先日の某全国紙夕刊コラムは、「なぎなた読み、というのをご存じかと思う」ではじまり、「『弁慶がなぎなたを』と書かれた文章を、間違って『弁慶がな、ぎなたを』と読んでしまったという故事が始まり」と続けていた。そこで、最近は「ぎなた読み」のことを「なぎなた読み」というのかと思って、あわてて国語辞書を何冊か引いてみた。しかし、もちろん国語大辞典にも「ぎなた読み」はあっても、「なぎなた読み」はなかった。
ところがウエブで検索すると、「ぎなた読み」も当然出てくるのだが、「なぎなた読み」も多数ヒットしたのには驚いた。そして、「なぎなた読み」は、従来の前から読んでも後ろから読んでも同音の文章「回文」や文字の順番を並びかえて別の意味にしてしまう「アナグラム」などと同様に、言葉遊びの新ジャンルとして、最近静かなブームになっているようなのである。
4月7日(金)午前11時より、満開の桜が美しいつくば市竹園のつくば国際会議場において、国立大学法人筑波技術大学の第1回入学式が盛大に挙行された。国内唯一の聴覚・視覚障害者を対象とし、昨年の10月に3年制短大から4年制に移行・開学した同大では、視覚や聴覚に障害を持つ85人が第1期生として晴れの日を迎えた。
席上、大沼直紀(オオヌマ・ナオキ)学長は、「きっと今日も、日本のどこかの病院で、聴覚や視覚に障害があることを宣告され、死んでしまいたくなるほどの絶望感に打ちひしがれている子供達と親御さんがいるにちがいありません。その方々に頑張ってみようと、将来の希望や勇気を示してあげることができるのは、君たち一人一人のこれからの生き方なのだということを忘れないでください」と自ら手話とパワーポイントによるスライドを活用しながら、非常に説得力のある激励を込めた挨拶を行った。次いで新入生を代表して、産業技術学部の伊藤知樹(イトウ・トモキ)さんと、保健科学部の田中佐織(タナカ・サオリ)さん(視覚障害者)が「目標と夢を持ち、社会に貢献できるよう努力し、前進していきます」と、若々しく誓いの言葉を述べた。
韓国からは、来賓として車椅子の国会議員張香淑(ジャン・ヒャンスック)女史が駆けつけ花を添えた他、最後には全盲の津軽三味線奏者踊正太郎(ヨウ・ショウタロウ)氏が特別出演して、腹に響く迫力ある演奏を披露した。
桜がほぼ満開になりつつあった3月25日(土)、東京都板橋区の国際視覚障害者援護協会(直居鐵理事長)では、海外からの視覚障害を持つ留学生を囲み、日本語教師やボランティアなど関係者が集まって交流会を開いた。
今年3月に盲学校を卒業したのは、スーダンからきたヒシャーム・エルセル・ビラル・サリ(愛称ヒシャム)さんと韓国から来日した趙閠娥(チョー・ユナ)さん、また日本ライトハウスでコンピュータの研修を受けてきたベトナムのラム・タイン・ビン(愛称ビン)さんの3人。今春新たに留学生となったのは上海からきたロ・キン(愛称キンキン)さんと、ミャンマーからのダン・クンチャン(愛称クンチャン)さんの2人だ。
異文化の中で苦労して学ぶ姿とその志には我々も学ぶ点が多い、同援護協会の卒業生と新入生をここに紹介する。
ヒシャムさんは、2001年11月に来日し、翌年愛知県立名古屋盲学校保健理療科に入学し、日本語と理療の基本を学んだ。
「最初、日本語は本当に難しかったです。例えば、先生が授業で、『体のあちこちにかいようができます。その代表的なものが胃潰瘍です』といいました。私は、『かいよう』と聞いて、太平洋や大西洋などの『海洋』を想像し、かいようというのは水がたまること、つまり、胃潰瘍は胃に水がたまることと勝手に解釈していました。また、日本語には、体に関連したことわざ、例えば、『手癖が悪い』、『肘鉄を食らわす』、『目くじらを立てる』など、ふだん日本人がなにげなく話している言葉の意味を理解するためにとても苦労しました」。こうした言葉の難しさだけでなく、ヒシャムさんは熱心なイスラム教徒。食事や生活習慣の違いに大きなとまどいがあったようだ。とくに、いわゆる「飲み会」が大の苦手だという。
翌年、彼は県立岐阜盲学校理療科専攻科に移ってあはきの勉強を続け、この3月同校を卒業し、念願の按摩・マッサージ・指圧師の資格を取得した。
岐阜盲学校で彼の施術は、来校する患者さんに非常に評判がよかったという。患者さんの話を良く聞き、誠実に施術する彼の態度に多くの患者さんが好感を持ったためだろう。
2000年11月、韓国から来日した趙閠娥(チョー・ユナ)さんは、神奈川県立平塚盲学校を卒業後、京都府立盲学校研究科でさらに1年間勉強し、この3月同校を卒業した。習得した「あはき」の技術を、彼女には卒業後韓国で広めてもらいたいと同援護協会は期待していた。ところが、中国上海からの留学生で、筑波大学理療科教員養成施設を卒業後、現在、和歌山県立盲学校講師をしている葉華(イェ・ファ)さんと結婚し、この6月に挙式の予定だという。これまでも留学生が日本人と結婚した例はあるが、留学生同士というのは今回が初めて。
これに関し同援護協会の山口事務局長は、「結婚すると聞いた時は、正直なところ本当にびっくりしました。でも、二人は言葉や生活環境の違う日本で一生懸命に勉強し、いまは指導的立場にさえなっており、二人のこれまでの努力には敬意を払いたいほどです。今後、それぞれの国情が違うので、いろいろと難しい場面に出会うかも知れませんが、そのときは、力を合わせてぜひ乗り越えて欲しいものです。そして、視覚障害の分野で、日中韓3国のネットワークの核になってもらえれば、すばらしいですね」と、温かく見守りたい意向のようであった。
2002年10月、大阪府立盲学校情報処理科を卒業後、日本ライトハウスでコンピュータの研修を続けてきたベトナムのビンさんは、3月で研修を終え、4月19日に帰国した。全盲の彼は、来日前にはコンピュータはもちろん、日本語も十分ではなかった。しかし、折角、大阪府立盲学校情報処理課に入学が許可されたのだからと、自分でノートパソコンを借金して購入し、日本語と英語のスクリーン・リーダーを駆使して猛勉強した。
盲学校では、点字の教材も十分でなかったため、教材などを読むために「ヨメール」も購入。日本語でわからない言葉が出てくると、しつこく聞いて歩き、コンピュータを使っているうちに、夜が明けていたということも何度もあったという。今や簡単なプログラムも組めるようになっており、ベトナム帰国後は、ベトナム語で使えるスクリーン・リーダーを開発して、多くの視覚障害者に使ってもらうのが夢だという。
一方、今春筑波大附属盲学校専攻科に入学するキンキンさんは、一人っ子だというが、明るい性格で親近感を呼ぶ。早くから盲学校の寮に入っていたためか、自分の考えをしっかり持ち、自立心が強い。昨年10月に来日してから日本語を積極的に話すようにしてきた。そして昨年末に日本語検定試験の2級を受験して見事合格した。
ミャンマーからのクンチャンさんは、全盲で、父母兄弟姉妹もいない。13歳のとき突然2週間位痛みが続いて、その後、徐々に視力が低下。彼女が住む村から病院のある町まで、歩いて4日もかかったということもあったが、治療費も問題であったようだ。
「本当に、世の中で見えない人は私だけだと思いました。盲学校のこともぜんぜん知りませんでした。それで、何も勉強しないで田舎の田んぼの小屋のなかで、ひとりで何日も暮らしました。食事は近くの人が時々運んでくれました。鳥の声を聞き、犬や猫と遊んでいました」とクンチャンさんは当時を振り返る。
そしてある時、牧師さんがクンチャンさんのいる小屋を訪ねてきて、盲学校を紹介したのだという。これが転機となり、首都ヤンゴンにある盲学校に入学し、高校まで進む。そして成績もトップクラスであったため、先生の勧めでダゴン大学にはいり、国際関係論を専攻した。
「去年7月、日本からマッサージの留学のお話が来ました。その時、先生達が私を紹介してくださいました。私は本当に仕事の出来る大きなチャンスだと思いました。でも、日本語が何もわからないので、すぐ返事が出来ませんでした。でも、国際視覚障害者援護協会の説明を聞いて、日本で勉強することを決心しました。去年の10月18日に日本に来て、もう5ヶ月たちました。私は日本に来たばかりのとき、日本語を話せませんでしたが、今、お蔭様で楽しんでしゃべれるようになりました。とても嬉しいです。誰からも、もっともっと知らない日本語を学びたいと思います」と彼女は言葉を一生懸命紡ぎながら、それでも明るく語った。
一口に留学といっても、気候、生活習慣、言語の違うところで見えないハンディを乗り越えてあはきの国家試験を取得するのは並大抵のことではない。とくに、大学を中退してまでも日本に留学して按摩・マッサージを勉強したいというクンチャンさんには、卒業後ミャンマーで多くの視覚障害者にその習得した技術を伝えたいという使命感のようなものを強く感じた。
日本で「あはき」に従事する視覚障害者が健常者の進出によって苦境に追い込まれているが、それでも海外で暮らす視覚障害者の実体との格差には改めて驚かされる。また、同時に生計の手段としての「あはき」の重要性をも再認識させられた。
国際交流というと、一見華やかな印象を持つ人も多いかも知れないが、現実には視覚障害を持つ留学生本人や、それを支える人達の地道な活動があってこそ成り立つのだと痛感させられた。今後とも、留学生の活躍と国際視覚障害者援護協会の発展を期待したい。(編集部)
当協会点字出版所では4月1日付で、下記点字書籍を発行。ご注文とお問い合わせは、業務課図書担当(電話03-3200-1310)立花(たちばな)へ。
『覚えておきたい名句・季語100 ― 時候・天文・地理篇』、石寒太(いし・かんた)選、全2巻で定価8,000円(自己負担額1,500円)。
世に名句といわれる作品を鑑賞すると、季語はのっぴきならない言葉として一句のなかに過不足無く生きている。季語を軽くみて、一句のなかにただ置いたとか、ちょっとくっつけてみたという作品に名句はない。季語のなかでもとりわけ重要な「時候・天文・地理」の基本季語100を毎日新聞『俳句あるふぁ』編集長が厳選。本書に掲げた100季語を覚え、100名句を暗唱したとき、あなたの俳句は必ず輝く。同シリーズの『覚えておきたい名句・季語100 ―― 暮らし・行事篇』と『覚えておきたい名句・季語100 ― 動物・植物篇』も各全2巻で、定価各8,000円(自己負担額各1,500円)、これらも併せてご用命を!
『カレーライスの誕生』小菅桂子(こすげ・けいこ)著、全3巻で定価12,000円(自己負担額1,500円)。
インド由来の「食の王者」を巧みに変奏し、新作を開発した日本人。なぜ関西では牛肉で関東では豚肉なのか、福神漬との組み合わせはいつ生まれたのか? そこにはカレーライス誕生と作り手たちの智慧の美味しいドラマがあった。
巻頭の日比野清氏による力作、「どうなる今後の視覚障害者福祉」は、今月と来月の2回(上、下)に分けて掲載します。視覚障害者に対するガイドヘルプサービスなどは、「障害者自立支援法」の地域生活支援事業に分類されるサービスであるため、利用手続き等の詳細については10月までに小出しにされるので、論じにくいところをお書きいただきました。
筑波大院生のカマル・ラミチャネ氏による「CSUNに行くまでと行ってから」は、英文で書かれた原稿を当編集部が翻訳し、著者の承諾を得て一部手直ししたものです。原文は小協会の英文ホームページ(http://www.thka.jp/english/)にて公開しています。
当協会理事の竹内恒之点字出版所長が、3月22日付で退任しました。「竹内恒之の万華鏡」は前回をもって終了と致します。なお、点字出版所長は藤元節理事長が、当分の間兼任いたします。
筑波技術大学の第1回入学式取材のために、はじめて「つくばエクスプレス」を利用しました。すると、それまでの往復4時間の旅が2時間に短縮され、これだと9月22〜25日の4日間、つくば国際会議場で開催される「第8回WBUAP盲人マッサージセミナー」にも、無理なく高田馬場から通えそうです。(福山博)