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社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会

点字ジャーナル 2005年6月号
第36巻6号(通巻第421号)
編集人:福山 博、発行人:竹内恒之
発行所:(社福)東京ヘレン・ケラー協会(〒169-0072 東京都新宿区大久保3-14-4
電話:03-3200-1310 振替:00190-5-173877) 定価:一部700円
編集課 E-mail:XLY06755@nifty.ne.jp
―この紙はリサイクルできません―

はじめに言葉ありき「巻頭ミセラニー」
「愛国無罪」

 1936年11月、抗日のため国民党と共産党の合作を求めた全国各界救国連合会の指導者7人が、上海租界で蒋介石の国民政府官憲に一網打尽にされる。彼らを救うため救国会の陰のリーダー・宋慶齢(孫文未亡人)が展開した運動のスローガンが「愛国無罪」「救国入獄」で、これは「愛国には罪はない。もしあるとすれば、われわれにも罪があるので逮捕しろ」という捨て身の運動。これが功を奏し、翌年7月7人は群衆の歓声をあび保釈される。
 先の中国の反日デモでも群衆が機動隊に向かって同様に叫んだが、その意味は「われわれが暴れるのは愛国の心情からなので、逮捕は論外、官憲は邪魔だてするな」という意味だとマスコミは報じていた。しかし、そうだとするとその言葉の使い方は、約70年前とはまったく異なり、似て非なるもののようである。

目次

宮城道雄50回忌に寄せて 愛弟子が語る楽聖の思いで(1)
 (森雄士・長尾榮一対談) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3
タイにおける視覚障害マッサージ師養成の現状と今後の展望(指田忠司) ・・・・・・・
16
マッサージ免許崩壊元年(与那嶺岩夫) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
20
点字楽譜のデータベース化を目指して連絡会が発足 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
25
カフェパウゼ:戦前の4大ラジオメーカー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28
研究室から:二足の草鞋を履いた研究活動(愼英弘) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
29
感染症研究:いつ国内に侵入してもおかしくない狂犬病 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
32
万華鏡:介護という名の「犯罪」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
37
スモールトーク:JRは利益の追求に全力を尽くせ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
39
水原紫苑の短歌教室 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
42
コラム・3点セット ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
45
知られざる偉人:CNIBの創設と発展の功労者 E.A.ベイカー ・・・・・・・・・・・・・・
48
読書人:ユニークな視覚障害者が登場する『異国トーキョー漂流記』 ・・・・・・・・・・・
52
大相撲:中年期待の星、34歳の新十両、出羽の郷 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
54
ブレーメン:犬の糞戦記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
57
時代の風:野菜をよく食べても大腸がんになるリスクは変わらない、他 ・・・・・・・・・
60
伝言板:「4しょく会」の春のイベント、他 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
62
編集ログブック ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
64

■ カフェパウゼ ■
戦前の4大ラジオメーカー

 今月号の森・長尾両氏の対談に、「ナナオラ」という聞き慣れないラジオが出てきた。トランジスタが米国で発明されるのは戦後のことなので、もちろん戦前は真空管を使った管球式ラジオの全盛期である。
 現在、このクラシカルなラジオを修理・復元する趣味を持っている人が以外に多い。まず、木製の本体に紙やすりをかけて、ニスを塗りなおす。部品も一点いってん確認し、コイルなどは自分で巻き直して、できるだけオリジナルの部品を使って修理・復元するのだ。また、当時の販売カタログやポスター、回路図などを収集して、ウエブ上で公開している人もいた。それによると、戦前の4大ラジオメーカーは、大阪の松下無線(現・松下電器産業)、早川金属工業(現・シャープ)、それに東京の七歐無線と山中電機で、この東京2社は1950年代に東京芝浦電気(現・東芝)に吸収されている。
 森雄士さんが昭和9年に家に買ってもらった4球式箱型ラジオは、ナナオラ52型ではないかと思われるが、価格まではわからなかった。しかし、同社の同じ4球式で箱形ではないちょっと古い44型の同年の価格が55円なので、52型はそれより高額なはずで、ひょっとしたら100円近くしたかも知れない。普及型の3球式が30円代であったので、これはちょっとした高級品。ちなみに当時の小学校教員の初任給は55円であった。(福山)

■ スモール・トーク ■
JRは利益の追求に全力を尽くせ!

 4月25日(月)に起きた兵庫県尼崎市のJR福知山線で快速電車が脱線した事故は、ついに死者が100人を越える大惨事となった。もはや仏となっているので事故を起こした運転士の資質はひとまず置くとして、脱線後も続行された天王寺車掌区のボウリング大会と、事故を起こした電車に乗り合わせた2人の運転士が救助活動をせずに出社したことを、どう考えたらいいのだろうか?
 私は1987年秋のある日の出来事を今、まざまざと思い出した。
 当時、明治大学の3年生だった私は、点訳サークルの仲間と共に、学園祭である「駿河台祭」の企画として、首都圏各鉄道会社の視覚障害者への安全対策をテーマに小冊子をまとめていた。あたかも1987年は国鉄からJRに移行した年であり、民営化後のJRの安全対策が紙幅の半数以上を占める中心企画であった。
 小冊子の内容は、点字ブロックの敷設率、プラットホーム上の駅員の配置、アナウンスの内容、安全設備の設置状況等を各社に電話調査したもので、加えて近くに都立文京盲学校があり、視覚障害者の利用も比較的多く、列車とホーム間のすき間の広いJR飯田橋駅を1例として調査し、同駅駅長へのインタビューも敢行。その上で当時東京・八重洲にあったJR東日本本社を、私は点訳サークルの仲間10人あまりと共に訪問し、視覚障害者に対する安全対策について質した。
 あらかじめ取材趣旨を告げていたため、私たちはすんなりと会議室に通された。大学の学園祭の企画であり、こちらはちょっとコメントだけでも聞ければいい位にしか思っていなかったが、会議室に現れたのは何と本社の広報課長であった。
 私たちの点訳サークルの会長が再度取材趣旨を告げ、小冊子をまとめるために話の内容をカセットテープに録音してもよいかとたずねた。すると、広報課長は、「話の内容を録音することをお断りいたします」ときっぱりと言い切った。そればかりか驚いたことに速記者を付けて、私たちの発言を一字一句もらさず記録。その上で点字ブロックやホーム上の駅員の配置などの安全対策について、「JRは国鉄から180度変わりました。利益が上がらない以上、点字ブロック等への設備投資は致しません」と明言。当時、高田馬場駅でホームから転落死した上野訴訟が係争中であり、異常に警戒したのかも知れない。しかし、私たちはそのあからさまな言い方に衝撃を受け、耳を疑った。JRは民間の会社であるから利潤の追求は当然のことである。しかし、安全確保と利益の追求が相反するとでも、本当に思っているのであろうか? JRは旅客輸送業のはずで、安全運行が何にも勝る錦の御旗ではなかったか。30分ほど広報課長と話をしたが、とうとう超エリートであるはずの彼の口から「安全」という言葉は一言も発せられなかった。
 あれから18年が経過し、そうはいってもJRの視覚障害者への対応は、設備の面でも介助の面でも、国鉄当時と比べると比較にならないほど、格段に進んだことは間違いない。ああはいっても安全確保と利益の追求は相反しないということが、わかったのだろうと私は独り合点していた。ケチケチして乗客に大けがをさせたり、大勢を殺せば莫大な補償を要求され、計算に合わないことは明白だからだ。逆説をいうようであるが、JRは利益を徹底的に追及するなら、今回のような事故も、18年前の不遜な態度もなかったはずである。ところが、大事故が起こったことを知りながら、天王寺車掌区長は、計画通りボウリング大会を開き、脱線電車に乗り合わせた運転士は、遅刻しないように出勤した。彼らはその時点で正しく判断したつもりで、まさか非難されるとは思いもしなかったはずである。そして、死んだ運転士は定時運行を死を賭して追求したのであった。
 無難に後ろ指を指されないように、賢くやろうとしたその実直な官僚主義が、今回の悲劇を生んだのである。それをJR西日本の幹部が「情けない」と嘆くだけでは、また同じようなことが起こるであろう。と思っていたら、ゴルフだ、宴会、慰安旅行と続々出てきたのはご存じのとおりだ。問題は「認識の甘さ」などではなく、国鉄時代から綿々と続く官僚主義だから、一朝一夕には改めようがないのだ。利益のみを飽くなく追求してきた私鉄の方が、安全対策が万全なのは皮肉でもなんでもない。(戸塚辰永)

■編集ログブック■

 先月号(通巻420号)の本欄「読者より」で東京都北区・田中邦夫様のご意見を掲載しましたが、「墨字ページの併記」というタイトルを機械的に省略したため、唐突に「これ」という指示代名詞から本文がはじまり、筆者の本意が十分伝わらない文章となってしまいました。田中邦夫様と読者の皆さまにご迷惑をおかけしましたことを、ここにお詫び致します。
 巻頭の「宮城道雄50回忌に寄せて」は、一回で完結する「読み切り」として企画したものですが、対談は熱がこもり大幅に時間延長となりました。内容も濃く、天才音楽家の在りし日の姿を、今だから語れるという側面もあるので、残りは連載と致します。
 日盲連国際委員会指田忠司事務局長による「タイにおける視覚障害マッサージ師養成の現状と今後の展望」と国リハあはきの会与那嶺岩夫事務局長による「マッサージ免許崩壊元年」は、タイとの自由貿易協定(FTA)交渉にからみ、緊急に寄稿していただいたものです。このため、予定されていた筑波大附属盲学校岩屋芳夫教諭による「国会図書館利用体験記」と筑波大大学院の半田こずえさんによる「美術を楽しむ」は、次号に掲載します。快く掲載延期に応じていただいた両氏に感謝致します。
 ここ1カ月ほどわが編集課は風邪ひきばかりで、かくいう私ももはやひと月近くも朦朧としております。時節柄、読者の皆さまもご自愛ください。(福山博)

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