THKA

社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2005年11月号

第36巻11号(通巻第426号)
編集人:福山 博、発行人:竹内恒之
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:tj@thka.jp
―この紙はリサイクルできません―

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「秋晴れの特異日」

 国民の祝日に関する法律の改正によって、平成12年(2000)から体育の日は10月の第2月曜日となったが、その前年までは10月10日が体育の日だった。この日は、昭和39年(1964)に東京オリンピックの開会式が行われた日で、それを記念して昭和41年(1966)に制定されたものであった。
  それでは、なぜオリンピックの開会式が10月10日になったかというと、「この日がもっとも晴れる確率が高い『晴れの特異日』だったから」と巷に流布し、いまだにこれを信じている人が多い。
  ところが、「特異日」の定義は、「特定の日に、ある特定の気象状態が現れる割合が前後の日に比べて高い日」で、単に晴れの日が多ければ「特異日」というわけではない。ちなみに気象庁によると、秋晴れの特異日は、10月の16日と23日、それに11月の3日と8日だという。

目次

筑波技術大学発足(田中徹二) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
自分の障害をメリットに変える発想の転換でチャレンジ! ―
 「ナレッジ・クリエーション」の挑戦(新城直) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8
「毎日ネパール視覚障害児奨学金事業」スタート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
18
研究室から:研究員勤務3年半を経過して(吉泉豊晴) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
24
感染症研究:インドでの日本脳炎流行と国内事情 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
27
第二回本間賞は仲村点字器製作所 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
万華鏡:ルールはどこへ行ってしまったのか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
33
福田案山子の川柳教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
35
知られざる偉人:失明予防に尽くしたジョン・ウイルソン卿 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
38
コラム・三点セット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
42
大相撲:呼び出さんのもう一つの仕事 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
リトアニアとフィンランド20日間の旅(田中禎一) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
48
JICA障害者リーダーコース研修生来日(山口和彦) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
デイジー講習会イン・カトマンズ(ホーム・ナット・アルヤール) ・・・・・・・・・・・・・・・・・
55
ブレーメン:ダイアログ・イン・ザ・ダーク体験記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
57
時代の風:がん増殖を止めるたんぱく質を発見、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
60
伝言板:杉山和一検校の史跡を訪ねて、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
62
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64

自立への道筋をつけ、
将来のリーダー養成を図るために!
― 「毎日ネパール視覚障害児奨学金事業」スタート ―

海外盲人交流事業事務局長 福山博

農業国の死活問題

 7月21日〜8月1日の日程で、ネパールに出張してきた。この時期、現地は雨季の真っ只中で、大地を叩くスコールの激しさが身に染みていたわたしは、まずは足下を固めるのが肝要と登山専門店にてゴアテック仕様の防水シューズを購入して現地に向かった。
  ところがカトマンズに着いてみると例年にない水不足で、ネパールの平野部でさえ田植えが1カ月も遅れ、夕立で降った雨を集めた田から順次田植えを行うという有り様で、7月下旬になってもまだ田植えが済んでいなかった。例年なら轟音をたてて流れている大河も干上がり、無数の情けない水たまりになっていた。こんな訳で、新調した靴はほとんど役立たずであった。
  一方、現地のテレビや新聞では、インド最大の都市ムンバイ(旧ボンベイ)で雨が降り続き、洪水・土砂崩れが続出して、高級乗用車が流れ、交通網が完全に麻痺している模様を連日大きく報道していた。そして、その後死者はついに1000人を超えたのであった。ちょうどその頃、日本列島で起きていた集中豪雨と水不足のまだら模様が、インド亜大陸でも規模を大きくして起こっていたのである。
  ところで、従来ネパール政府は初等・中等学校の新学期は、7月の中旬からと決めていた。しかし、これに対して私立学校連盟は頑強に反対して、私立校は4月の中旬から新学期を始めていた。それは7月中旬が農家が種苗を買い、人を雇って田植えを終えた直後で、経済的に最も疲弊しており、それ相当の費用がかかる私立校の入学にはもっとも時期が悪いためだ。このため、これまで公立校は7月中旬、私立校は4月の中旬という二本立てで入学を実施していた。しかし、数年前から政府が折れる形で公立校も原則として、ネパール歴(ヴィクラム暦)の元日である4月中旬(2005年は4月14日)から、新学期を開始するようになっていた。

毎日奨学金事業

 わたしが今回ネパールを訪問した最大の目的は、今年度から5年間にわたりネパール盲人福祉協会(NAWB)と共同で実施する、毎日新聞東京社会事業団の寄託による「ネパール視覚障害児奨学金事業」(以下、毎日奨学金)の立ち上げを確認して、遺漏なきを期すためであった。
  ネパールの視覚障害者数は、世界保健機関(WHO)が実施したサンプル調査によると総人口の0.84%相当とされている。ネパールの総人口は2770万人であるから、視覚障害者数は約23万人である。わが国が1億2740万人に対して約30万人であるから、その比率の大きさがわかる。そのうち就学適齢期の児童は、日本の4000人弱に対して、ネパールは実に約2万人(NAWB推計)である。しかも、悲劇的なのは、NAWB等の必死の努力にもかかわらず、このうち実際に学校教育を受けている視覚障害児は約600人に過ぎないという事実である。
  このようにネパールにおける視覚障害者の比率が極めて大きいのは、劣悪な衛生環境や栄養状態に起因するケースが非常に多いためである。また、世界で唯一ヒンズー教を国教とするネパールでは、「障害は前世の悪業の報い」という因習が未だに広く信じられており、これが救いようがないのは、貧しい障害者自身がそれを信じて、自らを呪っていることだ。これを克服し、障害者が自立した生活を営むためには、教育を受け、自らを解放する以外に手はない。
  毎日新聞東京社会事業団より向こう5年間にわたり寄託される年間100万円の資金のうち、90万円に相当する資金が、ネパール全土7校にまたがる視覚障害児47人の1年間(休日をのぞき、実際は10カ月間)の教材費・生活費(食費、被服費等)を賄うための奨学金で、残りの10万円が、本奨学金事業を実施するためのNAWBの事務経費だ。
  ところで、90万円を47人で割ると一人当たりの経費は1万9,149円であるが、この金額はネパール教育省が決めたものである。偶然にも今年度から、従来私たちが支援してきていた統合教育校にネパール政府からの支援がおりることになったが、対象となる児童数は47人で、毎日奨学金の規模と同じなのは、ただの偶然だろうか?

政府奨学金実施の背景

 東京ヘレン・ケラー協会は2002年度まで10年以上も前から、ネパールにおける視覚障害者の統合教育を支援してきた。特にドゥマルワナ校、シャンティ校、ジュッダ校の各20人とアマルジョティ・ジャンタ校の15人、計75人は継続的に支援してきた。この間、NAWBは、「視覚障害児に対する教育は、本来政府が責任を持つべきである」として、例年これらの統合教育校に対する支援をネパール教育省に訴えてきた。そして長年の懸案が、その一部とはいえこの2005年度(4月14日開始)から実を結ぶことになった。この政府奨学金は、毎日奨学金をNAWBに打診して数カ月たってから、急遽決定された事業だが、その背景には次のような事情がある。
  本年(2005)2月1日、ギャネンドラ国王は、既成政党の政治家が腐敗し、国民の利益を無視したなどとして、デウバ首相ら閣僚全員を解任し、非常事態を宣言。そして国王自らが新内閣を率いて直接統治に乗り出し、政治家ら多数を拘束した。また、国王を批判する報道を禁止、市民の集会も禁じるなど強権的な独裁を敷いた。その一方で、国王は2月5日に閣議を招集し、国民の批判をかわすため汚職摘発特別委員会を15日以内に設置することや下層階級や体の不自由な学生らを対象に学用品の無償配布や奨学金支給を決定した。
  こうしてNAWBは、昨秋から着々と計画してきた「毎日奨学金」と共に、政府による突然の奨学金支給という僥倖に嬉しい悲鳴をあげながら、この春すっかり振り回されたのであった。

問題のアダーシャ校

 毎日奨学金の対象校となった7校のうち、6校は完全な地方の公立校である。そして、残りの1校だけが、カトマンズ盆地内にある。カトマンズの中心部から東に向かって車で30分ほど行ったところに、ティミという焼き物の町がある。国道からこの町に入る道は狭く、ジープでなければ登り切れないような急勾配なのは、この町が中世の城郭都市の姿を今に伝えているからである。建物は民家を含めて、ほぼレンガ造りの三階建てで統一されており、その中を道路が迷路のように張り巡らされている。
  そんな一画にアダーシャ校はあるのだが、レンガ造りの町に、テニスコートほどの校庭も含め、すべてがレンガで固められブロックのようにはめ込まれた校舎であるため異常な圧迫感を覚えた。
  同校は幼稚部から第10学年までの一貫教育校で、登録学生数は1226人で、実際に毎日通学して来る学生は1150人位であろうとのことであった。それに占める視覚障害児数は10人で、そのうちの4人は通学生で、6人が寄宿生で、さらにこの中の4人が毎日奨学生である。同校の教員は39人で職員は6人。幼稚部と小学1年は各1クラスだが、他の学年は2クラス(2〜10学年)、1クラスの生徒数は、50〜86人であるという。日本とほぼ同じサイズの教室に、左右に男女別で、5人がけの長机が8列ずつ、都合16列あった。したがって、86人のクラスでは、5人がけの長椅子に6人が座っていたのだが、これはネパールの子供達が小柄で、痩せているから収まるのである。それにしても究極の狭苦しさだ。しかしながら、どの教室にも天井扇(シーリングファン) が回っており、熱気をかき回していたのは、さすが首都圏の学校である。
  毎日奨学金の対象校7校のうち、早くからノミネートされていながら、実は最後まで決まらなかったのが、このアダーシャ校なのだが、問題の1つはこの狭苦しさだ。何しろ、男子のベッドルームとは名ばかりで、レッドクロス・ルーム(赤十字室)と呼ぶ昼間は保健室として使われている部屋に仮住まいしている有り様だった。ネパールの公立校における問題は、校長の資質に帰す場合が多いが、同校ではむしろリソースティチャー(視覚障害児担当教員)の指導力が疑問視されているようであった。しかし、これに関しては現地の公機関が監督・指導するということで、NAWBとの間で決着したようである。このため、我々が同校を視察したときも、バクタプール郡教育事務所の課長が終始同席していたのであった。

目を見張る先端技術!
― デイジー講習会イン・カトマンズ ―

ネパール盲人福祉協会事務局長
ホーム・ナット・アルヤール

 去る8月22〜27日、ネパールの首都・カトマンズにおいてDAISY(デイジー)図書制作講習会が開催され、初日の開講式にはネパール政府を代表して女性・児童・社会福祉省のドルガ・デビ・シュレスタ大臣閣下が参列されました。席上、彼女はネパールにおけるデイジー普及のために積極的に支援することを表明すると共に、日本財団による財政支援に、特に謝意を表しました。日本財団は、ネパールにおけるデイジー普及のために講習会開催の費用等に38,850米ドル(約430万円)を提供したのです。
  講習会では、日本障害者リハビリテーション協会の東美紀(あずま・みき)さんが主任トレーナーを務め、インドのサントシュ・カレおよびプラシャント・ランジャン・バルマ両氏が共同トレーナーを務めました。研修参加者は、ネパール盲人福祉協会(NAWB)とネパール盲人協会(NAB)から各3名、ネパール全国障害者連盟(NFD)から2名、そしてパキスタンとブータンから各1名の合計10名でした。
  本講習会は、昨年(2004)7月30日、JICAネパールの支援により開催された「ネパール語によるデジタル音声図書制作の可能性を探る」セミナーに基づいて開催されました。同セミナーにおいて、国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所の河村宏障害福祉部長と東美紀さんが、実演とともに詳細な情報を、私たち40人以上の関係者に示しました。具体的には、従来のカセットテープによる音声図書を読むときには、興味のある部分を探し出すために無駄な時間を費やさなければなりませんでした。ところがデイジーでは、ボタンを押すと、章、節、ページ、段落にいともたやすくジャンプすることができ、目でざっと読むよりも早く、必要な箇所を探し出すことができます。その上、デイジー図書(CD1枚)には墨字で1000ページ以上の書籍を収めることも可能であるため、コストパフォーマンスにもすぐれており、視覚障害者にとってとても使いやすい夢のシステムなのです。
  なお、今年の講習会に河村氏は参加されませんでしたが、同氏は日本ばかりかデイジーの開発に当たる国際的な共同開発機構である「デイジー・コンソーシアム」の理事でもあります。
  本講習会の終了後、高性能のパソコンにマイクロフォンを組み合わせたデイジー図書制作用のシステムが3セット設置されたデイジー・センターが、NAWBとNABに設立されました。そして、わたしたちNAWBでは、日本語にも翻訳されているネパール語による短編小説集『ナソ(忘れ形見)』をネパール初のデイジー図書とするために、その制作に着手致しました。
  最後にNAWBとネパールの視覚障害者を代表して、私たちは河村宏氏の卓越した技術をネパールにまで分け与えるという取り組みに特に感謝すると共に、本事業への日本財団の財政支援に深甚なる謝意を表します。

■編集ログブック■

 筑波技術大学の開学と(株)ナレッジクリエーションの設立を、ここに改めましてお祝い申し上げます。とはいえ、どちらも順風満帆の船出とはなかなかいかないようですが、新しい高邁な理念を高く掲げた果敢な挑戦に幸多かれと祈ります。なにはともあれ、新たな船出を祝って“ボン・ボヤージュ!”
  今月の「知られざる偉人」で、ジョン・ウイルソン卿が、開発途上国ではつとに有名な国際NGO「インパクト」の創設者であることを知り、ひどく驚きました。ネパール盲人福祉協会(NAWB)の設立者にして初代会長であったL.N.プラサド博士(眼科・耳鼻咽喉科医)が、インパクト・ネパールの議長という関係で、私はインパクトという大きな存在を知りました。同団体は指田さんが紹介しているように「失明予防だけでなく、医療技術によって予防可能なその他の障害についても発展途上国で活動を行う」ことを目的とした団体です。したがって、創設者も当然医師だとばかり思っていたのでした。しかし、医療事業を行う団体の設立者は何も医師である必要はありません。ウイルソン卿の偉大な業績に接して、改めて目から鱗が落ちた思いです。(福山博)

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