THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2006年3月号

第37巻3号(通巻第430号)
編集人:福山 博、発行人:竹内恒之
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp
―この紙はリサイクルできません―

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「トリックスター」

 文化人類学には「トリックスター」という概念がある。民話や神話のなかに登場するいたずら者のことで、物語のなかのトリックスターは、人間であったり動物であったりするが、いつでも既成の秩序に反発し、権威をからかい、奇想天外な策略で人をだましたりする。しかもトリックスターはまったくの悪者ではなく、善と悪を併せ持つ矛盾した性格の持ち主で、むしろその破天荒で茶目っ気にみちた行動によって笑いを誘う道化的キャラクターでもある。
 政界にあっては田中真紀子氏がその典型とされ、小泉首相をそれに擬する議論もある。最近ではホリエモンことライブドアの前社長堀江貴文容疑者もまた、その典型と目されている。もっとも英語の本来の「トリックスター」には詐欺師やぺてん師という意味もあるので、逮捕理由はこちらの方であろうが。

目次

(鼎談)天啓を生きたライブラリアン
  〜 岩山光男先生の死を悼む(高橋実、田中徹二、直居鐵)
 ・・・・・・・・・・・・・・
3
スカイプ活用術入門 〜「無料電話」で広がる世界 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10
研究室から:研究室を飛び出して地域貢献が私の使命(吉野由美子) ・・・・・・・・・・
16
感染症研究:あなどれないRSウイルスによる乳幼児の風邪 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
20
鳥の目:「空飛ぶ棺桶」とは呼ばないで! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
万華鏡:恐ろしや「誤」への無関心さ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
31
日弁連がシンポジウム「差別禁止法の制定に向けて」を開催(田畑美智子) ・・・・・
34
知られざる偉人(エキストラ):ルイ・ブライユの新たな伝記出版
  〜 元『マチルダ・ジーグラー』誌編集長が執筆 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
コラム・三点セット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
42
大相撲:「お客さんが喜ぶ相撲を取りたい」安馬公平 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
スモールトーク:「ガイドヘルパー」を英訳すると? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
48
あはきの現状と課題
  国リハあはきの会新年の集い開かれる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
映画「博士の愛した数式」を観て ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
53
ブレーメン:釣り竿を担いだ渡り鳥 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
時代の風:アカンパニーグループ20周年記念誌発行、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
58
伝言板:ヘレン・ケラー「サポートグッズフェア2006春」、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
61
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64

(鼎談)
天啓を生きたライブラリアン
——岩山光男先生の死を悼む——

 《本誌先月号「編集ログブック」で既報のとおり、名古屋ライトハウス会長の岩山光男先生が1月16日、肝臓がんのため78歳で逝去された。葬儀・告別式は、妻レイ子さんを喪主に1月18日午前11時半から名古屋市昭和区のカトリック南山教会でしめやかに執り行われた。
 昭和2年(1927)に名古屋市の瑞穂区で生まれた先生は、結局最期まで名古屋を離れることはなかった。そして地元密着型の活動を基本に、全国的な活動では意識的に表に立つことをさけ、裏方に徹することを旨とされていた。このため、その偉大な業績の割に、愛知県以外での知名度はそれほど高くない。そこで、編集部では生前に親交のあった3人の方に、同氏の在りし日の姿を率直に語っていただき、同氏のご冥福をお祈りしたいと思う。
 ご出席は、視覚障害者支援総合センター高橋実理事長、日本点字図書館田中徹二理事長、国際視覚障害者援護協会直居鐵理事長。》

高橋:いま、手紙持っていらっしゃる? 岩山さんから年末に手紙きたじゃない(「もってこなかった」との直居、田中両氏の声)。あの年賀欠礼の手紙にね、自分はもう先は短いからなにかがあったときには、こことここへ連絡してもらえれば、皆さんに迷惑をかけることはないと書いてあり、連絡先の住所と電話番号が2ヶ所書いてあった。
直居:そこまでは書いてなかったな。
田中:僕のもそこまで書いてなかった。ようするに、もう再起できないと思うので、年賀状は失礼すると書いてあったので、僕はお見舞いの手紙を書いたんだけどね。
高橋:岩山さんはこの世界に不可欠の人ではあったが、最近はそう活躍されていなかった。
直居:名古屋が活動の中心だったからね。
田中:そういう意味では、目立たない方でしたね。昭和60年(1985)に「日盲社協」の点字図書館部会長に就任されましたが、すぐにお辞めになりました。もっとも心臓が悪くなったということもありますがね。
直居:糸林保夫さんの後に、1期だけでしたね。いい加減なことが嫌いで、こうと思ったら直言する人でしたから、あの当時、有名な大手点字図書館長が、よく大きな声で叱責されていましたね。たしかに、日盲社協の図書館部会で一緒にやったのは、期間は短いけれど、随分、あのころは密度の濃いつきあいをやっていたんですよ。お互いにしょっちゅう名古屋に行ったり、東京にも来てもらったりしましてね。
高橋:目立たない方でしたが、この間のお通夜には400人近くいらっしゃった。わたくしは葬儀に参列したのですが、その倍くらいいらしたんじゃないかな。そして、その大半はボランティアの方でしたね。
田中:そうでしょう。ものすごくボランティアに慕われた方でしたからね。

門出はボランティアとして

高橋:岩山さんはわたくしと同じような道を歩んでいるんですよ。昭和25年(1950)にわたくしが岩手盲学校の普通科に入ったときに、岩山さんも大学進学を目指して名古屋盲学校に復学していらっしゃるのね。岩手盲も名古屋盲もたった一人のために普通科を設けくれて、そして昭和29年(1954)に岩山さんは南山大学、わたくしは日本大学に入学したのです。
田中:それじゃあなた達は同学年なの。
高橋:そうなんですよ。でも岩山さんは学生時代は、三療のアルバイトに忙しかったようですね。それも学費だけでなく、実家の方も助けていたようですよ。昭和35年(1960)に2年浪人してわたくしは毎日新聞に入ったわけだけれど、あの方は同年5月にカトリック布池教会内に「あけの星声の図書館」を創設されたのです。その頃から、ボランティアの方々との家族的なつきあいが終生続くわけです。
直居:ちょうどオープンテープレコーダーが出始めたころですね。
高橋:そうでした。そして、「あけの星」は3年後の昭和38年(1963)に、教会の建て替えを機に名古屋ライトハウスへ移管されます。
田中:それまでは、岩山さんもボランティアだったんでしょうね。
高橋:それで、経済的には大変苦労されていました。わたくしたちは学生時代には学習権とか、大学の門戸開放とかいって運動していたのですが、岩山さんはそれはなさらなかったですね。彼はカトリック信者で、片岡好亀(1903〜1996)さんや近藤正秋(1913〜1997)さん、それに大村善永(1904〜1989)さんの話を聞いて発憤したと聞きました。これは本間一夫(1915〜2003)先生にしてもね。函館時代に岩橋武夫(1898〜1954)さんや熊谷鉄太郎(1883〜1979)さんの話を聞いて将来に大きな夢を持たれたといいますからね。
田中:岩山さんは本間先生をすごく尊敬されていてね。というのも、岩山さんが、戦中戦後にとても精神的に苦しい時代があったそうなんです。その時の慰めになったのが日点(日本点字図書館)から借りた点字の本で、それで人生から脱落しなくて済んだとおっしゃっていました。だから、本間先生が亡くなってお別れの会の時に、切々と弔辞を読んでいただいたのを良く覚えています。
直居:真面目な人で、酒もあまり飲まないでね。
田中:30年以上も前の話ですが、自宅に来てくれといわれて行ったら、徹夜で話そうといわれて、まいったことがあります。もちろん盲界の将来についてなんていう話題もあったんですが、それ以外は難しい哲学的な話で眠くて眠くて(笑い)。
高橋:その頃ですよ。「ちょっと飲みに行こう」というから、ついていったらコーヒーショップなんですよ(笑い)。それで「あんたは、いやだ! 10分も15分も歩かせといて、芸がなさすぎ」といったことがあります。
直居:日点委(日本点字委員会)で何回か、夜を徹して点字の話をしたことがありましたね。句点の導入は早かったけれども、読点に関しては「あんな気持ちの悪いものはない」といって、その導入には絶対反対だったんです。僕もその頃は同意見で、「そうだ、そうだ」といっていたんだけどね。頑固な人でしたが、最後は二人とも折れましたけどね。それにしても、岩山さんは飲まないのに良くおつきあいしていましたね。

独自の人生哲学と活動

高橋:岩山さんの仕事はもちろん図書館中心だけれども、独自の活動もなさっていました。こんど田中さんをはじめみんなで、「教科書点訳連絡会」を作ったでしょう。あれだって、そもそも岩山さんが普通校に学ぶ視覚障害児を土日に自宅に呼んで、遊ばせながら点字を教えて随分お世話なさっていましたね。和室の大きな部屋があって点字の本がずらっと並んでいました。しかしなんといっても話題になったのは『やまびこ』でしょうね。ポルノまがいの内容も含んでいましたから、月刊で出たときは驚きましたね。
田中:あれは不思議でしたね。大衆週刊誌から転載したんでしょう?
高橋:わたくしたちが尊敬していた堅物そのものであった人達も読んでいましたからね。そこで、「え、先生、こんな雑誌をお読みになるんですか?」と聞いたら、「人間だよ、そりゃ高橋さん」といわれたんですよ。
直居:彼のことだから深い考えがあって、発行したんでしょうね。しかしなんといっても明石海人(1902〜1939)(注)。彼に傾倒してハンセン病患者と親しくつきあったことに、岩山さんの哲学がもっとも象徴的に現れていますね。このことに関しては、日点の本間先生も岩山さんから強い感化を受けたんじゃないですかね。
田中:たぶんそうですよ。『道ひとすじ ―― 昭和を生きた盲人たち』あれで、明石海人のことを岩山さんが書いているけど、すごく上手い文章で、あれは抜群ですね。あれだけ、ハンセン病への思い入れがあったんでしょうね。
高橋:昭和49年(1974)に2000人ほど入る名古屋市民会館大ホールを一杯にした、視覚障害者のバンドによる演奏会があったんです。出演は岡山県にある長島愛生園(国立ハンセン病療養所)のハーモニカバンド「青い鳥楽団」、そして現在も名古屋を中心に活躍しているラテンバンド「アンサンブル・アミー」、それから石川県からかけつけた「ロス・エルマーノス」でした。あのときは、市長さんもみえていて、わたくしは岩山さんはよくも2000人も集めたと思いましたね。
田中:僕もNHK「盲人の時間」の取材のために川野楠己さんと一緒に行ったけど、あれはすごかった。
高橋:「明日に生きる希望演奏会」と銘打ってね。あの方はわたくしたちのできないことをやった人ですよ。だからといって派手な動きをなさった方ではなくて、近藤正秋さんとか片岡好亀さんを陰で支えたんですね。
直居:片岡さんという立派な先生の側にいたことが、その後の生き方を決めたんでしょうかね。
高橋:岩山さんは文月会(日本盲人福祉研究会)の活動にはほとんど、関係されませんでしたが、ただ、会場を名古屋で借りるときには熱心にお手伝いくださいました。そのかわり、夜中までコーヒーをつきあいましたけどね。本当に面倒見のいい方でしたね。そして『視覚障害』の編集に関しては、一昨年くらいまで一緒に考えてくれました。
直居:え、そんなに最近まで。
高橋:そうなんですよ。わたくしはとにかく東京に来てからの20年、大変お世話になりましたね。昭和61年(1986)10月にわたくしはセンターを作るために上京したのですが、なかなかいいところがなくてね。最終的には昭和62年(1987)のはじめくらいかな、岩山さんがわざわざ名古屋から仲村和子さんを連れてきてくれて、杉並区阿佐ヶ谷にあった仲村さんの実家を紹介してくれたんです。そして、仲村さんのお宅を10年間お借りしました。
田中:仲村和子さんは岩山さんをものすごく尊敬していたからね。
直居:我々が東京にいながら何もできなくてね。
高橋:直居さんには、日点から追い出されたんですよ(笑い)。
直居:文月会のためを思って追い出したんでね。いつまでもいたんでは独立できないと思ってね(笑い)。でもこの件に関しては岩山さんにもちゃんと相談して、「そうだ、そうだ」と彼もいって、趣旨を理解して事務所探しをしてくれたわけだからさ。もっともこっちは追い出すだけで、後始末はしなかったから悪いよね(笑い)。
高橋:岩山さんには本当にお世話になりました。

(注)ハンセン病の天才歌人。歌集『白描(はくびょう)』(昭和14年、改造社刊)は、25万部を売り尽くす大ベストセラーであった。
 (取材と構成 本誌・福山博)

スカイプ活用術入門
——「無料電話」で広がる世界——

 最近スカイプという言葉をときどき耳にするようになった。視覚障害を持つパソコン愛好家の間でも、このスカイプの利用が急速に広がっているという。そこで、当編集部では沖縄・糸満市在住のパソコンボランティアである赤嶺尚宣さんと、スカイプを使って実際に講習会を行っている当協会の点字図書館に、その活用法とスカイプの魅力を聞いてみた。

スカイプとはなにか?

 その前に、そもそもスカイプ(Skype)とは何か、そのイロハを簡単に調べてみた。
 スカイプとは、ヨーロッパの小さな立憲君主国ルクセンブルクにあるスカイプテクノロジーズ社によって2003年8月に開発・公開された無料のインターネット電話ソフトのことである。このソフトをパソコンに組み込めば、スカイプユーザー同士であれば、インターネットを介して世界中の誰とでも無料で会話を楽しむことができる。そのためにはISDN以上の回線速度で接続できるインターネット環境とウインドウズ2000、あるいはウインドウズXPがインストールされているパソコンとヘッドセット(マイク付きヘッドホン)が必要だ。ヘッドセットは、家電量販店で1000円ぐらいから手に入る。
 スカイプソフトはインターネットから無料でダウンロードでき、他のソフト同様にスクリーンリーダーの音声を頼りに、キーボードを操作してパソコンにインストールできる。
 次にスカイプを使用するにはアカウントを登録する必要がある。具体的にはスカイプネーム(スカイプ通話時に通知する名前)とID、およびパスワードを設定するのだ。ただ、スクリーンリーダーによってはスカイプとの相性が悪いものもあり、その場合は画面を音声で読み上げない場合があるので、アカウントの設定時に晴眼者に手伝ってもらわなければならないかも知れない。しかし、それさえ済めば、後はヘッドセットをパソコンに接続して、いくつかの操作手順を覚えるだけで、電話よりも良い音質で自由に通話できる。なお、相手の声はヘッドセットの他にもパソコンに接続された外部スピーカーから聞くこともできる。

赤嶺さんの場合

 赤嶺尚宣さんは、1980年生まれの現在25歳。父親の仕事の都合で静岡県浜松市で生まれたのだが、生後まもなく未熟児網膜症と診断された。このため、幼稚部から中学部までは県立浜松盲学校で学ぶ。
 ご存じの通りヤマハ(楽器)の城下町である浜松は楽器の町であり、子どもの頃から音楽に慣れ親しんでいた赤嶺さんは、筑波大学附属盲学校高等部音楽科へ進学し、サキソホンとピアノの基礎を学ぶ。そして1999年3月に同校を卒業すると共に、武蔵野音楽大学器楽科に進学し、サキソホンを専攻した。
 大学ではもっぱらクラシックを習ったのだが、プライベートではポピュラーミュージックにも興味津々だったようだ。そんなときに晴眼者の友人と出会い、彼はライブハウスやストリートライブにのめり込んでいったという。
 赤嶺さんの両親は共に沖縄出身ということもあり、数年前に故郷の糸満市に転居した。そこで彼も南国沖縄での音楽活動を夢見て、2年前から両親と暮らすことにした。ところが、実際に生活してみると、様々な面で東京との違いに戸惑ったという。なかでも、沖縄は車社会なので、ライブ活動をしたいのに単独での行動ができないのが、最大の問題だという。両親の出身地といっても、彼にとってはつてがまったくないのと同じなので、音楽活動の前に自由に行動ができないため、自らの限界を強く感じるという。
 赤嶺さんのスカイプ歴は1年ちょっとである。スカイプを使う前は、電話代がとても気になっていたが、スカイプをやりはじめてから電話代がかからなくなったはいいのだが、東京に住む友人達とつい長話をしてしまうのが、悩みといえば悩みだ。とはいえ、「電話より格段に音質がよいので、沖縄と東京の距離をまったく感じない」といって、スカイプの良さを日々実感しているという。
 スカイプの魅力は通話代が無料ということだけでなく、複数の人と同時に会話ができるということにもある。これはパソコンの性能や回線速度によって異なるのだが、一人で4人まで呼び出せ、会話ができるのだ。つまり、赤嶺さんは、A・B・C・Dの都合4人と会話が可能なのだ。さらに、A・B・C・Dの各人は、新たに4人ずつ呼び出すこともできる。すなわち、計算上は1度に21人まで話せるのだ。
 赤嶺さんは、首都圏を中心に活動するパソコンボランティアグループ「ブラインドパソコンサポート(BLPC)」の中心メンバーでもあり、東京に住んでいるときから視覚障害者ユーザーからの技術的な相談に乗ってきた。そして、沖縄に引っ越してからは、今度はスカイプを通じて頻繁に交流し、相談にのっている。もちろん、BLPCの会議もスカイプで行う。「月例会で一度に12人で話したときには、お互いの声が少し重なって聞きづらいときもあったが、それでも話し合いはできた」という。
 赤嶺さんの現在の目標は、持ち前のパソコン技術を就職に結び付けること。BLPCでは技術面のサポートを中心に引き受けており、今でも相談を時々受けている。以前は、相談がメールで送られてきて、問題解決のために何10通もメールをやりとりしたという。「やはり、文字だけでは状況が把握しにくい。その点スカイプは手間も時間も省けて遥かに楽。スカイプを通じて聞こえてくるスクリーンリーダーの音声をお互いに聞き、話し合いながらできるため、パソコンサポートがスムーズにできるようになった」という。

スカイプを使った講習会

 東京ヘレン・ケラー協会点字図書館では、昨年の2月から同館主催のパソコン講座の受講生を対象に毎週水曜日にスカイプを用いたパソコンサポート講習会を無料で行っている。同講座のカリキュラムは、受講生のニーズに応じて組まれる。このため講座の内容は、基本的なウインドウズの操作の習得、ネットショッピングやインターネットオークションでの買い物、ネットラジオの聴取など多岐にわたっている。ひとりあたりの時間は1回1時間。自宅にいながら講習を受けられるので、講習会場までの移動の負担がないのがみそだ。
 記者は許可を得て、同館で行われている講習の様子を見学した。実はその段階では、この講習会がスカイプを使って行われているのを知らず、受講生の分まで名刺を用意していったのだが、パソコンに向かっているのは講師の赤松一弘さん一人で、受講生の声はスピーカーから聞こえてくるだけで、とまどった。
 講習会は、ネットショッピングのやり方。実際に手を取って説明することこそできないが、赤松さんがパソコンを操作しながら、懇切丁寧に言葉で説明すると、それに基づいて受講生が操作する。スピーカーから受講生の声と受講生の操作するパソコンからスクリーンリーダーの音声が聞こえてくる。赤松さんはスクリーンリーダーの音声に注意を集中し、的確にアドバイスする。
 「パソコンの講習をやっていてもこれで終わりということはありません。パソコンの修得に重要なのは継続です。その点スカイプを使えば、受講生は自宅で講習を受けられます。週に1度1回1時間なら、継続して続けられます」とスカイプを使うメリットを強調する。このようにスカイプを用いた視覚障害者対象のパソコン講習会は、最近全国各地で取り組みはじめられているという。

スカイプの今後

 本年(2006)1月に公開されたスカイプバージョン2.0は、ウェブカメラをパソコンに接続すると、スカイプバージョン2.0同士ならテレビ電話のように動画をやりとりでき、電話代を気にせずに、“テレビ電話”ができるようになった。こうしてスカイプを使ったテレサポートにより、必要な書類を読んでもらったり、服やネクタイの取り合わせなどを、電話代を気にせず晴眼者に確認してもらうこともできる。
 しかし、スカイプにも使い勝手の悪さやデメリットもある。頻繁にバージョンアップを繰り返すため、各バージョンによって操作法が若干異なる。また、最新版のバージョン2.0ではジョーズ6.2以外のスクリーンリーダーでは、操作メニューが音声読み上げされない。このため、視覚障害者単独での操作には限界がある。
 このため、”テレビ電話”を特別必要でなければ、現状ではバージョン2.0以前のバージョン1.4をインストールするのがよいだろう。
 最後に、スカイプは無料なのでついつい時間を気にせずしゃべってしまう。1日中スカイプ三昧になると、たちまち運動不足になったり、仕事がはかどらなくなったりする。
 けれども、これらのデメリットというより使用上の注意を差し引いても、スカイプは使うに値するソフトであると思う。実は、この原稿を書くために私もさっそくスカイプを導入したのだが、その面白さにすっかりはまっている。
 この記事の冒頭でスカイプを「無料のインターネット電話」と紹介したが、実際に使ってみると、「電話を超えた新しい通信手段」といった方がより適切だと思うようになった。(戸塚辰永)

■ スモールトーク ■
「ガイドヘルパー」を英訳すると?

 「ガイドヘルパーというのは和製英語らしいけど、英語でなんていうのだろうね!」と、I氏はさりげない世間話を装いながら話し掛けてきた。しかし、I氏の目は笑っておらず、僕の頭の中には「ビー・ビー」という腹の底から響くような警戒警報が鳴り響いた。
 一瞬「今は点字ジャーナルの出稿を控えているので忙しいんですが」という台詞が頭をよぎったが、そういうと待ってましたとばかり「出稿した後でいいからさ」とくるのは必定。そこで「身近に(I氏の部下に)T氏という英語のオーソリティがいるじゃないですか」といって逃げにかかった。
 すると、「そうだけど、これは広報委員会の仕事だからね。K君も困っているからひとつ頼むよ」という。K君というのはI氏の部下でパソコンのオーソリティだ。僕だけでなく編集課一同、パソコンのトラブルでは、これまでもたびたび世話になっているので、彼の名前を出されると弱い。ここで勝負はついたのであった。
 東京ヘレン・ケラー協会には広報委員会という「協会報」やホームページの作成などを行う組織がある。I氏はこの広報委員会の委員長で、その傘下にヘレン・ケラー学院、点字出版所、点字図書館の3施設から各1名、つまり僕を含めて3人の委員がいる。しかし、ホームページの作成などについては、僕は逃げ回ってばかりで点字図書館のI氏やK君に押しつけている。そこで、今回はちょうど年貢の収めどきであったのかも知れない。
 「やっかいなことになったな」と思いながら、英語に堪能な視覚障害を持つ友人に次々電話をかけると「そりゃ大変だ。でも、欧米にはホームヘルパーなんていう制度はないから、どうしても説明的になるね」とか、「『手引き』のことは『ヘルパー』とか『ボランティア』とかいうけどね」と、いずれにしろはかばかしい返事はなかった。
 しかし、こうなることは、あらかじめ予想していた。実はインターネットで、英語の「ガイドヘルパー」を検索したら、わずかにヒットしたのは、どれも日本のホームページばかりであったのだ。英米のホームページでヒットするのは「トラベル・ガイド・ヘルパー」のようなもので、これはもちろん僕が探している「手引き」とは、似て非なるものである。
 そこで万策つきて、最後の手段として厚労省に電話をしてみることにした。その前に、「ガイドヘルパー」の正式名称を確認しておくと、「移動介護従業者」という。そこで僕は厚労省の電話交換手に向かって、「視覚障害者移動介護従業者養成研修を英語でなんていうのか知りたいのですが」、と早口言葉のように唱えた。すると「はあ」と気の抜けたようなとまどいの声がした。そこで、「養成研修」をはしょって「視覚障害者移動介護従業者」といった。しかし、交換手は「もう一度いってください」という。そこで、僕は「いわゆる『ガイドヘルパー』のことなんですが」というと、すぐに「お待ちください」という声とともに、電話は保留音に切り替わった。
 しばらく待つと「おまたせしました」という声がしたので、担当部署なら問題ないだろうと、「視覚障害者移動介護従業者を英訳したいんです」というと、また「はあ」という声がした。そこで今度はすかさず、「いわゆるガイドヘルパーのことなのですが」というと、「ガイドヘルパーは、英語じゃないですか」という。そこで、少し説明すると「ハッ」としたようで、彼は逃げにかかった。恐らく彼の頭の中にも「ビー・ビー」という腹の底から響くような警戒警報が鳴り響いていたはずである。
 彼は「厚生労働省ではすべての文書を英訳しているわけではないので、わからない」といった。しかし、ここで引いてはいけない。I氏のように、にこやかに、ソフトに、しかし、一歩も引かない気構えで「それではどこの部署に相談したらいいのですか?」「厚生労働省にはたしか国際課もありましたよね」と矢継ぎ早に質問した。すると、彼は「どこか他の部署に電話を回しても、結局私のところに回って来そうなので、自信はないのですが、調べて折り返しご連絡します」といった。
 2時間ほどたって、僕がほとんど忘れかけた頃、その電話はかかってきた。そして、「定まった訳はないのですが、一つの例としてお示しします」とくどくど前口上を述べて、それでも明るい声で、「ムーブメント・サポート・ヘルパー・フォー・ザ・ブラインド」と2回繰り返した。
 なるほど「視覚障害者移動介護従業者」を英訳するとこうなるのかと僕は妙に感心した。過不足のない素晴らしい英訳である。しかし、元々の日本語自体が本家本元の厚労省でも聞き返さなければならないような情けないものである。したがって、ぴったりであればあるほど、その英語も妙に説明的なものになるのは致し方ない。だいたい、手引きされている視覚障害者は、「移動介護」されているのであろうか? そう考えると「ガイド・ヘルパー」という日本語が、がぜん輝いて見えて来たのであった。
 さきに、英語で「ガイドヘルパー」を検索したら日本のホームページばかりであったと述べたが、その中の一つにあの朝日新聞社が発行する英文夕刊紙『アサヒ・イブニング・ニュース』があった。2000年2月27日付7面に日盲連の笹川吉彦副会長(当時)にジェフ・ホーウィッチ記者が取材した記事がそれである。この記事は視覚障害者の単独歩行には、プラットホームからの転落などいかに危険を伴うか具体例をあげて、現状と問題点を視覚障害者の立場から訴えたものである。その記事のなかでガイドヘルパー事業は、Guide-helper programsと英訳されていた。
 そこで、これをまねて「視覚障害者移動介護従業者養成研修」を、僕は英語の「ガイドヘルパー」をハイフンでつなぐと共に、なおかつクオーテーションで括って、その上に括弧つき厚労省訳を説明につけたのである。つまり、'Guide-helper' (Movement Support Helper for the Blind) Training Workshopとしてみた。なんだか、とても大回りをして、冷や汗をたっぷりかいて、出発点にもどってきたようなものだが、これでどうだろうか?
 それにしても「移動介護従業者」とは、よくも名付けたりである。(福山博)

■ 編集ログブック ■

 巻頭の「岩山先生の死を悼む」という鼎談は、1月26日(木)日本点字図書館の対面朗読室をお借りして、午後5時から小一時間行われました。快く会場を提供してくださいました田中徹二先生にこの場を借りて、改めて御礼申しあげます。
 吉野由美子先生が、岩山先生が創設された「あけの星声の図書館」の出身であったというのはまったくの奇遇です。原稿を読んで知り、驚きました。
 昨年の本誌10月号(425号)において、指田忠司さんは、「『知られざる偉人』で取り上げるのは諸外国で大きな業績を残した視覚障害を持つ歴史的人物であることが、暗黙の前提になっている。しかし、この基準は見直す必要があるかも知れない」と述べられています。今回取り上げたマイケル・メラー氏は、晴眼者であり、なおかつ存命でもありますから、あきらかな「掟破り」に該当します。そこで、やや苦し紛れではありますが、連載タイトルに「エキストラ」を付したわけです。それにしても、資料的価値が高そうなルイ・ブライユの手紙を含んだ伝記が英語で刊行されるというのは、とてもタイムリーな話題ですね。(福山博)

ニュース・フラッシュ

 3月10日(金)21〜23時、フジテレビ系全局で盲ろうの大学教官福島智氏を主人公にしたテレビドラマ「指先でつむぐ愛」が放映されます。福島さん役は中村梅雀さん、妻沢美さん役は田中美佐子さんで、先般金沢市でロケが敢行されました。

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