学校で習うのは「ローマ教皇」だが、マスコミは盛んに「ローマ法王」と呼んでいる。実はカトリック教会の中でも長年混用されていたので、日本のカトリック司教団は1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一した。ところが、日本とバチカンが外交関係を樹立した当時、「ローマ法王庁」の名称で日本政府に登録申請した。この登録国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できないということで、東京都千代田区三番町にある駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」と名乗っている。
日本政府がローマ法王庁と呼称し、外交文書にもそのように記載されるので、マスコミも頑として「ローマ法王」と呼び、書くのである。ちなみにローマの法王庁にある日本の大使館の正式名称は「在バチカン日本国大使館」という。
早稲田大学は、3月27日(日)10〜18時、同大国際会議場(東京都新宿区)にて、アジア諸国で活躍する障害当事者など20名あまりを招聘し、第2回「障害学生の高等教育国際会議」(実行委員長・鈴木陽子同大教授)を約200名の参加者を集めて開催した。
1993年8月に行われた第1回会議から12年が経過し、大学などの高等教育機関で学ぶ障害学生は増加の一途をたどっている。一方、障害学生を受け入れる多くの大学は、障害者の入学、教育上の配慮、卒業後の進路等で様々な課題に直面している。本会議では、「障害者の高等教育支援体制の整備と連携を図るために」をテーマに情報交換や活発な議論が交わされた。
午前中に行われた海外招待者講演では、米国・ミネソタ大学ジョセフ・メステンハウザー名誉教授とスウェーデン・ストックホルム大学インゲゲルト・ハグルント元講師が、「障害学生支援の現状と課題」について講演した。メステンハウザー教授は、「とかく大学教員は、象牙の塔にこもり、専門以外のことには関心を示さない。だが、障害学生に接し、理解しようとすることで、学際的な視点が広がる」と指摘した。一方、ハグルント氏は、「EU(ヨーロッパ連合)は、高等教育を受ける障害学生の支援に本腰を入れており、2010年までに大学間で組織的な支援体制を構築するつもりだ」と冒頭で述べ、続いて各国の具体的な取り組みを報告した。
北欧諸国は福祉国家といわれているが、障害者の高等教育に関しては最近までかならずしも十分な支援体制が取られてこなかった。しかし、2003年に北欧諸国の社会保障担当大臣が会談し、ITをフルに活用し、障害学生を支援することで一致。また、欧州各国は、反差別法や機会均等法を定め、障害者の受け入れや配慮などで具体的な行動計画を作成・遵守するよう大学に義務付けている。そのため、各大学では障害学生支援室を設け、専門のコーディネーターが相談に当たっている。このコーディネーターの養成研修会も活発で、イギリス、スウェーデン、ドイツでは、大学院に養成課程を設置しているという。
両氏の講演を受けて、午後から行われた分科会では、聴覚、視覚、肢体不自由の障害別当事者と支援する側の4グループに分かれ、高等教育における障害者への支援体制についてそれぞれの国の情報や、具体的な支援体制についての意見交換が活発に行われた。中でも、聴覚障害者部会は、筑波技術短大の4年制への移行もあり、とくに議論が白熱。メイン会場を使用していたため、他の分科会参加者が20分近くも足止めされる一幕もあった。(戸塚辰永)
「障害学生の高等教育国際会議」の第2分科会は、「視覚障害者と高等教育」をテーマに行われた。前半は、鶴見短期大学小出淳子(コイデ・ジュンコ)非常勤講師の司会で、インドネシア、タイ、ドイツから講演者を招き、各国の現状について発表。後半は、障害者職業総合センター指田忠司(サシダ・チュウジ)研究員の司会で、進学、支援、就労の立場から、日本の現状についての報告とパネル・ディスカッションが行われた。
インドネシア教育大学教育学部特殊教育学科講師ディディ・タルシディ博士は、「インドネシアでは、現在250人の視覚障害者が高等教育を受けているが、地方ではあまり受け入れられていない。1997年に障害者法が制定されると、教育の権利を求める運動が活発になったが、試験問題の点訳以外の支援はなく、学生がボランティアに依頼して、自分で教材を用意しているのが現状である」と述べた。タイ盲人協会モンティアン・ブンタン会長は、「現在、200人以上の視覚障害者が高等教育を受けているが、学校や専門科目を自由に選ぶことは出来ない。サポートもほとんどないので、学生は自分達で問題に対処している」と語った。ドイツ・カールスルーエ大学視覚障害者研究センターヨアヒム・クラウス所長は、「以前は、音楽家やマッサージが視覚障害者の主な職業であったが、近年の情報通信技術の発達によって、コンピュータの活用が不可欠となった。カールスルーエ大学は、1987年に情報処理のプログラムを開始し、自然科学や工学など、それまで閉ざされていた分野の開拓を目指している」と話した。
次に日本の状況であるが、大学入試センター藤芳衛(フジヨシ・マモル)教授は、「近年、視覚障害者の進学環境は整いつつあるが、中途失明者に対する配慮は十分ではない。今後の課題は、全ての人に配慮した試験問題の作成(ユニバーサル・デザイン化)にある」と語った。筑波技術短期大学長岡英司(ナガオカ・ヒデジ)教授は、学内での支援として教科書の点訳や音訳、板書内容の読み上げ、誘導ブロックや点字サインの敷設などを挙げた。しかし、学外の支援の大半はボランティアに頼っているのが現状であり、支援の充実のためには、学生の悩みや要望を聞く「相談窓口」を設けたり、必要に応じて支援のノウハウを提供するような組織を作ることが重要であると強調した。日本盲人職能開発センター井上英子(イノウエ・エイコ)職能開発訓練課長は、「就労にあたって視覚障害者がパソコンなどの技術を身につけることは言うまでもないが、企業側のシステム構築も不可欠。採用前に適切な仕事配分を検討し、すぐに業務に取りかかれるような配慮が望まれる。また、卒業後のスムーズな就労を実現させるためには、大学と訓練施設との連携も重要である」と語った。
このように4カ国の現状を見てきたが、フロアーのWBU(世界盲人連合)ウイリアム・ローランド会長から「日本の視覚障害者の進学者数が年間15人というのは余りに少なすぎる」という疑問の声があがった。これに対し藤芳教授は「日本で高等教育は学士号の取得を意味する。開発途上国では後期中等教育(現在の日本における高等学校段階の教育)も含まれていることが多く、同じ尺度で測っているわけではない」と説明。議論の中で、相互理解の上で「高等教育」の概念をはっきりさせることや、視覚障害の定義や就学率の基準も定まっていないので、その点をはっきりさせ、今後は統一することも重要であると指摘された。
共通の課題としては、学内外の支援が挙げられ、視覚障害者の受け入れにあたっては当事者と十分相談し、教員や学生が自然に援助できるような環境を作る。その上で支援のノウハウを持っている大学と連携し、必要に応じて情報を提供してもらうような態勢作りの必要性が訴えられた。
日本で学ぶ視覚障害留学生に対する支援については、経済的なことも含めて学習環境を保証できるような「奨学金制度」の創設が議論された。これについては会場の参加者からも強い要望があったが、具体的にどのような事ができるのか、時間をかけて検討していくこととなった。また、国際的な連携と協力については、情報を共有できるような広報誌を作ったり、しかるべき団体の協力を得て、相互に留学生を派遣する「交換留学生制度」を設けてはどうかと言う意見が出た。(安達麗子)
社会福祉法人東京ヘレン・ケラー協会は、3月28日(月)協会本部(東京都新宿区)にて評議員会と理事会を開催し、平成16年度補正予算案と平成17年度事業計画ならびに予算案を原案どおり可決しました。
冒頭、堀込藤一理事長(77歳)が「任期を1年強残しているが、理事長、ヘレン・ケラー学院長、すべての役職を退任したい」と辞意を表明、退任が承認され互選の結果、後任として藤元節前常務理事(65歳)が平成17年4月1日付で新理事長に就任しました。
堀込理事長の理事・評議員の退任に伴い、後任の理事には評議員の毎日新聞東京社会事業団三浦拓也常務理事(60歳)が、また評議員には石原尚樹毎日新聞紙面審査委員会委員(58歳)がそれぞれ選任されました。
堀込藤一前理事長は視覚障害者を対象としたあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の養成施設であるヘレン・ケラー学院の学院長を兼任していたため、退任に伴い、藤元節新理事長が学院長を兼任することになりました。藤元節前常務理事が兼任していた当協会ヘレン・ケラー点字図書館館長には、石原尚樹評議員が就任しました。