年末年始に炬燵と蜜柑は日本の家庭団欒に欠かせない。ところで正式名称を「温州(うんしゅう)蜜柑」というので、蜜柑の原産地は中国逝江省の温州市と思われがちだが、実は400〜500年前に鹿児島県の長島で偶然に発芽したものである。
そのため英語やドイツ語では「サツマ」とか「サツマ・オレンジ」という。現在の産地は日本の他、スペイン、中国、韓国、ロシア、南アフリカ、南米およびフロリダとカリフォルニアなどだが、江戸時代後期までは、種なしで縁起が悪いとしてほとんど栽培されなかったという。
皮が柔らかく素手でむけるので、テレビを見ながら食べられるという意味で、欧米では「TVオレンジ」とか「テーブルオレンジ」とも呼ぶ。
ちなみに米アラバマ州のサツマ市は、このミカンに因んで命名されたと同市の沿革に書いてある。
ついに自殺者も出た千葉県市川市の姉歯(あねは)建築設計事務所の耐震データ偽造問題は、気の弱そうな建築士と、一癖も二癖もあるような建築主の不動産屋や施工者が次々に登場し、ついには政治家や官僚も巻き込んで、事件の本質はいよいよ怪しく混沌としてきた。
耐震データ偽造の背景
国土交通省は11月21日、姉歯秀次(ひでつぐ)1級建築士(48歳)が偽造を認めたマンション・ホテルの構造設計を再計算した結果を公表した。それによると1.0以上なければならない「耐力」という強度の数値が、12棟の完成済み建物で0.26〜0.44、つまり基準の3割にも満たない数字から、ややましなものでも半分以下という恐るべき結果であった。専門家によると基準値の7〜8割なら空間を犠牲にすれば補強のしようもあるが、それ以下なら取り壊すしかないという。
ところで構造設計とは、「部材」と呼ばれる鉄筋や鉄骨などに加え、碁盤の目のように打ち込まれた深さ40〜50mにも達するくいなどの基礎部分も含めた「建物の根」と「骨格」を計算するものだ。全体の構造計算を半分にすれば、くいも細く基礎の強度も半分になる。もし補強しても、上部が重くなるため、今度は基礎が支えきれなくなる。また、建物を取り壊しても、周辺の地盤沈下を招くため、くいは抜くことが出来ず、5〜6m間隔のくいの間に、さらに太いくいを打ち込まなければならなくなり、残土処理も含めて基礎の改修だけでも莫大な費用になるという。
マンションやホテルなど大規模な建築物の場合は、全体をデザインする意匠設計の他に構造設計、設備設計、電気設計など、設計も分業で行う。そして、その際構造設計者は、建築主や意匠設計者から「部材がもう少し下がらないか」と良く言われるという。というのも、構造部分は工事代金の6〜8割を占めるにもかかわらず目に見えない部分だから、コストカットの対象にされやすいのだ。鉄骨の重量が下がれば相乗効果で、くいも基礎のコンクリートの値段も下がる。クレーンなども小さくて済むし、高層での建材の取り付けも楽になるから工期も短くなる。そして空間が広く取れるからデザインもより自由になる。つまり、地震への備えさえ目をつぶれば、建築関係者の誰もが喜ぶ結果になるのだ。テレビで姉歯建築士が、他人事のようにインタビューに答えているのは、このような偽造を容認しかねない業界の背景があってのことだろう。というより、建築現場をちょっとのぞいたら一目瞭然で、実際に施工した業者は、そのような欠陥を十分承知の上で建設していたのに違いないのだ。
阪神大震災のときも壊れ方が尋常ではない、特定のデベロッパーが施主となって建設されたビルがあったというから、あるいはこれは氷山の一角で、業界の構造にこそ重大な欠陥があるのかも知れない。
ところで「お客様は神様」だから、顧客の要求に異議を唱えるには大変な勇気がいる。それは法律違反だといっても、「俺のいうことが聞けないのか」とすごむ人はやくざだけとはかぎらない。そのような場合に易きにつかず、持ちこたえることは思いの外勇気がいる。件の気の弱い建築士も施工者の顔色をうかがって、最初はおそるおそる偽造を行っていたのだろうが、いつのまにかそれが普通となり、エスカレートする要求に応えているうちに、とてつもなく大胆な耐震データ偽造を行うようになったのではないだろうか。当初はちょっとした判断ミスや弱気であったものが、ふり返ってみれば、取り返しのつかない恐ろしい事態になる。そう考えるととても他人事とは思えず、これを「他山の石」として肝に銘じたいものである。
東京ヘレン・ケラー協会の場合
地震に耐えられる建物をどのように建てるのかは、法律などで定められ、それらをまとめて「耐震基準」と呼んでいる。現在の耐震基準は1981年にできたものだが、それまでのものと区別するために「新耐震基準」と呼ばれており、現在、すべての建物はこの基準に沿って建てられている。新耐震基準の目的は、中程度(震度5程度)の地震の際には建物が壊れないようにすることと、強い地震(震度6程度)の際には建物の倒壊を防ぎ、中にいる人の安全を確保できるようにすることだ。この基準を満たしていれば、阪神大震災級の地震でも、建物そのものは倒壊することはない。
ところで、当協会の場合は、ヘレン・ケラー学院を含めて、すべての建物が1981年以前に建設されたものだ。もっとも古い建物であっても基準とは別に堅牢に造られているビルもあり、当編集部が入っている毎日新聞社早稲田別館はその好例である。一方、当協会自前のビルはといえば、数年前の耐震診断で特に点字印刷所が心許ないということがわかった。このため、公的助成金を受けて補強工事を行ったのだが、完全に新耐震基準をクリアしているとはいえないが、これで一応の安全は担保された。
一方、当協会はネパールでも、2階建ての点字出版所と3階建のCBRセンター、それに平屋建の寄宿舎3棟の計5棟を建設してきた。むろんこれらの建物は、耐震基準などまったく考慮されていない。基本構造がレンガ造であるから、壁はモルタルをつなぎにしてレンガを積み上げただけである。さすがに、柱には鉄筋を使ってあるが、それも垂直に1つの柱に4本だけ、日本では必ずその鉄筋を囲むように水平方向に「帯筋」が巻き付けられているが、それは基礎に幾らか巻き付けられているだけで、ほとんど使われていない。その分建設費用は極めて安く、20人収容の寄宿舎でも150万円で建設できた。このため、2005年10月8日、パキスタン北東部で大地震が発生したときはネパールにもその被害がおよばないかと、ひとしきり心配した。
これらの建物はネパール盲人福祉協会が施主となって建設したものである。しかし、ほぼ全額当協会の資金により建設されたものであるから、国情も違い、法律にはなんら違反していないとはいえ、なにやら落ち着かない。今度の事件が他人事と思えないゆえんである。(福山博)
「1年間で20kg体重が減った」とある宴席で聞いて、僕は飛び上がって驚いた。そして、たしかにすっきりとなったM氏のお腹のあたりをまじまじと見つめた。
視覚障害者のM氏は昨年の秋、ある宴席で体重が86kgもあるといっていた。身長は164cmというから、体重(kg)を身長(m)の二乗で割った、いわゆるBMI(ボディマス指数)は約32で、堂々の「肥満度U」である。
ご存じのように、BMIは「25」を越えたら危険信号で、高脂血症や高血圧、糖尿病などの生活習慣病にかかるリスクが倍増する。そこで、僕は「水泳をはじめたらどう」と酒宴の気安さもあって、かなりぶしつけではあったがすすめてみた。すると、M氏も水泳は好きだといって、「やってみるか!」といって乗り気であったが、僕は酒の上でのその場限りの戯れ言と軽く考えていた。
その後、この一件をすっかり忘れていた今年の春先、M氏に高田馬場駅頭で偶然に出会った。すでに午後9時半を過ぎていたので、「こんな時間になに用で!」と微酔い加減の我々がM氏にからむと、北区・王子にある「障害者総合スポーツセンターで一泳ぎした帰り」という。次いで、毎週何曜日に泳ぎに行くのかたずねたら、「行ける日は毎日」とM氏は並々ならぬ決意を吐露した。飲み会の帰りでいい気持ちになっていた僕は、このM氏の控えめながらも凛とした声に、なおさら顔を赤らめたのであった。
そしてこの秋、M氏はついに20kgの減量に成功し、体重は66kgとなり、BMIは24.5の正常値に復帰。この間にベルトを2回切って、ゆるゆるとなった長さを調整したという。
減量成功の秘訣
その後、というのは僕が飛び上がった宴席の場でのことであるが、M氏にどうして1年間で20kgもの減量に成功したのか聞いてみた。すると、「週に3回ほど、1回1kmほど泳ぐだけ」という。しかし、「それだけで減量する訳は絶対ないのである」と断言できるのは、実は僕も週に3回ほど、1回あたり少なくとも1200〜1300mは泳いでいるからである。しかし、一向に体重は減らず、現状維持がやっとである。そこで、さらに追求の手を強めると、「そういえば、どんなにお腹がすいていても泳ぐと落ち着いて、それまでのようにたくさん食べなくなった」という。
これである。たしかに僕も煙草を吸っていた当時は、水泳の後「鯨飲馬食」はしていなかった。しかし禁煙した途端に、食欲抑制につながる回路のヒューズのようなものが、「パチン」と音をたてて切れてしまったようなのだ。それでも、現在は一時の恐るべき食欲は影を潜めたのであるが、それでも依然過食傾向は現在進行中である。どんなに運動をしても、たらふく飲み食いしていたら絶対やせないのは理の当然。僕の体重はちょうど70kg、身長は172cmなのでBMIは23.7で、いわゆる肥満ではないがやや小太りで、これをなんとかしたいのだ。というのも、2003年の3月に僕は禁煙したが、その前年の秋の生活習慣病検査での体重は64kgであった。そして、ちょうど禁煙した頃に実施された当協会の健康相談で保健士に、今の体重を維持しないと大変なことになると警告されたのであった。
そしてその不吉な予言は見事に的中し、煙草をやめた途端にブクブクふとりはじめた。そして、それまでの生活習慣病検査では常にオールAであった自慢の健康体が、一挙にめちゃくちゃ、悲惨、哀れな状態に陥ってしまったのである。その後、泳ぎに泳いで、一時は74kgまでいった体重は比較的早く70kgには戻ったが、その後の体重は現状維持がやっとである。しかし、水泳のかいあってか中性脂肪等は大幅に減少し、苦節3年ぶりにこの秋、めでたくやっとオールAとなったのである。しかし、僕のベスト体重は63kg程度なので、なんとかあと5kgは減量したいと願っているのだが、これがなかなか厳しいのである。
水泳の効能とダイエット
水泳が健康に良いのは理想的な有酸素運動であるからだ。これは酸素を多量に取り入れながらできる全身運動のことで、心臓や肺の機能を高め、組織や細胞に酸素を送り込むことによって健康を増進させる運動方法である。有酸素運動は体脂肪を酸素の燃焼材料として使い、筋肉エネルギーに変えるので、ダイエットにも最適のはずである。また、水泳がジョギングなど、他の有酸素運動と違うのは、水平姿勢で行う運動のため、普段よりも血液の循環が良くなり、特に老廃物を多く含む静脈血の心臓への還流が促されるので、疲労の原因となる下半身のうっ血症状の改善なども期待できるためだ。
そして、水泳がジョギングや歩行といった他の有酸素運動と比べてさらに勝っている点は、エネルギー消費量が格段にいいことだろう。
例えば、体重70kgの男性が、つまり僕のことだがクロールで30分泳ぐと、785kcalを消費する。これはカツカレー1人前、つまりやや多めの1食分に相当するのだが、このカロリーを消費するためには、ジョギングで約96分(11.5km)走る必要がある。また、通常の歩行速度で歩くとすれば、これは197分(3時間17分)に相当する。ご婦人方は買い物で3時間程度歩くのは平気かも知れないが、僕には無理である。
ちなみに平泳ぎだと57分も流す必要があるので、僕は平泳ぎがもっとも得意な泳法なのだが、これを知ってからもっぱらクロールに転向した。しかも、中華、洋食、揚げ物、テンプラの類をできるだけ避けるようにしているのだが、体重は一向に減らない。
「酒をやめたら」とか、「先週は餃子荘ムロに2回も現れて、レバニラ炒めも食べたそうじゃないですか」とのグルメ担当者のからかいの声(けっして親身ではなく)も聞こえるが、それができたら苦労はないのである。(福山博)
「パスポートとクレーム・タグを見せてください」と係員が事務的に言った。クレーム・タグというのは航空券の裏側に貼られた荷札番号のことだが、その航空券をどこにしまったのか、にわかに思い出せないのであわてる。次いで「スーツケースの大きさは、色は、中身は?」係員の矢継ぎ早の質問に、寝不足でぼんやりした僕の頭は、ますます混濁した。
この夏の忘れもしない8月1日早朝、7時半に到着する予定であった僕を乗せたバンコクからの夜行便は、1時間余りも遅れて成田に到着。足早に僕はスーツケースを受け取るためターンテーブルに行ったのだが、いくら待ってもそれは遂に現れなかった。荷物の行方不明「ロスト・バゲージ(ラゲージ)」に出くわしたのだ。しかし、多少、土産などが入っているとはいえ、自宅に帰ればスーツケースの中身にお世話になることはまずないので、探し疲れたものの余裕はまだあった。
ところで、旅先の外国でロスト・バゲージにあったなら頭をかかえただろう。まず面倒な手続きを、たぶん英語でしなければならず、それは小一時間もかかるのだ。しかも、見つかった荷物の照合のためにクレーム・タグと、通関のためにスーツケースのカギさえ渡さなければならないのだが、それらを外国で素直に差し出せるだろうか? たとえばカトマンズ空港でなら、そんな無防備なことができるわけがない。僕は保税倉庫に預けさせられた物を無くされて、泣き寝入りした苦い体験があるのだ。したがって、このようにロスト・バゲージが帰国便で起こったことは不幸中の幸いであった。と、余裕を持っていられたのも、ここまでだった。
というのも、搭乗した航空会社はタイ国際航空であったが、クレームの受付は、あの日航が代行していたのだ。そこでは「すみません」の一言もなく、慇懃無礼に「お客様が正確にお答えいただけなければ、通関できないこともございます」と脅され、罪人のように査問されたのであった。荷物を人質にされており、しかも手続きにも慣れていないので、ついお願いする立場に陥ってしまうのだが、これはもちろん主客転倒である。
日航は完全民営化された後も、親方日の丸的な「ナショナル・フラッグ・キャリア」としてのプライドだけは、驚くべき保存状態の良さで残存している。その企業風土が、日航ジャンボ機墜落事故20年目の当日に、エンジンが火を噴いて、部品がパラパラと空に散ったというようなトラブルの深層の遠因ではないかと、僕は怪しんでいるのだがどうだろうか?
毎日新聞によると、日航グループの国内の飛行場を発着する便数は全体の約35%だが、今年の1〜6月に起こした国内におけるトラブルは、実に55%を占めるという。
さて、結局僕の手荷物は翌日の夜、自宅に届いた。しかし、その日の朝の日航からの電話には冷や汗をかいた。僕は行方不明の手荷物を「黒いキャリーバッグ」と申告していたが、実際は「限りなく黒に近い緑色」だったのだ。そして、なお悪いことに、そのキャリーバッグに付いていた名札は、知り合いに貸したままにしており、僕の名前ではなかったのである。(福山博)