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社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2006年7月号

第37巻7号(通巻第434号)
編集人:福山 博、発行人:藤元 節
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp
―この紙はリサイクルできません―

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「蹴球(フットボール)」

 明治18年(1885)に文部省の体育伝習所教官2名が著した『戸外遊戯法 ―― 一名・戸外運動法(イチメイ・コガイウンドウホウ)』(金港堂(キンコウドウ))に、フットボールが「蹴鞠の一種」として競技のやり方も含めて詳しく紹介されている。その後同伝習所は、東京高等師範学校(高師)に吸収され、わが国におけるサッカーの普及・発展は、同高師を頂点に学校教育をとおして行われた。高師以来の伝統を持つ筑波大学蹴球部は、爾来、数々の名選手を世に送り出したのである。
  ところで、この筑波大学蹴球部と慶應義塾蹴球部は未来永劫試合をすることがない事をご存じだろうか? 先月号のこのコーナーで紹介したように、同じ蹴球部であっても慶應の方はラグビー部なので、競技が違うのだからこれは当たり前であった。

目次

韓国憲法裁が視覚障害者の按摩専業違憲判決(指田忠司) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
盲人ホーム「あさひ園」深谷市人見にオープン! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
9
(インタビュー)アットイーズを立ち上げた稲垣吉彦さん ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14
日本の伝統、盲人按摩と国際共生(2)(笹田三郎) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20
研究室から(最終回):意志のある所に方法がある(田中仁) ・・・・・・・・・・・・・・・・
25
感染症研究:海外旅行者のための感染症対策 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
まったく新しい視覚障害者のための学習支援センターオープン! ・・・・・・・・・・・・・
33
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
知られざる偉人:反ユートピア論を展開したA.L.ハクスレー ・・・・・・・・・・・・・・・・
38
コラム・三点セット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
42
大相撲:日本人の十代三役誕生、稀勢の里 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
ブレーメンの奇妙な雲行き ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
48
日本初点字PDA登場 日韓共同で「ブレイルセンス」日本語版開発 ・・・・・・・・・・・
51
障害者自立支援法施行直後の実態 JD緊急フォーラム報告 ・・・・・・・・・・・・・・・・
54
時代の風:糖尿病への応用期待、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
57
伝言板:みんぱくで「鳥をさわろう」、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
60
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
63

(インタビュー)
アットイーズを立ち上げた稲垣吉彦さん

 戦後日本が最も輝いていたのは昭和30年代で、なかでも東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)がそのピークであろう。この年の11月26日、稲垣吉彦さんは千葉県船橋市に生まれた。同市は現在人口56万人を擁する東京の一大ベッドタウンだが、その当時は人口も20万人で、まだ豊かな田園風景が残っていた。彼は、物心つく頃から急速に宅地や工業団地の開発が進んだその槌音を聞きながら育った。そして、明治大学政治経済学部経済学科に進み、卒業した昭和63年(1988)、東証1部上場で千葉市に本店を置く千葉相互銀行に入行。時はまさにバブル景気の真っ盛りで、同行は翌年(1989)普通銀行に転換し、京葉銀行と社名を変更する。

突然訪れた暗転と一筋の光

 彼は同行で事務作業はすべて女性スタッフにまかせ、もっぱら中小企業の経営者と折衝する「法人営業」を担当。この職種は彼の性に合い、バブルのはじけた難しい時期も、毎日が充実した日々であった。しかし、入行してちょうど7年目に突然目に異常を感じ、「ぶどう膜炎(原田氏病)および続発性緑内障」と診断された。視力の急激な低下と共に彼を取り巻く状況もズルズルと傾き、すでに所帯を持っていた彼は奥さんと衝突することが多くなり、ついには別居する。世はバブルが崩壊し、その後遺症ともいえる景気後退と長期不況が、まさに深刻化した頃であった。
  目がいよいよ悪くなると京葉銀行では人事部付となり、長期休暇扱いで平成7年(1995)の4月から自宅療養に入った。といっても、実家から歩いて20分くらいの距離にあるアパートでの侘びしい一人暮らしで、ただブラブラと無為に過ごす日々であった。そんな生活が9カ月も過ぎた頃、たまたま母親が船橋市の広報紙を読み、市の在宅視覚障害者支援事業を知って、「どうせ暇ならやってみたら」と声をかけてくれた。それは在宅で音声ワープロ、歩行訓練、点字の指導などをしてくれるもので、目が見えなくなり困ったことの一つは読み書きだったので、ワープロができれば少しは補えるかも知れないという淡い期待を抱いて申し込んだ。
  しばらくすると支援事業の業務を委託した社会福祉法人愛光の職員が自宅を訪問し、実際の状況を確認すると共に、どういうことができるのかを話し合った。そして、2回目からは音声ワープロを中心とした訓練が始まり、少し歩行訓練もおこなったが、それはまさに彼にとって一筋の光であった。それから、週に1回、2時間くらいの訓練が1カ月ほど続いたが、「まだ銀行も辞めたわけではないし、若いのだからもっと他の可能性も探った方がいい」というアドバイスで、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院を紹介され、2泊3日で短期入院して、第三機能回復訓練部(三訓)において、残存視力を調べてもらいながら、その活用法を教わった。
  視力を検査すると、右目は0.1であったが、左目は驚くことに0.3〜0.4もあった。医師に指摘されるまで、それだけの視力があることに気づかなかったのは、その視野が針の穴ぐらいしかなかったためだ。しかし、そのピンホールの視野ばかりを使うと極度の疲労を覚えるので、三訓では外側に残っている視野で拡大読書器を使って読む訓練も同時に行った。そしてこの入院中に、三訓の担当医に筑波技術短期大学(技短)の情報処理学科が2次募集をするので受けてみないかといわれた。技短は三年課程で、銀行の休職期間もそれから三年間とぴったり合致したのであった。
  稲垣さんは、なんの情報もないまま9カ月も無為に過ごした後、船橋市の支援事業を平成8年(1996)の1月に始めてから、3カ月ほどで、バタバタと次々に未来が開け、埼玉県所沢市で入院したかと思えば、技短の2次募集に応募・合格し、すぐに茨城県筑波市に住むことになる。このため、意外なことに稲垣さんのキャリアにはブランクがない。これを指摘したら、「たしかに履歴書書けばずっとつながっていますね。強いて言えば、ラビットを辞めてから起業するまでの半年くらいが、本当はブランクなんですがね」と意味ありげに語った。ところで、この未来を切り開くきっかけとなった在宅で指導してくれた愛光の職員が、現在の稲垣夫人である。

営業への強いこだわり

 平成11年(1999)の3月に技短を卒業すると共に、視覚障害者用情報機器販売の「ラビット」に入社し、営業を担当することになったのは、彼の強いこだわりゆえであった。
  ラビットは、稲垣さんが技短を卒業するタイミングで、全盲の荒川明宏氏が有限会社として起業したが、それに先立ち、学年の担当教官だった長岡英司氏(現筑波技術大学教授)の紹介で面接を受けた。彼はそれまでも盛んに就職活動をしたが、経歴から金融機関の経理系とか財務系とかの事務をすすめられるばかりで、いささかうんざりしていた。しかし、荒川さんだけは違い、「元銀行員だから経理だ、財務だということになるが、そこは逆に触れて欲しくない。法人営業の経験を活かしてもらいたい」といったのだ。この言葉に奮いたち、稲垣さんはできたてのラビットで、すぐに営業担当部長として大活躍する。
  ラビットが増資して平成13年(2001)4月 に株式会社になると共に、彼は業務統括部長となり、企業・団体の営業を担当すると共に実務全般を管理・統括。ラビットが日本点字図書館の裏通りから本通りに移り、大きく展開したのは入社後2年目で、その頃は、昼食も食べずに朝9時から夕方6時近くまで、立て続けに接客した。ちょうどこの業界のパソコンがMS−DOSからウィンドウズに切り替わる時期で、それに加え「バリアフリー助成」と「IT講習会」という追い風もあった。一般社会に遅れて、この業界にもITバブルが訪れたのだ。しかし、国の施策としてのIT講習会も、今から2年前に終わり、バリアフリー助成も今年(2006)の3月末で終了した。

アットイーズの理念

 このインタビューで核心に触れるまで、筆者が稲垣さんが同志を糾合して4人でラビットを飛び出したものだとばかり誤解していた。ちょうどアメディアを飛び出した荒川さんがラビットを創業したときと同じパターンだと思ったのだ。しかし、実情は業務を拡大したラビットがITバブルがはじけたため、給料の高い順にリストラしたのだという。ラビットの事実上のナンバー2であったから、「辞めて欲しい」と切り出されたときは驚いたが、苦しい内情も承知していたので何もいわず6年半勤めたラビットを去った。彼は自分のことをナンバー2の人間だと思っていたので、会社を起こすという考えはそれまでまったくなく、昨年の9月に辞めて、12月に決心するまでなかなか踏ん切りが付かなかったようだ。しかし、「あえてどん底のタイミングで起業した限りは、自分で尻を拭える範囲でまずはやってみよう」と全額出資して起業した。社名の「アットイーズ」とは、「気軽に、くつろいで」という意味で、老若男女、障害の有無を問わず、誰もが気軽に利用することができるデジタルコミュニケーション環境の創造を目指し、もっと気軽にデジタルコミュニケーションができるお手伝いをしたいとの思いを込めたものだ。
  稲垣さんは、一昨年の夏から晩秋にかけて、突然、目の前が真っ暗になる経験をする。視力がまったくなくなった直接の原因は緑内障だが、それを誘発したのはぶどう膜炎の発作で、このため2週間ほど炎症を止めるため点滴入院し、そこで落ち込んでいる患者さんと出会った。IT技術がすべてを解決するわけではないが、自分の経験から、そういうものがあることを知ることだけでも気持ちが楽になり、そこから道がひらけたという思いがあったので、彼は障害者手帳を取得する前の人々にも情報を発信したいと考えている。彼の現在の視力は0.01未満なので数字は出ないが、右眼は動きが分かる程度の「手動弁」で、左眼は粗大な形が分かる「指数弁」である。
  アットイーズは、「パソコンが苦手だ」「機械がとっつきにくい」という人に、パソコンやインターネットをひとつの手段として簡単に、気軽に接する環境を提供したい。しかし、そのためには一度体験してもらいたいので、全盲の方にもアクセスしやすい立地条件にこだわったという。たしかに、高田馬場駅から日本点字図書館に行く大通りをわたる手前のビルなので、立地条件は抜群である。
  このため、稲垣さんは「アットイーズにアクセスしたい人は、まずお電話ください。ご足労いただければ、世界がちょっと変わり、コミュニケーションの幅がさらに広がるかもしれませんよ」という。
  (有)アットイーズの連絡先は、東京都新宿区高田馬場1−33−13 千年<センネン>ビル501、電話03-5287-5601。(本誌・福山博)

障害者自立支援法施行直後の実態
―― JD緊急フォーラム報告 ――

 障害者自立支援法(以下、自立支援法)が施行されて2カ月が経過したが、全国各地で関係者の想定を超える深刻な事態が起きている。特に、サービス利用に原則1割の負担をかす応益負担制度は、障害基礎年金等で暮らす障害者の生活に重くのしかかってきている。そこで、日本障害者協議会(以下、JD)は6月3日(土)東京都港区のニッショーホールで、「検証・障害者自立支援法施行直後の実態、そして今なすべきことは」と題した緊急フォーラムを開催。会場には、全国から障害当事者、家族等、約650人が参加したが、特に自立支援法によって経営状況が厳しくなった施設関係者の参加が目立った。
  シンポジウムでは、井上忠幸(イノウエ・タダユキ)氏(コロニー印刷東村山工場ケースワーカー)、氏田照子(ウジタ・テルコ)氏(日本自閉症協会副会長)、宮代隆治(ミヤシロ・リュウジ)氏(日本グループホーム学会運営委員)、二見清一(フタミ・セイイチ)氏(足立区福祉部・障害施策推進担当係長)の4氏が、自立支援法施行後の実態について報告した。
  井上氏は、施設利用者からの相談内容を紹介。授産施設で働いている障害者はこれまで施設利用料が無料だったのに、応益負担により4月から利用料が発生。井上氏は、「施設利用料が工賃収入を上回る事態になり、障害者は働く意欲を無くしている」と語った。また、サービスを利用する際の自己負担が増加したことにより、サービスを手控える人もいると付け加えた。
  施設経営者の立場から宮代氏は、施設に対する報酬単価が引き下げられ、支払い方式が月額制から日額制に変更されたため、減収となった施設経営の厳しい現状を説明。日額制は利用者の利用状況によって施設支援費が決定するもの。宮代氏は、「重度障害者は施設に毎日通所することが困難。支払い方式の日額制は実態に見合っていない」と強調し、報酬単価と支払い方式の見直しを訴えた。
  家族会の立場から氏田氏は、自立支援法で利用できるサービスやその量が決まる障害程度区分認定の欠陥を指摘。「判定項目の106項目中79項目は介護保険と同じで、障害特性に合った評価が受けられない」と不安を語った。また、「審査会に障害について熟知した医師を委員としていれてほしい」と訴えた。
  会場からは、腎臓疾患の女性から、「更生医療が廃止され自立支援医療に替わったことで、人工透析にも応益負担がかかるようになった。これでは金の切れ目が命の切れ目になってしまう」といった切実な意見が出た。
  こうした意見が出た後、行政の立場から二見氏は、自立支援法は施行までの準備期間が短かったため、自治体窓口でも混乱が起きている状況を報告。そして、「自立支援法の根本を変えるのは難しいが、この法を悪く運用しない工夫はある」と対策を提示した。まず、障害程度区分認定について、自分の障害が有益に認定されているかどうかに着目すること。障害程度区分の認定は、利用できるサービスや量が決まる重要なもの。この認定調査は各自治体で行うものだが、不安な人は知り合いに同席してもらうよう勧めた。また、障害程度区分を認定する審査会が、自主的に議論され、障害者の意見を反映してくれるメンバーを選ぶよう自治体に働きかけること。さらに、「各自治体が実施している自立支援法に関する軽減措置を延長させ、法律に対して必要な改善を求めていくことが必要だ」と述べた。
  今回のフォーラムでは、自立支援法が障害者の自立を阻害している実態が明らかになった。自立支援法は、自立の大前提である経済的自立のための所得保障と雇用対策の見直しをしないまま、障害者に負担のみを強いているからだ。また、自治体が実施している軽減措置は様々で、地域間格差が生じている。こうしたことを受けて、JDでは、応益負担制度の撤廃と重度障害者の所得保障制度の確立等を柱に運動を展開していく。また、JDは自立支援法に関するアンケート調査を行っている。この調査は、3月にすでに実施し、7月、11月にも行う計画で、障害者の生活実態を明らかにして運動の根拠にする方針。JDでは、10月にも再度自立支援法に関するフォーラムを開催する予定だ。(山本令子)

■ 編集ログブック ■

読者より

 本誌6月号はなかなか読み応えのあるものでした。日比野氏の視覚障害者福祉の展望、笹田氏の日本按摩に求める未来像、皆川氏の新しい専門誌の発刊、そして、望月氏の意欲的な福祉機器展の紹介・・・と続くわけですが、どれも密度が濃く、インパクトを感じさせる内容でした。なかでも「サイトワールド」にはわくわくさせられます。
  ところで、支援法におけるサービス体系のうち、ガイドヘルプなどの「地域生活支援事業」はすでに今回地方自治体に丸投げされました。そして、次の段階でホームヘルプなどの「自立支援給付」が介護保険に飲み込まれることになれば、ワンポイントリリーフとしての支援法の役目も「はいそこまでよ!」 ―― そんなシナリオが見えてきて重苦しい気持ちにさせられます。
  いよいよ「予算の範囲内での福祉!」「地域格差が当然の福祉!」 ―― スタートか?
  さて、日本の伝統按摩は果たして医療貢献が可能なのでしょうか? 古くて新しい課題なのですが、連載の今後に期待しています。
  視覚障害者の展示会見学というのは、時間ばかり食ってしまう能率の良くない活動の一つです。サイトワールドでは最新の音声誘導システムも登場するそうですが、何よりも事前の予備知識がものをいいます。インターネットや盲界マスコミをフル活用して十分な情報をお願いします。また、出展案内などの基本的な資料は前もって配布が可能なら・・・。(北区/田中邦夫)

編集長より

 田中さんの要望を望月優さんに伝えましたところ、出展社リストは決まったところから順次サイトワールドのホームページ(http://www.sight-world.com/)で公開し、資料の事前配布も考えているということでした。
  5月25日、韓国憲法裁判所が「視覚障害者のみに按摩師資格を付与する現行制度は、違憲」とする憲法判断を下したため、その歴史的背景にまで遡って指田忠司氏に緊急寄稿していただきました。「無資格者問題」や自由貿易協定締結交渉におけるタイ・マッサージなど、背景に日本と同じように深刻な問題があり、とてもよそ事とは思えません。しかし、この6月に韓国のある視覚障害者団体が当協会を訪れたのですが、意外なほどあっけらかんとしており、河に飛び込んだり、列車を止めるなどの激しい抗議行動と、その落差に驚きました。
  「研究室から」は、今回を持ちまして終了させていただきます。(福山博)

人事

 現在、藤元節理事長が点字出版所長を兼務しておりますが、7月1日付で理事長の兼務を解き、毎日新聞社から出向で迫修一氏を点字出版所長として迎えます。

投稿をお待ちしています

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