸図だと分るとすぐに手を引っ込めてしまいます。また、私は学生に木の葉を配って触り方によってどれだけ情報量が異なるかという授業をしていますが、葉っぱだと分ると彼は触るのを止めるのです。あれほど能力のある人が、教育の機会を逸するとそうなるのです。日本には点図が入った点字教科書があるから、そういった極端なことは起こらないと思います。けれども、そういった環境では子どもの能力は、本来盲学校でいい教員に指導されて伸びる能力の60%くらいでしょう。あるいは、英語だけは突出してできるが、数学が全くできないといった片寄りも生じます。それを指導が悪かったとは誰もが思わないで、「視覚障害児は結構授業について来るよね」とか、「視覚障害児は、授業の邪魔にならないし、何も困ることなんかないよ」とか勘違いされるでしょう。できないことはいっぱいあるのだけど、見えないのだからできないのは当たり前だと安易に考えてしまいますね。盲学校ではできるということになっていることが、特別支援教育ではできないことが当たり前とされ、これまで盲学校で築いてきた教育が崩壊してしまうかも知れません。すでに、地方の盲学校では崩壊しているようなところもいっぱいあります。
 本誌:理療科に入ってあはきの国家試験に向けて勉強しますね。当然ながら、生理学や解剖学といった科目を学ぶわけです。私は大学を卒業してしばらくたってから盲学校に入り直してあはきを学んだのですが、あるクラスメイトが「戸塚さんは附属盲学校出身だから基礎がわかっているだろうけど、僕達も一応高等部を卒業したけど、中学3年生くらいのことしか教えてもらっていないので、いきなり難しいことをいわれても分らないので、ひたすら丸暗記するしかない」とこぼしていました。
 鳥山:附属盲学校で高1の担任をしたときに、地方の盲学校から来たある生徒が、中3で習う教科書がまっさらだったのです。このためその生徒は授業について行くのが本当に大変でした。だから、できる子の教育が盲学校でネグレクト(ないがしろ・無視)されているという側面もあるのです。そして、これはいけないことだと私達は思っているのですが、特別支援教育によってこのいけないという考えすらなくなってしまうのではないかと心配なのです。

特別支援教育には専門性が必要

 鳥山:特別支援教育では各学校で子どもたちがニーズに応じた支援を受けられると言っています。しかし、視覚障害に関しては各学校での支援は期待できません。
 本誌:それはなぜですか?
 鳥山:つまり、盲児のいる学校の教員が点字を習って教えるなどということが期待できないのです。そこで、教育委員会が専門の教員を派遣する制度を作る必要があります。イギリスでは視覚障害児に対してはセントラル・サービスが必要だと言われています。これは、各学校にお金を委ねて点字指導員やティーチング・アシスタントをコーディネートさせる方法とは違って、子ども一人一人に配分された予算をセンターがきちんと管理して、訓練された専門家を子どもに派遣する制度です。もっともイギリスではこの専門家が不足しているのですが。
 本誌:日本では盲学校がそういったセンターの役割をするのですか?
 鳥山:盲学校の他に作らなければいけないでしょうね。盲学校の数は維持できないでしょうから、少なくとも各県に1カ所は視覚障害教育センターが必要です。盲学校の機能として中・高等部は県をまたいで統合されるとしても、センターでは乳幼児相談、点字や歩行指導員の派遣、視覚障害児が交流する場の提供などを行うようになるでしょう。もう一つは、教員免許です。教員免許が総合免許になります。総合免許の唯一良い点は、障害児教育を専攻する学生は、学部で必ず視覚障害と聴覚障害について1単位ずつ履修しなければならなくなったことです。これまでは視覚障害について全く学んでいない人も養護学校の教員になれましたから、特別支援教育ではそういったことはなくなります。ただ、1単位の授業で教える内容が問題になりますね。私は、総合免許のようなものは本来ならば全ての教員が取るのが望ましいと考えています。と言うのは、視覚障害児を教えるようになるかも知れないからです。視覚障害については大学院まで進んで専修免許を取得するのが望ましいのですが、そうすると希望者がますます少なくなってしまうでしょう。筑波大学では、少なくとも大学院まで行くように語り継いで欲しいものです。これまでは大学院まで行って専修免許を取った人と学部卒で就職した人もそれほど変わりませんでした。しかし、これからは学部卒の人には総合免許が、大学院修士課程を終了した人には専修免許が与えられるようになり、本当の意味での専門家としてみなされるようになります。筑波大学は、附属盲学校というリソースを活用することにより現場で役に立つ人を養成し、指導者として全国各地の特別支援学校に送り続けて欲しいですね。もともと障害児の数が少ないのだから、優秀な指導者が年に何人かでもコンスタントに育ってくれれば何とかなります。盲学校1校当たりに3人いい教員がいれば、その学校は良くなると私は確信しています。

危機をチャンスに変えることこそが大切

 鳥山:私は、次長の立場として、筑波大学附属各障害児学校の役割は、情報の全国発信ができる拠点校か、新しいことを切り開く実験校であって、公立校がやっていることと同じことをやる附属学校はもういらないと考えています。情報の共有化のために、私は附属盲学校に赴任して理科教育の情報を全国レベルで共有できるように理科教育の研究会や公開講座を始めました。そのような情報発信の試みとして特別支援教育に関するブックレットが昨年より附属盲学校から定期的に刊行されたことは、とても評価できることです。特別支援教育に当って附属盲学校は、今大変な議論になっていると思います。つまり、それは大学にお金がないので附属学校11校をこのままの形で維持するのが困難になっており、大学は各学校に4%人件費を削減するようにとか、様々な要求を突きつけています。一方的に人件費を大学の裁量で切られるのではなく、自分たちが何をやりたいかということを明確に焦点化するプランを立てて行く中で、スリム化も計算に入れていかなければならないと判断しているのです。特別支援教育に対しても総論は賛成だけれど、各論は視覚障害教育の危機だと思っています。今すべての盲学校が危機に直面する中で変革を迫られているのです。日本の盲学校教育は、基本的にはレベルが高いのですが、全国の盲学校すべてが満足できる状態かというとそうではありません。親が子どもを通わせたい学校であるかといえばかならずしもそうではないのです。危機だからこそ特別支援教育は、そういった盲学校の現状を本気で立て直す良いチャンスなのではないでしょうか。最後の年ではありますが、この改革をまとめていく立場にあることは、1教員であるということとは違いますからね。盲学校の教員であった頃の自分を振り返りながら、望むべき方向性を作って行こうと思っています。また、自分が盲学校の教員をやっていたときに、盲学校の教員はこういう人でなければ困る、こうあってほしいと思い、大学では教員を養成してきました。そういう意味では、私は最後まで盲学校の教員でありたいと思い続けています。盲学校の教員だけど、次の世代にバトンを繋ぐ役割として大学へ行くチャンスを与えられたことは、幸運だったと感じています。個人的に幸せだったかどうかは分りませんが、仕事という点では幸運でした。自分の役割が果たせたのかどうかは分りませんが、精一杯やったと思います。これも周囲の先生や学生たちのおかげだと感謝しています。
 本誌:本日は長時間のインタビューに応じていただき、ありがとうございました。

 (注)毒性のある化学溶液などを採取・希釈するために用いる。スポイト形状をしており、上部はゴム乳頭、下部は3分の1が膨らんだガラス管。1920年代に駒込病院二木〈フタキ〉謙三院長が考案した。

『演歌'06』『ポップス'06』
カラオケ歌詞集発行のお知らせ

 東京ヘレン・ケラー協会点字出版所では昨年ベスト100入りした曲を中心に選曲した2種類のカラオケ歌詞集を発行いたしました。『演歌'06』(12月10日発売)は「熊野古道」(水森かおり)、「最北航路」(香西かおり)、「おんな酒」(上杉香緒里)など全80曲を収録。『ポップス'06』(12月20日発売)は「純恋歌」(湘南乃風)、「青春アミーゴ」(修二と彰)、「粉雪」(レミオロメン)など全58曲を収録。『演歌'06』『ポップス'06』ともに全1巻で定価は各2,500円(自己負担額500円。ただし、各自治体により異なる場合がありますので、ご確認ください)。製本は上製本か4穴バインダー製本のどちらかをお選びください。
  また、テープ図書の新刊『ただ時の過ぎゆかぬように ―― 僕のニュース詩』も発行いたしました。阿久悠著、岩波書店刊、90分テープ全4巻、定価5,100円、12月13日発売。世界的大事件からスポーツ・芸能まで、その時に起きた記録を、作詞家・阿久悠が独自の視点による「ニュース詩」100篇と語り下ろしによる現代社会論をまとめ上げた内容となっています。
  ご注文・お問い合わせは、東京ヘレン・ケラー協会点字出版所業務課図書担当立花まで(03-3200-1310)。

■ 編集ログブック ■

読者より

 「日比野教授に聞く」を読みました。
  1.支援法誕生:いろいろ都合のいい理屈を並べてその正当性が語られるが、結局のところ支援法は、財源不足の苦肉の策として利用された悪法に過ぎない。
  2.「福祉法」が「支援法」に:従来「・・・福祉法」だったものが「支援法」にすり替えられたことは、前進どころか後退ではないか?
  3.格差の保証こそ:わたしは「福祉法でもまだ足りない・・・!」と。健常者と同じ「当たり前の生き方」をするために必要な格差を埋めるための「格差保障法」でなければ・・・。
  4.3障害1元化:悪法の根源か? なぜって、身体障害者に限ってみても、もっと細分化が必要なのに。
  「逆もまた真なり」なんて通用しない。お陰で現場はおもちゃ箱をひっくり返したような混乱ぶり。
  5.「公平」という語の物差し違い:何を持って公平な給付なのか? 何を持って公平な負担なのか? 重さをメートルで測っちゃ駄目だ。
  6.障害程度認定:ナンセンスな調査票には笑っちゃう。視覚障害者に「寝返りが出来るか(?)」聞くあたり。
  7.マジックカード:「類似のサービスがある項目については、介護保険を優先する」ついに正体を現した。これで介護保険との統合の見通しが立った。支援法は骨抜きだ。でも、これって役人の悪智恵じゃあないの?(東京都北区/田中邦夫)

編集長より

 巻頭のインタビューは、とても重要な内容を含んでおり、内容的にも分割できないので、やや長めですが一挙掲載しました。昨年(2006)1月7日付、インドの有力英字日刊紙『ザ・ヒンドゥ』に鳥山先生が、写真つきで大きく取り上げられており驚きました。マドラス・クリスチャン大学で、視覚障害児に化学実験を教えるワークショップのもようでした。退官されても、ますますご活躍されることを期待したいものです。

ニュース・フラッシュ

 国連総会は12月13日、障害者に対する差別を禁止し、社会参加を促進する「障害者権利条約」を全会一致で採択しました。障害者を対象にした国際条約は初めてで、世界人口の約1割、約6億5,000万人とされる障害者の権利拡大に寄与するものとみられます。採択された条約は全50条から成り、障害者に市民的・政治的権利、教育、労働、雇用、社会保障の権利などを保障し、障害者が就職する際や教育を受ける際に事業者や学校側に過度の負担にならない範囲での「合理的配慮」を義務付けています。条約は来年3月末から署名、批准が可能となり、20カ国が批准した時点で発効します。

投稿をお待ちしています

 日頃お感じになっていること、本誌の記事に関するご意見やご感想を点字1000字以内にまとめ、本誌編集部宛お送りください。

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