愛の光通信    2013年冬号通巻41号 2013.12    LIGHT OF LOVE    Overseas Program for the Blind - Plans and Reports    ISSN 0913-3321 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局  どこから見ても5階建てのごく普通のアパートにしか見えなかった。しかも、1階には雑貨店があり、コーラやスナック菓子、石鹸・シャンプー・ハンドクリームなどの日用雑貨を売っていた。  しかし、私がこの日訪れたのは、カンケッソリ校で、実際に建物の中に入るとちょっと狭苦しい教室があり、普通の授業が行われていた。  雑貨店は学校運営費の一部を補填するためのテナントであった。(関連記事:2ページ) ●多様な教育環境 海外盲人交流事業事務局長/福山博  ネパールは多民族・多言語国家で、しかも、驚くべき貧富の差がある格差社会である。  一方、わが国も最近、貧富の差が出てきたといわれるが、少なくともネパールと比較するなら、かなり均質化された、貧富の差が少ない社会であるということができる。  なかでも、初等・中等教育の教育環境は、日本では都市部も農村部もほとんど変わらない。どんな過疎の村にも立派な鉄筋コンクリート造の校舎があるのが当たり前である。  一方、ネパールでは国際標準の立派な学校がカトマンズにある一方、校舎とは名ばかりの掘っ立て小屋としか思えない学校も農村部にはいまだに点在している。そのような学校では教員も確保できていないので、教育の実はあがらない。 ◆理想的学校  さすがにカトマンズは首都だけに、そこまでひどい学校は見かけることはない。ただ、カンケッソリ校のように校庭のないアパートのような校舎に、児童・生徒がぎゅうぎゅう詰めになっているだけである。  その一方で、「公園のような緑豊かな環境で教育を行う」というポリシーの下、広大な敷地に校舎が点在するラボラトリー校(実験学校)のようなエリート校もある。  実験学校とは、新しい教育の理論や技術を一定の明らかにされた条件下で実験的に実施し、その適否を研究する学校である。米・シカゴ大学には、1896年に開校して進歩主義教育運動の原点となった「Laboratory School(実験学校)」という名称の学校があるが、ネパールの実験学校も米国の理想主義的教育理念の下に開校したのである。  ラボラトリー校は、ネパールで最初の公立寄宿学校であり、カトマンズ市郊外のキルティプール町というネワール族の住む古い町に、国立トリブバン大学教育学部の教員養成施設として、米国の支援により1956年に設立された。  このため、校舎はレンガ造りであるが、米国人の設計によるモダンな建築様式である。  ただ、理想主義に反して、国立とはいっても開校時から授業料が非常に高いことでも有名で、一般庶民の子弟は、奨学金を貰えなければ、とても入学することはできなかった。  同校は国立の学校だが、運営管理は、現在、ネパール最大の私立学園である「リトル・エンジェル学園」に委託して行っている。  その話を聞いたとき、私はわが国の「指定管理者制度」のようなものだろうと考えたが、話を聞いてみるとまったく違っていた。  リトル・エンジェル学園が、一定額の校舎等の施設使用料を国庫に納め、授業料等を学生から徴収して運営しているのだ。  一般公務員の給料よりも授業料の方が高かった昔から比べると安くなったとはいえ、それでもいまだに高嶺の花であることには間違いない。  なおリトル・エンジェル学園の創設者・校長はネパール高等学校協会の会長であるウメッシュ・シュレスタ氏である。同氏は、本誌通巻39号の「当協会へ感謝額」で触れた、NAWBの名代として当協会に感謝額を届けてくれた代表団の一人で、NAWBを支援しているカスタマンダップ・ロータリークラブの役員でもある。  ところで、ラボラトリー校は1964年に盲教育部門を設置し、ネパールで最初に視覚障害児のための特殊教育を開始し、それ以降、継続して実施している先進的な学校でもある。  同校で10年生の数学の授業を参観したが、視覚障害生徒だけの授業であったので、同校の視覚障害児教育は、いわゆる統合教育ではなくて、分離教育(特殊教育)の一種であると考えた方がよさそうである。 (写真)ラボラトリー校の講堂 ◆地元密着型モデル校  バスターミナルに面したその建物を見たとき、私には単なる商業ビルとしか見えなかった。  校舎を囲む塀が、商業ビルになっており、そのテナント料が学校の運営資金の一部になっているので、このような風景が展開するのである。  しかし、その建物を子細に観察してみると、並んだ店の上部にネパール語と英語で「ナムナ・マチンドラ・キャンパス(NAMUNA MACHHINDRA CAMPUS)」と書いてあった。  ナムナとは「モデル」という意味で、ネパール全土に75ある郡という行政区画の各郡に一校指定されている最も設備の整っている公立校のことである。この「モデル・スクール」だけを見学してもわからないだろうが、他の公立校を視察したあとに訪問すれば、「モデル・スクール」という意味がよくわかるはずである。  「キャンパス」というのは、英語では「大学などの構内」のことだがネパールでは、ずばり大学を意味する。しかし、「マチンドラ・キャンパス」という名称であってもいわゆる国際レベルの大学ではない。  ネパールは伝統的に、日本の高校2・3年生に相当する11・12年生の教育を、世界基準の中等教育ではなく、高等教育で行ってきた。その名残の名称で、同校は高校である。  しかも日本の一般的な盲学校のように幼稚部から高等部まで揃っており、一貫した教育を行っている。ネパールでは、このように幼稚部から12年課程まで揃っている学校が一般的なのである。 (写真)上部に「NAMUNA MACHHINDRA CAMPUS」と書いてある ●宝の持ち腐れ  自然環境に恵まれたラボラトリー校は施設・設備に恵まれているだけではない。同校のリソースルーム(視覚障害児のための学習支援室)では、学生ボランティアが、パソコンで視覚障害児の教材を作成していた。  一方、農村部の統合教育校では、海外から視覚障害者が使えるパソコンを寄贈されても、使える人も指導できる人もいないため、宝の持ち腐れになっている。人材がなにより問題なのである。 ●歌は友だち  マチンドラ校のリソースルームでは、よく美しい歌声が響く。視覚障害児は音楽が好きで、また、才能に恵まれている子供も多い。  ネパールでは、インド同様に今でも伝統楽器が、街中ばかりか学校の中でも普通に使われている。音楽教育も西洋から積極的に導入した日本とは、おそらく基本的な考え方が違っているのだろう。  もちろん、どちらがいい、悪いと単純に答えを出すような問題でないことはいうまでもないが。 ●NAWB、ネパール政府から表彰される 在ネパールボランティア/ホーム・ナット・アルヤール  ネパール盲人福祉協会(NAWB)は、本年(2013)9月22日に、ネパール政府社会福祉協議会(SWC)から「2013年度トゥルシメハー社会奉仕賞(Tulsimehar Samaj Sewa Award 2070)【※1】」を受賞しました。  トゥルシメハー・シュレスタ氏(1896〜1978)は、ネパール初の社会事業家で、日本の江戸時代に比肩されるラナ封建体制時代(1846〜1951)においても、困難を乗り越えて多くの学校や福祉機関を設立した偉大な人物です。  彼は迫害され一時期インドに亡命しますが、そこでマハトマ・ガンジーの知遇を得ます。そしてガンジーがネパールの絶対 的権力を持つ宰相に手紙を書き、取りなすことによって、シュレスタ氏はネパールに帰国し、小さなプロジェクトから社会事業を開始しました。 SWCは同氏の遺徳を顕彰するため、彼の名を冠した「トゥルシメハー社会奉仕賞」を設け、毎年9月22日の「社会福祉の日」の行事として、人道主義分野で貢献した非政府機関やソーシャルワーカーを表彰しています。  キル・ラジ・レグミ首相(選挙管理内閣議長)は、ネパールの視覚障害者の教育とリハビリテーションのために10万ルピーの賞金をNAWBに与え、NAWBを代表してクマール・タパ会長が、SWCにおいて同賞を受け取りました。なお、レグミ首相はSWCの議長も兼任しています。  NAWBは、東京ヘレン・ケラー協会(THKA)の視覚障害児に対する長年にわたる教育支援援があればこそ、この賞を受けることができました。THKAによる点字教科書発行、統合教育事業、CBR事業に対する貢献は、たいへん立派で、素晴らしいものです。  THKAの支援のお陰で、多くの盲人が大学や高校の教師、政府の官僚になることができました。  ところで、本表彰と同時にビレンドラ・ラジ・ポクーレル氏【※2】が前会長のネパール全国障害者連盟(NFD)も社会奉仕賞を受賞し、こちらは 2万1,000ルピーの賞金を得ました。  【※1】2070というのは、今年がビクラム歴(ネパール歴)で2070年であることを示しています。  【※2】全盲のビレンドラ・ラジ・ポクーレル氏についてここで唐突に触れているのは、同氏がJICAの招聘で、2003年1〜3月に日本で研修を受けたからです。その際、NAWBの要請を受けて、当事務局が、休日の歩行介助等を行ったり、当協会が発行する『点字ジャーナル』が、同氏をインタビューしました。  なお、同氏については、本誌2003年春号(通巻20号)でも紹介しています。 ●盲人マッサージ治療院 シーイング・ハンズ  英国のNGOによる「シーイング・ハンズ(Seeing Hands)」という視覚障害者のマッサージ師雇用プロジェクトがネパールにある。  トレッキング等でマッサージ需要が多い景勝地ポカラに、まず治療院を開き、3年前(2010)にカトマンズにも進出した。  年に5、6人のマッサージ師が、英国、スペイン、ポルトガル、ブラジルなどからボランティアでネパールに来て、視覚障害者にオイルマッサージを中心に教えている。  こうして養成された視覚障害施術者がポカラに9人、カトマンズに3人いるという。  看板には「シーイング・ハンズ・ネパール 盲人マッサージ治療院 訓練を受けたプロの盲人マッサージ師が施術します」と英語で書かれていた。  治療費は1時間1,200ルピー(1,200円)で、受付と待合室は1階に、治療室は2階にあった。  室内はとても清潔で、2台の治療用ベッドの間には大型石油ストーブがあり、全盲の治療師が、まず大きな音を立ててストーブに点火した。  そして、「パンツ一つになってベッドにうつ伏せになるように」と言って部屋を出て行った。  ストーブは点いたばかりで寒く、長袖Tシャツを脱がないでいると、数分後に戻ってきた治療師は、「ロングTシャツも脱げ」という。  そこで、「オイルマッサージではなく、ドライマ ッサージにして欲しい」と頼むと、ようやくTシャツの上から施術が開始された。  施術を受けた感じは悪くなかった。凝りのある部分を探し出して、しっかり揉みほぐそうとしており、それなりに上手だった。  ただ、施術中「どこから来た」「いつネパールに来た」「いつ帰る」「名前は」「年齢は」「結婚しているのか」・・・と、一方的に英語で質問した。  また、問わず語りに聞いたところでは、彼は20代後半で、トリブバン大学の教育学部を卒業して、2年前からこの治療院で働いているそうだ。どうやら事実上の責任者らしい。  「シーイング・ハンズはカンボジアにもあるよね」と言うと、「ない。ネパールだけだ」と、彼は不機嫌に即答した。  後日調べてみると、カンボジアの視覚障害者が施術しているマッサージ店は「シーイング・ハンズ・マッサージ」と名乗っており、ロゴマークも違うので、まったく別組織だった。  カンボジアの方は、筑波技術大学を中心に組織されたアジア視覚障害者マッサージ指導者協議会(AMIN)などの協力を得て、日本式の按摩・マッサージ・指圧の施術所を、カンボジア全土にすでに10店舗展開している。施術料も1時間500円程度とネパールの半額以下で、本格的に営業しており、名称は同じだが内容は大いに異なる。  一方、ネパールのプロジェクトは、慈善事業の一環として行われており、その英国の団体が支援を中止したら果たして継続できるのか? その点、はなはだ疑問である。しかもホームページを見ると、連絡先はあくまでも英国なのだ。  辛辣な言い方をするならば、同治療院は患者の方を向いて治療をしておらず、英国を中心にヨーロッパなどから来る西洋マッサージの治療師が、自分たちの技術がネパールで役立つことに自己満足するためのプロジェクトとさえ思えた。  施術が終わると黙ってストーブを消し、すたすたと階下に降りて行った施術者に営業努力を問うのは、無理な相談なのかもしれない。これは営業ではなくチャリティ(慈善)事業なのだから。 ● バラCBRセンターとの付き合い方  インド国境沿いのナラヤニ県バラ郡カレーヤ町にあるバラCBRセンターは、平成14年(2002)6月末をもって当協会の支援事業は完了し、現地バラCBR地方協力委員会(現・NAWBバラ支部)に事業を完全に引き継ぎました。 ◆改修工事とスリットランプ  このように支援事業は完了したにも拘わらず、同センターの改修事業を平成18(2006)〜平成20年度(2008)事業として実施しました。  現地に引き継いだ事業に対して、再支援するのはあまり好ましいことではありません。しかし特に実施したのは、@平成16年(2004)に隣接する町役場がマオイストの手により爆破され、同センターはその巻き添えで壊れた。A同センターは、平成2年(1990)に外務省NGO補助金を受けて建設したが、この事実はこの町ではよく知られているという事情がありました。  これが悪しき前例になったのか? 昨年、同センターから附属する眼科診療所の検査器具である細隙灯顕微鏡の要望がありました。それも日本製の30万円程度のものが欲しいというのです。  この検査器具は、その一方にある顎載台にまず患者の顎を載せて額を固定し、反対側から細隙灯(スリットランプ)の細い光を眼球にあて、それを顕微鏡で観察するものです。 このことから「スリットランプ」と称されて、眼科検診にはなくてはならないものです。  現在あるスリットランプは、バラCBRセンターが落成した1991年に日本から持ち込んだものなので、20年余りたっています。たしかに老朽化しているのは事実ですが、完了した事業をこれ以上支援することもできません。  ただ、同センターは自助努力で、眼科診療事業等を継続していることもまた事実です。このため、完了した事業に我々は支援できないが、どこか寄付してくれるところがないか捜してみると、当てのない言い訳をするばかりです。 ●ネパールの温度差  写真を見ると、いかにも寒そうですが、実際はそれほどでもなく、日本人にとっては、Yシャツにブレザー姿で少しも寒くないのです。  この地は亜熱帯なので、日本人とは体感温度がかなり違うようです。また、多くの人が無意識のうちに涼しい格好をします。  よく、マフラーでほっかむりをしている人を見かけるのですが、ほとんど例外なく、首まわりが無防備です。これはマフラーを首に巻いた人も同じことで、ダウンジャケットやジャンパーを来ても、ファスナーを首まで上げている人はほとんど見かけません。  真冬でも、太陽さえ出ればすぐに25℃以上になる気候なので、無意識に涼しい格好をしてしまうのです。  一方、カトマンズは、緯度が奄美大島と同じなので、真冬でも陽が射せば日中の気温は20℃近くになります。しかし標高が1,300mもあり、しかも盆地なので、朝夕は東京とあまり変わりません。そのうえ、一般家庭や職場でも火の気がまったくないので、重ね着をして、もちろんファスナーも首まできっちり上げています。 ●高級ホテルのアップルパイ  四つ星ホテルのレストランにふらっと入った。午後1時を過ぎても食欲がなく、ホットミルクとアップルパイを注文して、とてもおいしく食べた。こんな取り合わせの注文を、今まで日本でもしたことがなかった。  どうやら、とにかく徹底的に清潔であることに飢えていたようである。清潔であることもまた、大変なごちそうであることに気付いた。 ●定食メニュー 下記は地方都市の典型的なネパール定食屋のメニュー。日本語に翻訳すると左のごとし。 ご飯と野菜カレーは食べ放題で、肉は小鉢にわずかだがこの価格。1ルピーは1円のレートであった。  ダル・バート・タルカリ(野菜カレー) Rs.100  パド付ダル・バート・タルカリ Rs.110  ヨーグルト付ダル・バート・タルカリ Rs.120  パパドとヨーグルト付  ダル・バート・タルカリ Rs.130  山羊肉付ダル・バート・タルカリ Rs.170  鶏肉付ダル・バート・タルカリ   Rs.160  ※木曜日は「ダル・バート・タルカリ」オンリー ●募金のお願い  ネパールにおける視覚障害者支援、とくに教育の充実をはかるために募金をお願い致します。  寄付金のご送金は下記口座をご利用ください。 郵便振替口座:00150−5−91688 ●寄付金に対する減免税措置  東京ヘレン・ケラー協会は、所得税法施行令第 217条第1項第5号に掲げる社会福祉法人です。当協会に対するご寄付は、所得税法第78条第2項第3号及び租税特別措置法第41条の18の3、法人税法第37条第1項及び第4項の規定が適用され、税法上の特典が受けられます。 ●編集後記 やっとネパールの新憲法制定のための議会選挙が11月19日に実施され、11月25日に選挙管理委員会は小選挙区の結果だけを発表した。  首位は105議席の会議派で、統一共産党が91議席でそれに続き、マオイストは26議席だった。  別に比例代表の開票も進んでいるというが、11月末の段階では最終結果は判明していない。  制憲議会(定数601)の議席は小選挙区(同240)と比例代表(同335)で決まるほか、残る26議席を選挙後に発足する新政権が選ぶ仕組みである。  マオイストは選挙に不正があったとして、新たに招集される制憲議会への不参加を示唆しており、最終結果が判明しても混乱が起きる恐れもあるが、もう政治的混乱はたくさんである。(H. F.) ●発行:社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会 海外盲人交流事業事務局 〒169-0072 東京都新宿区大久保3−14−4 TEL: 03-3200-1310 FAX: 03-3200-2582 http://www.thka.jp/ E-mail: XLY06755@nifty.com ※ 迷惑メールが増えています。当協会宛のメールには、適切な「件名」をお書き添えください。